宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-聖なる植物(2)-

Key Words: 文学と植物のかかわり,Centaurea,ケンタウル祭,もみ,野ぎく,唐檜,

 

前報(聖なる植物(1))では,『銀河鉄道の夜』の天上に登場する植物には段階性があり,植物は「俗」から「聖」の順序で配置されていることを報告した。「聖」として登場するのは,「楊」,「唐檜」、「もみ」そして「くるみ」である。物語の最終章では,「ケンタウル祭」という「祭り」が出てくるが,賢治がなぜ「唐檜」と「もみ」を「ケンタウル祭」の聖木としたのかが疑問として残った。本稿では,「唐檜」や「もみ」と「ケンタウル祭」の関係を明らかにしていきたい。本稿では再度,「ケンタウル祭」が出てくる場面を記載する。

   その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云へずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂(にほひ)のやうなもの口笛や人々のざわざわ云ふ声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあってそこにお祭でもあるといふやうな気がするのでした。

 「ケンタウル露をふらせ。」いきなりいままで睡(ねむ)ってゐたジョバンニのとなりの男の子が向ふの窓を見ながら叫んでゐました。

 あゝ,そこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜(たうひ)かもみの木がたってその中にはたくさんの豆電球がまるで千の螢(ほたる)でも集ったやうについてゐました。

 「あゝ,さうだ,今夜ケンタウル祭だねえ。」

 「あゝ,こゝはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云ひました。

〔以下原稿一枚?なし〕(『銀河鉄道の夜』九章ジョバンニの切符)宮沢,1986

 

1.「唐檜」や「もみ」とケンタウル祭の関係

この場面では,「そこにはクリスマストリイのやうにまっ青な唐檜(たうひ)かもみの木がたってその中にはたくさんの豆電球がまるで千の螢(ほたる)でも集ったやうについてゐました。」という風景描写のあとすぐに,「あゝ,さうだ,今夜ケンタウル祭だねえ。」とある。すなわち,「唐檜」や「もみ」がすぐさま「ケンタウル祭」を喚起させている。

 

これは,賢治が大正6年(1917年)に制作した歌稿の「わがうるはしき/ドイツとうひは/とり行きて/ケンタウル祭の聖木とせん」に対応する。賢治は,確かに「唐檜」や「もみ」と「ケンタウル祭」を結び付けている。両者を結びつけているものは何であろうか。賢治の単なる好みかもしれないが,両者とも様々な要素がキメラのように複合されたものであるということからかもしれない。

 

「唐檜」や「もみ」は,現在ではクリスマスの「祭り」に使う聖樹として崇められているが,元々はカソリック教会がゲルマン人にキリスト教を布教するために,樫などの樹木を崇拝するゲルマンの土着信仰を利用してキリスト教の祭りの中に取り込んだものである。すなわち,ゲルマンのオークなどを祀る樹木信仰をキリスト教の「祭り」の中に「唐檜」や「もみ」を使った「クリスマスツリー」として取り入れたことによる。

 

ゲルマンのキリスト教化は歴史的事実であるので,賢治は,キリスト教の牧師が校長である学校に進学した妹のトシから,あるいは自ら情報を収集してこの事実を知っていたと思われる。賢治にとって,キリスト教会がとったゲルマンのキリスト教化の方法はとても重要なものであったと思われる。これは,宗教の布教にとって一般的なことかもしれないが,その手段として植物を利用したことが重要なのだ。なぜなら,賢治にとって人生最大の目的でもある法華経の布教が大好きな植物を題材にした詩や童話を書き続けることで達成できるのだから。それゆえ,賢治の作品に登場してくる植物の多くには,『銀河鉄道の夜』に関わらず何らかの宗教的な意味が込められていると思う。

 

2.なぜ「唐檜」や「もみ」を飾る祭りにケンタウル祭と命名したか

「唐檜」や「もみ」と「ケンタウル祭」の関係が明らかになってくると,次の疑問が生じる。なぜ賢治は,「唐檜」や「もみ」を飾る「祭り」に半人半馬の怪人の一族の名に由来する「ケンタウル祭」という名をつけたのだろうか。キメラ的ということが重要であるなら,ギリシャ神話を含め古代の神話には半人半馬以外に,半人半猪,半人半獅子,半人半鳥などの半人半獣の怪人はたくさん出てくる。賢治が「ケンタウル祭」という名をつけたのは,ゲルマンのキリスト教化という史実だけでは説明できない。

 

最初に「ケンタウルス座」が位置する方位から考察してみる。「ケンタウル」は,星座の「ケンタウルス座」のドイツ語読み(kentaur)であることは前報で述べた。「ケンタウルス座」は花巻の盆(7月=初稿創作の頃)の時期は,「薄明(空明,桔梗いろのそら)」が終了する8時頃に南あるいは南西の地平線上に上半身の部分だけが現れる(下半身は本州では見ることができない)。

 

この位置は,銀河が地平線で南に流れる北上川と交差する所でもある。南には仏教の護法善神(守護神)である「天部」の諸尊十二種(十二天)の一つである「閻魔天(えんまてん)」(梵名:yama)がいる。閻魔は,仏教以前のバラモン教の神ヤマが仏教に入ってきたもので,京都国立博物館が所蔵する「閻魔天曼荼羅」では右手に仰掌(ぎょうしょう),左手に人頭幢(にんずじょう;人の顔が付いた杖)を捧げ,水牛に乗った姿で現れる。南西には,仏教の護法善神である「羅刹天(らせつてん)」(梵名:rākṣasa)がいる。「羅刹天」は,バラモン教と土着信仰が融合したヒンドゥー教に出てくる鬼神ラークシャサ(羅刹)が仏教に取り入れられたものであり,白獅子に乗る。

 

すなわち,「ケンタウルス座」が位置する方位には,仏教の護法善神である「閻魔天」や「羅刹天」がいて,それぞれ「聖」なる水牛や獅子に乗り,その姿はキメラの怪人に似ている。多分,「唐檜」や「もみ」を飾る「祭り」を「ケンタウル祭」と命名したのは,仏教が関係していると思われる。そこで,ゲルマンのキリスト教化と同様にインドの土着信仰の仏教化ということにも触れてみたい。

 

ギリシャ神話と同様に,仏教の発祥の地であるインドの神話にはキメラな怪人がたくさん登場する。インドの仏蹟であるパールハットやサンチーの塔の欄楯や門柱のレリーフ(前2世紀から前1世紀)や,ガンダーラの塔のレリーフ(1世紀から5世紀)にそれらがたくさん表現されている(定方,1979;日高,2013)。そのうち,仏教と関係するものとして,ケンタウルスと同じ半人半獣の「緊那羅(きんなら)」(梵名kimunara)や「乾闥婆(けんだつば)」(梵名:ガンダルヴァgandharva)がいる。

 

「緊那羅」は,馬の頭に人間の体,あるいはその逆で人間の頭に馬の体をしていると伝えられていて(一説には人間の頭に鳥の体というのもある),美声で上手に舞うことができる。一方,ガンダルヴァは上半身人間で下半身が黄金の鳥の翼と下半身をもっていて,「緊那羅」と同じ天の合唱隊員でもあるが,酒や肉を食べず香りを栄養としているため自身の体から香気を発する(定方,1979)。「緊那羅」は,梵語のkimunaraの音訳で,この語は語源分解するとkim とnarahとなり,「如何なる人ぞ」「人なりや」の意味すになるそうだ。

 

さらに仏教学者の定方(1979)によれば,インド美術にキメラが多いのはギリシャ美術に影響を受けたことによるという。例えば,芸術に心得のあるインド人が下半身を馬にしたオリエントやギリシャ古典的美術品に遭遇した時,「なんだ,これは,人間か」と叫び,そして感動し,ガンダーラなどの建築物のレリーフを制作していったのではないかと推測している。インド美術で下半身が馬のものはケンタウルスに,下半身が鳥のものはセイレーネスにそれぞれ結び付けて創作したのであろう。定方の論文では,gandharvaをkentaurosに語源的に結び付けられるという説のあることも紹介している。さらに,ギリシャ神話の「ケンタウルス」も中央アジアに勢力を広げていた遊牧(騎馬)民族のスキタイの姿をもとにしているという説もある。

 

オリエントやギリシャの文化を取り入れた古代インドの土着信仰は,次に仏教に取り込まれることになる。インドの神々が仏教に融合され仏法を守護する神となったのが天竜八部衆にある「緊那羅」と「乾闥婆」である。興味あることに仏教に取り込まれた「緊那羅」と「乾闥婆」は農耕に欠かせない雨を降らせる神々の王インドラ神(十二天の1つである帝釈天)の眷属(従者のこと)になったことである。賢治が存命していた頃に発刊された姑射(1916)訳『印度の神話』には仏教に改宗する前の「インドラ」について詳細な解説文が記載されている。

 インドラは暴風雨の天の王で,又雷霆(らいてい)の神である。彼はヒマラヤ諸峯の一なるゴールデンマウンーメルに在る素敵に美しいスワルが羅網宮で天界の奏楽群の長で,世界の東部を統御して居るのである。彼は神酒と天楽とで神々を慰安し,そしてアマラヴァーチーの天界の市(まち)に住んで居る。此の市には舞姫が沢山に居り,宮苑にはパリヤタカカルバヅルムや一本でも所有すれば「富の主」の称号を得る木などが生えて居る。インドラは天父地母の子で,火神アグニとは双子の同胞であるがアグニよりも高い地位を占めて居る。        

(姑射訳『印度の神話』の中の「インドラ(司雨の神)と其子」の章)

 下線は引用者

 

姑射訳の「パリヤタカカルバヅルムや一本でも所有すれば「富の主」の称号を得る木」がそれぞれ何の植物を指しているのか分からないが,古代インドでも「聖樹信仰」は存在していることが伺われる。また,「インドラ」が「司雨の神」の神であることを考えれば,『銀河鉄道の夜』の「ケンタウル露をふらせ」は,本来は「インドラ雨(露)をふらせ」であろう。

 

物語中の「ケンタウル露をふらせ」の直前には,「みんなは何とも云へずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂(にほひ)のやうなもの口笛や人々のざわざわ云ふ声やらを聞きました」とある。まさに,そこには「インドラ(帝釈天)」と彼の眷属でキメラでもある天の合唱隊の一員である「緊那羅」や「乾闥婆」が居る。

 

インドの神話の「インドラ」と「アグリ」は双子であるというのも面白い。「アグリ」は仏教でいえば「蠍座」が位置する南東の護法善神である「火天」に対応する。「蠍の火」(=アグリ)の逸話の直ぐ後に「ケンタウル祭」(=インドラ)の話が出てくる。

 

すなわち,「インドラ(帝釈天)」は東を守る護法善神であること,および「銀河の祭」がキリスト教圏のヨーロッパが舞台である地上の祭りでもあるために,「インドラ」という言葉はこの場面では使えなかった。そこで,賢治は「唐檜」や「もみ」を飾る「祭り」に「インドラ」の眷属である「緊那羅」や「乾闥婆」とルーツを同じくする「ケンタウル」という名を使ったと思われる。  

 

3.法華経は比喩の文学

法華経は比喩の文学であると言われている。本論文で引用した『銀河鉄道の夜』最終章の「ケンタウル祭」が出てくる場面は,法華七喩で言えば「妙方蓮華経薬草喩本第五」の内容である「雲雨の比喩」(「山草二木」とも言う)であり,賢治はこの比喩の「雨」を「露」に置き換え,また仏教的景観をヨーロッパや天上の景観に変え,さらに語り部をキリスト教徒にして法華経とは分からないように法華経思想を巧妙に読者に理解させようとした。「雲雨の比喩」は,『妙法蓮華経』の訳者である坂本・岩(1978)が興味ある解釈を行っている。

 仏はかれらに「雲雨の比喩」を述べて,仏の慈悲が平等であることを説く。

 この地上には,種々さまざまの植物が生い繁っているが,大雲がおこって,あたり一面に雨を降らすと,草木は大小をえらばず,その生育の場所の如何を問わず,すべてがその潤いを受けて,それぞれの種属にふさわしい大きさに成長する。このように,同じ大地に生い繁り,同じ雨に浴しながらも,草木はその種属によって大小があり成長に差別があるように,仏が人々に教えを説くとき,それは人々を「仏の智慧」に到達させることを究極の目的としているのであるから,同一の味であるにもかかわらず,衆生の根性の差異によって、その受け取り方はすべて異なる。仏はそのすべてを見通して,巧妙な方便をもちいるのだと説明する。

 ところで,ここに述べられる「雲雨の比喩」であるが,形式的にはアウパミアに属する。しかし,これまで述べられてきた「火宅」および「窮子」のそれに比べて,それらが仮定の事実を記述するにあたって正に作為も甚だしい記事を羅列しているのに対して,ここでは実に大自然の神秘を記述して比喩とする。『法華経』における比喩の圧巻である。

(坂本・岩本訳注の『法華経』解説)

 アウパミヤ=たとえ話(比喩を使った物語)

 

物語に沿って私流に再度解釈し直せば,キリスト教を含め様々な宗教を信仰するもの,あるいは信仰心のないもの,大人や子供も等しく仏の加護を受けられるが,加護を受ける側の裁量によっては成長(現世,来世の在り方)に差がでるということであろう。法華経と同じく,『銀河鉄道の夜』も比喩の文学である。

 

4.ヤグルマ属(Centaurea)の植物

天上の「ケンタウル祭」で登場する植物は,「唐檜(ドイツトウヒ)」と「もみ」だけであるが,賢治が「ケンタウルス座」をドイツ語読みした「ケンタウル」にまつわる植物にも注目したい。それは,ドイツの国花でもあるキク科ヤグルマ属のヤグルマギク(矢車菊;学名Centaurea cyanus L.)である。この属名の「Centaurea」は,ギリシャ神話の半人半馬のケンタウルス族の一人であるケイロンが百の頭をもつ怪物ヒュドラの血で塗られた矢で毒殺されたとき,傷口をヤグルマギクの花で覆ったことで生き返ったという話に由来する(垂水・福屋,1999)。

 

ヤグルマギクは,ヨーロッパ南部原産の越年草で,麦畑の雑草(cornflowerとも呼ぶ)から園芸草花として改良された(鈴木,1995)。麦畑だけでなく,荒地や休耕の畑,牧場の緑などにも自生する。野生種の花の色は賢治の大好きな青である。賢治は,昭和5年(1930年)3月から使用している手帳(盛岡銀行発行)の33~36ページと131~133ページに鉛筆書きで当時の日本では馴染みの少ない沢山の植物の学名または英名を英語で書き込んでいる(宮沢,1986)。

 

その中には, Centaurea americana, Centaurea cyanus nunusという文字もある。当時,賢治はこれら珍しい花の種をイギリス(サットン商会)から取り寄せてフレームや播種床に播いたという(伊藤,2001)。手帳に記載されたCentaurea cyanus nunusの「Centaurea cyanus」はヤグルマギクの学名ことであろう(nunusはnanusのことか?)。Centaurea americanaは,アザミヤグルマ(Centaurea americana Nutt.;basket flowerとも呼ぶ)で北米原産のカワラナデシコに似たピンク色の花を付ける。手帳には三月という文字もあるので,これらの種を春に播けば秋には花が見られる。

 

創作時期は分からないが賢治が書いた「種山ヶ原」詩群には,「あざみの花もこんなに赤く/緑のくまに咲いてると/なんだかちがった花にみえる/センターレア モシャタとも見え」という記述も見られる。これはsweet sultanとも呼ばれるニオイヤグルマギク(Centaurea moschata L.)のことであろう。すなわち,ドイツ語に熱中しかつ神話好きの賢治は『銀河鉄道の夜』を執筆していたときには,ドイツの国花でもあるヤグルマギクの存在とその背景にある神話などの知識は持っていたと思われる。

 

では,賢治は「ケンタウル」に由来するヤグルマギクを『銀河鉄道の夜』に採用したであろうか。ヤグルマギクおよびセンターレアの言葉は残念ながら物語には登場してこない。しかし,賢治がヨーロッパで畑の雑草とも呼ばれているヤグルマギクを「野生の菊=野菊」と考えていたなら,この物語にも登場してくる。第五章の「天気輪の柱」では,銀河鉄道の出発駅でもある牧場の黒い丘に「つりがねさうか野ぎくかの花が,そこらいちめんに,夢の中から薫りだしたといふやうに咲き」というふう出てくる。

 

地上には「ケンタウル」に因んだものがもう一つ出てくる。それは,第四章「ケンタウル祭の夜」の時計屋に飾られている「銅の人馬」である。賢治は重要なテーマ(「ケンタウル祭」)に関するものを出す時には,それを予兆させるものを先に登場させてくる。「野ぎく」が「ケンタウル」に由来するヤグルマギクであるなら,この物語には「ケンタウル(ケンタウルス座)」に因んだ言葉が地上(生の世界)では「銅の人馬」→生と死の世界の境界では「野ぎく」→天上(死の世界)では「ケンタウルス座」の「ケンタウル祭」と並んで出てくることになる。鉱物→植物→星座への変化は唐突ではない。kentaurosと語源的に結び付けられるとするgandharva(乾闥婆)の梵語(サンスクリト)の意味は「変化がめまぐるしい」である(続く)。

 

引用文献

姑射若氷訳.1916.印度の神々.向陵社.東京.

原典:Mythus of the Hindus and Buddhists ( Sister Ninedita Ananda,K.Coodmaraswamy)

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

日高白象.2013.8.15.(調べた日付).インド仏蹟巡拝に関する参考私見.  http://homepage3.nifty.com/juhoukai/hidakashounin/houwashuu/indobusseki.html

伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学-花壇に秘められた宮沢賢治の生涯-.洋々社.東京.

石井竹夫.2011.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する植物.人植関係学誌11(1):21-24.

宮沢賢治.1986.文庫版宮沢賢治全集10巻.筑摩書房.東京.

定方 晟.1979.キンナラ.東海大学紀要 文学部 32:31-43.

坂本幸男・岩本 裕(翻訳).1976. 文庫版法華経(全3冊).岩波書店.東京.

Skinner C.M.(垂水雄二・福屋正修 訳).1999.花の神話と伝説.(Myths and legends of flowers, trees, fruits, and plants in all ages and in all clines).八坂書房.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌13巻第2号31~34頁2014年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html