宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

山椒の意外な使い方

Key words:山椒,選択毒性

                                                                          

ミカン科の落葉低木である「サンショウ」(Zanthoxylum piperitum;第1図)は,香辛料の代表的なものであるが健胃剤としても有名である。漢方薬でもっとも使われるものに「大建中湯」がある。便秘あるいは術後イレウスの予防などに使う。しかし,「サンショウ」には香辛料や薬以外にも意外な使われ方をしてきた。宮沢賢治の作品に面白い使い方が記載されている。それは,「サンショウ」の樹皮に含まれる毒を使って川魚を捕まえるというものだ。賢治の『風の又三郎』に,「サンショウ」の粉を入れた笊(ざる)を川の上流の浅瀬で「じゃぶじゃぶ」洗って川魚を捕まえるシーンが描かれている。同じく『毒もみの好きな署長さん』という小作品には,具体的な「サンショウ」を使った漁法(「毒もみ)が記載されている。

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第1図.サンショウ

 山椒(さんせう)の皮を春の午(うま)の日の暗夜(やみよ)に剥(む)いて土用を二回かけて乾かしうすでよくつく,その目方一貫匁(かんめ)を天気のいゝ日にもみじの木を焼いてこしらへた木灰七百匁とまぜる,それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。

 そうすると,魚はみんな毒をのんで口をあぶあぶやりながら,白い腹を上にして浮びあがるのです。

              (『毒もみ好きな署長さん』 宮沢,1986)   

 

「毒もみ」という漁法は,賢治が創作したものではない。賢治が生きていた時代に,だれが,考えたのか分からないが,実際にこの漁法が行われていた。今は,魚漁法で禁止されているが,富山県宇奈月町,あるいは長野県駒ケ根地方では,賢治が記載したのとほとんど同じ方法でイワナやアマゴ(サクラマスの仔)を獲ったという記録が残っている。

 

なぜ,「サンショウ」は,人間には香辛料や薬になるのに,魚には毒なのだろうか。「サンショウ」の果実や樹皮には,サンショオール,サンショウアミド,キサントキシン,キサントキシン酸などが含まれている。この内,サンショオールやサンショウアミドは辛味成分として知られているもので害にはならないと思われる。しかし,キサントキシン(xanthoxin)は,動物に投与すると痙攣毒に,またキサントキシン酸(xanthoxinic acid)は麻痺性物質であることが最近分かってきた。

 

動物(マウス、イヌ)が「サンショウ」を摂取して痙攣を発現するのは,抽出液を注射(皮下など)で直接投与した場合だけであり,口からでは多量摂取しても重篤な毒性を引起こすことはない。ただ,魚はこのキサントキシンやキサントシン酸に対して敏感に反応する。金魚などの小魚をキサントシリンの希釈溶液中に放すと一時的に運動活発になった後,激しい痙攣を引起こして死ぬという。すなわち,「サンショウ」に含まれる成分の中には,魚に「選択毒性」を持っているものがある(鳥居塚,2005)。

 

「選択毒性」といえば,抗生物質を思い出す。抗生物質は,人間には重篤な害がほとんどないが,病原微生物には増殖を止めてしまうほどの毒作用がある。植物にも殺菌作用を示すものは多い。我々がなにげなく口にしているものには,人間以外に有毒なものが結構たくさんある。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

鳥居塚 和生(編集).2005.モノグラフ生薬の薬効・薬理.医歯薬出版.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「山椒の意外な使い方」を加筆・修正にしたものである。

「マグノリアの木」とはどんな木か

Key wordsコブシ,マグノリア

                                                                         

宮沢賢治に『マグノリアの木』(1923年)という短編の作品がある。仏教の教えに基づいて書いたものとされている。その内容は,諒安(りょうあん)という人(お坊さん?)が霧のかかった険しい山谷を歩いていて,やっと平らな所にたどり着いたとき霧が晴れた。振り返ってみると,今たどって来た山谷のいちめんに真っ白な「マグノリアの木」の花が咲いていたというものである。この平らな所というのは,仏教でいう「さとり」の境地ということらしい。

 

しかし,「マグノリアの木」とはあまり聞きなれない名である。いったいどんな木なのだろうか。 植物図鑑を調べても記載されていない。多分,「マグノリアの木」は賢治の造語と思われる。「マグノリア ( Magnolia )」 という言葉自体は,学術的にはホオノキ,コブシ,タムシバ等のモクレン属の木の総称を指す言葉である。よって,「マグノリアの木」とはこの内のどれかかであろう。

 

賢治は,『マグノリアの木』の中で,「マグノリアの木」の花を真っ白い鳩(はと)に喩えている。

それは一人の子供がさっきよりずうっと細い声でマグノリアの木の梢(こずえ)を見上げながら歌ひだしたからです。

 「サンタ,マグノリア,

  枝にいっぱいひかるはなんぞ。」

向ふ側の子が答へました。

 「天に飛びたつ銀の鳩(はと)。」

こちらの子が又うたひました。

 「セント,マグノリア,

  枝にいっぱいにひかるはなんぞ。」

 「天からおりた天の鳩。」

    -中略―

あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかをりは覚者(かくしゃ)たちの尊い偈(げ)を人に送ります。 

                    (『マグノリアの木』 宮沢,1986)

 

モクレン属の中で花が一見して鳩に見えるのは,その花の色,大きさ,姿からして「コブシ」である(第1図)。「コブシ」の花弁は,白色で6個,3個の萼には銀色の軟毛が密生している。そして,花は香りを放ちながら上向きに空へ向かって開く。「コブシ」のつぼみは,南側からふくらみ始めるのでつぼみの先端は,ほとんどが北の方向を向くのだという。北の天空には北極星(Polaris)があり,また賢治の理想郷でもある「ポラーノの広場」や「イーハトーブ」がある。賢治は,「コブシ」(学術名:Magnolia kobus )を指して「マグノリアの木」と言っているのだと思われる。

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第1図.コブシ(天に飛びたつ銀の鳩).

県立大磯城山公園でも,もみじの広場に「コブシ」が植栽されている。3月から4月にかけて真っ白い「コブシ」の花が満開になる。賢治の言葉を借りれば,枝に止まった純白でしめやかな鳩の群れがまさに天に向かって飛び立つようにも見えて見事である。

 

賢治を魅了する「コブシ」の花には,いくつかの面白い事実が知られている。花の中を覗くと,雌しべを構成している多数の心皮があるのに気が付く。そして,心皮がDNAのように螺旋状に花床の上部に配列していている。これは,原始的な植物の特徴とされている。さらに,1982年,弥生時代の住居の発掘現場(約2000年前)からコブシの種子が見つかったが,この種子をまいたら,発芽し11年後に真っ白い花が咲いたという(大歳の自然,2021)。まさに,コブシの花は時空を超えて天から降りてきた鳩のようにも見える。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

大歳の自然.歴史.p18-49.http://ootoshi-comm.info/pdf/chiiki/hakkobutsu/ayumi/kyoudo_03_rekishi.pdf

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「マグノリアの木とはどんな木か」を加筆・修正にしたものである。コブシについてはブログページ「『なめとこ山の熊』に登場する薬草」でもふれているのでご覧下さい。

           

※:コブシの蕾が北を向くとあるが,私が観察したところでは必ずしもそうとは言えないところがある。

賢治と地質時代のシダ植物(試論)

Key words:「「春」変奏曲」,「春と修羅」,「イギリス海岸の歌」,「小岩井農場」,三木成夫,星葉木,「真空溶媒」,修羅,地質時代

 

賢治は,地質時代古生代中生代)という太古の植物や動物を扱った作品を数多く残している。中でも,『春と修羅(第二集)』の「「春」変奏曲」(1924.8.22 ;1933.7.5)という古代シダを扱った詩(心象スケッチ)がとてもユーモラスであり,また同時に賢治の悲劇的な深層意識をうまく表現しているようにも思えるので紹介してみる。

 

この「「春」変奏曲」の内容は,プラットフォームで列車を待っている少女の一人がドロヤナギ(Populus maximomiczii 泥柳;ヤナギ科の高さ20~30メートルにもなる落葉高木)の花粉を吸いこんでしまい,今で言う花粉症を発症してしまった状況の中で,いつしか古代シダの繁る3億5千年前の地質時代古生代石炭紀)の世界にタイムスリップしてしまうというものである。 

ところがプラットフォームにならんだむすめ/そのうちひとりがいつまでたっても笑ひをやめず/みんなが肩や背なかを叩き/いろいろしてももうどうにも笑ひをやめず       

(中略)

(ギルダちゃんとてもわらってひどいのよ)/(星葉木の胞子だろう/のどをああんとしてごらん/こっちの方のお日さまへ向いて/さうさう おお桃いろのいいのどだ/星・・・・葉木の胞子だな/つまり何だよ葉木の胞子にね/四本の紐があるんだ/そいつが息の出入りのたんび/湿気の加減がかはるんで,/のどがのびたり,/くるっと巻いたりするんだな/誰かはんけちを,水でしぼってもっといで/あっあっ沼の水ではだめだ,/あすこでことこと云っている/タンクの脚でしぼっておいでぜんたい星葉木なんか/もう絶滅している筈なんだがどこにいったいあるんだろう/なんでも風の上だから/あっちの方にはちがひないが)

そっちの方には星葉木のかたちもなくて,/手近に五本巨きなドロが/かがやかに分轄し/わずかに風にゆれながら/枝いっはいに硫黄の粒を噴いています

(先生,はんけち)/(ご苦労,ご苦労/ではこれを口へあてて/しずかに四五へん息をして さうさう/えへんとひとつしてごらん/もひとつえへん さう,どうだい)/(ああ助かった/先生どうもありがとう)/(ギルダちゃん おめでとう)/(ギルダちゃん おめでとう)

ベーリング行XZ号の列車は/いま触媒の白金を噴いて,/線路に沿った黄いろな草地のカーペットを/ぶすぶす黒く妬き込みながら/梃々として走って来ます

 (「「春」変奏曲」宮沢,1986) 下線は引用者 

この心象スケッチに登場する星葉木は,古代シダの一つで「セイヨウボク」と読ませるらしいが,一般的な植物図鑑には記載がないので,賢治の造語かもしれない。多分,星葉木は,地質時代古生代石炭紀(3.5~2.9億年前)に栄えたカラミテス( calamites;ロボクとも呼ぶ ),あるいはそれに近い植物を指していると思われる。

 

カラミテスは,大型シダ植物で高さが20メートル,その地下茎は水平に伸びよく発達し,その化石から葉が輪生することや胞子に紐のような弾糸をもつなど,現存するスギナと似ていることが明らかにされている。スギナはシダ植物門トクサ科に属する。まさに,カラミテスはスギナの祖先といってよいのかもしれない。賢治もそのことを知っていて,スギナの輪生する葉が星のように見えることから星葉木と名づけたのかもしれない。

 

また,古生代石炭紀にはカラミテス以外にもレピドデンドロン( lepidodendron )やシギラリヤ( sigillaria )というシダ植物も繁っており,こちらは高さが30~40メートルにも及ぶという。レピドデンドロンの葉は,小さく鱗片状で,葉は落ちるとその後にうろこ状の跡がのこることから「鱗木(リンボク)」とも呼ばれる。まさに「「春」変奏曲」で,賢治は,うっそうと繁る地質時代の巨大な古代シダ植物の森林の中あるいはその周辺に迷い込んでしまった。

 

さて,この心象スケッチにはいくつか不明瞭な箇所がある。賢治は,星葉木(カラミテス)の胞子に4本の紐があり,それが乾燥や湿気で伸びたり丸まったりすると記述しているが,生きた星葉木など手に入る筈などないのに,そんなことがわかるのだろうか。賢治が過去へタイムトラベルをして,生きたカラミテスの胞子を観察したとはとても思えない。多分,現存するスギナの胞子を顕微鏡か何かで覗いて,それを参考にして古代シダの花粉も同様であるという前提の基に創作したと思われる。植物研究家である多田多恵子が実際にスギナの胞子を顕微鏡で観察したというので,その観察記録を見てみた。まさに,胞子の形状および動きは,賢治の作品の内容とドンぴしゃりだった。

 胞子を顕微鏡でのぞいてみた。ルーペ程度ではわからなかったが,顕微鏡で観察すると丸い胴体に4本の腕があって四方に伸びている。その形のおもしろさに熱中して顕微鏡をのぞいていたら,突然,胞子はくるくると毛糸玉のように丸まってしまった。「あれれ」と思うままに,また腕がするすると伸びてくる。丸くなったり,広がったり。その腕の動きに応じて,胞子の本体もぼこぼこと飛び跳ねる。まるで鍋のポップコーンを見ているような気分だ。スギナの胞子が四方に出している腕には,ちょうど乾湿度計のように,湿ると丸まり,乾くと広がる性質があるのだ。のぞいた拍子に腕が丸まったのは,じつは私の鼻息がかかって湿ったためだった。

 注:本文中の腕とは弾糸のこと

 (『したたかな植物たち』 多田,1986) 

なぜ星葉木の胞子に付随する弾糸は伸びたり,丸まったりするのだろうか。この質問に答えるのは難しいが,まずはスギナを含めたシダ植物の生活史を見てみよう。

 

スギナの胞子は,湿った地面に落ちると芽をだし,姿がコケによく似た前葉体(ぜんようたい)というものになる。この前葉体は,薄く平べったく簡単な仮根をもつ。そして雌雄に分かれて成長し造卵器と造精器をつくり卵と精子がつくられる。精子は,動物の精子と同様に運動性があり,別の前葉体の造卵器へ泳いで移動する。こうして結ばれた受精卵から葉やしっかりとした根をもつスギナが育ち始める。このように,スギナのもっとも重要な生殖時期(前葉体時代)には,前葉体が乾燥しないための適度な湿り気と受精するためのたっぷりとした水が絶対に必要なことが理解できる。

 

また,胞子の弾糸(だんし)の奇妙な運動は,空気が乾いているときに胞子の4本の弾糸が伸び風に乗って遠くへ運ばれるが,湿った場所に運よく着地できればくるくるっと旋回して胞子をその場所にしっかりと固着させるものであるということも理解できる。着地した場所が乾いていれば,また風に飛ばされて湿った場所を探す。まさに子孫を繁栄させるためのシダ植物が編み出した巧妙な仕掛けなのである。しかし,まったくの偶然の重なり合いによってしか受精が可能とならない効率の悪い生殖法が,生存競争に不利に働いたことはとりあえず強調しておく。

 

賢治は,多田と同じようにこのスギナの巧妙な仕掛けを実際に顕微鏡下で体験し,古代シダである星葉木の胞子が少女の喉の奥にひっかかり「そいつが息の出入りのたんび湿気の加減がかはるんでのどでのびたりくるっと巻いたり」して笑いが止まらなくなったと表現したのだと思う。

 

では,最後にもっとも重要な疑問点について考えてみよう。なぜ,賢治はプラットフォームで列車を待っている少女という現実の風景から,突然地質時代という過去の幻想の世界に入り込んでしまうのだろうか。

                                     

前述の「「春」変奏曲」では植物を扱っていたが,同様な現象は地質時代の動物が登場する作品にも見られる。それは「小岩井農場」(1922.5.21)という『春と修羅』に収録されている作品の中に出てくる。これは,賢治が小岩井農場を散策している間に,恐竜が跋扈(ばっこ)する地質時代である中生代侏羅紀や白亜紀(2億年~6千万前)の森林の中に迷い込んでしまうというものだ。

 もう入口だ[小岩井農場]/(いつものとほりだ)/混んだ野ばらやあけびのやぶ/[もの売りきのことりお断り申し候]/いつものとほりだ,ぢき医院もある)/[禁猟区] ふん いつものとほりだ/小さな沢と青い木だち/沢では水が暗くそして鈍っている

      (中略)

いま日を横ぎる黒雲は/侏羅や白亜のまっくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ/その氾濫の水けむりからのぼったのだ/たれもみていないその地質時代の林の底を/水は濁ってどんどんながれた/いまこそおれはさびしくない/たったひとりで生きていく

(「小岩井農場」 宮沢,1986)

賢治は,自分が仏教でいうところの「修羅」という天上から追放され,人間よりも下位にある,怒りや闘争心に悶え苦しむ生き物とみなしていた。修羅になった賢治は,地質時代の植物や動物に共感あるいは交響できるなにものかを感じとっていたに違いない。そして何かの敵機があれば,無意識に夢とも現実とも区別がつかない幻想の世界に容易に入り込んでしまうという危うい精神構造をもっていたと思われる。「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)および「真空溶媒」(1922.5.18)に以下のような自己の心象スケッチが語られている。

心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐食の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様/(正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき)/いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ

     (中略)

日輪青くかげろへば/修羅は樹林に交響し/陥りくらむ天の椀から/黒い木の群落が延び/その枝はかなしくしげり/すべて二重の風景を/喪神の森の梢から/ひらめいてとびたつからす

 注:アンダーラインの「黒い木」は詩集発表直前の原稿では古代シダの一つでスギナの祖先である「魯木(ロボク)」となっていた

(「春と修羅 (mental sketch modified)」宮沢,1986)

 

苹果(りんご)の樹がむやみにふえた/おまけにのびた/おれなどは石炭紀の鱗木のしたの/ただいっぴきの蟻でしかない

 (「真空溶媒」宮沢,1986)

地質時代古生代石炭紀には,大型の古代シダがうっそうと茂った森林や湿地帯があり,中生代の侏羅紀や白亜紀には恐竜などの大型の肉食獣などが跋扈(ばっこ)する弱肉強食の森林があった。修羅である賢治は,これら植物や動物たちに共感したと思われる。しかし,単なる巨木の森林とか大型の肉食獣に共感しているのではない。現在,シダ植物ではないが巨木からなる薄暗い森林や湿地帯は多く存在するし,巨大な恐竜がいない代わりに獰猛(どうもう)な肉食獣は多数現存する。すなわち,地質時代そのものや盛者必滅・無常観ということに共感しているのだろう。もちろん、地質時代を代表する「侏羅(ジュラ)」と「修羅(シュラ)」の語感の類似も,ある程度考慮されていると思われるが。

 

地質時代の植物と動物にとって,賢治と真に共感あるいは交響できる修羅とは何であろうか。これを生命の進化という側面から考えてみたいと思う。

 

生命は,原始の海から誕生したという。人間なら海の単細胞動物→多細胞原生動物→下等脊椎動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→類人猿→人と進化をとげてきた。植物も海の単細胞植物→海の藻→多胞子嚢植物(コケでもシダでもない植物)→シダ→裸子植物被子植物(最も進化した双子葉植物はキク科植物)と進化してきた。このうち地質時代とは,進化の過程の中でどのような位置づけになるのであろうか。それは,生命が海から陸である大地に上陸した時期に相当するということである。動物なら魚が陸に上陸し,水陸両用の両生類を経て爬虫類になった時期であり,植物なら藻類が海から陸に上陸し,胞子嚢をもつシダ植物になった時期に相当する。

 

いいかえれば,賢治にとっての地質時代とは,海から陸に上陸した最初の生物が生きていた時代ということを指し示している。それは,生命が進化の過程でもっとも過酷な試練を強いられ,繁栄と滅亡を繰り返した時期でもあった。修羅である賢治がもっとも共感できるものであったに違いない。

 

生物の海から陸への上陸が,生命誕生に続く一大ドラマであったことは,強調しすぎることはない。海の生物は,生活に必要なものは全て体の表面から吸収することが出来た。しかし,上陸生活をするには体のしくみを大きく変える必要があった。

 

植物では,維管束が発達し,茎が太陽の光を十分受けるため真っ直ぐに立つようになり,茎と根ができた。水分の蒸散を防ぐため,茎と葉にはクチクラ層が現れ,同時にガス交換を行うために気孔も出来た。こうした体制は,古生代デボン紀にはほほ整い,次の石炭紀に大森林を出現させる下地となった。そして,石炭紀の湿地帯に大森林を作った植物は大部分がシダ植物であった。

 

しかし,前述したように胞子嚢を持つシダ植物は,陸に上がったばかりであるがゆえに「水」という宿命から逃れることができず,効率の悪い生殖法を引きずりながら水辺や気候が温暖多湿であった石炭紀でしか繁栄することができなかった。多くの仲間たちは,その後の気候変動と親の体内で受精が行われる種子植物裸子植物被子植物)の誕生によって急速に衰退することとなった。すなわち生存競争に負けてしまった。スギナの仲間のトクサ科は,現在15種が生き残っているにすぎない。太古のシダの多くは化石となって石炭化してしまったが,現存するスギナは,まさに生きた化石なのだ。

 

動物では,硬骨魚の一部からシーラカンスの仲間が進化し,さらに両生類のイクチオステガが古代大地に上陸の第一歩を印した時期にあたる。陸の植物を求めて上陸に成功した動物のもっとも過酷な試練は,呼吸であったと言われる。一般に呼吸は,植物でも動物でも行うが,動くことを宿命とした動物の呼吸は,植物とは比べ物にならないくらい旺盛なものであるという。動物の呼吸は,上陸時にはえら呼吸から肺呼吸というまったく異なるしくみへ変えなければならないのだから,たいへんな試練を受けることになった。あまりにも急激な変化のため,脊椎動物の呼吸筋は専用の筋肉を用意することができず,動物性の筋肉(骨格筋に相当)という呼吸には不向きの筋肉から作られた。

 

魚のえらの筋肉は,植物性の筋肉(平滑筋に相当)からできていて,心臓や内臓筋を代表するように四六時中働いても疲れを知らないが,動物性の筋肉(骨格筋に相当)はすぐに疲労困憊してしまう。すなわち,すぐに息切れとか息詰まりが生じてしまう宿命を負うことになった。それゆえ,陸に上がりつつある動物あるいは陸に上がったばかりの動物は,水辺で呼吸筋の劇的な変動の中に右往左往していたのだと考えられる。

 

陸に上がったことがどんなにつらく困難なできことであったかは,人間の意識のなかに残されている記憶からも確認できる。

 

ドイツの進化論者であるエルンスト・ヘッケルは,「固体発生は系統発生を繰り返す」という説を唱えた。たとえば人間であれば,ある固体の受精卵から胎児,新生児,幼児,成人に至る過程は,人類が進化の過程で歩んできた全ての過程(単細胞動物→多細胞原生動物→下等脊椎動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→類人猿→人)を再現するというものだ。加えて,人間の無意識には過去の下等生物の記憶が残存するという説もある。

 

では動物の一生の中で起こる上陸劇は,この固体発生のどの時期で起こるのだろうか。解剖学者の三木成夫は,人間においては受胎32日目から1週間の母親の子宮内で起こるといっている。すなわち,受胎32日目の多細胞体は,米粒ほどの大きさだが胎児の顔は,まさにフカの顔そっくりで頭の付け根にははっきりとサメのエラを思わせる一列の裂け目があり,手足はひれの格好をしていた(4億年前古生代デボン紀)。受胎36日目の胎児の顔は,「爬虫類」(1億5千年前中生代侏羅紀)の面影が,そして38日目の胎児には哺乳類の面影が残されていたという。

 

人間の胎児にとっての上陸劇は,祖先が古生代の昔,デボン紀の大海原から古生代石炭紀にかけて上陸を遂行した数億年をわずか数日で成し遂げたことになる。水辺においてこの上陸に費やした苦闘の歴史がどんなものであったかは,受胎32日後の1週間に生じる母親の体と意識の変化をみればわかる。三木成夫(2007)が指摘した「つわり」である。36日後の」爬虫類」が子宮内で出現するとき「つわり」は始まる。「つわり」になると,嘔吐感だけでなく食物の嗜好が激変し,嗅覚が過敏になったり,食欲が増えたり減ったりする。非合理的な言動も目立つようになる。この頃は,胎児も危険な状態になり流産を起こしやすくなるという。

 

男(雄)は,一般的に無意識の中に閉じ込められた上陸の苦闘の歴史を,ストレス時などで息苦しさを感じる以外に体感することはないが,自然と共感しやすい賢治はこの苦悩をしばしば夢の中で体験したのだと思う。たとえば,賢治には小岩井農場の北側で道に迷い野宿をしていたとき「爬虫類」に襲われる悪夢をみたという逸話が残されている。この経験を基にいくつか作品も作られている。

 

すなわち,修羅になった賢治は,さまざまな悲しみ,いかり,孤独,不安を感じたとき目に見える風景から,目には見えないが自分の修羅の意識と交感できる地質時代の幻視の世界に無意識に心象スケッチを移していったのだと思う。

 

賢治は,花巻市小船渡付近の北上川川岸をたびたび訪れ,新生代第三紀の青白い泥岩層が広く露出していて,それがイギリスの白亜紀泥岩層の海岸に類似していたことから,そこをイギリス海岸と名づけた。そして,バタグルミの化石や新しく出現した偶蹄類(哺乳類の祖先)の足跡化石を発見したことは有名である。賢治は,イギリスのあの恐竜が跋扈しそして滅びた白亜紀の地層と花巻の第三紀の地層が時空を超えてつながっていると考えたのだろうか,盛者必滅と自らの修羅の思いを込め「イギリス海岸の歌」という作品を残している。

Tertiary the younger tertiary the younger

Tertiary the younger mud-stone

なみはあをざめ 支流はそそぎ

たしかにここは 修羅のなぎさ

  (「イギリス海岸の歌」 宮沢,1986)

賢治は,地質時代を共感できる修羅そのものであると感じていたが,希望もあった。それは,中生代侏羅紀に「爬虫類」から進化した鳥の出現である。しかし,天上から見放され修羅となった賢治にとって天上を意味する鳥はなかなか訪れてくれない。

胸はいま/熱くかなしい鹹湖(かんこ)であって/岸にはじつに二百里の/まっ黒な鱗木類の林がつづく/そしていったいわたくしは/爬虫がどれか鳥の形にかはるまで/じっとうごかず/寝ていなければならないのか

      (「胸はいま」 宮沢,1986) 

「「春」変奏曲」は,賢治にとって特に思い入れの強い作品で,星葉木が登場する後半部分は大正13年8月22日の初期の作品に,昭和8年7月5日付けで加筆されたものである。賢治は,その約2ヵ月半後の9月21日に亡くなるのでまさに遺作といえるものである。「「春」変奏曲」に登場する「ギルダちゃん」とは,すでに亡くなっていた妹の「トシ」あるいは破局に終わった『春と修羅』執筆時代の恋人を意識したものと思われる。英語の「guilt」には「罪をおかしていること」という意味がある。

 

作品を書いた時点では賢治の意識は地質時代にあり,鳥になって天上界に帰る夢を見ながら今度は進化がたどってきた道を逆方向に走馬灯のごとくベーリング行XZ列車に乗って猛スピードで進んでいった。

 

引用文献

三木成夫.2007.胎児の世界.中央公論新社.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

多田多恵子.2002.したたかな植物たち.SCC.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「賢治と地質時代のシダ植物(試論)」を加筆・修正にしたものである。 破局に終わった恋人については,以下のブログページをご覧ください。

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(1)(2)(3)-」

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)(2)-」

「植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)-橄欖の森とカムパネルラの恋-」

 

「烏瓜のあかり」を作ってみた

                                                                      大きな緑色のカラスウリの実(長さ7~8cm)を用意し,ナイフで端を切りおとす。切られた端から中身をナイフあるいは小さなスプーンで薄皮になるまで丁寧にかき出す。中身はほとんどが種で容易に取り出せる。

 

次に木の台座を用意し,その中心に小さな蝋燭(ろうそく;径0.6cm,長さ1.5cm)を立て,火をつけてから薄皮のカラスウリを接着剤などで台座に固定すれば「烏瓜のあかり」は出来上がりである(第1図)。ただし,蝋燭をうまく燃焼させるため薄皮になったカラスウリにはあらかじめ頭部と側部に通気のための穴を作っておく必要がある。

 

電球を使った現代風の「烏瓜のあかり」も作ることは可能である。木の台座に白色LED(発光ダイオード)の電球を固定し,電池(4.5V)に接続する(第2図,第3図)。

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第1図.蝋燭のあかり.

 

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第2図.青色ダイオードのあかり.

 

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第3図.白色ダイオードのあかり. 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「「烏瓜のあかり」を作ってみた」を加筆・修正にしたものである。 

「烏瓜のあかり」とは何か

Key words:実をくり抜いて作った燈籠(とうろう)

 

『銀河鉄道の夜』は,夢の中で「みんなのほんたうのさいはひ」を求めて銀河宇宙を旅する話だが,サクラ,カラスウリ,イチイなど30種ほどの植物が登場してくる。このうち,「カラスウリ」を使った「烏瓜のあかり」というとても奇妙な言葉が随所に登場し,他の植物は忘れてしまっても,この「カラスウリ」だけは頭から離れない。

 

賢治は,「カラスウリ」をとても重要な植物として扱っているようだ。しかし,「烏瓜のあかり」とはいったいどんなものであろうか。具体的なイメージがなかなか作れない。また,なぜこの物語に「烏瓜のあかり」が必要なのかも分からない。そこで,今回は物語中に「カラスウリ」が出てくる箇所を拾い読みしながら「烏瓜のあかり」について考えてみたい。

 

最初に,その用途についてだが,「二,活版所」の章で,「星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す」とあるので,星祭(ケンタウル祭)に使うものであることが分かる。次に,「カラスウリ」のどの部分を使うのだろうか。

 

葉,花,実,あるいは全て。あかりといえば「ポラーノ広場」に出てくる「つめくさのあかり」を連想させる。この物語では,夕暮れ時あるいは月夜の晩でも白い花は目立つので,花を「あかり」といっているようだ。確かに,「カラスウリ」の花も日が暮れてから咲く夏の夜を演出する花で,花の中心には星型の白い花びらがあり,その縁から白い糸が多数出ていて直径8センチぐらいのレースのコースターのような形になっていて目立つ(第1図)。レースのところは,灰色にも見えるので中心の白い花がいっそう夕暮れあるいは月の光の中で浮き出てきてとても美しい。花の中心部が星の形をしているので,星祭にふさわしい花といえる。

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第1図.カラスウリの花.

しかし,「烏瓜のあかり」が「つめくさのあかり」と同じように花を指しているのかというとそうでもない。「二,活版所」の章で,青いあかりと言っていたはずだ。さらに,「六,銀河ステーション」の章で,「あゝ,りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だね」と季節が秋であると告げている。「カラスウリ」の花は,白色で夏咲くので,残念ながら「烏瓜のあかり」を花と見做すのは無理があるようだ。どうも果実を使うようである。

 

「カラスウリ」は,秋に長さ5~10センチぐらいの縦縞模様のある青い果実(正確には緑;第2図)をつける。しかし,「カラスウリ」の実もそれ自身では発光もしないし薄暗い夜の中で白花のように目立つこともない。「烏瓜のあかり」が「カラスウリ」の実を使うとしたら,その実をどのように使って青いあかりにしたか考えていかなければならない。そのヒントが「五,天気輪の柱」の章にあった。

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第2図.カラスウリの実.

 草の中には,ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて,ある葉は青くすかし出され,ジュバンニは,さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだと思ひました。                        (『銀河鉄道の夜』五,天気輪の柱  宮沢,1986)

 

葉の裏にとまっている蛍が発光すると,葉を通して青い光がすけて見えるとある。さらに賢治の別の作品『風野又三郎』でも明かりに「すかし」だされる「カラスウリ」が出てくる。

 そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。さうさう,まだ明るくならないうちにね,谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢(なら)の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のやうに見えたぜ。

      (『風野又三郎』 宮沢,1986) 

 

ここでは,木が朝日ですかし出されるだけでなく,さらに「燈籠(とうろう)のように見えた」とも言っている。すなわち,「烏瓜のあかり」の正体は,皮が薄くなり光が透けて見えるまで中身がくり抜かれた「カラスウリ」の実であったと思われる。そして,さらに踏み込んでみると,何らかの台座に固定し,中に小さな蝋燭(ろうそく)などの火種をいれた「燈籠」のようなものが想定される(第3図)。ちょうど,日本の七夕やお盆などの燈籠流しとキリスト教のお祭りであるかぼちゃをくり抜いてあかりを作るハロウインを一緒にしたようのものであろうか。

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第3図.烏瓜のあかり. 

このように,『銀河鉄道の夜』で出てくる「烏瓜のあかり」は,ケンタウル祭という星祭りに使う,青い「カラスウリ」の実をくり抜いて作った「燈籠」をイメージしていることがわかる。

 

次に,なぜ賢治はこの物語に「カラスウリ」で作った「燈籠」を採用したのか考えてみる。多分,賢治は「カラスウリ」を死者との交流にもっともふさわしいものとして選択したと思われる。すなわち,「カラスウリ」を生と死を,あるいは地上と天上を結ぶ連絡通路となる聖なる植物とみなしていた。最終章である「九,ジョバンニの切符」で,死に関する象徴的な出来事としてジョバンニの親友であるカムパネルラの死とその経緯が語られる。

 「ザネリがね,船の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき船がゆれたもんだから水へ落っこったらう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを船の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラがみえないんだ。」

     (中略)

 「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」

 ジョバンニは思はずかけよって博士の前にたって,ぼくカムパネルラの行った方をしっていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云はうとしましたがのどがつまって何とも云へませんでした。

注:博士とはカムパネルラのお父さん

(『銀河鉄道の夜』九,ジュバンニの切符  宮沢,1986)

 

カムパネルラは,「烏瓜のあかり」を川へ流す過程で水死するが,ジュバンニは外出時に母から「川へははひらないでね」と言われていたのでこの事故に遭遇することはなかった。まさに,生と死を分かつあるいは結ぶ象徴として「烏瓜のあかり」は使われている。

 

なぜ,「カラスウリ」が生(現世)と死(天上)を関係付ける聖なる植物なのであろうか。これは,「カラスウリ」がもつ特別の呼び名が関係しているのかもしれない。「カラスウリ」の仲間で「キカラスウリ」というのがある。両者の区別は実が熟さないとわからない。「カラスウリ」は,実が熟すると赤くなるが,「キカラスウリ」は実が熟すると黄色くなる。「キカラスウリ」の根には多量のデンプンが含まれていて,このデンプンの粉を天花粉と呼び,昔は赤ちゃんのあせも,湿疹の予防などに使っていた。また,「キカラスウリ」を天瓜と呼ぶ地方もある。すなわち,「キカラスウリ」は天花(あるいは天瓜)と呼ばれていたのである。天花(瓜)の語源はよく分からない。天花については,デンプンの粉が白い雪(天花)のようにサラサラしているからとも言われるが,天瓜については「カラスウリ」がつる性植物で木に絡みながら上へ上へ(天上)と這い登り美しい花を咲かせるからつけられたのかもしれない。

 

また,前述したように「カラスウリ」の花は白い。白は「法華経」のシンボルである白い蓮につながる。賢治は,熱心な法華経信者であったので白い花には特に深い思い入れがあったようだ。シロツメクサ,コブシ,ゲンノショウコ,ウメバチソウ,スズランなど多くの白い花の咲く植物を繰り返し作品に取り入れている。

 

すなわち,賢治はこの白い花が咲き,地上から天空へ伸びていく「天の花(瓜)」のカラスウリを神聖な植物とみなし,『銀河鉄道の夜』で生と死,あるいは現世と天上界をつなぐ重要な小道具として使ったと思われる。

 

賢治は,イメージしただけでなく,きっと縦縞模様のある青い「カラスウリ」の実を実際にくり抜いて「烏瓜のあかり」を作ったと思われる。そうでなければ「楢の木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠のやうに見えた」などとは表現できないはずだ。そして,自分で作った「烏瓜のあかり」を見ながら「銀河鉄道の夜」の創作を進めたにちがいない。

 

引用文献

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004)年に収録されている報文「「烏瓜のあかり」とは何か(試論)」を加筆・修正にしたものである。 「烏瓜のあかり」に関しては,以下のブログページでも詳細に検討しているのでご覧ください。

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-文学と植物のかかわり-」

「宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-異界の入口の植物-」      

 

賢治作品に登場する謎の植物-サキノハカとクラレの花-

Key wordsギンリョウソウ,共産主義,オキナグサ,赤旗(せっき),山の鞍部,幽霊草

 

1.サキノハカといふ黒い花              

詩ノートの〔サキノハカといふ黒い花といっしょに〕は,「サキノハカといふ黒い花といっしょに/ 革命がやがてやってくる /ブルジョアジーでもプロレタリアートでも/ おほよそ卑怯な下等なやつらは /みんなひとりで日向へ出た蕈のやうに/潰れて流れるその日が来る」(宮沢,1986)という詩句で始まる。この詩は,昭和2(1927)年5月頃の作と思われるが,「サキノハカといふ黒い花」の「サキノハカ」は何を意味しているのだろうか。

 

『新宮澤賢治語彙辞典』に2つの解釈が紹介されている(原,1999)。1つは「暴力」という漢字を分解して片仮名書きにしたというもので,もう1つは「先の墓」のことで花巻にある実相寺の墓だというものである。前者は,「暴(ぼう)」という漢字の下部に片仮名の「サ」と「ハ」が含まれているのと,「力(りょく)」に片仮名の「カ」が含まれていることによるらしい。

 

辞典には記載されていなかったが,「サキノハカ(Sakinohaka)」を「釈迦(shaka)」と「翁(okina)」(オキナグサ)に分解して解釈する研究者もいるようだ。これらは,「サキノハカ」が「暴力」,「先の墓」,「釈迦と翁」などの言葉から作られた造語であるとしているが,実は実態のない言葉だけの存在だと主張する研究者もいる(中村,2009)。

 

私は,賢治の造語には,最初に紹介した3人の研究者のように実態のある言葉が隠されていると考えている。多分,「サキノハカ」は「赤旗のハンマー(鎚)とカマ(鎌)」を略したものであろう。「サキノハカ」は,「サキ」と「ハカ」に分解できる。「サキ」は,「赤旗(あかはた)」のことである。当時,「赤旗」は音読みで「せっき」と呼ぶこともあった。日本の共産主義を目指す政党の中央機関紙「赤旗」(1928年~)も創刊時は「せっき」と呼んだ。「ハカ」は,「ンマー」と「マ」(傍線は引用者)のそれぞれの頭文字を合わせたものであろう。

 

すなわち,「セッキノハカ」が転じて「サキノハカ」となったものと思われる。「サキノハカ(セッキノハカ)」は,「共産主義」という意味である。「セッキ」よりも「サッキ(殺気)→サキ」の方が不気味である。「ハンマー(鎚)とカマ(鎌)」は,労働者と農民の団結を意味していて「共産主義」の象徴として使われている。また,「赤旗」に「鎚(つち)」と「鎌」を入れたのが,旧ソビエト連邦などの共産主義国家の国旗であった。

 

また,「黒い花」はキンポウゲ科の「オキナグサ」(Pulsatilla cernua (Thunb.) Berchtold et J.Presl)のことであろう。暗赤紫色の花を花茎の先に一つ付ける(第1図)。開花時には花はうつむいている。花弁に見えるのは萼片である。萼片の色は黒ではないが,賢治には「オキナグサ」の花が赤く見えたり,黒く見えたりする。賢治の童話『おきなぐさ』で,主人公が「蟻」に「オキナグサ」の花の色を尋ねるが,「蟻」は「オキナグサ」の萼片を太陽光に透かして「黒く見えるときもあります。けれどもまるで燃えあがってまっ赤な時もあります」と答えている。「オキナグサ」には別名として「幽霊草」あるいは「ものぐるい」の名がある(木村,1988)。

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第1図.オキナグサ

それゆえ,「サキノハカという黒い花」は,「サキノハカ」が「共産主義」,「黒い花」が「幽霊」の比喩なので,「共産主義という幽霊」の意味になる。実在する植物のことを言っているのではない。

 

「サキノハカ」の名称は,明治19(1848)年に書かれたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの著書『共産党宣言』(Manifest der Kommunistischen Partei)と関係する。2人は,いずれもドイツの革命家である。『共産党宣言』冒頭の有名な1文は,「Ein Gespenst geht um in Europa - das Gespenst des Kommunismus.」であり,英語版では「A spectre is haunting Europe - the spectre of communism.」である。日本語に訳せば「幽霊がヨーロッパを徘徊している- 共産主義という幽霊が」(傍線は引用者)となる。ドイツ語の「Gespenst」と英語の「Spectre」はいずれも「幽霊」とか「亡霊」の意味である。賢治の蔵書目録にはマルクスの『資本論』が含まれている。多分,賢治はこの『共産党宣言』も読んでいたと思われる。

 

詩ノートに記載された〔サキノハカといふ黒い花といっしょに〕という詩の最初の2行は,「共産主義という幽霊といっしょに/革命がやがてやってくる」という意味である。

 

賢治が不思議な植物名で「共産主義」という言葉を隠したのは,当時の社会情勢を考慮したからと思われる。大正15年(1926)年3月に,「国体を変革し,及び私有財産制度を否認せんとする」結社・運動を禁止する「治安維持法」が成立した。そして,昭和3年3月15日に共産党,労農党などに対して手入れがあり,関係者の検挙や取り調べが全国的に行われた(いわゆる三・一五事件)。当時,労農党のシンパ(協力者)であった賢治も,この日に警察の取り調べを受けた可能性があるという(伊藤,1997)。賢治は,自分というよりは家族あるいは羅須地人協会の会員に無用な疑いがかけられるのを避けたのかもしれない。

 

2.クラレの花

童話『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』に「クラレといふ百合のやうな花が,まっ白にまぶしく光って」(宮沢,1986)と出てくる。この童話は大正10(1921)年あるいは11(1922)年に創作されたとされている。「クラレの花」とはどんな花であろうか。

 

「クラレの花」は,物語では「ばけもの世界」と「人間の世界」の境界に咲いている。「人間の世界」の側からすれば,ネパールの国からチベットへ入る「峠」の頂に相当する場所だという。両国の境にはヒマラヤ山脈がある。いわば異界の入り口あるいはヒマラヤに咲く花である。多くの研究者たちがこの「クラレの花」の解釈を試みている。

 

『新宮澤賢治語彙辞典』には,「クラレット(ボルドー産の赤ブドウ酒の銘柄)」から想定された赤黒い苔の花やコケモモなどの高山植物が紹介されている(原,1999)。また,辞典には出てこないが「クラーレ」(論文ではクラレと表記されている)という矢毒を想定している論文もある(中谷,1982)。この矢毒は,南米の原住民がツヅラフジ科のChondrodendron tomentosum(和名はない)などの樹皮から作るものである。各種族によってクラーレを作る植物は異なる。医療ではChondrodendron tomentosumの樹皮に含まれる毒作用を有するアルカロイド(ツボクラリン)を医薬品(筋弛緩薬)として使っていた。

 

私は,「クラレ」という名称(発音)は,既存の植物の名とは関係しないと思っている。「クラレ」の「クラ:kura」は,アイヌ語で「山の鞍部(あるいは峠)」の意味である。日本語の地形語としての「クラ(倉,蔵,鞍)」も同じような意味で使われている。「クラ」は,山を意味する場合があるが,一般的な山ではなく,断崖や峻険(しゅんけん)な斜面をもつ山を指す場合が多いという。例えば,岩手県の岩手山付近に八幡平という火山地域がある。そこの黒倉山,姥倉山,犬倉山,鬼ヶ城山などの,御釜湖のある火口をめぐる外輪山の山々があって,それらの頂上付近はいずれも片側が火口壁の大断崖をなしている(松尾,1952)。

 

「レ」が何を意味しているか分からない。賢治は,詩集『春と修羅 第二集』の〔北上川は熒気をながしィ〕(1924.7.15)で「カワセミ」を「ミチヤ」と命名している。詩では「ミの字はせなかのなめらかさ/チの字はくちのとがった具合/アの字はつまり愛称だな」とある。「クラレ」の「レ:re」も愛称かもしれないが,「レ」の字体からイメージできるのは,山の鞍部の向こうは断崖絶壁という意味かもしれない。すなわち,「クラレの花」とは断崖をもつ山の「鞍部(峠)」に咲く花という意味であろう。

 

チベットとネパールの境(「峠」)に自生して白い百合のような花とは何であろうか。多分,ツツジ科の「ギンリョウソウ」(Monotropastrum humile (D.Don) H.Hara)であろう。腐生植物である。「ギンリョウソウモドキ」(Monotropa uniflora L.)というのもある。「ギンリョウソウ」は,日本全土あるいはヒマラヤで見ることができる。第2図の植物は箱根で7月に撮影したもので「ギンリョウソウ」と思われる。夏に森の林床に草丈の低い白い花を咲かせる。横向きに咲き,見ようによっては白百合の様にも見える。別名は,「幽霊草」あるいは「幽霊花」である(木村,1988)。「ばけもの世界」の側にある「峠」に生えている植物にふさわしいと思われる。

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第2図.ギンリョウソウ

 

参考文献と資料

原 子郎.1999.『新宮澤賢治語彙辞典』.東京書籍

伊藤光弥.1997.昭和三年三月十五日の謎-賢治挫折の系譜-.『賢治研究』.74:1-14.

木村陽二郎(監修).1988.『図説草本辞苑』柏書房.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中村三春.2009.かばん語の神-宮澤賢治のノンセンス様式再考-.『賢治研究』.108:21-35.

中谷俊雄.1982.クラレの花.『賢治研究』.29.38-39.

松尾俊郎.1952.崖を意味する地名.『新地理』.1(2):1-10.

『銀河鉄道の夜』を植物から読み解くシリーズの目次

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(種々)                                     

1.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-文学と植物のかかわり-

2.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-鳥の押し葉-                            

3.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-農業(1)-                            

4.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-農業(2)-

5.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い点々を打った測量旗とは何か-          

6.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い腕木の電信柱が意味するもの(1)-     

7.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い腕木の電信柱が意味するもの(2)-     

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(心理と出自)

8.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(1)-                         

9.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-幻の匂い(2)-

10. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-イチョウと二人の男の子-                

11.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-「にはとこのやぶ」と駄々っ子-          

12.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-「りんだうの花」と悲しい思い-          

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(三角標)

13.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-星座早見を飾るアスパラガスの葉(1)-   

14.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-星座早見を飾るアスパラガスの葉(2)-

15.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(1)-

16.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-光り輝くススキと絵画的風景(2)-

17.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い実と悲劇的風景(1)-              

18.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い実と悲劇的風景(2)-

19.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-楊と炎の風景(1)-                   

20.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-楊と炎の風景(2)-     

21.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-桔梗色の空と三角標-                   

22.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アスパラガスとジョバンニの家(1)-     

23.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アスパラガスとジョバンニの家(2)-     

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(宗教)

24.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-聖なる植物(1)-

25.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-聖なる植物(2)-

26.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-聖なる植物(3)-

27.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ススキと鳥を捕る人の類似点-            

28.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-クルミの実の化石(1)-                

29.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-クルミの実の化石(2)-

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(リンゴ

30.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-列車の中のリンゴと乳幼児期の記憶-      

31.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-リンゴと十字架(1)-                 

32.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-リンゴと十字架(2)-

33.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-絹で包んだリンゴ-                     

34.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』

-ケンタウルス祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(1)

35.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』

-ケンタウルス祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(2)

36.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』

-ケンタウルス祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(3)     

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(発想の原点)                                

37.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(1)-         

38.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(2)-  

39.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(3)-  

40.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)-        

41.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-        

42.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-リンドウの花と母への強い思い-          

43.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-イチョウと二人の男の子-                

44.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アワとジョバンニの故郷(1)-          

45.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アワとジョバンニの故郷(2)-

46.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ウリに飛びつく人達(1)-              

47.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ウリに飛びつく人達(2)-

48.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-異界の入口の植物-

 

カテゴリー;『銀河鉄道の夜』(総集編)

49.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)

-宗教と科学の一致を目指す-

50.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅱ)

-リンゴの中を走る汽車-

51.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅲ)

-天気輪の柱と三角標-

52.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)

-橄欖の森とカムパネルラの恋-

53.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅴ)

-なぜカムパネルラは自分を犠牲にしてザネリを救ったのか-  

 

本ブログの『銀河鉄道の夜』を植物から読み解くシリーズは,人間・植物関係学会雑誌の11巻1号(2011年)から20巻第1号(2020年)に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を加筆・修正したものです。特に図をカラーにしたり植物の写真を増やしたりして理解しやすいようにしました。原文の自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスから見ることができます。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm