賢治が母親に気に入られようとしていた可能性のあることはすでに述べた。これを裏付けるものとして賢治の手紙,賢治研究家である堀尾青史の調査資料,文学作品などを紹介してみる。 大正7(1918)年6月20日前後の親友である保阪嘉内あての手紙(封書)に母…
詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)の特に出だしの4行は難解である。前稿で,最初の2行「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり」は「イライラした憂鬱な気分になっていると,あけびの蔓のように自分の愛欲が1人の…
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