宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

『歯車』の主人公と賢治が慢心の罰で幻視したものをまとめてみる (14)

 

これまで13回に渡って,『歯車』の主人公が暗い瞼の裏に幻視した「銀色の翼」が賢治の夜空に幻視した「暗い業の花びら」と同種のものかどうか比較検討してきた。比較項目は1)幻視したものとその正体,2)罪とその理由,3)罰と罰したもの,4)罰したものの正体,5)敗北の文学についてである。結果をまとめたものを表とともに以下に示す。

 

1.幻視したものとその正体

『歯車』(1927)の主人公〈僕〉は「歯車」を暗い瞼の裏に幻視したあと,頭痛と一緒に「1つ」の「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」(銀色の翼)を幻視し,「僕の一生の中でも最も恐ろしい経験だった」と語る。多分,〈僕〉はこの「銀色の翼」の「銀」は「銀貨」のことで,「翼」は自分が飛翔するために必要な「知識」のことであったと思っている。つまり,「銀色の翼」の正体は生活の糧となる「銀貨」と交換できる「知識」である。「銀色の翼」が「1つ」幻視されたということはその「翼」がもぎ取られた,つまり失ったということを意味している。つまり,『歯車』の主人公は「銀色の翼」を幻視したとき,一番大切なものを失ったことを悟り将来の生活的困窮を予想して恐怖を感じている。

 

賢治は詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)で空にたくさんの「暗い業の花びら」を幻視し,激しく寒く震えていた。「花びら」は日本固有種の「樺の木」から散ったものであると思われる。賢治は「樺の木」を相思相愛の恋人として譬喩することがある。つまり,「暗い業の花びら」は失恋した先住民の末裔である女性(生粋の東北人)を象徴するものであり,賢治がこの「暗い業の花びら」を幻視したということは,賢治にとって一番大切なものを失ったということを意味する。1924年6月14日に恋人は賢治のもとから去っていった。

 

『歯車』の主人公と賢治が幻視したものは自分が犯した「罪」によって罰せられ,自分が卑小な者と認識されたときに出現するものと思われる。

 

 

2.その罪とその理由について

『歯車』の主人公は第二章(復讐)であらゆる罪悪を犯していることを信じていると言っている。しかし,主人公の主な「罪」はキリスト教を軽んじたことと,妻以外のある女性との不義である。「罪」としては前者の方が後者よりも大きいと思われる。主人公が「罪」を犯した理由は「銀色の翼」を得たことによる「慢心」と思われる。芥川は速読の才能がありやすやすと知識を得ることができた。芥川は自死する2か月前に書いた『或旧友へ送る手記』(1927.7)で,エンペドクレスの伝記に言及し過去に「みずからを神としたい欲望」のあったことについても記している。つまり,「慢心」である。

 

『歯車』の主人公〈僕〉の「慢心」はボードレールの詩集『悪の華』の「傲慢の罰」の神学博士のものと同じような気がする。詩「傲慢の罰」には,芥川に似た「みずからを神としたい欲望」をもつ神学博士の「罪」と「罰」が描かれている。「罪」とは「天の栄光へむかい/自分でもしらない不思議な道を越えていった,/そんな道は,けがれない〈聖霊〉しか来たことはなかったろう/高いところに登りすぎパニックになった男のように,/悪魔めいた驕(おごり)りの気持ちに我を忘れ,純粋な天使しか訪れたことがないような高みにまで登りすぎてしまい,/悪魔に等しい傲慢さに突き動かされ(岩切正一郎訳)」て,イエス・キリストを冒涜してしまうというものである。芥川は『西方の人』で〈聖霊〉を「永遠に超えんとするもの」とした。速読の能力で沢山の知識を得た芥川もまた「永遠に超えんとするもの」であった。

 

賢治が犯した主な「罪」は土着の「神」を軽んじたことと,先住民の末裔である女性を苦しめたことである。後者の方が大きいと思われる。「罪」を犯した理由は賢治の作品からは解らない。しかし,賢治の教え子である沢里武治への手紙(1930.4.4)によれば「慢心」である。この手紙には,4年間すごした農学校時代の終わり頃「わずかばかりの自分の才能に慢じてじつに倨慢(きょまん)な態度になってしまった」とある(宮沢,1985)。農学校時代とは1922年~1925までである。すなわち,賢治が「慢心」であたった時期と「花びら」を幻視した時期(1924.10.5)は一致する。賢治は自らを菩薩としたい欲望があったように思える。この頃,賢治と恋人との恋は破局へ向かっていた。

 

評論家で詩人の吉本隆明(1924~2012)は賢治について,「あの人は超人,菩薩になりたかった。そのために,盛んに精進に精進を重ね,無理に無理を重ねていく。菩薩というのは向こうの世界から来た人だというのが,大乗仏教の考え方です。つまり,この人は頭がいいのだけれども,本当は宇宙人と同じで向こうの世界から来た人で,そういう人に学ばなければいけないというのが仏教の考え方です。そういうところに宮沢賢治は行きたかった。そして,生涯それに費やした。行ったかどうかはそれぞれでしょうけれども,とにかくやめなかった人だと思います。」と話している(吉本,2012)。しかし,賢治は宇宙人ではなかった。生身の人間であり,南の京都からの移住者の末裔であった。そして,このことが悲劇(悲恋)に繋がったと思われる。

 

つまり,賢治もまた芥川と同じで,「法華経」に帰依し純粋な〈菩薩〉しか訪れたことがないような高みにまで登りすぎてしまい,悪魔に等しい傲慢さに突き動かされ土着の「神」を軽んじ,また恋人をも軽んじてしまったと思われる。『法華経』の「安楽行品第十四」は女性に近づくなと教えている。

 

3.罰と罰したもの

『歯車』の主人公の「罰」は「銀色の翼」を取られ,作品が描けなくなることである。主人公を罰したものは主人公に常に付きまとってくる「シルクハットをかぶった天使」と「ある女性」と思われる。「シルクハットをかぶった天使」はキリストと関係のある〈堕天使〉あるいは〈悪魔〉であろう。

 

賢治にとっての「罰」は,1つは雷神を演じた自分の生徒が負傷したことと,自分が乗ったトラックがたくさんの「子鬼」によって崖から谷底に落とされたことで,もう1つは沼で「アイヌ」の鬼神に威嚇されたことである。生徒の負傷以外は,「子鬼」も「鬼神」も賢治が幻視したものである。いずれも土着の神である〈土神〉と思われる。また,賢治は大正13年(1924)から3年以上続いた旱魃も自分の犯した「罪」が関与していると思っているふしがある。

 

4.罰したものの正体

「シルクハットをかぶった天使」の正体は〈天使〉の姿をした〈マルクス〉の亡霊である。別名は「世紀末の悪鬼」である。芥川は科学的社会主義(マルクス主義)思想を自分の作家生命を脅かすものとして恐れた。「ある女性」には希臘神話に登場する「復讐の女神」が取り憑いている。芥川はこれらの亡霊を幻視,幻聴など五感以外のもので感じ取っていたと思われる。賢治を襲った「土神」(子鬼)や「アイヌ」の鬼神の正体は東北に侵略した古代大和朝廷の軍勢と戦った〈アテルイ〉の亡霊であろう。賢治はまた特殊感覚の持ち主なので先住民の末裔である農民たちの中に〈アテルイ〉の亡霊を感じ取ることもあった。

 

5.生涯の総括 

芥川は「銀の翼」を登場させた『歯車』と同じ年に書いた『或阿呆の一生』(1927)の最終章51で自分の生涯を「敗北」とした。また,宮本顕治は芥川の文学を「敗北の文学」とした。賢治の文学も敗北したのであろうか。賢治は「業の花びら」の登場する詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の3ヶ月後に恋歌である詩「暁穹への嫉妬」を書いているが,これを後に文語詩にしたとき題名を「敗れし少年の歌へる」としている。賢治は敗北とは言わず失敗といっているように思える。賢治は,死の直前に教え子である柳原昌悦へ手紙(1933.9.11)で,「私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。・・・空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては,たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です・・・」と書いている。賢治の一番大きな失敗は恋人を米国へ行かせたことであろう。

 

以上の結果は『歯車』の主人公や賢治の幻視した一番大切なものが,形は異なるものの「慢心」が原因で「神」や女性を軽視し,「神罰」が下されたときに現れるものであることでは一致している。

 

つまり,『歯車』の主人公〈僕〉が瞼の裏に幻視した一番大切なものを象徴する「銀色の翼」は,賢治の幻視した「業の花びら」と同じで「神罰」が下されたときに現れた幻覚と思われる。なぜ同じように現れたのであろうか。芥川は賢治の未発表詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」を読むことは不可能である。芥川と賢治がそれぞれの作品の中で幻視したものが単なる創作ではなく事実に基づくものなら,臨死体験や死の間際に見るとされる走馬灯のようなものと思われる。これらの幻覚が単なる偶然の一致の産物なのか,あるいは科学的に証明できるものなのかは解らない。ただ,経験はしていないけれど,死の間際に一番大切なものが脳裏に浮かぶのはほんとうのように思える。(了)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2024.

(1)芥川龍之介の『歯車』の主人公が幻視したもの-「歯車」と「銀色の翼」- .https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/10/135748

(2)『歯車』の主人公が幻視した「銀色の翼」はイカロスの翼か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/11/094944

(3)『歯車』の主人公はイカロスのように慢心の罪を犯し飛翔しようとしたのか,人工の翼とは知識のことか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/12/101248

(4)『歯車』の主人公は慢心を罪として自覚したか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/13/080840

(5)『歯車』の主人公が受けた罰は神によるものか .https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/15/072218

(6)人工の翼を付けた『歯車』の主人公を落下させたのは誰か,シルクハットを被った天使か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/16/082433

(7)晩年の芥川のぼんやりとした不安-敗北の文学-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/18/080345

(8)賢治が「業の花びら」を幻視したときの罪と罰.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/24/092428

(9)賢治が幻視した「業の花びら」の正体は慢心の罰で失ってしまった一番大事なもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/25/103603

(10)賢治の「業の花びら」が出てくる詩〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕の題名の意味.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/27/064329

(11)賢治が「業の花びら」を幻視した時期に生じていた慢心について.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/28/061433

(12)賢治の詩「業の花びら」に登場する赤い眼をした鷺は怒っているのか .https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/02/29/085518

(13)宮沢賢治の文学は芥川と同じように敗北したか -「敗れし少年の歌へる」から-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/03/01/070152

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.