宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-赤い腕木の電信柱が意味するもの(2)

Key words:文学と植物のかかわり,発想の原点,ほんとうの幸,自己犠牲,近代科学,三角標,楊

 

ジョバンニが夢から覚める時に見た「赤い腕木」を持つ2本の「電信ばしら」は,「A」の形をした高圧送電線用の「電力柱」の可能性が高いと思われる。しかし,なぜ賢治はジョバンニが夢から覚める時にこの「電力柱」を出してきたのだろうか。私は,眠りから醒める時に現れるという特異さから,この「赤い腕木」の2本の「電信ばしら」は,逆に時間を遡って眠りに入ろうとした時にジョバンニが見た幻影としての「天気輪の柱」の中の「三角標」や,夢の中で繰り返し姿を変えながら登場してくる沢山の「三角標」と関連があるのではないかと思うようになった。

 

すなわち,この「電信ばしら」は「三角標」のオリジナルの姿か,あるいは発想の基になったものであろう。本稿では,最初に賢治の生きた時代での「電柱」が「近代文明」や「近代科学」の象徴であったことを述べる。そして,物語の後半に登場する「送電鉄塔」をイメージできる「三角標」がこの「赤い腕木」の2本の「電信ばしら」を発想の基にしていることを,「文明開化」を主要テーマにしている童話『月夜のでんしんばしら』を読み解くことで明らかにする。

 

1.「電信柱」は「近代科学」の象徴物 

賢治が童話『月夜のでんしんばしら』(1921.9)や『銀河鉄道の夜』(一次稿は1924年)を執筆していた時は,電気が全国的に普及していた頃にあたる。1882年に東京銀座に日本初の電灯(アーク燈)が灯され,1912年に東京市内に電燈がほぼ完全普及したのちに文明開化(あるいは「近代科学」)の象徴である電燈(電気)の普及が全国に広まった。1927年には電燈普及率は全国で87%であった。岩手県でも電気会社が1905年の盛岡電気にはじまり,1912年(大正1年)の花巻電気,1913年の釜石電燈,遠野水力電気,宮古電気と続いた(大塚,1993)。

 

1920年には,過剰電力処理のために電気化学工業(カーバイド工業など)もおこる。それゆえ,『月夜のでんしんばしら』に登場する兵隊を擬人化した「でんしんばしら」の南から北への行進は,シベリア出兵を題材にしていると思われるが,「文明開化」や「近代科学」の象徴である電気が都市から地方に広められたという意味も同時に込められている(安藤,1986; 大塚,1993;米地,2013)。「電柱」は,今では景観を壊すとして厄介者だが,賢治の生きた時代では「文明開化」や「近代科学」の象徴物であった。

 

『銀河鉄道の夜』の後半部には,「電柱」よりも巨大な「近代科学」あるいは「未来社会」をも象徴する鉄の櫓(「送電鉄塔」)が「三角標」として登場してくる。この物語の最後に登場する「蝎の火」とその近くにある「三角標」は,賢治が生徒を引率して北海道修学旅行(1924.5.18〜23)をしたときに見た北海カーバイド工場(王子製紙苫小牧工場に隣接)からの「炎」と水力発電所群からこの工場へ電力を供給している「送電鉄塔」をイメージしたものであるということはすでに報告した。(石井,2015a,b)。

 

カーバイド(炭化カルシウム;calcium carbide,CaC2)は,石灰(酸化カルシウム;CaO)と炭素(C)の混合物を電気炉で加熱(約2000℃)することによって作られる化合物である(人為的な目的を持って作られた人工化合物)。カーバイドは,普通の燃料の燃焼では容易に合成することはできない。反応を容易にするためには,電気炉で約2000℃に加熱することが必要なのである(工業化が成功したのは1892年)。だから,カーバイド合成過程で発生する「炎」もまた「近代科学」を象徴するものである。

 

また,修学旅行の1年後に書かれた『春と修羅 第二集』の詩「発電所」(1925.4.2)には,「鉛直フズリナ配電盤に/交通地図の模型をつくり/大トランスの六つから/三万ボルトのけいれんを/塔の初号に連結すれば/幾列の清冽な電燈は/青じろい風や川をわたり/まっ黒な工場の夜の屋根から/赤い傘,火花の雲を噴きあげる」とある。これは,岩手県遠野市のJR釜石線岩根橋駅の裏手にある水力発電所とそこから電力を供給してもらって操業していたカーバイド工場を歌ったものと言われている。

 

カーバイドからは「近代農業」の発展に貢献した窒素肥料が作られる。カーバイドは,水と反応するとアセチレンになり,アセチレンランプとして照明用に使われた。この詩に出てくる「塔の初号」とは,発電所からの電力を最初に送電することを担っている「鉄塔」のことである。賢治の生きた時代では,高圧送電線の支持物が木柱から耐久性のある「鉄塔」に代わっていくときでもあった。

 

我が国で最初に実用化された「送電鉄塔」は,1907年に東京電燈㈱が山梨県の駒橋発電所から55000Vの電圧で早稲田変電所へ送電した76kmの間に設置された。多くは「H柱」などの木柱(4100本)であったが,22基は米国から輸入された高さ約15mの「鉄塔」であった。全て「鉄塔」というのは,1912年の鬼怒川水力電気㈱が鬼怒川温泉に建設した下滝発電所の電力を東京市電に供給するための尾久発電所まで124kmの間に建設された高圧送電線(66000V)で,「鉄塔」の総数が1261基(石川島造船所)であった(長島,2017)。賢治が修学旅行の引率で訪れた北海道の王子製紙苫小牧工場は,千歳川の水力発電所から66000Vの高圧送電線で電力の供給を受けていた。

 

 賢治が明確に「送電鉄塔」を作品に登場させてくるのは,詩『東京』の「高架線」(1928.6.10)や童話『グスコーブドリの伝記』(1931)においてである。前者では「鉄のやぐらの林あり/そは天上の樹のごとく/白く熟れたる碍子群あり/天女来りて摘みたるに/そは修羅のぐみ」とあり,後者では「白く塗られた鉄の櫓」とあり,両者とも「送電鉄塔」を「鉄の櫓」と表現している。「送電鉄塔」に使われる「碍子」は「木柱」のそれとは異なり色は白である。

 

2.「三角標」は「赤い腕木」の「電信柱」が発想の原点

『銀河鉄道の夜』の天上世界には沢山の「三角標」が登場するが,私はこれまで前半部分の「白鳥区」の「三角標」は美しい燐光を放っていて主にキリスト教の祈りの場所である「ゴシック様式」などの「教会堂」の「尖塔」(三角点にもなる)をイメージできるということを報告した(石井,2015a,b)。

 

しかし,物語が進むにつれて車窓からの景観は変化し,宗教的な雰囲気は影を潜めていく。物語の後半部分の「蝎の火」が見える場所に登場する「三角標」をイメージできるものは,もはや教会堂の「尖塔」ではなく,主に「発電所」からの電気を送電する「近代科学」を象徴する巨大な「冷たい鉄の櫓」(「送電鉄塔」)や工場の煙突である。また,「蝎の火」は,「送電鉄塔」を介して送られてくる電力でカーバイドを作るときの工場からでる「炎」をイメージしている。これは,賢治の『農民芸術概論綱要』(1926年頃)に記載されている「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い」に対応する。

 

『銀河鉄道の夜』の「蝎の火」が登場するところの話は,『月夜のでんしんばしら』と2つの点で非常に類似している。1つは,両方とも軍隊に喩えると「工兵」と「擲弾兵(てきだんへい)」と思えるものが登場し,お互いの「位置関係」が類似していることである。もう1つは「自己犠牲」というテーマが課せられているという点である。

 

「位置関係」に関して,『銀河鉄道の夜』の「送電鉄塔」(=「擲弾兵」)をイメージできる「三角標」は,ソビエト連邦の国旗らしいものがある近くで空の「工兵大隊」が架橋演習をしている場面が終わるところ,すなわち「三角標」の「向こう側」に登場する。童話『月夜のでんしんばしら』でも「高圧送電線用A柱」に相当する「擲弾兵」は北へ進軍する工兵(=「二本腕木のでんしんばしら」)の「向こう側」にいる。

 

「自己犠牲」は,2つの物語の重要なテーマである。銀河鉄道の列車の車窓から「蝎の火」が見えたとき,女の子が「バルドラの野原」でイタチに追いかけられて井戸に落ちてしまう「蝎」の話をする。ジョバンニとカムパネルラは,「蝎の火」とその向こうにある「三角標」を見たあと,「あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない」とお互いに誓い合う。すなわち,「みんなの幸」のためには自分を犠牲にすることも厭わないという決意が語られる。

 

「自己犠牲」を象徴する「蝎の火」は,女の子が話す「バルドラの野原」の話の中だけに登場するものではない。「蝎の火」は,前述したようにカーバイドを作るために石灰(酸化カルシウム;CaO)と炭素(C)の混合物を電気炉で加熱(約2000℃)したときに発生する「炎」でもある。この石灰は,石灰岩を焼いて作る。石灰岩の中には地質時代(シルル紀)に繁栄していた海の生物が化石化したものが多数含まれる。その中にはすでに絶滅した「ウミサソリ」もいる。すなわち,「蝎の火」とは,現在,陸で生息している「蝎」の祖先の「ウミサソリ」が自分の体を燃やした「炎」でもある。すなわち,「自己犠牲」を象徴する「蝎の火」は,カーバイド工場が出す「炎」でもある(石井,2018)。

 

さらに,「蝎の火」の手前には,この「火」に透かし出された「楊の木」(「アメリカヤマナラシ;Populus tremuloides Michx.」や「ウラジロハコヤナギ;Populus alba L.」などのヤナギ科ハコヤナギ属の植物)が配置されている。

 

この植物の配置の仕方にも意味がある。我が国では,「楊の木」は材が白く柔らかくそして強靭なためマッチの軸木の材料に適し大量に伐採された。特にマッチ産業が好調であった頃のドロノキ(白楊;Populus maximowiczii A.Henry)は,3年を経たない稚木が最も白色に成りやすく光沢もあるということで,稚木のうちに盛んに伐採され岩手県では絶滅が危惧されたという(打田,1904)。「楊の木」にしてみれば同朋が絶滅寸前になるまで伐採され,さらに自分の身を「百ぺん」どころか数えきれない程に焼いて我々人間(の幸福)のために貢献させられていたことになる。まさに,「楊の木」は「自己犠牲」を象徴する植物である。「ドロノキ」は賢治と保阪嘉内が最も愛した植物の1つでもある。

 

「擲弾兵」は,強靭な体力と「自己犠牲的」な精神を持ち合わせた精鋭が選ばれることはすでに述べた。『銀河鉄道の夜』において,この「擲弾兵」を比喩する高圧送電線用の「鉄塔」を介して送られる電気エネルギーは,物語では「自己犠牲」を象徴する「楊の木」で透かしだされてまっ赤な美しい「蝎の火」となって燃え上がる。賢治にとって「冷たくて暗い」はずの科学の「炎」がまっ赤に美しく燃え上がるのは,この「蝎の火」が「ウミサソリ」の体を燃やした「炎」であると同時に,「楊の木」で透かしだされることで『法華経』の第二十三章「薬王菩薩本事品」の逸話にでてくる「焼身自己犠牲」の「炎」にもなるからである(石井,2014)。

 

この自己犠牲的な精神は,『月夜のでんしんばしら』でも語られている。「擲弾兵」らを指揮する電気総長は,通過する列車の「明かり」が点いていないのを見て,列車電灯装置の故障を察知する。そして,自ら列車の車輪近くに装備されている発電機に飛び込んで「明かり」を点ける。

 

このように,壮大なスケールで描かれた童話『銀河鉄道の夜』の「蝎の火」の逸話と壮大ではないけれども『月夜のでんしんばしら』の話が類似している。すなわち,前者の「送電鉄塔」をイメージできる「三角標」が先行作品である後者の「赤いエボレット(碍子)」(=「赤い腕木」)を持つ「でんしんばしら」を基に発想され,そしてスケールアップされて表現されたものであることを裏付けるものである。

 

「三角標」の発想の基になったのは(あるいは「三角標」の原型)は,「赤い腕木」を持つ高圧送電線の「電力柱」であったのかもしれない。だから,賢治はジョバンニが夢から覚める時に種明かしをするように『月夜のでんしんばしら』に出てくる「工兵」に喩えた配電線の「電柱」の列(「小さな電燈の一列」)と,それに続く「擲弾兵」に喩えた「赤いエボレット(碍子)」の2本の「電力柱」を並べて登場させたのであろう。

 

では次に,賢治はこの「赤い碍子」あるいは「赤い腕木」の「電力柱」を実際に見たことがあるのかどうかについて検討してみたい。

 

3.賢治は実際に「赤い腕木」の「電信ばしら」を見たことがある

詩集『春と修羅 第二集』の「一五八 北上川は熒(けい)気をながしイ」(先駆形C夏幻想;1924.7.15)には,カワセミが止まる「赤ペイントの高圧線」という語句がでてくる。

 (北上川は顥気をながしィ 山はまひるのうれひをながす,か)

(あっあの鳥はなんだらう)

(ほゝじろだわ きっと)

(どれだい)

   稲草が魔法使ひの眼鏡で見たといふふうで

   天があかるい孔雀石板で張られてゐるこのひなか

   赤ペイントの高圧線に

   からだをまげてとまってゐるのは何鳥だらう

(中略)

(ははあ,あいつはかはせみだ,

かはせみさ,めだまの赤い,

ああミチア今日もずゐぶん暑いねえ)

「一五八 北上川は熒(けい)気をながしイ」(先駆形C夏幻想;1924.7.15)

 (宮沢,1986)下線は引用者

 

この「赤ペイントの高圧線」の「赤ペイント」と呼んでいるものが北上川の川沿いに立ち並んでいるアルファベットの「A」の形をした高圧送電線用の「電力柱」であり,童話『銀河鉄道の夜』に登場する「赤い腕木」の「電信ばしら」や童話『月夜のでんしんばしら』の「赤いエボレット(碍子)」の「でんしんばしら」のモデルとなったものと思われる。

 

賢治が実際に見たこの「電力柱」は,加島(2011)によれば現在の花巻市の石鳥谷駅近くにもあったらしい。1957年版の花巻の地形図を調べると,盛岡-花巻間(35.3km)の東北本線の東側に高圧送電線が並行する区間が複数存在し,その1つが北上川にも隣接する石鳥谷駅近くにあった。1913年の地形図には存在しないので,それ以降に建てられたものと思われる。線路と約4km並行する高圧送電線の間の距離は200m程あったので,『月夜のでんしんばしら』で線路に近接する配電線や通信線の「電柱」(工兵,竜騎兵)の「向こう側」に「赤い碍子」の「電力柱」があると記載したのはこの200mの距離のことを言っているのであろう。

 

賢治は,1909年旧制盛岡中学学校に入学してから1920年まで,盛岡市内の学寮や下宿で生活していた。そして,盛岡から実家のある花巻川口町まで帰るのに,汽車に乗らずに夜通しで歩いたり,途中の石鳥谷駅では仮眠をとったりすることもあったという。賢治の手帳片手に詩作を行う習慣はこの時代に始まったとも伝えられる。

 

賢治は,「赤い腕木」の「電力柱」を北上川河畔以外でも見ている。賢治は,盛岡高等農林学校在籍中に保阪嘉内らと同人誌『アザリア』(1917年に第1号)を発行し,第3号に「よりそひて赤きうでぎをつらねたる青草山の電しむばしら」という短歌を寄稿している。「種山ヶ原」の題があるのでその近くで見たものであろう。必ずしも優れているとは思えないこの歌を保阪嘉内は「絶品」と評したという。

 

なぜ「絶品」と評価したかについて菅原(2010)は,保阪嘉内にとって寄り添う姿に見える「電柱」が賢治との「通じ合う意志」あるいは「通じ合う理想」を持った2人の姿と重なるからだという。多分,賢治は石鳥谷駅や種山ヶ原付近で「高圧線」を支える「赤い碍子と腕木」を持つ2本の「電力柱」を繰り返し見るようになり,その記録や記憶を基に,親友を思い浮かべながら詩や童話を創作したのかもしれない。

 

4.まとめ

「電力柱」と「三角標」が出てくる2つの童話を比較すると,賢治は実際に見た北上川河畔や種山ヶ原の「高圧送電線用A柱(あるいは支柱を持つ単柱)」を,童話『月夜のでんしんばしら』(1921)では「擲弾兵」に喩えた「赤いエボレット(碍子)」を付けた三本腕木の「でんしんばしら」として,童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿;1924)では入眠時と夢の中で現れる「三角標」(前半部は教会堂の「尖塔」で後半部は「送電鉄塔;第1図B」)として,そして同じく『銀河鉄道の夜』の夢から覚めかけの時に現れる「赤い腕木」の「電信ばしら」(第1図A)として表現したように思える。

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第1図.赤い腕木の電信柱(A)とスケールアップされた鉄塔のイメージ図 (B).

また,賢治が花巻郊外で見た「スギ」と「ケヤキ」が合体した「いっぽんすぎ」も,それぞれ「電柱」の「柱」と「腕木」の素材の植物であり,寄り添う幹はアルファベットの「A」の字形に類似するので「高圧送電線用A柱(あるいは支柱を持つ単柱)」と微妙に重なり合う。一方,ジョバンニが夢から醒めかけた時の「赤い腕木」の「電信ばしら」の前に見た「小さな電燈の一列」は,鉄道の配電線(低圧線)用の「電力柱」に付けられた電燈のことであり,『月夜のでんしんばしら』における二本腕木の「工兵隊」に対応するものであろう(第1表)。また,この小さな電燈は二人が通るときに消えるが,二人の悲しい別れを予兆しているようにも思える。

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賢治は,「みんなのほんとうの幸」をどこまでも一緒に求めていくはずであった死んだ妹のトシや生き別れた親友の保阪嘉内へ思いを馳せながら,その果たせなかった願いを二人が寄り添うようにも見える「高圧送電線用A柱(あるいは支柱を持つ単柱)」に乗せ,「みんなのほんとうの幸」を求めるための「道標」の「三角標」(宗教や「近代科学」の象徴物)として表現したものと思われる。 

 

引用文献

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石井竹夫.2015b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する桔梗色の空と三角標.人植関係学誌. 15(1) : 39-42.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-桔梗色の空と三角標-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/01/093637

石井竹夫.2018.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋(後編)-.人植関係学誌.17(2):27-32.Shimafukurou.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/185556

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌17巻第1号29-32頁2017年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基に加筆・修正したものである。