宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

なぜ死に直面して創った詩「眼にて云ふ」の語り手は冷静でいられたのか

 

詩「眼にて云ふ」は,賢治の死後,倉庫の下づみの反古の中から発見されたものである。この詩は『群像』昭和21年10月創刊号に「眼にて言ふ(遺稿)」というタイトルで掲載された。この詩に魂が体を離れてしまう体外離脱に類似した心性が見られる。

 

だめでせう/とまりませんな/がぶがぶ湧いてゐるですからな/ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから/そこらは青くしんしんとして/どうも間もなく死にさうです/けれどもなんといゝ風でせう/もう清明が近いので/あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに/きれいな風が来るですな/もみぢの嫩芽(どんが)と毛のやうな花に/秋草のやうな波をたて/焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです/あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが/黒いフロックコートを召して/こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば/これで死んでもまづは文句もありません/血がでてゐるにかゝはらず/こんなにのんきで苦しくないのは/魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな/たゞどうも血のために/それを云へないがひどいです/あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが/わたくしから見えるのは/やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかりです(宮沢,1985;下線は引用者)

 

下線の「黒いフロックコートを召して」の人物は医師で友人の佐藤隆房とされている。佐藤は昭和7年(1932)頃の賢治について以下のような話しを著書に記載している。それによれば「この年,賢治の病状は小康を保っていた。しかし,4月に,壊血病により歯齦(しぎん)よりの大出血があり,はなはだしい苦悩を味わっていた。賢治の歯齦よりの出血が止まらないことを電話で聞き,「烙白金」を用意して宮沢家に行き止血に成功した」(佐藤,2000)とある。

 

また,堀尾青史(1991)の『年譜 宮澤賢治伝』には,

「1932(昭和七)年晩春,歯から出血して歯科の金野英三にみてもらったがとまらない。佐藤隆房院長が診察すると,熱は下りているが食欲がなく,食事も十分とらないために壊血病による歯齦出血をおこしていた。止血剤をぬり注射。それでもとまらない。青白い顔が吹きだす血潮にそめられた。ふたたび往診。院長は烙白金で右側下顎の第一大臼歯外側の歯肉のかいようを焼く。」とある。

 

「魂魄」(こんぱく)は道教的には魂は精神を支える気,魄は肉体を支える気を合体したものだが,下書稿に「わたくしのたましひすでにからだをはなれたのですかな」とあるので「たましい(魂)」のことと思われる。「歯齦」は歯肉のこと。「烙白金」は熱で出血部を灼いて止血する装置。

 

詩「眼にて云ふ」はこのときの心象スケッチであろう。

 

このとき,止血のためにかなりの荒療治が行なわれていたと思われる。かなりの痛みも伴っていたと思われる。

 

しかし,賢治(語り手)が見たもの,あるいは感じたものはかなり異質なものであった。「あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが/わたくしから見えるのは/やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかり」なのだ。

 

なぜ,賢治は死に直面しても冷静でいられるのであろうか。

 

賢治は「魂魄なかばからだをはなれたのですかな」と答える。

これは臨死体験者が語る,「上方」(天井)から自分の姿を見ている視線に似ている。死に瀕していなくても精神障害の1つである「解離性障害;dissociative disorders」の患者にも「臨死体験」と似たような現象(例えば離人感)が認められるという。

 

肉体から離脱しそうになった魂には痛みや苦しみは感じないということなのだろうか。

 

この感覚あるいは詩の内容はロシアの作家・トルストイ(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ;1828~1910)の小説『イワン・イリイチの死』(1886)に登場する主人公・イリイチが死の直前2時間に話した言葉と類似している。賢治が死に直面しても冷静でいられた理由となるものがこの小説の中に隠されている。トルストイも賢治と同じように発達障害だったと推測されている人である。ちなみに,『イワン・イリイチの死』の日本語訳は1928年に岩波文庫からでている。賢治がこれを読んだ可能性は高い。

 

小説の粗筋は以下の通り(東京大学法学部,2025)。

主人公のイリイチは,官吏の次男として生まれ,法律学校を優秀な成績で修了した後は,県知事付きの特務官となり,その後,検事補,検事と順調に出世を重ね,45歳で亡くなったときは,中央裁判所の判事であった。人付き合いも如才なく,社会の上流階級の人々との交際を楽しみ,カード遊びにも秀でており,病気になるまでの彼は,人生かくあるべしと自ら考える通りの人生を歩んでいた。

 

ところが,あるとき,はしごから落ちて横腹を強打したことを契機として,次第に横腹の痛みと口中の妙な味覚に悩まされるようになる。病名も明らかにされずに痛みはますますひどくなっていった。ある深夜,イリイチは人間の残酷さや神の不在を思って泣くが,自分の人生を振り返ると,「当時喜びと思われたものがすべて空しく消えてしまい,その多くは穢(けが)らわしいものに思われた」。

彼は自分の人生が間違ったものであったことに気づいた。つまりは,彼は彼自身の人生を生きていなかったのである。そして,彼の人生が間違ったものであるかもしれないことを示す兆候は,実は病気になる前から現れていた。妻の妊娠2,3カ月目から現れ始めた妻との不愉快な口論である。しかし,イリイチは妻の不満に向き合うことを避け,仕事に熱中することによって不愉快な家庭生活から目を背けてきたのである。しかし,死を目前にしたイリイチは,突然,自分が妻子を苦しめていたことに気づき,彼らをこの苦しみから救うことで,自らも苦痛から解放されるとの考えに想到するのである。

 

 死ぬ2時間前,イリイチの頭に突然,「自分の生活は間違っていたものの,まだ取り返しはつく」という思想が啓示され,最後は,「なんという喜びだ!」という思いを抱きつつ死んでいくのであった。

 

死ぬ2時間前のイリイチの言葉は以下の通り。「 」内は実際に発語された言葉と思われる。《 》内は発語されていない言葉,つまり内語であろう。もしかしたら,イリイチの肉体から解離しそうになった「魂」の言葉か。

 

彼はきき入りはじめた。

《そうだ,これがそれだ。なに,かまうものか,痛むなら痛め》

《ところで,死は? 死はどこにいるのだ?》

彼は,昔から慣れっこになっている死の恐怖をさがしてみたが,見つからなかった。死はどこだ? 死とはなんだ? どんな恐怖もなかった,死がなかったからである。死のかわりに光があった。

「ああ,これだったのか!」不意に彼は声をだしてこう言った。「なんという喜びだ!」

彼にとって,すべてこれらのことは,一瞬間におこったのだが,この瞬間の意味はもはや変わらなかった。しかし,そこに居あわせた者にとっては,彼の臨終の苦しみはなお二時間つづいた。彼の胸の中では,何かごろごろ鳴っていた,彼の衰弱しきった肉体はびくびくふるえていた。やがて,喘鳴としゃがれた呼吸音とは,だんだん間遠になっていった。

「おしまいだ!」と,だれかが彼の上で言った。

彼はこの言葉を聞きつけて,それを心の中でくり返した。《死はおしまいだ》と彼は自分に言った。《もう死はないのだ》。

じぶんが〈死〉というものに肯定的になったときに〈死〉というのはもういない,じぶんにとってなくなってしまった。それで・・・・。

彼は空気を吸い込もうとしたが,不快呼吸は中途でとまり,ひとつ身をのばすと,死んでしまった。    (トルストイ,1980;訳は中村白葉 下線は引用者)

 

イリイチは死の2時間前にあれほど辛かった「痛み」などがどうでもよくなり,また昔から慣れっこになっている死の恐怖を探してみたが,見つからなかった。周囲の人はイリイチが「おしまいだ」と言っているがイリイチ自身(あるいは解離しそうになっている魂)は《死はおしまいだ》,つまり《死はないのだ》と感じている。そして,死のかわりに光があることを見つけ,「なんという喜びだ!」とつぶやいた。

 

一方,賢治はどうであったのであろうか。病臥している賢治に付き添う人たちには血だらけになって苦しむ惨憺たる景色が見えているが,賢治自身に見えるのは「やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかり」なのである。イリイチが死の直前に見た「光」と「喜び」は,死に直面した賢治が見た「青ぞら」と「すきとほった風」と同じだと思われる。「青ぞら」があれば溢れんばかりの「光」もある。「すきとほった風」は賢治にとっては「喜び」であろう。

 

思想家で詩人の吉本隆明はイリイチが死の直前に死の恐怖から解放され「光」を見たことに対して興味深い考察をしている。

 

じぶんの生涯の社会的な活動とか,地位とか,法律家として築いていったものが,いいことなんだという思いが残っているところでは〈死〉が恐怖になったり,絶望に思えたり,あるいは暗い穴の中へ落ちていくような,それでどうしても死にたくないとおもえる。つまり,じぶんの生涯を肯定的に見たいというものが残っているということが〈死〉を絶望的な暗い穴だとおもわせる要因なんだと,イリイチは考えていきます。ここがたいへん興味をひかれます。

 死ぬ数時間前になって,じぶんの生涯は肯定的であった,つまりプラスであった,あるいは何か意味ある体験だったというような気持がだんだんじぶんから薄れていって,それで〈死〉とじぶんがだんだん同化していく。同化していくみたいになったら,なんだか〈死〉が消えて,気分が楽になって〈死〉はべつに怖いというふうにおもえず,なんか向こうのほうにある光みたいに思えてきたというふうに描かれます。現世の生活体験とか,社会的活動とか,そういうものはぜんぜん意味のあるものではないんだというところに,イリイチの〈死〉の問題を近づけようとするトルストイのモチーフが背後にあって,イリイチのそんな感じ方が出ているとおもいます(吉本,1997)。

 

ここで吉本は,イリイチが死に直面しても冷静でいられたのは,家族を犠牲にして「自分の生涯の生活体験とか,社会的活動とか,地位とか法律家として築いていったものはぜんぜん意味のあるものではないんだ」と考えられるようになったからだと言っているように思える。

 

賢治もそうか。

 

賢治も自分の生涯の生活体験とか,農業実践者として,あるいは法華文学を目指す者として築いていったものはぜんぜん意味のあるものではないんだと考えられるようになったのか。もっと具体的に言えば,「個人」あるいは「恋人との幸せ」よりも「皆の幸い」を優先しようとしたことが意味あることだったのか(前ブログ,2022,2024ab)。

 

詩「眼にて云ふ」は前述したように死の1年前の昭和7年(1932)の作品とされている。

 

賢治は,亡くなる10日前に,花巻農学校時代の教え子で小学校の教諭になっている柳原昌悦に手紙を出している。賢治の最後の手紙には以下の言葉が書かれてある。

 

私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ,じぶんの仕事を卑しみ,同輩を嘲り,いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては,たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です・・・どうか今の生活を大切にお護り下さい。上のそらでなしに,しっかり落ちついて,一時の感激や興奮を避け,楽しめるものは楽しみ,苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。(宮沢,1985 下線は引用者)   

 

賢治はこの手紙で,自分を「社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ」,「空想をのみ生活し」,現実を顧みなかったことから空しく何年もたってしまい,今では「自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見て」いるにすぎなくなってしまったと述懐している。

 

多分,賢治も死の直前に,「恋人との幸せ」よりも「皆の幸い」を願って農業実践者として,あるいは法華文学を目指す者として築いていったものはぜんぜん意味のあるものではなかったのだと気付いたのだと思われる。つまり,そう気付くことによって,死は恐怖ではなく,「やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかり」に見えてきたのであろう。賢治もイリイチも解離しようとする「魂」はあたかも「青空」(=光)が好きな植物のようでもある(前ブログ,2025)。

 

参考・引用文献

堀尾青史.1991.年譜 宮澤賢治伝.中央公論社.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

佐藤隆房.2000.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

東京大学大学院法学政治学研究科・法学部,2025(調べた年).コラム47:イワン・イリッチの生と死.https://www.j.u-tokyo.ac.jp/adviser/column/n-47/

レフ・トルストイ(中村白葉 訳).1980.トルストイ全集9.河出書房.

吉本隆明.1997.〈死〉が恐怖でなくなるとき.In  新 死の位相学.春秋社.

前ブログ.2022.自分よりも他人の幸せを優先する宮沢賢治 (3)-それによって築いたものは蜃気楼にすぎなかったのか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/03/085451

前ブログ.2024a.個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 4)-表紙にあるアザミの紋様が意味するもの-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/06/04/083325

前ブログ.2024b.個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 5)-出版を通して世に問うた-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/06/05/053422

前ブログ.2025.ASDの人は光や砂や水が好き,つまり植物のようだ,賢治もそうか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2025/07/01/101517

 

お礼 ユキノカケラさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。2025.9.18