宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

ブログ内容の紹介

謎の多い宮沢賢治の作品をそこに登場する植物を丁寧に調べることによって読み解いています。本ブログの内容は,ブログ名について,作品論,エッセイの3項目から構成されています。作品論とエッセイにあるカテゴリー名末尾の括弧内の数字は各カテゴリーの記事数を表します。例えば,「やまなし(41)」は童話『やまなし』に関して41つの記事があることを表しています。各カテゴリー名をクリックすると記事名が表記され,さらに記事名をクリックすると本文を読むことができます。『銀河鉄道の夜』に関しては記事数が多いので「銀河鉄道の夜(総集編) (5)」を最初に読んでいただければと思います。

 

1.ブログ名について

橄欖の森とは

 

2.作品論

小岩井農場(5)

敗れし少年の歌へる(7)

芥川龍之介(13)

業の花びら(21)

蠕虫舞手(5)

二十六夜(3)

サガレンと八月(2)

四又の百合(4)

ガドルフの百合(6)

土神ときつね(6)

氷河鼠の毛皮(4)

シグナルとシグナレス(3)

ビヂテリアン大祭 (1)

やまなし (41)

若い木霊 (8)

水仙月の四日 (1)

どんぐりと山猫 (2)

春と修羅 (20)

風野又三郎 (1)

十力の金剛石 (2)

花壇工作 (1)

鹿踊りのはじまり (1)

北守将軍と三人兄弟の医者 (1)

毒もみの好きな署長さん (1)

マグノリアの木 (1)

銀河鉄道の夜(目次) (1)

銀河鉄道の夜(種々) (7)

銀河鉄道の夜(心理と出自)(5)

銀河鉄道の夜(三角標) (11)

銀河鉄道の夜(宗教) (6)

銀河鉄道の夜(リンゴ) (7)

銀河鉄道の夜(発想の原点) (12)

銀河鉄道の夜(総集編) (5)

ひのきとひなげし (1)

なめとこ山の熊 (1)

烏の北斗七星 (6)

よく利く薬とえらい薬 (4)

 

3.エッセイ

宮沢賢治の性格(24) 

賢治と化学(1)

宮沢賢治の母(3)

鬼滅の刃(2)

烏瓜のあかり (3)

賢治作品に登場する謎の植物 (5)

希少植物 (1)

湘南四季の花 (4)

 

 

詩「無声慟哭」考(1)-「毒草や蛍光菌のくらい野原」とは何か(試論)

 

詩「無声慟哭」(初版本)(19221127)前半部

こんなにみんなにみまもられながら/おまへはまだここでくるしまなければならないか/ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ/また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ/わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき/おまへはじぶんにさだめられたみちを/ひとりさびしく往かうとするか/信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが/あかるくつめたい精進(しやうじん)のみちからかなしくつかれてゐて/毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき/おまへはひとりどこへ行かうとするのだ             

 (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「毒草」として知られているのは,草本に限っていえば,スイセン,スズラン,トウゴマ,ドクゼリ,ドクニンジン,トリカブト,ハシリドコロ,フクジュソウ,チョウセンアサガオなどである。ただ,「毒草の野原」というと不気味で意味を捉えにくくなる。野原と言えば,芝草,シロツメクサ,タンポポなどが群生する明るい草原がイメージされる。トリカブトやチョウセンアサガオが群生する野原など自然界には存在しないように思える。後述するが「蛍光菌」も明るい野原には存在しない。「毒草や蛍光菌のくらい野原」とは,5行目の「わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき」とあるように,「青ぐらい修羅」という意味であろう。

 

では「青ぐらい修羅」とは何であろうか。この「青」は前ブログで述べた〈釈迦〉の髪の毛の色とは関係ない。賢治独特の内面から湧き上がる「修羅の怒り・悲しみ」の「青」である。「法華経」への信仰心が揺らぎ,「宗教情操→恋愛→性欲」へと賢治のリピドー(性的エネルギー)が流れたこと,つまり恋人と深い関係に陥ったことと関係する。詩「春光呪詛」(1922410)に「・・・髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ・・・頬がうすあかく瞳が茶いろ/ただそれつきりだ/(おおこのにがさ青さつめたさ)とある。しかし,それだけではなない。それだけなら,「青い修羅」でよいと思われる。「青い」ではなく「青ぐらい」のだ。とにかく,暗いのだ。

 

賢治の「毒草」とか「蛍光菌」とかでイメージしているものを解析することで明らかにしたい。

 

賢治が知っている「毒草」が詩「国立公園候補地に関する意見」(1925511)に記載されている。

 

・・・さうしてこゝは特に地獄にこしらえる/愛嬌たっぷり東洋風にやるですな/鎗(やり)のかたちの赤い柵/枯木を凄くあしらひまして/あちこち花を植えますな/花といってもなんですな/きちがひなすびまむしさう/それから黒いとりかぶとなど,/とにかく悪くやることですな・・・

                   (宮沢,1985

 

「東洋風」に「地獄にこしらえる」に使う「きちがひなすび」はナス科の「チョウセンアサガオ」(朝鮮朝顔・曼荼羅華,Datura metel L.,第1図)のことで,「まむしさう」は「マムシグサ」(蝮草,Arisaema serratum,第2図右)のことで,サトイモ科テンナンショウ属の総称である。「とりかぶと」は「トリカブト」(鳥兜・草鳥頭,Aconitum,第2図左)のことで,キンポウゲ科トリカブト属の総称である。いずれも有毒植物あるいは「毒草」である。特に,「チョウセンアサガオ」は「きちがいなすび」とあるように,中毒量を摂取すると意識混濁,興奮,幻覚が生じる。

 

「チョウセンアサガオ」は江戸時代に薬用として日本に入ってきたものなので,大正時代に東北で野生化したものが見られることはないと思われる。賢治がこの「毒」にもなる薬草を知っていたとすれば薬草園や医学書で見たとか,薬草に詳しい人から教えてももらったからであろう。

 

1図.チョウセンアサガオ(左)と日本麻酔科学会のシンボルマーク(右).

左写真は都立薬用植物園にて撮影.

 

2図.トリカブト(左)とテンナンショウ(右).

 

また,賢治が「東洋風」に「地獄にこしらえる」にあたって,この3つを選んだ,あるいは覚えていたからにはそれなりの意味があると思われる。また,この3つは詩「国立公園候補地に関する意見」以外の他の賢治作品には出てこない。

 

これら3つの毒草は,江戸時代の華岡青洲の開発した麻酔薬の「通仙散」(麻沸散)にすべて含まれている。華岡青洲は古方派の漢方薬を扱う外科医であった。ちなみに,「通仙散」の成分は蔓陀羅華(チョウセンアサガオ),草烏頭(トリカブト),白芷(ビャクシ),当帰(トウキ),川芎(センキュウ),南星炒(ナンセイシャ)の6種である(Wikipedia)。南星炒はテンナンショウの加工品。白芷,当帰,川芎は漢方薬にごく普通に使われる生薬で,毒性のあるものではない。チョウセンアサガオ,トリカブト,テンナンショウは毒性が発現しない量を使用している。つまり,3種の毒草を少量ずつ組み合わせて使って,さらに他の薬草をうまく配合させて強い薬効を出させている。

 

多分,「青ぐらい修羅」とか「毒草や蛍光菌のくらい野原」は,「怒り」や「悲しみ」に満ちたところではなく「地獄のようなところ」であり,もしかしたら,華岡青洲の開発した麻酔薬と関係があるかもしれない。

 

華岡青洲はこの麻酔薬を用いて世界で初めて全身麻酔の乳癌手術に成功した。手術での患者の「苦しみ」を和らげ,人の命を救いたいと考え,麻酔薬の開発を始めたとされている。華岡青洲は手術成功後に,医塾「春林軒」を設け,生涯に1000人を超える門下生を育てた。「春林軒」の周囲には「通仙散」に使われる薬草(毒草)が栽培されていた。また,麻酔薬開発に当たっては実の「母」と「妻」が協力したとされている。この事実は医学界ではよく知られたものであったが,世に知らしめたのは有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」(1966)である(Wikipedia)。有吉の小説では「妻」が開発中の麻酔薬を服用して失明したとなっている。母は死亡したとも。ただ,これには異説もある。実際に失明したのは「母」の方であったとも(呉,1920;松木,2022)。

 

失明した原因は麻酔薬に使われた「チョウセンアサガオ」によるとされている。「チョウセンアサガオ」には散瞳(瞳孔を大きく開く作用)を引き起こすベラドンナアルカロイドのアトロピンやスコポラミンを含有している。わずかな入射光でも,継続的で,また眼が縮瞳できなければ網膜の細胞は破壊されてしまう。つまり,「毒」は少量でも長期間使い続ければ有害作用も出てしまう。

 

賢治はこれらの事実を知っていた可能性がある。詩「無声慟哭」以外に「蛍光菌」が登場するものとして詩「会食」(制作年度不明)というのがある。この詩に「微量の毒は薬なり」という言葉が記載されていた。賢治は「毒」の使い方に関して医学的に最も重要な知識を持っていた。どこから知識を得たのだろう。賢治には友人の一人として大正6年(1917)から付き合いのある千葉医学専門学校出の医師・佐藤隆房がいた。佐藤は昭和3年(1928)から賢治の主治医になるが,華岡青洲と同じ「外科医」でもあった。千葉県からは,古方派の漢方医が多数輩出しており,その中に華岡青洲の医塾「春林軒」の塾生になったものも少なくない。

 

つまり,賢治は,佐藤から華岡青洲に纏わる話しを聞かされていた可能性がかなり高く,華岡青洲の乳癌手術の成功の裏で身内に悲劇が起っていたことも知っていたと思われる。

 

華岡青洲が癌に苦しむ「みんな」を痛みのない手術で救おうとしたとき,青洲の家族(母あるいは妻)が犠牲になっていたということである。華岡青洲の「みんな」のためを思う気持が自分以外の「他人」を犠牲にしている。それも最愛の人を。また,医塾「春林軒」は「毒草の野原」に囲まれている。

 

これは賢治の妹や恋人にも当てはまる。

賢治もまた,「あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて/毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき/おまへはひとりどこへ行かうとするのだ」とあるように,「みんなの幸い」を願う気持を無理矢理にでも出そうとするため,妹の別宅でずっと療養生活を続けたいという願いや恋人のアメリカで一緒に暮らしたいという願いを犠牲にしていたということである。賢治は「みんなの幸い」のために「二人」を同時に犠牲にしなければ生きていけない自分の「業」の深さに気づいたのだと思われる。「おまへはひとりどこへ行かうとするのだ」の「おまへ」は妹トシであり恋人の大畠ヤスである。

 

特に,恋人の方はアメリカへ「ひとり」で嫁いで行ったあと,2歳年下の妹へ手紙を出している。佐藤勝治によれば,その手紙の中に賢治の詩(「きみにならびて野にたてば」)に符合するような1行,「悲痛な叫び」が書き込まれていたという(佐藤,1984)。ただ,この手紙は公表されていない。

 

「蛍光菌」(Pseudomonas fluorescens;シュードモナス・フルオレッセンス)とは,湿った土壌や水,植物の周辺など自然界に広く生息するグラム陰性の桿菌(細菌)で,紫外線(波長360nm付近)を照射すると,青色の美しい蛍光を発する特徴をもっている(東邦大学看護,2024)。『新宮澤賢治語彙辞典』(原,1999)では「蛍光菌」を「ヒカリゴケ」などの蘚類だとしているが間違いである。

 

食肉や魚介類,牛乳などの食品表面で増殖し,食品を緑色や黒色に変色させたり,品質を劣化させたりする原因(二次汚染など)になる。また,腐敗菌の代表でもあり腐敗臭とも関係する。

 

詩「無声慟哭」の印刷用原稿では「毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき」が「経をよめば暗い蕈のにほひのただよふとき」となっていた。この「暗い蕈のにほひ」は「腐敗臭」のことと思われる。シイタケ,ツキヨタケ,エリンギなどの「キノコ」(木材腐敗菌)は,光合成をしないため倒木や枯れ葉など「死んだ有機物」を分解して成長する菌類である。そのため,その匂いは「有機物の腐敗」や「湿った土,死の世界」を強く連想させる。つまり,「蛍光菌」も「キノコ」(木材腐敗菌)も「死んだ有機物」を分解して生きている。なお,青白く発光するツキヨタケは有毒。

 

詩「会食」は「夜」の会食の席で青い蛍光を放つ「蛍光菌のついたトマト」や「蛇肉」を食べるという,不気味で幻想的な会話が交わされる場面が描かれている。つまり,「蛍光菌」が記載される詩は「死」あるいは「死臭」が強くイメージされていて不気味である。

 

くり返すが,賢治は,妹の死に際の「あめゆじゆとてちてけんじや」という願いは聞き入れているが,「桜の別宅から自宅に戻りたくない」という願いは「みんなが難儀を」するという理由で聞き入れなかったように思える。恋人に関しても同じ事が言える。恋人の「ステツドラアのみぢかいペン」を貰いたいという願いは聞き入れるが,アメリカで一緒に暮らしたいという願いは「みんなが難儀を」するからという理由で聞き入れなかったように思える。

 

賢治が恋人の願いを聞き入れなかった理由は,童話『銀河鉄道の夜』の難破船の〈女子〉を救えなかった〈青年〉の言葉として詳細に語られている。〈女の子〉には恋人が,〈青年〉には賢治が投影されている。その主な理由は2つある。1つは神(「法華経」)の教えに背くからであり,もう1つは賢治の立てた命題「宗教情操→恋愛→性欲」を「性欲→恋愛→宗教情操」に切り替えたことに関係する。後者は結婚に反対する家族・近親者への説得を放棄して恋を貫けば,つまり駆け落ちすれば,「そこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て」とあるように,自分や恋人の親,兄弟,妹たちに不利益な影響を及ぼすと思ったからであろう(前ブログ,20212026a)。

 

さらに,賢治は資産家の跡取りでもあることから,家族が被る影響は妹トシの恋愛事件を上回るものになるのは明らかであった。

 

ただ,見落としてはいけないことがある。賢治が恋人の願いを聞き入れなかったことにより,自分や恋人の親,兄弟,妹たちに不利益は生じなかったかもしれないが,最愛の恋人は深く傷ついたということである。歌劇『ポルティチの唖娘(おしむすめ)』(La Muette de Portici)に登場する漁師マサニエロの妹フェネッラは,公爵の息子・アルフォンスに弄ばれ裏切られて,それがショックで声を失ってしまった。公爵が2人の仲を認めなかったからである。フェネッラを賢治の恋人,アルフォンスを賢治になぞらえることもできる。この歌劇は賢治が自分の理想や家族・家を守るために恋人を犠牲にしようとしている話しと似ている。詩「マサニエロ」はそのような背景をもとにして作られたものである(前ブログ,2026b)。

 

つまり,賢治にとって「宗教情操→恋愛→性欲」へ行けば家族・一族が犠牲になり,「性欲→恋愛→宗教情操」へ戻れば最愛の恋人が犠牲になる。行くも地獄なら,戻るはさらに地獄なのだ。

 

賢治は,「毒草」からイメージされる二重の地獄のような苦しみと,青い「蛍光菌」からイメージされる「死の匂い」を自分の境遇に重ね,現在自分が歩いている場所を医塾「春林軒」の野原にちなんで「毒草や蛍光菌のくらい野原」と呼んだのであろう。

 

それは,また信仰心の揺らぎから,妹と恋人に見放された賢治の,「発狂」するか「死」ぬかどちらかを選べと言われているような内的世界でもある。

 

夏目漱石の小説『行人』(19121913)に,主人公・一郎が絶望の中で吐露した独白,「死ぬか,気が違うか,それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」というのがある。

 

賢治の前途にこの三つのものはあったのだろうか。賢治には「発狂」も「死」もなかったように思える。

 

しかし,賢治の命題「宗教情操→恋愛→性欲」から「性欲→恋愛→宗教情操」へ戻ることは「ほんたう」に正しい選択だったのか(前ブログ,2024)については答えられていない。賢治はこの疑問を生涯問い続けることになる。

 

参考・引用文献

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍

呉 秀三.1920.華岡青洲先生伝記.医人.96-28

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.

松木明知.2022.華岡青洲の"麻沸散"を巡る"実説""虚説".麻酔.71(2):173-184.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.155

前ブログ,2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/145103

前ブログ.2024.個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 1)-賢治は正しいと思っている-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/06/01/080141

前ブログ.2026a.同じ日付の詩「岩手山」と詩「高原」-恋人の叫び(試論).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/02/24/072725

前ブログ。2026b.詩「マサニエロ」のタイトルが意味するもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/07/10/091045

東邦大学看護学部感染制御学研究室ブログ.2025.青く光る細菌 — Pseudomonas fluorescens(シュードモナス・フルオレッセンス)https://www.lab.toho-u.ac.jp/nurs/infection_control/blog/2025/r6f8td0000000094.html

 

お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.8.16.

詩「松の針」考-「青い針のなかにはげしく頬を刺させること」の意味(試論)

 

「松の針」(1922.11.27)の全文

さつきのみぞれをとつてきた/あのきれいな松のえだだよ/おお おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる/そんな植物性の青い針のなかに/はげしく頬を刺させることは/むさぼるやうにさへすることは/どんなにわたくしたちをおどろかすことか/そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ/おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた/《ああいい さつぱりした/まるで林のながさ来たよだ》/鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう/ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ/おまへの頬の けれども/なんといふけふのうつくしさよ/わたくしは緑のかやのうへにも/この新鮮な松のえだをおかう/いまに雫もおちるだらうし/そら/さわやかな/terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう

(宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「松」はマツ科マツ属の常緑針葉樹である「アカマツ(赤松)」(Pinus densiflora Siebold et Zucc.)や「クロマツ(黒松)」(Pinus thunbergii Parl.)などがある。「南部アカマツ」は岩手県の県木である。古くから,神が宿る木(依り代)として神聖視されてきた。賢治作品では「あの世」などの異空間との境に生える植物として登場する(前ブログ,2021)。

 

「植物性の青い針」とは何か。単に植物である「マツ」の針状の「みどりの葉」のことを言っているのではない。この詩では「植物」ではなく「植物性」と記載されている。植物に見えるが,実体は植物ではないものがイメージされている。例えば,「あの世」にいる何か得体のしれない「青い針」をもつ生き物というようなものだ。仏教では,「青」は〈釈迦如来〉の髪の毛の色で,心乱れず力強く生き抜く精神(「定根(じょうこん)」あるいは「禅定」)を意味するとされる。

 

「松のえだ」の「青い針」の中に「はげしく頬を刺させること」とは何か。

なぜ,こんなことができるのであろうか。

「青い針」を植物のものとしてごく普通に考えれば,病状が悪化して「痛み」の感覚が麻痺してきたので,「マツ」の針状の葉に刺されても「痛み」を感じないというものである。しかし,「青い針」が「植物」ではないなら話しは別である。この詩では神経生理学的な衰弱ではなく,スピリチュアル的な目に見えない何か不思議な力が働いている。

 

がん末期の痛みは,身体的な原因というより,精神的な「苦しみ」や「死への恐怖」,「不安感」などと深く結びついていることが知られている。薬では効きにくい。「全人的苦痛(トータルペイン)」と呼ばれ,心と体が互いに影響し合って痛みを強めるのだという。肺結核末期のトシにおいても,そのようなことが起きている可能性はある。

 

妹トシは臨終の際に「うまれでくるたて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる」と言っていた。前ブログ(2026e)でこの「苦しみ」は,結核に罹り長い病床生活をおくってきたことや,7年前に起きた花巻高等女学校の音楽教師との恋愛をめぐる事件のことが関係していることについてはすでに述べた。このとき,トシの学校生活は「針のむしろ」の中にいるような状態であったと思われる。

 

また,この詩の日付の9日前11月19日に,妹トシは下根子・桜の別宅から実家の離れに戻される。このとき,付添人の細川キヨは,「トシさんは,桜の家から移るとき,「あっちへいくと,おれ死ぬんちゃ,寒くて,暗くて,いやな家だもな。」と移りたくない様子だった」ということを聞いている(森,1974)。トシのこの言葉は,まだ生きていたいという強い気持だけでなく,死に対する恐怖すら感じさせるものである。強い「不安」もあっただろう。

 

トシは咳き込むと「痛み」も感じていたと思われる。また,精神的な「苦しみ」や「死の恐怖」といったスピリチュアルな要素が加わって「痛み」に過敏になっている可能性もある。トシは,とても「松の枝」の針状の葉に触れるような状態にはなかったと思われる。

 

妹トシが賢治から貰った「松のえだ」の「青い針」の中に「はげしく頬を刺させる」ことができたのは,何か不思議な力によって,トシが「苦しみ」や「死の恐怖」から解放されたからだと思われる。スピリチュアルな「痛み」に対してはスピリチュアルなケアが必要とされている。

例えば「傾聴」と「共感」に徹する。存在を肯定する。特別の会話がなくても傍にいる。本人が特定の宗教を信仰している場合は宗教家を招くなどである。

 

妹トシの臨終に際しては家族が見まもっていたし,「法華経」に帰依した賢治も傍に付いていた。

 

賢治は,困難な状況で〈観世音菩薩〉に幾度か救って貰った経験がある(前ブログ,2026b,2026c)。多分,妹トシにも,臨終のとき〈観世音菩薩〉が現れたのかもしれない。これは,妹トシが賢治と同等あるいはそれ以上の信仰心の強さも持っていた可能性があるからである。

 

賢治には『ひかりの素足』(第一形態1922年前半ごろまでで最終形態は1923年頃)という童話がある。この童話は,〈一郎〉と泣いてばかりいる弟の〈楢夫〉という二人の子が現世と前世で罪を犯したということで「うすあかりの国」(地獄のような所)に落ち,そこで手に鞭(むち)を持つ「鬼」に赤い瑪瑙の「棘(とげ)」のある地面を裸足で歩かせる苦行を強いられる物語である。この「うすあかりの国」で〈一郎〉は「私を代わりに打って下さい,楢夫はなんにも悪いことはないのです」,「楢夫は許してください」と言って,何度も泣きじゃくる〈楢夫〉を抱きしめ,罰を与える「鬼」から一生懸命に守っていた。〈一郎〉には賢治が,〈楢夫〉には恋人が投影されていた(前ブログ,2026a)。

 

童話では〈一郎〉が「にょらいじゅりょうぼん第十六」とつぶやくと「大きなまっ白なすあし」の人が現れ,赤い瑪瑙の「棘」の地面を「平らな波一つ立たないまっ青な湖水の面」に変え子供を救う。つまり,二人の子供は赤い瑪瑙の「棘」のある地面を裸足で踏んでも傷みを感じない。前ブログではこの「大きなまっ白なすあし」の人は立派な「瓔珞」をかけ黄金の円光を冠っていることから〈観世音菩薩〉(円光観音)であると推測した。如来はあまり飾り物を身につけないからだ。

 

妹の死から8か月後の日付のある詩「靑森挽歌」にも妹の臨終の様子が詠われている。99行目~104行目に「わたくしがその耳もとで/遠いところから声をとつてきて/そらや愛やりんごや風,すべての勢力のたのしい根源/万象同帰のそのいみじい生物の名を/ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき/あいつは二へんうなづくやうに息をした/白い尖つたあごや頬がゆすれて/ちいさいときよくおどけたときにしたやうな/あんな偶然な顔つきにみえた/けれどもたしかにうなづいた」とある。「いみじい」は,程度が並外れてはなはだしいという意味。

 

また,171行目~175行目に「天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき/紐になつてながれるそらの楽音/また瓔珞やあやしいうすものをつけ/移らずしかもしづかにゆききする/巨きなすあしの生物たち」とある。

 

詩では,兄が死にゆく妹の耳もとで「いみじい生物の名」を叫んだとき,妹はその生物が確かに存在することを示すために「うなずいた」とされている。この「いみじい生物」とは何のことか。評論家の吉本隆明は,自著で「この生物の名はたぶん「如来」ということだとおもわれる。じっさいには宮沢賢治の信仰の集約言である「南無妙法蓮華経」の題目を,トシのために称えたことを指していよう」とした(吉本,1996)。多分,吉本にとっては,「いみじい生物」は〈釈迦如来〉のことなのだと思われる。賢治は妹の耳もとで「南無妙法蓮華経」と題目を唱えながら「こころ」の中で「そこに如来はおられるのか」と妹にテレパシーを送ったということだ。

 

吉本のこの考察は,堀尾青史の「「無声慟哭」の日」に「トシは何かを索(もと)めるように眼を動かしていた/いったい何を求めているのか。/咄嗟であり寸刻である。生と死の刹那であり,劫(ごう)に通じる一瞬である。/賢治は頭をだき起すとその耳もとで力いっぱい叫んだ。/南無妙法蓮華経/トシは二へん,うなずくように息をし,しずかに頭をよせかけたままになった。」(下線は引用者)と書かれている。というものを参考にしている。堀尾のこの文章は,賢治作品の読み込みと,関係者から聞いたメモから再構成されたものと言われている(吉本,1999)。

 

もしかしたら,妹トシは賢治の助けを借りなくても「大きなまっ白なすあし」(あるいはいみじい生物の名)の人を呼び寄せることができていたのかもしれない。

 

いずれにせよ,賢治は11月27日の臨終の日に妹トシが「法華経」に登場する「いみじい生物」の姿を感じ取っていたと信じているように思える。科学者としての賢治は,異空間である「あの世」も「いみじい生物」も存在するとは思っていないが,宗教者としての賢治は信じたいと思っている。「あの世」に旅立つ「信仰を一つにするたったひとりのみちづれ」に是が非でも「いみじい生物」の存在の有無を確かめたかったのだ。

 

詩「松の針」では「おお おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる」とある。賢治の言う「いみじい生物」が存在するとするなら,多分,妹トシは,たしかに「いみじい生物」に出会い,その「いみじい生物」の腕の中に飛び込んだのだと思われる。このとき,「マツ」の針状の「みどりの葉」は柔らかな毛のようなものに変わったのかもしれない。「むさぼるようにして」とあるのは,「いみじい生物」の腕の中で「苦しみ」や「死への恐怖」から解放され,喜びを感じ取っていたのだと思われる。もしかしたら,「青い針」とは〈釈迦如来〉の青い髪の毛だったのかもしれない。

 

ただ,「いみじい生物」に出会うにはかなり強い信仰心が必要だと思われる。妹トシに強い信仰心がうかがわれる事例がある。トシの就職のときである。トシは,1915年の恋愛事件後に故郷には居られず東京の大学へ行っているが,1919年に大学を卒業したあとには再び帰郷し,1920年に母校(花巻高等女学校)の教諭となる。当時の件を知る人がまだ学内及び地域にいたことを考えればかなりの覚悟がいるはずだ。「針のむしろ」の中に飛び込むようなものだからである。私は,理由は色々とあるとは思われるが,トシが持つ信仰心の強さが一番強く影響していると思っている。

 

「鳥のやうに栗鼠のやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう」とは何か。

「林」は別宅近くの林のことと思われる。実家に戻された妹トシは,実家離れの建物や薄暗い蚊帳の病室が嫌で,独居自炊することになる下根子桜の別宅での夏から秋への療養生活を恋しがっていたという。別宅は高台にあり,太陽がさんさんと照り,松の木は爽やかに酸素を吐き,兄の植えたギンドロの木はまさに銀色の葉をひるがえしていた。7月の或日に別宅へ移ったとき,「おらあど死んでもいいはんて,あの林の中さ行ぐたい」と言った(堀尾,1991)。という。

 

ただ,賢治の使う「林」には別の意味も隠されている。「林」は「法華経思想」の譬喩でもあることはすでに述べた(前ブログ.2026d)。つまり,「林へ行きたかった」あるいは「林をしたってた」は「信仰とともに生きていきたい」あるいは「心乱れず力強く生き抜きたい」という意味でもある。妹トシは,賢治にとっては「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」だった。「恋愛」と「宗教情操」の間を揺れ動く賢治は「林をしたってた」妹を「うらやましい」とさえ思っている。

 

下線部分の13行目「ほかのひと」は,友人の保阪嘉内や同僚の堀籠文之進なのだとする諸説があるが,賢治の恋人のことであろう。このとき,賢治は病床の妹よりも,恋人のことばかり考えていた自分を恥じ罪の意識を感じている。妹は,あんなにも熱心に「法華経」を学んでいるのに,自分はなんというザマだ・・・と。

 

なぜ,賢治は「ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか」と言ったのか

多分,前報でも触れたが,賢治は妹トシが「(Ora Orade Shitori egumo)」と発語することを恐れていたと思われる。それを言われてしまうと妹にも見放されてしまうと思うからである(前ブログ,2026e)。だから「ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ」と願うのだと思われる。

 

「terpentine(ターペンテイン)の匂い」とは何か。

ターペンテインとはマツ科の樹脂(ドイツ語のterpentinに由来)のことでテルビン油の原料になる。賢治の童話『車』では松林に隣接してこのテレビン油を作る工場が出てくる。テレビン油はマツの樹脂に水を加え蒸留して作られ,αピネン,βピネンを主成分として,その他に3-カレン,d-リモネン,酢酸ボニールなどの揮発性物質を含むことが知られている。油絵の具やペンキの溶剤などに使う。

 

「松」の「さわやかさ」を作っている香りは主としてこの樹脂に含まれるピネンによるものだが,柑橘類に多いリモネンも含まれるためレモン臭も加わり松独特の香りとなる。賢治の作品には香りの成分である,ピネンやリモネンそのものが登場してくる詩がある。詩「落葉松の方陣は」(1924.9.17)には「落葉松の方陣は/せいせい水を吸ひあげて/ピネンも噴きリモネンも吐き酸素もふく」とある。

 

「わたくしは緑のかやのうへにも/この新鮮な松のえだをおかう」とは何か

前述したように,妹トシは,爽やかな香りのする松林が近くにある桜の別宅でずっと療養生活を送っていたかった。しかし,それは叶わぬ願いであった。だから,賢治はその代わりとして,トシの寝床の蚊帳の上に新鮮な「松の枝」を置いたのであろう。賢治の罪の償いの一つなのかもしれない。

 

信仰を一つにするたったひとりのみちづれよ いまに雫もおちるだらうし そら さわやかな terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう。

 

賢治の妹に対する自責の念は,日に日に増していっているように思える。賢治は徐々に恋人を遠ざけていくことになる。

 

参考・引用文献

遠藤 均.2020.宮澤賢治と妹・トシ.星槎道都大学研究紀要創刊号.

堀尾青史.1991.年譜宮澤賢治伝.中央公論社.

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

吉本隆明.1996.宮沢賢治.筑摩書房.

前ブログ.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-仏教と異界への入り口に登場する植物-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/17/103821

前ブログ.2026a.詩「かはばた」は賽の河原がイメージされている.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/01/07/101531

前ブログ.2026b.詩「高級の霧」-雲に乗って降りてきた聖なるもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/03/04/071034

前ブログ.2026c.詩「小岩井農場」パート九で賢治は「瓔珞をつけた子」を幻視したのち道をまがる.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/01/23/090404

前ブログ.2026d.同じ日付のある詩「霧とマッチ」と詩「林と思想」―恋人の関与.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/01/28/082257

前ブログ.2026e.詩「永訣の朝」考-Ora Orade Shitori egumoは誰の言葉か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/08/03/075236

 

お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.8.11.

 

詩「永訣の朝」考-Ora Orade Shitori egumoは誰の言葉か

 

妹トシは,大正11年(1922)11月19日に,病状が悪化し下根子・桜の別宅から実家に戻される。しかし,8日後の27日介護の甲斐無くみぞれが降る寒い日の夜に亡くなってしまった(24歳)。

 

賢治は,妹の死を悲しみ11月27日の日付を付けた「永訣の朝」を創作している。ただ,実際の詩作日はかなり日が経ったあとだと言われている。この詩は信仰を一つにした同士(みちづれ)である妹トシについて詠ったものであり,その内容の多くはすでに多くの研究者たちによって読み解かれてきた。妹に関しては付け加えることすらないくらいだ。本稿では,妹についても触れるが,主に詩の中に影のように見え隠れする賢治の恋人について触れてみたい。

 

賢治は,臨終の妹と向き合いながら,恋人について何を考えていたのか。内語と呼ばれる(  )内の言葉から考察する。

 

詩「永訣の朝」(初版本)全文

けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ/A(あめゆじゆとてちてけんじや)/うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から/みぞれはびちよびちよふつてくる/A(あめゆじゆとてちてけんじや)/青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた/これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に/おまへがたべるあめゆきをとらうとして/わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに/このくらいみぞれのなかに飛びだした/A(あめゅじゅとてちてけんじゃ)/蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から/みぞれはびちょびちょ沈んでくる/ああとし子/死ぬといふいまごろになって/わたくしをいっしゃうあかるくするために/こんなさっぱりした雪のひとわんを/おまへはわたくしにたのんだのだ/ありがたううつくしいいもうとよ/わたくしもまっすぐにきれいにすすんでいくから/A(あめゅじゅとてちてけんじゃ)/はげしいはげしいねつやあえぎのあひだから/おまへはわたくしにたのんだのだ/たいやう系,き圏などとよばれたせかいの/そらからおちたゆきのさいごのひとわんを……/……ふたきれのみかげせきざいに/みぞれはさびしくたまってゐる/わたくしはそのうへにあぶなくたち/雪と水とのまっしろな二相系(にさうけい)をたもち/すきとほるつめたい雫にみちた/このつややかな松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらつていかう/わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ/みなれたちやわんのこの藍のもやうにも/もうけふおまへはわかれてしまふ/BOra Orade Shitori egumo/ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ/あぁあのとざされた病室の/くらいびやうぶやかやのなかに/やさしくあをじろく燃えてゐる/わたくしのけなげないもうとよ/この雪はどこをえらばうにも/あんまりどこもまつしろなのだ/あんなおそろしいみだれたそらから/このうつくしい雪がきたのだ/C(うまれでくるたて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる)/おまへがたべるこのふたわんのゆきに/わたくしはいまこころからいのる/どうかこれが天上のアイスクリームになつて/おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに/わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

              (宮沢,1985)下線とABCは引用者 以下同じ

 

(  )で括られる言葉は,地方語(方言)で書かれてあり,4回くり返されるAとそれぞれ1回づつのBとCの3つである。宮沢賢治全集ではAは(あめゆきとってきてください),Bは(あたしはあたしでひとりいきます),Cは(またひとにうまれてくるときはこんなにじぶんのことばかりでくるしまないようにうまれてきます)と翻訳されている。

 

なお,Cは詩集印刷用原稿ではBと同様にに(Umarede Kurutate Kondoha Kotani Warã no goto bagaride Kurusumanã yoni umaredekuru)とローマ字表記であった。

 

AとCは妹トシが確かに自分で発した言葉である。Aに関しては,詩に「ああとし子/死ぬといふいまごろになって/わたくしをいっしゃうあかるくするために/こんなさっぱりした雪のひとわんを/おまへはわたくしにたのんだのだ/ありがたううつくしいいもうとよ」(下線は引用者)とあるからである。家族の証言もある。また,Cに関しては,妹トシの付き添いをしていた細川キヨが,トシの臨終のとき「父が何かいうことがないかとききますと,トシは「こんどうまれてくるときは,こんなに,わりゃ(自分)のことばかり苦しまないように生まれてくる。」」と言ったと証言している(森,1974)。からである。

 

妹トシの「わりゃ(自分)のことばかり苦しまないように生まれてくる」という言葉にある「苦しみ」は,結核に罹患したことだけでなく,7年前の大正4年(1915)2月~3月に起きた花巻高等女学校の音楽教師と生徒であったトシの恋愛をめぐる事件のこととも関係があるように思える。この恋愛にはトシの同級生も関わっており三角関係であった。音楽教師とトシの同級生が相思相愛でトシは片想いであったらしい。一般人の恋なので,本来なら新聞沙汰にはならないはずだったが,トシの父が地元の著名な資産家ということもあり,3月20,21,22日地元紙の「岩手日報」に著者無記名,登場人物は名前を変えるが直ぐに誰だか分るようにしてゴシップ記事(音楽教師と二美人の初恋)として掲載された(山根,2003)。

 

この時のトシと家族の気持はどうであったのだろう。山根の著書には,トシが,自著の「自省録」で,この記事について「殊に家族の心がこれによってどれだけいたんだか,それは正視するのも彼女(トシのこと)には恐ろしすぎる事であった」と書き,また「両親の愛しみは格別なものでまだ学校かよいひの斯様(かよう)の事のあるべしとは露聊(つゆいささ)かも思はぬ両親のただ可愛い可愛いで何一つの不自由もない気楽な生活をさせて居たが」とあることから,その記者の資産家に対する皮肉や,その家の娘の非をことさらにあげつらっている点も察していたとある。トシのゴシップ記事が掲載されてから女学校を卒業するまでの期間は,トシにとっては「針のむしろ」の中にいるような状態であったと思われる。

 

父・政次郎は郷里に居づらくなったトシを案じ,トシが女学校を卒業したのち1915年4月に東京の日本女子大学校家政学部に行かせている(遠藤,2020)。トシは1919年大学を卒業したあと,郷里に戻り母校の女学校で教職につく。トシは,元来賢治と同じで呼吸器系が弱く,1921年9月に喀血し退職する。1922年7月に病状が重くなると桜の別宅に移り,家事は1月に結婚したばかりの妹シゲが担うことになった(山根,2003)。桜の別宅から11月19日自宅の離れへ戻されるが,この理由は母イチが遠距離を通うことで看護に疲れたからと言われている(Wikipedia )。

 

つまり,トシはこの事件以後,自分の犯してしまった行いや発病,それらのことで家族に迷惑をかけ続けたことに苦しんでいた。

 

しかし,Bの(Ora Orade Shitori egumo)に関しては,そう簡単に発話主を確定できない。諸説がある。妹トシの言葉とする説,賢治自身の言葉とする説,アメリカへ嫁いだ賢治の恋人だとする説もある。

 

妹トシの言葉とする説

賢治研究家の菅原 誠は,「とし子が自分の死を悟ったとき,「 いっしょにそだってきた兄」に対して,兄と一緒ではなく,一人あの世へ行く決意を伝えた。妹は「信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくし」(「 無声働突」) を安心させるために発した」と推測している(菅原,1999)。また,ローマ字にしたことについて,芹沢俊介は「どのような日本文字にすることもできなかった賢治の内的動揺を示している。悲痛の底にいて,なお流露する卓抜な詩的技巧の冴えを思わずにはいられない」としている(原,1999)。小澤俊郎は「異質の言語として,聞いた瞬間には意味の通じないことばとして,賢治はそれを聞いた」という見解を示している。つまり,ローマ字は「音だけを感じさせる文字であり,したがって「Ora Orade Shitori egumo は,そのことばが賢治の耳に音としてだけ響いたことを示しているのであろう 」「それほど,聞き手賢治の気持ちにとって異質のものだった」という(菅原,1999 下線は引用者)。

 

賢治の言葉とする説

岡井 隆は,「賢治とトシはこの作品ではほとんど一体となってゐるから,どちらの声を詩化したともいえるが, (Ora Orade Shitori egumo) は,どちらかといえば賢治の独自(内心の声)ではないか」とした(菅原,1999)。

 

賢治の恋人だとする説

澤口たまみは,「詩「永訣の朝」のローマ字表記は,トシのせりふであるとともに,アメリカへ行くヤスのせりふでもあることを,暗に示している。さらに深読みすれば,「うまれでくるたて」のほうは,まもなく死ぬことを前提に語られるせりふです。ヤスは結核を発病し,死が近いことを覚悟していたとはいえ,まだ生きようとしている。だから,賢治は「うまれてくりたて」をヤスのせりふを表すローマ字表記にするのを思いとどまった」と推測している(澤口,2018)。なお,ヤスが結核を発病していたという記述は間違いで実際は僧帽弁狭窄症という心臓病を患っていた(布臺,2019)。

 

つまり,Bの「(Ora Orade Shitori egumo)」は,諸説があるものの妹トシの言葉だというのがほぼ定説として扱われている。

 

ただ,私はBの「(Ora Orade Shitori egumo)」には,澤口が言うように賢治の恋人も重ねられていると思っている。あるいは,恋人だけの言葉とさえ思ってしまう。過去のブログでも繰り返し述べてきたが,恋人には賢治とアメリカで一緒に暮らしたいという気持が強くあるが叶えられずにいる(前ブログ.2026)。恋人は賢治の煮えたぎらない気持にしびれをきらして1人になってもアメリカへ行きたいと思っている。と推測できるからである。また,教え子の照井謹二郎は,賢治が大正11年(1922)に,道を歩きながら「家のことを考えると,私は結婚はしないよ」と話すのを聞いている(澤口,2011)。これが大正11年の何時だったのかは定かではないが,妹トシの亡くなるころであったのかもしれない。

 

小澤俊郎は,「(Ora Orade Shitori egumo)」という言葉を発した理由として,さらに「とし子は,自分の死をはっきり見つめ,正面から死に対峙していた」のに対し,賢治の方は「いわば,とし子を思う自分の感情に溺れようとしていた」からであるとも言っていた。この小澤の言葉をかりて私なりに解釈してみたい。例えば,「とし子は,兄に導かれ熱心に法華経の修行をしているのに,また結核に冒されどんどん衰弱して」いくのに対し,信仰を共にする兄は「いわば,自分を優先的に祈ってくれないどころか恋人を思う自分の感情に溺れようとしていた」というように。

 

多分,賢治は妹トシがほんとうに「(Ora Orade Shitori egumo)」と発語したとするなら,かなりびっくりしてしまったと思われる。そのように言われたくはなかった。それを言われてしまうと妹にも見放されてしまうと思うからである。賢治にとって妹の「(Ora Orade Shitori egumo)」は言って欲しくなかった言葉だと思われる。

 

この詩には「ふたつのかけた陶椀」,「ふたきれのみかげせきざい」,「二相系」と,「二つ」という言葉がくり返される。詩「春と修羅」(mental sketch modified)(1922.4.8)に「すべて二重の風景を」とあるように,詩「永訣の朝」も妹トシと賢治の恋人ヤスを詠った二重の風景である。

 

Cの(うまれでくるたて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる)は妹トシの言葉であることは前述した。この言葉は詩集印刷用原稿ではローマ字表記であった。多分,この言葉はアメリカに行った恋人にも当てはまるのだと思われる。だから,印刷用原稿ではBと同様にローマ字にした。ただ,実際には,恋人はこの言葉を発していなかったのだと思われる。初版本ではひらがなに戻されている。

 

詩「永訣の朝」で,賢治はみぞれを取ってきた茶碗が2つと言っていた。1つは妹のためであるが,もう1つは,「おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに」とあるように,「みんな」のためのものでもある。賢治は,特定された個人よりもまったくの他人あるいは不特定多数の「みんな」を優先するという「こだわり」が強く,特定された「ひとり」の希望を優先的に聞き入れたり,祈ったりはしない,あるいはできないのだと思われる。

 

参考・引用文献

遠藤 均.2020.宮澤賢治と妹・トシ.星槎道都大学研究紀要創刊号.

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要.14:27-33.

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.155頁

澤口たまみ.2011.きみにならびと野にたてば-賢治の恋.pp.104-123.重松 清・澤口たまみ・小松健一(共著).宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り.新潮社.

澤口たまみ.2018.宮澤賢治愛の歌.夕書房.

菅原 誠.1999.宮沢賢治「永訣の朝」におけるいくつかの疑問点について : 教材化のための作品研究の試み.教授学の探究.16:175-191.

山根知子.2003.宮沢賢治 妹トシの拓いた道-『銀河鉄道の夜』へ向かって.朝文社.

前ブログ.2026.詩「東岩手火山」に登場する「月」と「オリオン座」(1)-「月は水銀,後夜の喪主」とは何か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/06/05/102101

 

お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.8.4.

詩「栗鼠と色鉛筆」考(2)-雲が「よく熟してゐてうまい」の意味

 

詩「栗鼠と色鉛筆」(1022.10.15)の後半部

たれか三角やまの草を刈つた/ずゐぶんうまくきれいに刈つた/緑いろのサラアブレツド/日は白金をくすぼらし/一れつ黒い杉の槍/その早池峰(はやちね)と薬師岳との雲環(うんくわん)は/古い壁画のきららから/再生してきて浮きだしたのだ/色鉛筆がほしいつて/ステツドラアのみぢかいペンか/ステツドラアのならいいんだが/来月にしてもらひたいな/まああの山と上の雲との模様を見ろ/よく熟してゐてうまいから

               (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「たれか三角やまの草を刈つた/ずゐぶんうまくきれいに刈つた」に関して。

「三角やま」とは何か。「三角山」や「三角やま」という言葉は直近の作品では詩「第四梯形」(1923.9.30)や童話『税務署長の冒険』(1923)に登場する。ただ,いずれも「山」を「三角」と形容する意味がよく解らなかった。とりあえず,山の「草を刈った」ということの意味を考えてみる。

 

賢治が記載する山の「草を刈った」とか「木を伐った」には,「女性を奪った」とか「女性と深い仲になった」という意味が込められているように思える(前ブログ2026)。賢治の初恋の相手には「百合の根を掘る」(1914年歌稿146)という表現をしていた。「三角やま」を恋人とすれば,「たれか三角やまの草を刈った」は賢治以外の男性が賢治の恋人に恋をしたとか,嫁に貰うことにしたという意味だと思われる。もしかしたら,「三角やまの草」は「三角関係になった恋人」という意味なのかもしれない。「うまくきれいに刈った」は家族の賛同も得られているという意味のような気がする。

 

この頃,恋人に賢治とは別の男性に嫁ぐという話しが持ち上がっていたのだと思われる。恋人がそれに同意していたかどうかは定かではないが。

 

「緑いろのサラアブレツド」とは何か。

「サラアブレツド」はサラブレッド(Thoroughbred)のことで,18世紀初頭にイギリスでアラブ馬やハンター(狩猟に用いられたイギリス在来の品種)等から競走用に品種改良された軽種馬である。語源は thorough (完璧な,徹底的な )+ bred (品種 )で人為的に完全管理された血統を意味する。多分,嫁ぎ先候補になった男性の血筋が良いのだと思われる。

 

「白金」は変色しない優れた性質をもつため,その純白の輝きは「処女性(純潔・永遠の愛)」の象徴として,結婚指輪の定番素材となっている。詩「〔ちゞれてすがすがしい雲の朝〕」(1027.4.8)に「・・・学校通ひの子らあまた走りしたがへり/ひがしの雲いよいよ/その白金属の処女性を増せり・・・」とある。

 

「くすぼらし」は煙を燻ぼらせている状態を指す。

「白金をくすぼらし」は純白色に輝く白金を曇らしているような状態と思われる。婚約指輪と関連させれば,純潔あるいは永遠の愛が失われかけている状態と思われる。

 

詩「蠕虫舞手」(1922.5.20)の「燐光珊瑚の環節に正しく飾る真珠のぼたん」(前ブログ,2023),童話『シグナルとシグナレス』(1923)の「「琴座」のM57環状星雲(フィッシュマウスネピュラ)」,『やまなし』(1923)の「環(わ)のように円(まる)くした魚の口」にあるように,賢治は恋人に婚約指輪を渡していたと思われる。その渡していたはずの婚約指輪の輝きがくすみだした。つまり,賢治と恋人の間で「永遠の愛」が失われかけている。

 

「一れつ黒い杉の槍」とは何か。

「杉」(スギ)(Cryptomeria japonica (Thunb. Ex L.f.) D.Don)は,ヒノキ科スギ属の常緑針葉樹の日本固有種である。学名に「japonica」とあるのはそのためである。多分,恋人の縁談相手の男性は移住者に敵対する東北の先住民の血を強く受け継いでいるものと思われる。

 

この男性はエッセイストで賢治研究家の澤口たまみが恋人の遺族から情報を収集し,著書で語っていた東和町(現在の花巻市)土沢地区出身の医師の男性と関係があるのかもしれない(澤口,2011)。親戚に海軍大臣を出すところがある家柄であったともいう(澤口,2018)。ただ,恋人はこの土沢出身の男性に嫁ぐことはなかったように思える。

 

賢治の恋人は大正13年(1924)6月14日に渡米しているが,実際の嫁ぎ先の男性は大迫出身のホテル業を営む,恋人(24歳)とは年齢もかなり離れていた移民の男性(61歳)であった。これは,花巻の賢治の恋人に関心をもった人がアメリカの国立公文書館などに残された記録を調査して明らかになったものである(布臺,2019)。布臺の論文には男性の名前も記載されているが,遺族が記憶していた土沢の男性の名とは異なる。

 

遺族の記憶に残っていた嫁ぎ先と実際の嫁ぎ先に齟齬があるが,理由は定かではない。同一の人であった可能性もあるが,恋人に対する縁談が2つあったと考える方が自然なのかもしれない。

 

このことを裏付けるものとして,恋人の渡米した1年後の詩「岩手軽便鉄道七月ジャズ」(1925.7.15)がある。「ジャズ」(Jazz)は澤口によれば恋人の名であるヤスとも読めるらしい。つまり,この詩は恋人のことが書かれている。

 

下書稿(一)手入れの後半部分(A)は以下の通り。

・・・本社の汽車は/元来動揺性にして,/運動はなはだつねならず,/されどまたよく鬱血をもみさげ/ ……Prrrrrrr  Pirr……/筋をもみほごすが故に/のぼせ性こり性の人に効あり/さうさう/いまごろ熊の毛皮を着て/黄金の目をした人が来やうが/シャープ鉛筆きらりとひかり/そこらで婚約がなりたたうがそんなことにはおかまひなく/いるかのやうに踊りながらはねあがりながら/もう積雲の焦げたトンネルを通り抜けて/どんどんどんどん野原の方へおりて行く/敬愛すべきわが熊谷機関手の運転する/銀河軽便鉄道の最后の下り列車である

 

下書稿(三)の後半部分(B)

・・・恋はやさし野べの花よ/一生 わたくし かはりませんと/騎士の誓約強いベースで鳴りひびかうが/そいつもこいつもみんな地塊の夏の泡/いるかのやうに踊りながらはねあがりながら/もう積雲の焦げたトンネルも通り抜け/緑青を吐く松の林も/続々うしろへたたんでしまって/なほいっしんに野原をさしてかけおりる/岩手軽便鉄道の/最後の下り列車である

 

Aの「熊の毛皮を着て/黄金の目をした人」が,家族も同意していたと思われる土沢地区出身の縁談の相手と思われる。童話『山男の四月』では山男が「金いろの眼」をして登場する。Aの「シャープ鉛筆きらりとひかり/そこらで婚約がなりたたうが」の人が婚約指輪を恋人に渡した賢治と思われる。「銀河軽便鉄道」は花巻 - 仙人峠間を走る「岩手軽便鉄道」がモデルと思われる。下り列車は東の仙人峠へ向かう列車でその先には太平洋がありアメリカがある。「熊谷機関手」は恋人の親友の熊谷里子がモデルかもしれない。熊谷里子も賢治の恋人と同様にレコード鑑賞会で結婚相手を見付けたが反対されていた。しかし,熊谷里子は果敢にも二人で遠く函館に逃避行した(佐藤,1984)。

 

Aからは,恋人に縁談話しが持ち上がろうと賢治と婚約していようとしていまいと「おかまひなく」,多分親友の手助けをかりて,恋人はアメリカへ行ってしまった と読める。また,Bからは恋人のアメリカ行きの願望の強さがうかがえる。同時に賢治の恋人への思いの強さがにじみ出ている。

 

「その早池峰と薬師岳との雲環は/古い壁画のきららから/再生してきて浮きだしたのだ」とは何か。

AIに聞いてみた。

遠野市街地(遠野盆地)から見ると,薬師岳(標高1644m)が手前に,早池峰山(標高1917m)がその後方に位置するため,2つの山が前後に大きく重なって(重畳して)見える。と回答した。2つの山が重なっている写真をネットで見ることもできる(石井スポーツ,2026)。「雲環」は帽子のように見える笠雲と思われる。雲環がかかる早池峰山と薬師岳のイメージ図を第1図に示す。

 

早池峰山と薬師岳は僅か3kmしか離れていないが,岩質は全く異なり早池峰山は蛇紋岩,薬師岳は花崗岩で構成されている。両岩石とも雲母(きらら)を含む。

 

第1図.雲環がかかる早池峰山と薬師岳のイメージ図.

 

「色鉛筆がほしいつて/ステツドラアのみぢかいペンか/ステツドラアのならいいんだが」とは何か。

「ステツドラア」(Staedtler)はドイツの有名な鉛筆・文房具会社で現在もある。賢治もこれら文房具などを愛用していた。赤をはじめ青,緑などの色鉛筆も,しだいに出回っていた(原,1999)。「みぢかい」は削って短くなっている。使い込んでいるという意味もある。

恋人は賢治に「ステツドラアのみぢかいペン」を貰いたいと言っているようだ。恋人は西洋に憧れていた。多分,賢治に逢いたいというメッセージと思われる。恋人が賢治に手紙を書いたのであろう。賢治と恋人の間の伝書鳩的な手紙のやりとりは恋人の妹(8歳)が担っていたと言われている(澤口,2011)。

 

「みじかいぺん」に性的な意味があるとすれば別の解釈も可能であるが。

 

「来月にしてもらひたいな」とは何か

「来月」とは11月のことである。11月は賢治が務めている稗貫農学校の新しくなる校舎と関係があるように思える。

賢治の詩ノート「〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕」に「・・・そしてまもなくこの学校がたち/わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の/舎監に任命されました恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで男のふうをして/わたくしをたづねてまゐりました/そしてもう何もかもすぎてしまったのです・・・」とある。この詩は,昭和2年(1927)5月7日の日付のある作品だが,大正11年(1922)冬あるいは翌年の2月ごろまでのことを回想したものとされている。この詩に登場する寄宿舎とは新しくなる農学校の校舎で,大正11年(1922)8月から建築を開始し翌年3月30日に落成式を行った県立花巻農学校のことである。新校舎は11月には完成していた。

 

つまり,「来月にしてもらひたいな」とは,11月なら新校舎の誰も居ない夜の寄宿舎で逢えるという意味と思われる。ただ,妹トシがみぞれの降る11月27日に亡くなっているので,二人が実際に逢うのは12月以降と思われる。

 

「山と上の雲との模様を見ろ/よく熟してゐてうまい」とは何か。

 

賢治は,昭和3年(1928)頃に,性愛の対象を雲の模様の中に求めたことを藤原嘉藤治に語っている(森,1979)。

 

「性欲の乱費は,君自殺だよ,いい仕事はできないよ。瞳だけでいいじゃないか,触れて見なくたっていいよ。性愛の土壇場までいかなくてもいいのだよ。」

「おれは,たまらなくなると野原へ飛び出すよ。雲にだって女性はいるよ。一瞬のほほえみだけでいいんだ。底まで酌(く)みほさなくてもいいんだ。においをかいだだけで,あとはつくり出すんだな。

 

妹の病状がかんばしくなく,妹に対しても罪の意識が芽生えている。また,恋人に縁談の話しが持ち上がっている。そんな中で,賢治は恋人へ向かうリビドー(性的衝動)を食欲で紛らわせようとしているように思える。賢治は,性欲を食欲に昇華できれば,つまり女性を象徴する「靴」の革を料理できれば,「宗教情操→恋愛→性欲」を逆方向の「性欲→恋愛→宗教情操」へスムースに戻すことができると考えていたように思える。

 

第2図に「靴革の料理」のイメージ図(A)を示す。これは,チャップリンの喜劇映画『黄金狂時代』(1925)の有名なシーンを彷彿させる。ただ,賢治は詩を創作した頃この映画を見ることはなかった。

 

第2図.「靴革の料理」のイメージ図(A)とチャップリンの『黄金狂時代』

の1シーン(B).

 

参考・引用文献

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要.14:27-33.

石井スポーツ.2026(調べた年).百名山 早池峰山・薬師岳・鶏頭山.https://www.ishii-sports.com/enjoy_popular/hayachine/

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

森荘已池.1979.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

澤口たまみ.2011.きみにならびと野にたてば-賢治の恋.pp.104-123.重松 清・澤口たまみ・小松健一(共著).宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り.新潮社.

澤口たまみ.2018.新版宮澤賢治愛のうた.夕書房.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.

前ブログ.2023.詩「蠕虫舞手」考-燐光珊瑚の環節に正しく飾る真珠のぼたんとは何か-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/05/06/065544

 

お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.7.26.

詩「栗鼠と色鉛筆」考(1)-「靴革の料理」とは何か

 

詩「栗鼠と色鉛筆」(1022.10.15)

樺の向ふで日はけむる/つめたい露でレールはすべる/靴革の料理のためにレールはすべる/朝のレールを栗鼠は横切る/横切るとしてたちどまる/尾は der Herbst/日はまつしろにけむりだし/栗鼠は走りだす/水そばの苹果緑(アツプルグリン)と石竹(ピンク)/たれか三角やまの草を刈つた/ずゐぶんうまくきれいに刈つた/緑いろのサラアブレツド/日は白金をくすぼらし/一れつ黒い杉の槍/その早池峰(はやちね)と薬師岳との雲環(うんくわん)は/古い壁画のきららから/再生してきて浮きだしたのだ/色鉛筆がほしいつて/ステツドラアのみぢかいペンか/ステツドラアのならいいんだが/来月にしてもらひたいな/まああの山と上の雲との模様を見ろ/よく熟してゐてうまいから

               (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

タイトルの「栗鼠」と「鉛筆」が「陰核」と「陰茎」の隠語をイメージしているかどうかは定かではない。ただ,エロス的な匂いをつよく発散している作品である。

 

「栗鼠」は妹トシのメタファーでもある。

詩「松の針」(1922.11.27)に「おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた/《ああいい さつぱりした/まるで林のながさ来たよだ》/鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう」(宮沢,1985)とある。「林」は法華経思想のこと。妹トシは兄と同じように法華経に帰依していた。

 

詩「栗鼠と色鉛筆」の前半部は妹トシのことが記載されている。妹トシは,このとき不治の病である肺結核を患っていた。

 

「樺の向ふで日はけむる」

通常「樺」というと,シラカバなどのカバノキ科カバノキ属の植物あるいはバラ科サクラ属の植物を指す。しかし,この詩では「樺」が色白の女性(大畠ヤス)の譬喩として使われていると思われるので白い花びらをもつバラ科の植物が想定される。日本では,山の桜を総称する「山桜」である(前ブログ,2026a)。

 

「樺の向ふ」に「栗鼠」がいるのだろう。

「樺」(恋人)の向こう側で「日はけむる」,つまり下根子桜の別宅で療養中の妹トシに不吉なことが起りかけている。

 

「露」が愛液をイメージしているかどうかは分らない。

「露」は賢治にとって「ほんたうのこと」あるいは釈迦の教えそのものでもある。

童話『十力の金剛石』(1921あるいは1922)では,「十力の金剛石こそは露で」あり,「あの十力の尊い舎利でした」とある。「金剛石」はダイヤモンドのこと。「舎利」は,釈迦の遺骨のことである。賢治研究科の天沢退二郎は,童話『十力の金剛石』の解説文の中で,「人生においてそれをこそ求めるべきであるところのものの象徴としての《十力の金剛石》,すなわち露であると同時に森羅万象をきらめかせる原理そのものであった」と述べている。また,童話『銀河鉄道の夜』では,銀河の祭りに子供たちが「ケンタウルス,露をふらせ。」と叫んで走り回る場面が出てくる(前ブログ,2021)。

 

「レール」(線路・鉄道)は,生と死をつなぐ象徴(命)として描かれているように思える。童話『銀河鉄道の夜』に代表されるように,賢治にとって鉄道は「死後の世界へ向かう旅」や「時空を超えるメタファー」として描かれている。

 

「つめたい露でレールはすべる」とは何か。

「すべる」は,本来,表面がなめらかになり地面に接するものが安定を失って自然に動いてしまう。スリップする。という意味である。ここでは,寿命が縮まるという意味で使われていると思われる。

 

賢治は妹を自分と同じ「法華経」の修行者と見做していたと思われる。つまり,賢治の同士あるいは「みちずれ」である。

釈迦の教え(「露」)は「法華経」の修行者には厳しく,そして冷たい。

この詩の1か月後11月19日に,妹トシは下根子・桜の別宅から実家に戻される。

付添人の細川キヨの話として,「トシさんは,桜の家から移るとき,「あっちへいくと,おれ死ぬんちゃ,寒くて,暗くて,いやな家だもな。」と移りたくないようでしたけれど,みんながなんぎをするのだと思うと,移りたくないと,がんばるようなたちの人ではなかったのです」というのがある。多分,賢治も修行者としてのトシの戻りたくないという願いを聞き入れなかったのだと思われる。また,妹トシも賢治と同じように「ひとりの幸い」よりも「みんなの幸い」を優先する人であった。

 

また,自宅へ戻されたとき,賢治は毎日の勤めとしての読経を「としさんにも寝たまま手を合わせて」唱えさせたという。キヨは「とても弱っている病人に,あんなマネをさせてはよくない。まったくハラハラとして気が気ではありませんでした」と述懐している。多分,賢治は桜の別宅でも同じ事をしていたと思われる(前ブログ.2026b)。

 

詩「靑森挽歌」(1923.8.1)の最後の詩句14行は

「まだいつてゐるのか/もうぢきよるはあけるのに/すべてあるがごとくにあり/かゞやくごとくにかがやくもの/おまへの武器やあらゆるものは/おまへにくらくおそろしく/まことはたのしくあかるいのだ/《みんなむかしからのきやうだいなのだから/けつしてひとりをいのつてはいけない》/ああ わたくしはけつしてさうしませんでした/あいつがなくなつてからあとのよるひる/わたくしはただの一どたりと/あいつだけがいいとこに行けばいいと/さういのりはしなかつたとおもひます」である。

 

賢治は妹が死んだ後に,決して「ひとり」(妹)のために祈ったりはしなかったと言っている。多分,賢治は妹が別宅で病床にあるとき,自らもその別宅に移り住み看病していたが,妹「ひとり」だけよくなるようにとは祈らなかったのだと思われる。

 

つまり,つめたい「露」(法華経信仰)が「兄妹愛」で繋がれていた病床にある妹トシのレール(命)をすべらして(縮めて)いたとも思える。それを,具体的に述べたのが「靴革の料理のためにレールはすべる/朝のレールを栗鼠は横切る/横切るとしてたちどまる/尾は der Herbst/日はまつしろにけむりだし/栗鼠は走りだす」である。

 

「靴革の料理のためにレールはすべる」とは何か。

これも,「樺の向ふで日はけむる」や「つめたい露でレールはすべる」と同じ意味であろう。

 

「靴革の料理」,つまり革靴を料理して食べるという行為は,年配の人なら1925年に制作されたチャップリンの喜劇映画『黄金狂時代』(The Gold Rush)のあの名場面を思い起こすであろう。空腹のあまりに主人公が靴をゆでて靴底の釘を鶏肉の骨のようにしゃぶり靴ひもをスパゲティのように食べるシーンである。ただ,この映画の制作年度は詩「栗鼠と色鉛筆」を含む詩集『春と修羅』が出版された後なので,賢治がチャップリンの映画を見て「靴革の料理」という詩句を入れることはできない。多分,賢治は夢の中でチャップリンと同じように靴革を料理して食べていたのであろう。

 

夢の中で現れる「靴革」はフロイト的には女性の「性」を象徴するものとして解釈される。「靴革」は,恋人への「愛欲」であり,また妹トシへの「兄妹愛」でもある。また,「料理」は食材を組み合わせ,切る,煮る,焼くなどの加工をして食べられる状態にすること,またその完成した食品。つまり,「靴革の料理」とは「愛欲」や「兄妹愛」を別なもの,賢治的には「宗教情操」へ変えることである。

 

「der Herbst」はドイツ語で「秋」 きらら 雲母のこと

「尾はder Herbst」はリスの尾の色と形が収穫期の稲穂のようなもの,つまり,尾が垂れ下がっているという意味。

リスが「尾」を立てる場合は,周囲を警戒するときや,元気がいいときとされる。だから,その逆である「尾はder Herbst」とは元気がない,あるいは衰弱しているという意味と思われる。

「靴革の料理のためにレールはすべる/朝のレールを栗鼠は横切る/横切るとしてたちどまる/尾は der Herbst/日はまつしろにけむりだし/栗鼠は走りだす」とは何か。「栗鼠」を妹のトシとすれば,

賢治は恋人への「愛欲」だけでなく妹トシへの「兄妹愛」も「宗教情操」に昇華させようとしていた。「ひとりの幸い」よりも「みんなの幸い」(冷たい露)を優先したのが,原因の一つと思われ,トシの病状が予断許さず一進一退の状態になっていった。であろう。

 

また「栗鼠」に賢治自身も重ねているとすれば,賢治は「性欲」,「恋愛」,「宗教情操」の間を揺れ動いているということであろう。

 

賢治は,この詩で初めて妹トシを詩の表舞台に出してきた。

賢治が信仰を共にする「道連れ」としての妹に対する冷たい気持に気付いたとき,恋人へのリピドーが,詩「マサニエロ」にあったように,「宗教情操→恋愛→性欲」へ逆戻りすることは矛盾していることにも気付き始めたのだと思われる。つまり,妹には厳しく接していたのに,恋人に甘いのは矛盾している。

 

「水そばの苹果緑(アツプルグリン)と石竹(ピンク)」とは何か。

「水そば」はタデ科の「ミゾソバ」(溝蕎麦;Persicaria thunbergii (Siebold et Zucc.) H.Gross var. thunbergii (1913))のことと思われる。「ミゾソバ」の名は溝などの水辺に生え,果実がソバに似ていることから(Wikipedia)。葉が牛の額の形に似ているので「牛革草」あるいは「牛額草」の呼び名もある(第1図B,C)。花期は晩夏から秋にかけて(7 - 10月)。茎の先端で枝分かれした先に,根元が白く先端が薄紅色(ピンク)の多数の花を咲かせる(第1図A)。開花前の若芽,若葉,つぼみや若い花は食用になる。

 

若芽と若葉は天ぷらにする。アクが強いため,下ごしらえにあく抜きをして使い,芽と葉は塩を入れた熱湯で茹でて水に取り,花は酢を入れた熱湯でさっと茹でるといいらしい(Wikipedia)。

 

第1図.ミゾソバの花(A),葉(B),牛の頭のイラスト.

 

連想遊びをしてみる。

「水そばの苹果緑(アツプルグリン)」→「ミゾソバ」の若葉が緑の苹果のように食べられる。→性欲を喚起するピンク色の花も食べられる。→「牛革草」と呼ばれる「ミゾソバ」は食べられる→夢に現れた「牛の革靴」は食べられる→「靴革の料理」→性欲の食欲への昇華である。

 

「性欲」に付随する「気持ちいい」は「食欲」に付随する「美味しい」へと昇華する。

                              (続く)

参考・引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

前ブログ.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-農業(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/06/062838

前ブログ.2026a.詩「滝沢野」-(3)「暗い林の入口にひとりただずむものは/四角な若い樺の木」とは何か(試論).ttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/05/19/074727

前ブログ.2026b.詩「たび人」は賢治の人生そのもの.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/04/06/080602

 

お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.7.19.

詩「マサニエロ」のタイトルが意味するもの

 

賢治と恋人の仲は,賢治が自分のリピドー(性欲・恋愛)を「宗教情操」へ昇華させようとしたことにより「ひのきのひらめく六月」以降にぎくしゃくしたものになっていたはずだ。しかし,賢治の恋人への思いは,その4か月後にふたたび強くでてきたように思える。

 

詩「マサニエロ」(1922.10.10)

城のすすきの波の上には/伊太利亜製の空間がある/そこで烏の群が踊る/白雲母のくもの幾きれ/(濠と橄欖(かんらん)天蚕絨(びらうど),杉)/ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの/七つの銀のすすきの穂/(お城の下の桐畑でも,ゆれてゐるゆれてゐる,桐が)/赤い蓼(たで)の花もうごく/すゞめ すゞめ/ゆつくり杉に飛んで稲にはいる/そこはどての陰で気流もないので/そんなにゆつくり飛べるのだ/(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)/ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか

蘆の穂は赤い赤い/(ロシヤだよ,チエホフだよ)/はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ/(ロシヤだよ ロシヤだよ)/烏がもいちど飛びあがる/稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ/お城の上のそらはこんどは支那のそら/烏三疋杉をすべり/四疋になつて旋転する

               (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

タイトルの「マサニエロ」に関しては『新宮澤賢治語彙辞典』に「イタリアの漁夫Tommaso Aniello Masaniello(1620~1647)のこと。かつての小国群居のイタリアは17世紀当時強国スペインの影響下にあり,その重圧にあえいでいた。果実や野菜への新たな税を不満として勃発したのがナポリの反乱であった。スペイン総督を屈服させ,魚屋だった首領マサニエロは「人民の頭領」に任ぜられたが,5日後に暗殺されてしまう。森鴎外の名訳で名高いアンデルセンの『即興詩人』(1902)の一節(夜襲)に「・・・程なく彼マサニエルロとフラヰオ・ジヨオヤとの故郷の緑いろ濃き葡萄丘の間に隱見するを認め得たり。(マサニエルロは十七世紀の一揆いつきの首領なり・・・)」とある。『即興詩人』はかつて学生の必読書だったから賢治が読んだ可能性もあるが,歌劇の方からきたと考えるのがよさそうである」(原,1999)とある。

 

上記説明文の「歌劇」とは『ポルティチの唖娘(おしむすめ)』(La Muette de Portici)のことで,ダニエル=フランソワ=エスプリ・オーベールが1827年に作曲し,翌年の1828年2月29日にパリのオペラ座で初演された全5幕から成るオペラである(第1図.Wikipedia)。物語は1647年7月7日にナポリで魚小売商のマサニエロがスペインに対して起こした一揆を題材に,マサニエロの妹で口をきけなくなった娘フェネッラを中心に展開される。フェネッラが口のきけなくなったのは,スペイン人の副王の息子アルフォンスと深い仲になったが棄てられてしまったショックによるものである。兄のマサニエロは妹がアルフォンスに弄ばれたことに激怒する。また,アルフォンスはフェネッラを棄てたことを後悔することになる。最後は,マサニエロが暴徒と化した民衆に殺され,妹フェネッラが噴火したヴェスヴィオ火山の熔岩に身を投じることで終わる(Wikipedia)。副王はスペイン国王の代理としてイタリアを統治した最高行政官

第1図.「歌劇」『ポルティチの唖娘』のイラスト(Wikipedia).

 

詩「マサニエロ」は文語詩「〔猥れて嘲笑めるはた寒き〕」と強く関係している。

猥れて嘲笑(あざ)めるはた寒き,凶つのまみをはらはんと

かへさまた経るしろあとの,天は遷ろふ火の鱗。

つめたき西の風きたり,あららにひとの秘呪とりて、

粟の垂穂をうちみだし,すすきを紅く燿(かゞ)やかす。

                      (宮沢,1985)

 

この詩の1行目「猥れて嘲笑めるはた寒き」は,「猥(みだ)らな関係で付き合っていたのに,裏では嘲笑っていたというのは薄ら寒い気がする」という意味と思われる。また「ひとの秘呪」は「呪文のように秘めた恋人の名」であろう。

 

賢治がこの詩「マサニエロ」に「マサニエロ」というタイトルを付けたのは,副王の息子アルフォンスに自分を,マサニエロの妹フェネッラに恋人(大畠ヤス)を重ねたからかもしれない。賢治の恋も,詩「報告」(1922.6.15)あるいは詩「電車」(1922.8.17)にあるように,近親者たちからは「火遊び」とみられていたふしがある(前ブログ,2026a,2026b)。また,恋人には賢治と同級の兄と弟がいる。賢治は,詩「犬」(1922.9.27)で自分に頭を下げていた2疋の「犬」が本気で吠えている理由を5つあげていたが,ほんとうの理由は詩「マサニエロ」のタイトルの中に隠されているのかも知れない。

 

賢治もまたアルフォンスと同様に徐々に落ち込んでいく恋人を見て,後悔していたように思える。

 

この歌劇は『ポルチシの唖娘』(The Dumb Girl of Portici)として1916年に映画化させ4月にアメリカで10月に日本で公開された(Wikipedia)。また,賢治が聞いたかも知れないレコードとしてオーベールの「マサニエロ」(歌劇「ボルティーチの唖娘」序曲)(帝劇専属管弦楽々手演奏,1919年頃と1923年録音)がある(萩谷,2013)。

 

詩「マサニエロ」は花巻の高台にある城跡(しろあと)から恋人が代用教員として務めていた小学校の景観を詠んだものである。「橄欖天蚕絨,杉」は「橄欖岩」(緑色の鉱石)を産出する北上山地に生える葉が緑色で光沢感のある「杉」(Cryptomeria japonica (L.f.) D.Don)という意味で,美しく背の高い恋人を比喩したものである。賢治は詩の中でこの杉を見ながら「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかへないか」と呟いている。「ひとの名前」とは恋人の名であろう。

 

興味深いことに,賢治が眺めている小学校が見える空間は夢でも見ているのか,伊太利亜(ローマ)→ロシア(モスクワ)→支那(北京)へと変化している。厳密ではないけど,それぞれの首都の位置からすれば,地球を東進してアメリカへ向かおうとしているようにも見える。ちなみに,童話『銀河鉄道の夜』で主人公のジョバンニが夢の中で乗る列車の車窓から見える風景は,この詩とは逆まわりに伊太利亜→イギリス→アメリカである。

 

賢治は,5月に宗教情操→恋愛→性欲は正しくないから性欲→恋愛→宗教情操へ戻すと決めていたはずである。それなのに,賢治はまた恋人をアメリカへ連れ出そうとしているように思える。

 

賢治は,自分でも意外な展開にびっくりしている。なぜなら,「(ロシヤだよ,チエホフだよ)/はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ」の「はこやなぎ」がそれを裏付けている。「はこやなぎ」はヤナギ科ヤマナラシ属の落葉高木である「セイヨウハコヤナギ」(Populus nigra var. italica)のことと思われる。別名はポプラ,イタリアヤマナラシである。マッチの軸木として使われる。

 

詩「霧とマッチ」(1922.6.4)

(まちはづれのひのきと青いポプラ)/霧のなかからにはかにあかく燃えたのは/しゆつと擦られたマツチだけれども/ずゐぶん拡大されてゐる/スヰヂツシ安全マツチだけれども/よほど酸素が多いのだ     (宮沢,1985)

 

つまり,「はこやなぎ」はチエホフの短篇『安全マッチ』(1884)がイメージされているように思える。この短編は推理小説なのだが拍子抜けするほど意外な展開を示して終わる。

 

領主が殺され死体が持ち去られたという訴えに,予審判事とその助手兼書記が調査を開始する。現場に残されていた1本の安全マッチから,助手の青年が論理的に犯人像を推理するというものなのだが,最後にとんでもない落ちが付く。殺されたと思われていた屋敷の主人が,実は妾の家で飲んだくれている所を発見されるのだ。

 

つまり,「(ロシヤだよ,チエホフだよ)/はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ」とは,自分のリピドーを論理的に性欲→恋愛→宗教情操へと昇華させることができたと思っていたら,一瞬で逆戻りしてしまうという意味だろう。

 

賢治は,〈恋〉か〈宗教〉かの選択では生涯迷い続けていたと思われる。あるいは揺れ続けていた。死の間際に,「作品はどうするのか」という父の問いに対して,「あれは,みんな,迷いのあとですから,よいように処分してください」と答えたという逸話も残されている。 

 

これも,賢治の自閉スペクトラム症(ASD)的な特性が関与しているのかもしれない。自分では決められないのだ。「絶対に失敗したくない」,「一番良いものを選ばなければ」という完璧主義の傾向が強いのだと思われる。あるいは,「もし間違ったらどうしよう」という強い不安が,決断への最後の一歩をためらわせているのかもしれない。

 

参考・引用文献

萩谷由美子.2013. 宮澤賢治の聴いたクラシック.小学館.東京

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

前ブログ.2026a.詩「報告」の2行の詩句に隠された意味(試論).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/02/11/084033

前ブログ.2026b.詩「電車」-風の中から聞える自分への批判とその反論.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2026/03/11/061500

 

お礼 ゆきのかけらさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.7.11.

詩「犬」-「犬の中の狼のキメラがこわい」とは何か

 

詩「犬」(1922.9.27)

なぜ吠えるのだ,二疋とも/吠えてこつちへかけてくる/(夜明けのひのきは心象のそら)/頭を下げることは犬の常套(じやうたう)だ/尾をふることはこわくない/それだのに/なぜさう本気に吠えるのだ/その薄明(はくめい)の二疋の犬/一ぴきは灰色錫/一ぴきの尾は茶の草穂/うしろへまはつてうなつてゐる/わたくしの歩きかたは不正でない/それは犬の中の狼のキメラがこわいのと/もひとつはさしつかえないため/犬は薄明に溶解する/うなりの尖端にはエレキもある/いつもあるくのになぜ吠えるのだ/ちやんと顔を見せてやれ/ちやんと顔を見せてやれと/誰かとならんであるきながら/犬が吠えたときに云ひたい/帽子があんまり大きくて/おまけに下を向いてあるいてきたので/吠え出したのだ

                   (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

「常套」は,いつもの決まったやり方という意味。「頭を下げることは犬の常套だ」には,犬と賢治の地位的な関係性が込められているようにも思える。この2疋の犬は,小作人と地主の関係のように,いつも賢治に対して頭をさげている。「尾をふる」は権力者にへつらい,気に入られようとする行為でもある。

 

賢治は,1922年9月27日の夜明けに2疋の犬に出会っている。本物の動物としての「イヌ」に出会ったのかどうかは定かではない。

この季節の夜明けには「大犬座」と「子犬座」という二疋の星座の犬が東の空から昇ってくるので,詩「犬」はこれらの星座が関与している可能性が考えられるからである。「犬は薄明に溶解する」という詩句も,まさに2つの星座の星ゝが夜明け近くになって消えていく様を言っているようだ。あるいは,前述したように小作人のような人間だったのかもしれない。

 

動物としての「イヌ」の学名はCanis lupus familiaris(カニス・ルプス・ファミリアリス)である。「カニス(イヌ属)」の「ルプス(オオカミ)」の「ファミリアリス(家族・家畜化された)」という意味を持ち,生物学上はオオカミの亜種として位置づけられている。ただし,賢治が生きた時代においては,リンネが1758年に命名した Canis familiaris が使用されていたのでオオカミの亜種とは考えられていなかった。

 

この2疋の吠えている「犬」が四つ足の動物だったのか,星座だったのか,あるいは人間だったのかははっきりしないが,この「犬」の「うなり声」(星座からなら幻聴)に賢治の恋に反対する者たちの共同体意識(共同幻想)が込められていることは確かなように思える。

 

童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)に「クジラ」の英名(ホエール;Whale)を連想させる「ザウエル」という名の犬が登場してくる。「クジラ」は「まっ黒で大きなもの」である。

第四章「家」に以下の記載がある。

 

「いまも毎朝新聞をまはしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしいんとしてゐるからな。」

「はやいからねえ。」

ザウエルといふ犬がゐるよ。しっぽがまるで箒(はうき)のやうだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」

(『銀河鉄道の夜』 宮沢,1985)

 

この引用文の「ぼく」はジョバンニであり,賢治の恋人が投影されている。カムパネルラ(賢治)に逢おうとするジョバンニの行動はまっ黒で大きなクジラを連想させる「ザウエル」という「犬」に常に監視されている。

 

「まっ黒で大きなもの」に相当するものは,これまでも繰り返し述べてきたが,童話『双子の星』(1922?)では「空のくじら」,童話『若い木霊』(1922)においては「暗い木立」,「黒い森」,詩集『春と修羅 詩稿補遺』の詩「境内」では「どうにも動かせない」「まっくらな巨きなもの」,詩「火祭」においては「(ひば垣や風の暗黙のあひだ/主義とも云はず思想とも云はず/たゞ行はれる巨きなもの)」で,童話『ガドルフの百合』(1923)では「巨きなまっ黒な家」として表現されてきたものである(前ブログ,2026)。

 

例えば,童話『双子の星』に登場するチュンセ童子とポウセ童子は,「空のくぢら」と呼ばれる「空の彗星(箒星)」によって銀河の「落ち口」から海に落とされる。このチュンセ童子には賢治が,そしてポウセ童子には恋人が投影されている。ザウエルは尾が「箒」のような犬であることに注目してほしい。

 

「まっ黒で大きなもの」として象徴されるものは,東北の「先住民」が「大和」あるいは「侵略者」に示す「疑い」や「反感」・「憎悪」の共同体意識(共同幻想)である。(前ブログ,2026)。

 

詩「犬」に登場する犬の「一ぴきの尾は茶の草穂」である。つまり,この犬は尾が「箒」のようであり,童話『双子の星』に出てくる「空の彗星(箒星)」と同じで,まっ黒で大きな「くじら」でもある。

 

詩「犬」では,犬が賢治に向かって吠える理由を5つあげている。

1つには,「わたくしの歩き方が不正」,つまり賢治の歩き方が普通ではないからである。賢治の歩き方については,「猫背・早足で,なんとなく右手と右足を同時に前方に出し,次に左手と左足をいっしょに前へ運ぶようなぎこちない感じだった。」そうである(板谷,1992)。

 

2つには,「それは犬の中の狼のキメラがこわい」,つまり賢治が犬の中にある狼のキメラを怖いと思っているからである。

賢治は動物の「イヌ」が苦手である。小学校入学の最初の日,「学校への途中に大きな犬が歩いていたのが非常に恐ろしかった。明日もまたあの犬がいるのではないかと思ったら,不安になってなかなか眠れなかった・・・」と,また小学校6年生の頃,「我は父に回章をまわすことを云いつけられぬ。於田屋町をまはして鍛冶町に行かんが為上町を通りしに杉本にぶち犬をきすかけられて(けしかけられて)お恐ろしかりき。」というエピソードを残している(板谷,1992)。

 

動物の「イヌ」は相手が弱いと認識するとつよく吠えることがある。動物行動学において優位性攻撃行動(Dominance Aggression)と呼ばれている。

 

「キメラ」(Chimera)とは,生物学的には,1つの個体の中に,遺伝的に異なる2種類以上の細胞が混ざり合って共存している状態,またはその生物個体を指す。ギリシア神話に登場する,ライオン・ヤギ・蛇が合わさった想像上の生物「キマイラ」に由来する。(Wikipedia)。植物では,異なる遺伝情報を持つ細胞が縞状に分布するものを区分キメラ,組織層を形成して重なるものを周縁キメラと呼ぶ。しかし,「イヌ」などの脊椎動物には「移植免疫」があるため,成体でキメラを作ることはできない。

 

詩「犬」の「犬の中の狼のキメラ」という表現は生物学的には適切ではない。「イヌ」と「オオカミ」の遺伝子は約99%が同一であり,現代の「イヌ」の多くは今もオオカミ由来のDNA(祖先から受け継いだ古い遺伝的断片や交雑の痕跡)を色濃く残している。「イヌ」は「オオカミ」から進化したとされている。「イヌ」の現在の学名を見れば明らかである。つまり,「狼の遺伝子をもつ犬」は1つの個体の中に,遺伝的に異なる2種類以上の細胞が混ざり合って共存している状態ではないので,生物学的には「狼の遺伝子をもつ犬」を「キメラ」とは言わない。

 

「犬の中の狼のキメラ」という表現は,中国で「大犬座」の1等星シリウスを「天狼」と呼んでいたことと関係があるのかもしれない。

 

「犬の中の狼のキメラ」という表現の由来がどうであれ,

賢治が「犬の中の狼のキメラがこわい」という詩句で言いたかったのは,「犬の中に狼の血が流れていて怖い」であり,詩の中の「犬」に結婚を反対している人たちが重ねられているなら,そういう人たちに東北の先住民の血がながれていることが怖いということであろう。

 

未定稿の文語詩に「〔うからもて台地の雪に〕」というのがある。

 

うからもて台地の雪に,部落(シュク)なせるその杜黝(あおぐろ)し。/曙人(とほつおや),馮(の)りくる児らを,穹窿ぞ光りて覆ふ。(宮沢,1985)

 

「うから」は部族で,「曙人」はルビにあるように「先祖」で,穹窿は天空のことである。この詩の意味は「雪の積もった台地に一族が集まり,その集落の森が青黒く見える。先祖の血をひき,魂までも乗り移った子供らを,天空から降り注ぐ光が覆っているように見える」としている。この詩に登場する「台地」は準平原の北上山系であり,「曙人」はその台地にかつて住んでいたアイヌ語を話す「蝦夷(エミシ)」と呼ばれていた人たちである。賢治は,大正・昭和の時代に至っても古代蝦夷(エミシ)の魂が東北の「先住民」に乗り移つることがあると感じている。ちなみに,北上山系は「くじら」の形をしている(第1図;前ブログ2021)。

 

第1図.北上山系とクジラ.

 

そして,賢治は,「くじら」に見える北上山系に住んでいた人たちを怖いと思っている。

 

3つめは吠えても「さしつかえないため」,つまり,吠えるのを止める者がいないからである。

 

4つめは「うなりの尖端にはエレキもある」からである。「エレキ」は恋人が憧れた電気社会,つまり,「西洋文化」である。つまり,「犬」は「西洋文化」に吠え(反発し)ている。

 

5つめは,賢治の被る「帽子があんまり大きくて/おまけに下を向いて歩いてきた」からである。大きな「帽子」は「中折れ帽子」(ソフト帽)のようなものかもしれない。

 

花巻農学校の教師時代の賢治は,通勤や授業では背広を着ていた。また,おしゃれでもあった。樺太旅行ではパナマハットに白い麻の上下の背広,白と黒のチェックのネクタイ,それに赤皮の靴に黒革の鞄という出で立ちであった(板谷,1992)。パナマハットはエクアドル原産の「トキヤ草」を細かく手編みした天然素材の帽子だが,代表的な形は中折れである。

 

大正時代の中折れ帽子は,洋装文化の浸透とともに紳士のステータスシンボルとなった。特に都会の知識人や富裕層の間で流行し,知的さと経済的余裕をアピールする富の象徴として愛用された。

 

「下向いて歩く」は,自分に自信が無く,人と目を合わせるのが苦手なことと関係するのかも知れない。

 

つまり,「犬」が「帽子があんまり大きくて/おまけに下を向いて歩いてきたので/吠え出したのだ」とは,「犬」が「賢治が西洋文化を纏った財閥の息子であるにも関わらず,下を向いて(自分に自信がないように)歩いてきたので吠えだした」である。

 

賢治は自分が財閥の子であることでいやな目にたくさん出会っている。昭和7年(1932),詩人である母木光に送った手紙(『書簡421』)には「何分にも私はこの郷里では財ばつと云はれるもの,社会的被告のつながりにはひってゐるので,目立ったことがあるといつでも反感の方が多く,じつにいやなのです。じつにいやな目にたくさんあって来てゐるのです。財ばつに属してさっぱり財でないくらゐたまらないことは今日ありません」と記載している。

 

だから,賢治は「誰かとならんであるきながら/犬が吠えたときに云ひたい」,つまり,誰かが付いていてくれるなら,犬(東北のアイヌ語を話した先住民の血をひく人たち)に面と向かって俺の「帽子があんまり大きくておまけに下を向いて歩いてきたので吠え出したんだろうと言ってやりたい」と思っている。

 

参考・引用文献

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

加倉井厚夫.2026(調べた年).賢治の「犬」と「キメラ」.

http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/w2/kenjiw10.htm

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

前ブログ.2021.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-アワとジョバンニの故郷(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/152434

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