宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

『歯車』の主人公が幻視した「銀色の翼」はイカロスの翼か (2)

「銀色の翼」を幻視したのは〈僕〉が以前に乗ったことのある自動車に付いていた「ラジエーター・キャップの翼」と関係があるように思える。『歯車』には,〈僕〉が「銀色の翼」を幻視し後に「僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼のついてゐた」ことを思い出している。

 

この「ラジエーター・キャップの翼」とは,高級自動車であるロールスロイスのラジエーター上部に付いているスピリット・オブ・エクスタシー(通称;フライングレディ)のことと思われる。ルーブル博物館にあるニーケー像(女神)のように背中に翼を持つ女性の姿をしている。ニーケー像はパリオリンピックの勝者に与えられるメダルのレリーフにも採用された。

 

「翼」は6章構成になっている『歯車』の他の章でも登場している。1章(レエン・コート)では主人公〈僕〉はホテルの戸の外から「翼」の音を聞いている。どこかに鳥でも飼っているのかも知れないと思っている。3章(夜)で〈僕〉は丸善2階の展覧室で聖ジョオジらしい騎士が「翼」のある竜を刺し殺しているポスターを眺めている。また,「復讐の神」が出てくる悪夢を見た後に「翼」の音を聞いている。5章(赤光)で〈僕〉は看板に描かれてある自動車のタイヤに「翼」のある商標を見て不安に襲われている。このとき,〈僕〉はこの商標に「人工の翼」を付け「空中に舞ひ上つた揚句,太陽の光に翼を焼かれ,とうとう海中に溺死してゐた」古代のギリシャ人を思い出している。章が進むにつれ「翼」の姿が明瞭になっていくとともに〈僕〉を不安にさせている。

 

「銀色の翼」は鳥や蝙蝠(こうもり)など実際に空を飛んでいる動物の「翼」ではなく,人が鳥の「翼」の類似物を作り,それを肩や背中に取り付けた,いわば作り物の「翼」である。手や足を失った人が付ける義肢や義足は[人工の手]であり,[人工の足]である。ロールスロイスのラジエーター上部に付いているスピリット・オブ・エクスタシーの「翼」も5章で見た看板のものと同じように「人工の翼」である。つまり,『歯車』の〈僕〉が見た「銀色の翼」は古代ギリシャ人のように人の肩や背中に付ける「人工の翼」のようなものと思われる。

 

古代ギリシャ人が付けたという「人工の翼」は『歯車』の5章以外に.『歯車』と同じ年に執筆した自伝的小説『或阿呆の一生』(1927)の19(人工の翼)に出てくる。

 

多分,このギリシャ人はギリシャ神話に登場するイカロスのことである。

 

イカロスは,工匠ダイダロスの子である。ダイダロスは,ミノス王の怒りを買ってイカロスと共に迷宮(あるいは塔)に閉じ込められる。しかし,ダイダロスは蜜蝋で鳥の羽を固め「翼」を作り息子の肩に固定し,迷宮から脱出させる。父・ダイダロスはイカロスに「蝋が熱で溶けてしまうので太陽に近付いてはいけない」と忠告した。しかし,自由自在に空を飛べるイカロスは自らを過信し,太陽にも到達できるという「慢心」から太陽神へーリオス(アポローン)に向かって飛んでいった。その結果,太陽の熱で蠟を溶かされ海中に溺死した。(小学館 日本大百科全書ニッポニカ,ウィキペヂア)。

 

イカロスの物語は人間の「慢心」(=傲慢あるいは驕慢)を批判する神話として知られている。つまり,『歯車』の主人公〈僕〉が見た「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」とは,「慢心」により神の「罰」を受けて撃墜死したイカロスの付けていた「翼」がイメージされている。(続く)