宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケンタウル祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(1)

Key words: 文学と植物のかかわり,ひのき,いちゐ,ケンタウル祭,楢,人魚,苹果,聖ジョバンニ祭,もみ,縞模様,七夕

 

これまで『銀河鉄道の夜』の天上世界(夢の中)に登場する植物を中心に解説してきたが,地上にも沢山の植物が登場してくる。特に地上の「ケンタウル祭(銀河の祭り)」と関連して登場してくる植物が多い。主人公のジョバンニは学校の授業が終わった後に,活版所で活字拾いのアルバイトをしてから病気の母がいる家へ帰るが,母の牛乳が届いていないことを知り家から離れた牧場近くの牛乳屋へ取りに行くことになる。物語ではジョバンニの歩いた道に沿って配置される植物と「銀河の祭り」の装いになった街を以下のように描写している(第1図)。

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第1図.ジョバンニが歩いた道と植物

  ジョバンニが学校の門をでるとき,同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅の桜の木のところに集まってゐました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらへて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。

 けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちゐの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあかりをつけたりいろいろ仕度をしてゐるのでした。     

(二,活版所)下線は引用者。以下同じ。

 

 ジョバンニが勢よく帰って来たのは,ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫いろのケールアスパラガスが植ゑてあって小さな二つの窓には日覆ひが下りたまゝになってゐました。 (三,家)

 それから俄かにお母さんの牛乳のことを思ひだしてジョバンニはその店をはなれました。そしてきゅうくつな上着の肩を気にしながらそれでもわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。

 空気は澄みきって,まるで水のやうに通りや店の中を流れましたし,街燈はみなまっ青なもみや楢(なら)の枝で包まれ電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは,中に沢山の豆電球がついて,ほんたうにそこらは人魚の都のやうに見えるのでした。子どもらは、みんな新しい折のついた着物を着て,星めぐりの口笛を吹いたり,

 「ケンタウルス,露をふらせ。」と叫んで走ったり,青いマグネシアの花火を燃やしたりして,たのしさうに遊んでゐるのでした。けれどもジョバンニは,いつかまた深く首を垂れて,そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考へながら,牛乳屋の方へ急ぐのでした。

 ジョバンニは,いつか町はづれのポプラの木が幾本も幾本も,高く星ぞらに浮かんでゐるところに来てゐました。          

(四,ケンタウル祭の夜)

 

ジョバンニは,もう露の降りかかった小さな林のこみちを,どんどんのぼって行きました。まっくらな草や,いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を,その小さなみちが,一すぢ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には青びかりを出す小さな虫もゐて,ある葉は青くすかし出され,ジョバンニは,さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのやうだとも思ひました。              

(五,天気輪の柱) 宮沢,1986 

 このように「ケンタウル祭」の景観を彩るものとして,「桜」,「烏瓜」,「いちゐ」,「ひのき」,「ケール」,「アスパラガス」,「もみ」,「楢」,「プラタヌス」(プラタナスのドイツ語読み),「ポプラ」など,天上の植物と重複するもの(「もみ」)もあるが沢山の植物が登場してくる。しかし,祭りの飾りとして使っている植物の中にいくつか奇妙なものがある。例えば,「いちゐの葉の玉」,「ひのきの枝のあかり」,「まっ青なもみや楢の枝で包まれた街燈」,「電気会社の前の六本のプラタヌスの木」,「星空に浮かんだポプラの木々」などである。

 

本稿(1)と次稿(2)では,なぜ賢治がこれら植物を採用したのか,またなぜ植物で装飾された街燈とか,電気会社の灯で透かし出された植物とか,星空に浮かぶ木々といった奇妙な配置を物語に取り入れたのかを明らかにしていきたい。また,次次稿(3)では,前稿の考察を踏まえ天上で灯台看守がジョバンニを含む乗客たちに配る黄金と紅色で彩られた「苹果」の正体について外観だけでも明らかにできればと思っている。多分,「ケンタウル祭」の「ケンタウルス」が意味するように「融合」を象徴する「キメラ」が関係していそうだ。最初に,「ケンタウル祭」やこの「祭り」についての概要を説明してから本題に入る。

 

1.「ケンタウル祭」とは何か

「ケンタウル」は,星座の「ケンタウルス座」のドイツ語読み(kentaur)と言われていて,「ケンタウルス(=ケンタウロス)」は,ギリシャ神話における上半身が人間で下半身が馬である怪人一族の総称である。体全体にいくつかの種類の動物の体の一部分を「融合」させたものを「キマイラ(=キメラ)」と呼ぶ。ギリシャ神話の「キメラ」は,獅子と山羊と蛇を組み合わせた姿をしているとされ(3つの頭と口を持つとも),口から火を噴く怪獣である。

 

それゆえ「ケンタウル祭」は,その命名がキメラの怪人を連想させることから新宮沢賢治語彙辞典(原,1999)に記載されているように日本の「七夕祭」や仏教行事の「盂蘭盆会」とイタリアの古い都市国家フィレンツェなど,欧州で広く行われてきた守護神・聖ヨハネ(洗礼者)を祭る「聖ジョバンニの祭(Festa di San Giovanni)」という「火祭り」を結びつけたものと思われる。「聖ジョバンニ祭(=聖ヨハネ祭)」は,ゲルマン文化圏では魔女や妖精らが活発になると信じられた夏至(6月下旬)の頃に行われる(原,1999;植田,1999)。

 

物語で登場する「青いあかりをこしらへて川へ流す烏瓜」や「ひのきの枝に付けたあかり」は,賢治が生活した岩手の旧盆行事(7月7日)である「四十八灯籠」や「灯籠流し」あるいは「灯籠木」を連想させる(家井,2004)。また,「みんな新しい折のついた着物を着て,星めぐりの口笛を吹いたり,ケンタウルス,露をふらせと叫んで走ったり,青いマグネシアの花火を燃やした」という記載は,「聖ジョバンニ祭」で普段着もあるが民族衣装や白い衣装を身に着けた若者たちが,広場に積み上げた藁束や薪に火をつけて,その周りで踊ったりする風習と似ている(植田,1999)。

 

また,この日には「天使よ守れ,デーモンよ出てゆけ,わが主なる神よ,溺れたり怪我をせぬよう,花束を捧げます」と唱え詞を言って水浴びをしなければならない。沐浴は重要ではあるが,特定の池や川では,人間の生贄を求めるという言い伝えもあり,危険ということで沐浴を禁止しているところもある。実際に『銀河鉄道の夜』では,ジョバンニは白い布を被った母から「川へははひらないでね。」と忠告される。

 

2.「いちゐの葉の玉」における植物選択の理由

最初に登場する「祭り」にまつわる植物は「イチイ」と「ヒノキ」(Chamaecyparis obtusa  Siebold et Zucc.)である。第二章「活版所」で,家々は「銀河の祭り」でいちゐの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあかりをつけたり」して飾られていると表現されている。なぜ,南欧を舞台にした物語に日本特産の「ヒノキ」が登場するのであろうか。この疑問に答えるために,同じように西洋の「祭り」で飾りとしての「ヒノキ」が使われる童話『ビヂテリアン大祭』と比較しながら考察してみたい。

 

童話『ビヂテリアン大祭』は,菜食主義者の「祭り」(国際会議)で繰り広げられる肉食を支持する者と反対する者たちの論争についての話が記載されている。参加者は日本の代表で仏教徒である<私>,トルコ人(多分イスラム教徒),中国人(儒教徒あるいは仏教徒)および米国・欧州のそれぞれの代表(キリスト教徒)が集まっている。インドの聖者(ヒンズー教徒)の食に対する話も物語の中で語られていて国際色(あるいは宗教色)豊かな学会である。

 

ここで注目すべきところは,「祭り」の会場がトルコ人たちの集まる教会(イスラム教寺院のモスク)の中庭で開催されることと,大祭を仕切る祭司長がトルコ人たちの教派の長老であることである。東洋とヨーロッパの2つの文化の「十字路」と呼ばれるトルコ共和国の人物(デビス)に司祭長を任していることから,この物語が単に菜食主義者の「祭り」ということだけでなく宗教の「融合」をも視野に入れていることが伺える(トルコは地理的に西アジア南欧に位置する)。この司祭長の自宅兼教会は,「祭り」のために「ヒノキ」と「ヤドリギ」で飾られている。

  「さうです。あれがヒルテイの村です。私たちの教会は,多分あの右から三番目に見える平屋の家でせう。旗か何か立ってゐるやうです。あすこにデビスさんが,住んでゐられるんですね。」 (中略) 教会は粗末な漆喰造(しっくひづく)りで,ところどころ裂罅割(ひびわ)れてゐました。多分はデビスさんの自分の家だったのでせうが,ずゐぶん大きいことは大きかったのです。旗や電燈が,ひのきの枝ややどり木などと,上手に散り合せられて装飾され,まだ七八人の人が,せっせと明後日の仕度をして居りました。 (『ビヂテリアン大祭』宮沢,1986 ) 

『ビヂテリアン大祭』で登場する教会は,トルコ共和国の首都であるイスタンブールの歴史地区にある三つ並んだ有名な建造物(トプカピ宮殿,アヤソフィア,スルタンアフメト・ジャミー)のうち,ボスポラス海峡から見て右から三番目のスルタンアフメト・ジャミー(ブルーモスク)をモデルにしたかもしれない。このモスクは,17世紀に建造されたもので,ところどころ漆喰がはげ落ちている。隣には赤灰色のアヤソフィアがあるが,このモスクは東ローマ帝国の時代に建てられたキリスト教大聖堂を改装したものである。賢治が『ビヂテリアン大祭』でイスラム教のモスクらしい教会を日本特産の「ヒノキ」と西洋の「祭り」でよく使う「ヤドリギ」で飾ったのは,トルコのモスクの歴史が語るように物語の内容に合わせて東洋と西洋の「祭り」を「融合」したかったのだろう。

 

銀河鉄道の夜』でも,地上世界は「アラビア風」の景観を示し,ジョバンニの家もトルコのモスクをモデルにしているかもしれないことは前報(石井,2016)で報告した。この物語も『ビヂテリアン大祭』と同様に宗教の「融合」を意図しているので,銀河の「祭り」に町の家々を飾る植物も東洋の西洋の植物を混在させたとしてもおかしくはない。

 

3.「いちゐの葉の玉」における植物選択の理由

「いちゐの葉の玉」は,日本の「祭り」ではあまり使われないので,欧州でクリスマスの時などに飾られる「イチイ」(ヨーロッパイチイ;Taxus baccata Linne)の枝葉で編み込んだ「ボールリース」のことであろうか。一方,「あかりを付けたひのきの枝」とは,東北地方で3年以内に身内を亡くした家が盂蘭盆に庭先に掲げる「灯籠木」をイメージしたのであろう。「灯籠木」は,長さ4〜⒓mの丸太を使い,先端に横木を結び三角の形になるように縄を張り,その三角の角ごとに「スギ」(日本固有種でヒノキ科に属する)の枝葉を束ねて作られる。先端部には普通紅白の旗と提灯が付いている。多分,「キメラ」をイメージさせる「ケンタウル祭」に関連させて「祭り」に使う植物も日本のものと南欧のものを「融合」させたと思われる。

 

しかし,なぜ「スギ」でなく「ヒノキ」でなければならないかという問題が残る。前報で,「灯籠木」は,その先端が「三角」の形であることから「三角標」の原イメージにつながることを報告した(石井,2013)。「三角標」は「五輪塔」の中の「火輪」のメタファーでもあるので「炎」と関係がある。

 

ヨーロッパの「ジョバンニ祭」も「火の祭り」である。「ヒノキ」は精油を含み,火がつきやすく,この木の摩擦で「火」を起こしたことから「火の木」を意味すると言われている。また,「ヒノキ」の風に揺られる姿を「炎の形(=明王の怒りを表す火焔光)」に見立てることも可能であり,賢治は「ヒノキ」を菩薩行を妨害する「魔王波旬」に例えることがある(大塚,1999)。「波旬」は仏教における天界のうち「六欲天」に在住する「他化自在天」のことである。『アザリア第一号』に発表した短歌では,「なにげなく,風にたわめる 黒ひのき/まことはまひるの波旬のいかり」とある。多分,賢治は「五輪塔」の「火輪」や「ジョバンニ祭」の「火祭り」に関連付けて「スギ」の代わりに「ヒノキ」を物語に登場させたのであろう。

    

4.なぜ街燈を「もみ」や「楢」の枝で包むのか,そして電気会社の前の六本の「プラタナス」と「星空に浮かぶポプラの木々」とは何か。

次に「まっ青なもみや楢の枝で包まれた街燈」が何を意味しているのかについて考察してみる。「楢」は,ブナ科のうち落葉性の広葉樹の総称で英語名は「オーク(oak)」である。日本に自生するものとしてクヌギ,ナラガシワ,ミズナラ,カシワ,コナラ(Quercus serrata Murray),アベマキなどがあるが,欧州にもヨーロッパナラ(Quercus robur Linne)がある。「もみ」も,マツ科モミ属の常緑針葉樹で日本では「モミ(Abies firma Siebold et Zucc.)」を指すが,欧州では「ヨーロッパモミ(Abies alba Miller)」を指す。

 

欧州では,種まきや苗の移植が終わったころ(5~6月),農作物の無事の成長を祈る「聖体拝受の祭」が催される。この「祭り」の特徴は,ミサの後に教会の守護聖者を刺繍した旗や白地に十字の旗を先頭に,純白のドレスに身をつつみ頭に花冠を飾った少女や白いガウンの聖歌隊が歌いながら町を行進することである。このとき,沿道で迎える人たちは,各家庭の祭壇をバルコニーや庭に出して色とりどりの花を飾り,「シラカバ」や「ナラ(=オーク)」の若枝を窓際に立てたりする(植田,1999)。また,「モミ」,「シラカバ」,「ナラ」は,先住民族ゲルマン人にとっては神聖な木でもある(浅井,2006)。

 

しかし,欧州の「祭り」を扱った書物(植田,1999;浜本・柏木,2003)で調べた限りでは,街燈を枝で包むという風習を見つけることが出来なかった。賢治は,なぜ街燈を「モミ」や「ナラ」の枝で包むという表現にしたのであろうか。これは,『ビヂテリアン大祭』の「電燈が,ひのきの枝ややどり木などで,上手に散り合せられて装飾」されているという表現にも繋がる。もしかしたら,この飾り方は賢治にとって重要な意味を持っていて,この飾り方の意味を明らかにすることで,他の植物の「祭り」に対する使われ方も説明できるかもしれない。

 

物語の「街燈を真っ青なもみや楢の枝で包む」という表現は,「モミ」や「ナラ」が登場する場面に限って言えば,四章の「ケンタウル祭の夜」に登場する「人魚の都」をイメージさせるための小道具として使われているように思える(石井,2014)。これは,同じ場面の「電気会社の前の六本のプラタヌスの木」や「星空に浮かぶポプラの木々」という表現にも言える。「モミ」,「ナラ」,「プラタヌス」,「ポプラ」という植物を使った意味とともに,これら植物の使い方や配置に重要な意味が含まれている(植物の選択理由については後述)。

 

なぜ,これらの表現が「人魚の都」を連想させるかというと,「もみや楢の枝で包まれた街燈」(第2A図),「電気会社の前の六本のプラタヌスの木」(第2B図)あるいは「星空に浮かぶポプラの木々」(第3A図)という風景の構図から光に透かされた複数の枝や樹木の縦の「縞模様」が抽出されるからである。さらにイメージされた「縞模様」から,もしもデンマーク童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen,1805-1875)の『人魚姫』を読んだことがある者なら,海の底から「キメラ」の「人魚」(多くは上半身がヒトで下半身が魚類)が太陽の光に透かし出されたサンゴ礁に浮かぶコンブのような複数の背の高い大型の海藻を見ている風景を呼び起こすからである(第3B図)。

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第2図.楢の枝で包まれた街燈(A)と電気会社の前の6本のプラタナス(B).    透かし出された枝と木の幹が縦縞模様に見える. 

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第3図.空中に浮かぶポプラの木々のイメージ図(A)と人魚の都のイメージ図(B)  (星明かりや太陽の光でポプラや海藻が透かし出されて縞模様に見える).

単条のコンブは一般に葉幅に比べて葉長が長い。これらの葉が太陽光に透かし出されれば「縞模様」に見えるはずだ。例えば,コンブ科のオオウキモ(Macrocsytis pyrifera (Turner) C.Agardh,英名Giant Kelp)は,地球上で知られている海藻の中で最大種と言われ,50m以上に成長するものがある。海底の岩に多数付着し海面に向かって樹木のように林立するところはケルプの森とも呼ばれる。この視線は丁度,童話『やまなし』の蟹の親子が谷川の底から月光で透かし出された水面に浮かぶ「ヤマナシ(山梨)」を眺める視線と同じである。

 

街を海の底の「人魚の都」とする比喩は,『人魚姫』以外ではドイツの作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバー(Carl Maria von Weber,1786-1826)が作曲した歌劇『オベロン,または妖精王の誓い』の中のアリア『人魚の歌』を参考にしているとされる(石井,2014)。さらにイギリスの劇作家であるウイリアムシェイクスピア(William Shakespeare,1564-1616)によって書かれた戯曲『真夏の夜の夢』の影響もあるだろう。『真夏の夜の夢』は舞台が南欧であり,人魚の話と一緒に沢山のキメラ的な妖精が登場してくる。その妖精の王がウェーバーの歌劇の名でもある「オベロン」である。「オベロン」はゲルマン伝承に登場するドヴェルグ(妖精)たちの王アルベリッヒに由来する。『真夏の夜の夢』は,ドイツでは『ある聖ヨハネ祭夜の夢』(Ein St. Johannis Nachts-Traum)という訳題で世に出された。

 

構図として光に透かされた縦の「縞模様」をイメージできるのは,第五章「天気輪の柱」でジョバンニが牧場の後ろの「黒い丘」に向かう途中で見られる「青くすかし出された草の葉」や最終章(第九章)「ジョバンニの切符」の最大の山場で見られる「蠍の火によって真っ黒にすかし出される楊の木」である。前者の「草の葉」は,本文に縦の「縞模様」という記載はないが,「烏瓜のあかり」のようだと形容しているので,牧草であるイネ科植物の平行脈の葉脈を持つ葉であろう。平行脈の「縞模様」が葉の裏に止まっているホタル(蛍)などの昆虫の放つ青い光によって透かし出されている(第4図)。

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第4図.青びかりを出す虫によって(縦縞の葉脈が)青くすかし出される葉. 

ここで「透かす」の意味について説明する。賢治は,「透かす」という言葉を,物体の間から光が通るようにする,あるいは薄い物体を通して「ステンドグラス」のように模様が透けて見えるようにするという二つの意味で使っている。前者の例は,「蠍の火」によって「楊の木」の幹が真っ黒に透かし出されるというもので(第5図),後者の例は,「烏瓜」の実をくり抜いて作った「烏瓜のあかり」から果皮を通して透かし出された縦の「縞模様」(第6図)や「青びかりを出す虫によって(縦縞の葉脈が)青くすかし出される葉」(カッコ内は引用者)などである。 

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第5図.烏瓜のあかりのように楊の木に透かしだされた蝎の火.

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第6図.カラスウリの果実をくり抜いて蝋燭の火を灯した烏瓜のあかり.側面から見ると5〜6本の縦縞が見える.

「光」や「炎」によって複数の樹木の幹が「縞状」に透かし出されるという表現は,風の妖精が主人公である童話『風野又三郎』でも見られる。

   そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えてゐるやうにまっ赤なんだらう。さうさう,まだ明るくならないうちにね,谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢の木や樺(かば)の木が火にすかし出されてまるで烏瓜の燈籠(とうろう)のやうにみえたぜ。 (『風野又三郎』宮沢,1986)下線は引用者

この物語で,風の妖精が谷底から「朝日」の「赤い光」によって楢や樺の木がまっ赤に透かし出される様子を眺めていることが描かれている。そして,その様子は「烏瓜のあかり」のようだと言っている。

 

このように,『銀河鉄道の夜』の「銀河の祭り」で登場してくる街燈は,「縞模様」が透かし出される「烏瓜のあかり」や「電気会社の前の六本のプラタヌスの木」あるいは「星空に浮かぶポプラの木々」のように縦の「縞模様」がイメージできるように「モミ」や「ナラ」の枝で包んだものと思われる。(続く) 

 

引用文献

浅井治海.2006. 森と樹木と人間の物語.フロンティア出版.東京.

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

浜本隆志・柏木治.2003.ヨーロッパの祭りたち.赤石書店.東京.

家井美千子.2004.『銀河鉄道の夜』の「ケンタウル祭」.アルテス リベラレス(岩手大学人文社会科学部紀要)75:19-35.

石井和夫.2014. 人魚とやまなし-宮沢賢治小川未明.福岡女子短大紀要 79:44-54.

石井竹夫. 2013.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する星座早見を飾るアスパラガスの葉(後編).人植関係学誌.13(1):31-34.

石井竹夫.2016. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するアスパラガスとジョバンニの家(前編).人植関係学誌.15(2):19-22.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

植田重雄.1999.ヨーロッパの祭と伝承.講談社.東京.

大塚常樹.1999. 宮沢賢治-心象の記号論.朝文社.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌16巻第2号21~25頁2017年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html