宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

ブログ内容の紹介

謎の多い宮沢賢治の作品をそこに登場する植物を丁寧に調べることによって読み解いています。本ブログの内容は,ブログ名について,作品論,エッセイの3項目から構成されています。作品論とエッセイにあるカテゴリー名末尾の括弧内の数字は各カテゴリーの記事数を表します。例えば,「やまなし(5)」は童話『やまなし』に関して5つの記事があることを表しています。各カテゴリー名をクリックすると記事名が表記され,さらに記事名をクリックすると本文を読むことができます。『銀河鉄道の夜』に関しては記事数が多いので「銀河鉄道の夜(総集編) (5)」を最初に読んでいただければと思います。

 

1.ブログ名について

橄欖の森とは

 

2.作品論

ビヂテリアン大祭 (1)

やまなし (5)

若い木霊 (8)

水仙月の四日 (1)

どんぐりと山猫 (2)

春と修羅 (2)

風野又三郎 (1)

十力の金剛石 (2)

花壇工作 (1)

鹿踊りのはじまり (1)

北守将軍と三人兄弟の医者 (1)

毒もみの好きな署長さん (1)

マグノリアの木 (1)

銀河鉄道の夜(目次) (1)

銀河鉄道の夜(種々) (7)

銀河鉄道の夜(心理と出自) (5)

銀河鉄道の夜(三角標) (11)

銀河鉄道の夜(宗教) (6)

銀河鉄道の夜(リンゴ) (7)

銀河鉄道の夜(発想の原点) (12)

銀河鉄道の夜(総集編) (5)

ひのきとひなげし (1)

なめとこ山の熊 (1)

烏の北斗七星 (6)

よく利く薬とえらい薬 (4)

 

3.エッセイ

烏瓜のあかり (3)

賢治作品に登場する謎の植物 (1)

希少植物 (1)

湘南四季の花 (4)

 

 

童話『ビヂテリアン大祭』-植物を食べることの意味-

多くの菜食主義者(ベジタリアン)たちは,植物は食べるが動物は食べない。動物を食べない理由には2つあり,それぞれ2つのタイプのベジタリアンンが存在する。1つは動物に対して同情するから食べないというもので(同情派)で,もう1つは体に良くないから食べないというもの(予防派)である。一般的に同情派に属する人たちは仏教を信じる者が少なくなく,仏教の教えにある輪廻転生説の影響を強く受けている。すなわち,来世は豚や牛になるかもしれないということは計りがたいことだとすると,たとえ自ら殺した豚や牛でなくても食べることができないというものである。しかし,生命に対する「憐れみ」とか「平等感」ということを根底に置くなら,それは矛盾であり,動物も植物も同じであると思われる。なぜ,植物は食べてよくて動物はいけないのか。

 

菜食主義者でもある宮沢賢治に『ビヂテリアン大祭』という作品がある。賢治が亡くなった翌年(1933年)に発表された童話である。この童話の中でビヂテリアン派と反ビヂテリアン派が植物を食べることの是非について論争している。反ビヂテリアン派の1人が生物分類学的見地から次のように主張する。

ビヂテリアンたちは,動物は可哀さうだといふ,一体どこ迄(まで)が動物でどこからが植物であるか,牛やアミーバーは動物だからかあいさう,バクテリヤは植物だから大丈夫といふのであるか。バクテリヤを植物だ,アミーバーを動物だとするのは,だゞ研究の便宜上,勝手に名をつけたものである。動物には意識があって食ふのは気の毒だが,植物にはないから差し支(つか)へないといふのか。なるほど植物には意識がないやうにも見える。けれどもないかどうかわからない,あるやうだと思って見ると又また実にあるやうである。元来生物界は,一つの連続である,動物に考があれば,植物にもきっとそれがある。ビヂテリアン諸君,植物をたべることもやめ給(たま)え。

             (『ビヂテリアン大祭』 宮沢,1986)下線は筆者

 

これに対してビヂテリアン派も反論する。

いくら連続していてもその両端(りょうたん)では大分ちがってゐます。太陽スペクトルの七色をごらんなさい。これなどは両端に赤と菫(すみれ)とがありまん中に黄があります。ちがってゐますからどうも仕方ないのです。植物に対してだってそれをあわれみいたましく思ふことは勿論(もちろん)です。印度(インド)の聖者たちは実際故なく草を伐(き)り花をふむことも戒(いまし)めました。然(しか)しながらこれは牛を殺すのと大へんな距離がある。それは常識でわかります。人間から身体の構造が遠ざかるに従ってだんだん意識が薄くなるかどうかそれは少しもわかりませんがとにかくわれわれは植物を食べるときそんなにひどく煩悶(はんもん)しません。そこはそれ相応にうまくできてゐるのであります。バクテリヤの事が大へんやかましいようでしたが一体バクテリヤがそこにあるのを殺すといふやうなことは馬を殺すといふやうなのと非常なちがひです。バクテリヤは次から次と分裂し死滅しまるで速かに速かに変化してるのです。それを殺すと云った処で馬を殺すといふやうのとは大分ちがひます。またバクテリヤの意識だってよくはわかりませんがとにかく私共が生まれつきバクテリヤについては殺すとかかあいそうだとかあんまりひどく考えない。それでいいのです。また仕方ないのです。

             (『ビヂテリアン大祭』 宮沢,1986)下線は筆者

 

『ビジテリアン大祭』の中では,植物性と動物性食品の栄養価や味覚の比較から始まって食料の経済学的見地,生物分類学的見地,解剖学的見地,宗教学的見地など様々な切り口から論争が展開されているが,この生物分類学的見地からの論争ではビジテリアン派の反論は的を射てないと思われる。ビジテリアン派の言い分では,俗に言う「意識」(あるいは精神)のある高等生物を殺すのは可哀そうだが,「意識」のない下等生物は殺して食べても仕方がないのだといっているだけで,動物と植物の違いからは答えてはいない。

 

私は,植物に「意識」や「心(こころ)」があるのかどうか検討したことがある(石井,2021)。植物には,脳や感覚神経などの組織がないので人間の「意識」(あるいは精神)に相当するものはないと言い切れるかも知れないが,人間の心情でもある「心」がないとは言い切れないところがある。

 

解剖学者で発生学者の三木成夫(1995)によれば,「心」とは物事に感じて起こる情であり,感応とか共鳴といった心情の世界を形成するものだという。そして,「心」のある場所は,頭(脳)というよりは,心臓,胃,子宮などの「内臓器官」であると言っている。「血がのぼる」,「胸がおどる」,「心がときめく」などは,人間の心情を心臓の興奮で表現したものであるといっている。また,お腹が空いたり,子宮が28日毎に精子を待ち続け,そして「待ちぼうけ」を食らったりしたときの「いらいら」感も同様に「胃」とか「子宮」の切迫した状況での内臓表現であると言っている。無論,考えたり,知覚したりする高度な感覚は,精神あるいは意識の座である頭(脳)が司っている事は言うまでもない。

 

三木は,さらに植物にも人間や動物の内臓感覚に相当する「心」はあると信じている。例えば,動物の体内にある心臓は,植物にとっては光合成のもとである「太陽」であると言っている。植物は,豊かな大地に根をおろし,天空に向かって茎や葉という触手をのばし,太陽を中心とした循環回路のなかで光合成すなわち生の営みを行う。また,動物と同様に,「食」の相である茎・葉の生い茂る季節と,「性」の相である花が咲き実のなる季節があり,種によって時期は異なるものの「太陽系の周期」と歩調を合わせている。

 

植物は,動物を特徴づける「感覚・運動」の神経組織も筋肉組織もないので,「食」と「性」の相を行き来することはできない。それゆえ,植物は,動物のように動けなくても自分自身が,太陽を廻りながら,「食」と「性」を交代させる一個の惑星,いわば地球の「生きた衛星」となり,「太陽系の周期」との調和に,まさに全身全霊を捧げつくすのである。そして,三木はこの「太陽系の周期(宇宙リズム)」との調和が植物の純粋な「心」であると言っている。

 

上記引用文(下線部分)で反ビヂテリアン派は「元来生物界は,一つの連続である,動物に考があれば,植物にもきっとそれがある」と言っていた。この「考」は「意識」あるいは「精神」のことを指していると思われるが,ここでは「考」を「心」と置き換えてみたい。すると,植物にも動物の「心」と類似したものがあるとするなら,その「心」を持つ植物を食べても良いのだろうかという疑問が生じてくる。

 

菜食文化研究家の鶴田 静が著書の中でビヂテリアン派を擁護しているので,彼の言説をもとに「心」を有する植物を食べることの意味について検討していきたい。

動物を食べるのが罪悪なら,植物を食べるのも罪悪であるのは道理だろう。だが,その存在の意味が違うのではないだろうか。動物は,食べられるために存在しているのではない。だがある種の植物は,食べられるために存在する。ことに果樹は,人間に食べられることによって,種の存続のためにその種子を広い範囲にまくことができる。だから,「食べられる」ことは必要なのだ。

                 (『ベジタリアン宮沢賢治』 鶴田,1999)

 

果樹になる果物を考えれば,確かに「植物は食べられるために存在する」というのは説得力があるが,果樹本体および果物をつけない一般的な植物にも普遍化できるだろうか。

 

近年,植物学は著しい進歩をとげ,植物の生き残るための巧みな戦略を次々と明らかにしてきた。すなわち,植物は,動物に食べられることを前提として,いかに上手に生き残れるかを模索していったように思われる。無論,体の全部根こそぎ食べさせても良いという植物はいない。

 

菜食主義者に同情派と予防派の2つのタイプがあるように,食べられる側の植物にもいくつかのタイプが知られるようになった。1つは,体の一部を積極的に動物(人間を含む)に食べてもらうタイプ(共存派),2つ目は,体の一部を食べられても直ぐに再生できるタイプ(再生派),3つ目に,体の一部でも絶対に食べさせないタイプ(敵対派)である。これらタイプは,はっきりと区別できるものではなく重複もする。

 

県立大磯城山公園で共存派は,カキ,ザクロ,ウメモドキ,クロガネモチ,スダジイ,ツブラシイなどのように木の実あるいは果実をつけるものである。鳥と共存を選んだものは,鳥に上手く見つけてもらうために実の色を赤くしたものが多い(赤は葉の緑とのコントラストが強烈で鳥にも目立つ)。種子は赤い実の中にあり,消化されずに糞として排泄され,遠隔地に別の新しい命を誕生させる。スダジイ,ツブラシイなどのドングリはたぶんネズミが運ぶが,ネズミは冬に備えて地面に埋める習性がある。再び掘り出されて食べることなく忘れ去られたドングリは親木から離れた場所で新しい命を誕生させることになる。

 

再生派は木の実をつける木本から草本にいたるまでほとんど全ての植物を代表としている。背丈がある程度あり,発芽して成長を続ける植物の茎の先端には頂芽(ちょうが)と呼ばれる芽がついていて,次々と葉を出してくる。仮に茎の先端が葉と一緒に食べられ,この頂芽がなくなっても,残った葉の付け根にある芽(側芽)が伸び成長を続ける。また,オオバコやタンポポのように背丈が低い植物では,葉を作り出す芽は地表面すれすれのところにある。動物などにごそっと葉を食べられても,芽は食べさせないので再び葉を出すことができる。

 

さて,ここで重要なのは,再生できるから植物は食べていいのかという問題である。別の言葉で言うなら,再生派の植物にとって,一時でも,体の一部(果実以外の茎,枝,葉)を動物に食べさせることは利益になるのであろうかということである。答えは否であると思われる。植物は熟した果実以外は動物に食べられることを「良い」とはしていない。例えば,葉が昆虫などに食べられ障害を受けると,食べられている葉からある種の物質(ジャスモン酸など)が作られ,周囲の木や葉に警告を発したり,昆虫の消化酵素を阻害するプロテアーゼインヒビターなどの防御物質の生産を誘導したりすることが明らかになってきた。警告を受けた木や葉は,昆虫が嫌う化学物質の濃度を高くすることも分かってきた(高野,2000;秋田県立大学生物活性物質研究室,2021)。さらに,ヌルデの葉にヌルデノミミフシアブラムシが寄生すると,葉はタンニンという昆虫の大嫌いな化学物質を大量に作って虫こぶの中に封じ込める。また,タラノキの芽を取ると棘が大きく成長してくる。

 

すなわち,適切な言葉が浮かばないが,植物は食べられたくはないのだ。植物は葉が食べられれば「食」の相が障害され,「太陽系の周期」とうまく歩調を合わせることができなくなる。もしも,植物に「心」があるとすれば,食われるということは「太陽系の周期」と歩調を合わせることに失敗するということなので,植物の「心」は変調をきたすことになる。別の言葉で言えば,植物は自分の体を食べられれば不快を感じるのだと思われる。果実にしても,まだ熟していない青い果実は種子が完全には出来上がっていないので,果実の中に青酸などの有害物質を含有させ動物に食べさせない。

 

敵対派の数は少ないが,城山公園にもアセビ,ヒガンバナ,フクジュソウ,ツツジ,シャクナゲなどがある。猛毒のアルカロイドを自ら産生し葉,茎,花に貯蔵している。食べれば命を落とす場合もある。

 

このように,植物は必ずしも「食べられる存在」というものではないと思われる。実際は,植物だって食べられたくはないのだ。食べられて良い存在は植物体の一部である熟した甘い果実(種子を除く)くらいである。「憐れみ」とは相手の気持ちや身の上を察して気の毒に思い,行動に移すことである。植物が食べられることで不快という気持ちになるなら,それを察するということも必要であろう。すなわち,生命に対する「憐れみ」とか「平等感」ということを根底に置くなら植物も動物も同じである。反ビヂテリアン派の「動物が可哀そうだから食べないというなら(動物のように心のある)植物も食べてはいけない」(括弧内は筆者)という主張は正当といわざるを得ない。

 

賢治はベジタリアンを自称していたが,完璧なベジタリアンではない。大乗仏教を志し,「もしたくさんの命の為(ため)に,どうしても一つの命が入用なときは,仕方ないから泣きながらでも食べていゝ,そのかはりもしその一人が自分になった場合でも敢(あへ)て避けない(『ビヂテリアン大祭』宮沢,1986)」という考えを持ちつづけていた。だから,賢治は主に植物を食べたが,ときに動物の肉も食べることがあった。菜食主義者であろうがなかろうが,賢治のように泣きながらでなくても良いが,食事のときぐらい食べられるものたちに感謝の気持ちをもつことは必要かもしれない。

 

食事前の「いただきます」とは,仏教的には「わたしの命のために,あなたの命をいただきます」という意味であることを我々は忘れている。

 

参考・引用文献

秋田県立大学生物活性物質研究室.2021.9.30(調べた日).研究内容.https://www.dbp.akita-pu.ac.jp/~grc/lab_research.html

石井竹夫.2021.宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』―植物や動物と「こころ」が通う-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/01/101145

三木成夫.1992.海・呼吸・古代形象 生命記憶の回想.うぶすな書院.東京.

三木成夫.1995.内蔵のはたらきと子どものこころ.築地書館.東京.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

鶴田 静.1999.ベジタリアン宮沢賢治.晶文社.東京.

 

本稿は,『宮沢賢治に学ぶ 植物のこころ』(蒼天社 2004年)に収録されている報文「植物を食べることの意味(試論)」を加筆・修正にしたものです。

                           2021.10.2(投稿日)

 

「カラスウリ」は童話『銀河鉄道の夜』を象徴する植物である

童話『銀河鉄道の夜』には「烏瓜のあかり」が繰り返し登場してくる。この「烏瓜のあかり」に使われる「カラスウリ」(ウリ科;Trichosanthes cucumeroides Maxim.)は,第1図に示すように花が日没後に開花することや,蔓が上方に伸びることで地上と天上を結ぶものとして物語に象徴的に登場してくる(石井,2021)。「カラスウリ」は,どのくらい高く伸びるのだろうか。ネットで調べたら3mを超えるものもあるという。

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第1図.カラスウリの花

 

「カラスウリ」には,さらにこの物語に相応しい特徴をもつ。それは,繁殖方法である。「カラスウリ」は雌雄異株の多年草で普通種子や塊根(芋)によって増えるが,もう1つユニークな増え方をする。科学教育学者・真船和夫さん(1997)によると,「カラスウリ」は夏の間に地上から巻きひげで他の樹木などに絡みつき上方に伸びていくが,秋になると蔓が方向を変えて地面に向かって伸び,地表に触れるとそこから発根し,新しい塊根(栄養繁殖)を作ることができるとある。

 

すなわち,「カラスウリ」は,地上から芽を出して上方に向かって伸びて行き花を咲かせ,果実を実らせるのと同時に,絡みつくものがなくなると逆に地面に戻ってきて地中に次の命へとつなぐ栄養豊かな芋を作っている。不思議な植物であるが,このような増え方をするのは「カラスウリ」だけなのだろうか。

 

花を咲かせたあと,地上に戻ってきて地中に次の命をつなぐものがカラスウリ以外にもある。我々がよく食にするラッカセイ(落花生)である。ラッカセイは初夏に黄色の花を咲かせるが,実は地上部にはできない。花が終わったあと,子房(果実になる部分)の付け根の子房柄(しぼうへい)といわれる部分が地面に向かって伸び,地中に潜り込んでそこで結実する。地中結実性は,ヤブマメやスミレの仲間などにも見られるという(丸尾,2021)。ただし,ラッカセイは子房柄が地面に向かって伸びることはあっても,蔓性植物である「カラスウリ」のように「地」から「天」へ向かって高く伸びていくことはない。ヤブマメも2mほどだという。

 

「地」から「天」に向かって高く上り夜に花を咲かせ,また「地」へ戻るサイクルを繰り返す「カラスウリ」は,「地」を「この世」,「天」を「あの世」あるいは「虚空」とすれば仏教思想の「輪廻転生」や「二処三会(にしょさんえ)」を彷彿させるものであり,「二処三会」の構成からなる「法華経」の影響を色濃く反映させた童話『銀河鉄道の夜』に相応しい植物と言えそうである。

 

参考文献

石井竹夫.2021.「烏瓜のあかり」とは何か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/13/085125

真船和夫(著)・下田智美(イラスト).1997.カラスウリのひみつ.偕成社.東京.

丸尾 達.2021(調べた日付).ラッカセイはどうして土に潜るの?https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5192/

 

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「カラスウリ」と「法華経」の「二処三会」の関係については以下のブログ記事に詳細に説明している。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-仏教と異界への入り口に登場する植物-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/17/103821

2021.10.1(投稿日)

童話『やまなし』に登場するクラムボンは石の下の小さな生物という意味である

前稿(石井,2021)で,童話『やまなし』に登場する〈クラムボン〉には従来の解釈と異なり先住民の女性が投影されていて,賢治の悲恋物語が描かれているという新しい説を示した。すなわち,童話には谷川に棲む〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語が記載されている。本稿では恋人が投影されている〈クラムボン〉の正体と名前の由来について検討する。

 

〈クラムボン〉は谷川の川底にある「石の下」にいる「カゲロウ」の幼虫のことと思われる。「カゲロウ」は,水生の幼虫のあと,有翅(ゆうし)の亜成虫期を経て成虫になる。これを不完全変態と呼ぶ。「カゲロウ」の幼虫は,完全変態する「トビケラ」の幼虫「ラーバ(larva)」と区別するために「ニンフ(nymph)」と呼ぶ。「ニンフ」は妖精という意味である。なぜニンフと呼ぶかは分からないが,昆虫の世界では「ニンフ」は幼虫のことを言うらしい。また,「カゲロウ」の仲間は5月(May)頃に羽化するので英語で「メイフライ(mayfly)」ともいう。エッセイストの澤口たまみさんも著書『クラムボンはかぷかぷわらったよ 宮澤賢治おはなし30選』(2021)で,この「メイフライ」に注目して「クラムボンはカゲロウが妥当」と書いている。

 

「カゲロウ」の仲間でも,「石の下」に生息し,流線型をして泳ぐのがうまく跳ねたりできるのはヒメフタオカゲロウ科あるいはフタオカゲロウ科の幼虫であろう。例えば,「ヒメフタワカゲロウ」の幼虫は,河川蛇行部の内側あるいは巨岩の下流の淀みあるいは石の下に潜んでいる。また,「ナミフタオカゲロウ」の幼虫は,体長16mm内外,山地渓流に生息し,羽化が近づくと浅瀬に集まり,人が近づくと飛び跳ねるという。釣り人はこれら「カゲロウ」の幼虫を,ピンピン「跳ねる」ように泳ぐことから「ピンチョロ」と呼ぶ。

 

「カゲロウ」は昆虫なので,幼虫にも哺乳類と同様に口部には上唇と下唇がある。口唇は母乳で育つ哺乳類の特徴であるが,なぜか昆虫にもある。「カ(蚊)」も昆虫なので上唇と下唇がある。だから血をこぼさずうまく吸うことができる。人間は「笑う」と上唇と下唇の接合部である「口角」が上がる。だから,「ヒメフタオカゲロウ科」などの幼虫は,「口角」を上下に動かせるとすれば,それを上げて笑ったように見せることは可能かもしれない。「五月」の章で〈蟹〉の兄弟の会話に登場する『クラムボンは跳てわらつたよ。』にぴったりである。

 

ネットで〈クラムボン〉を「トビケラ」だと主張している人がいる。しかし,「トビケラ」は水中で巣を作ってその中で生活をする。いわゆる,蓑虫のようなものである。跳ねたりはしないと思われる。

 

「カゲロウ」は谷川に遠い昔から棲んでいた。〈クラムボン〉と同じ先住土着の女性を比喩する「樺(かば)」は,アイヌ語の「カリンパ」に由来すると言われている。それゆえ,〈クラムボン〉という名称も,アイヌ語の可能性があり,「アイヌ」の伝説に登場する「先住民」の「コロボックル」と関係があると思われる。

 

〈クラムボン〉が先住民族であるアイヌの伝説の小人「コロボックル」と関係があると最初に示唆したのは山田貴生さんであろう。彼は高知大学宮沢賢治研究会の機関誌(注文の多い土佐料理店)に,「クラムボン」はアイヌ語で分解すると「kur・人,男,ram・低い,pon(bon)・子供)」になり,「アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルである」と報告している。

 

「コロボックル」は和人によって「フキの下の小人」と翻訳されたりもしているが,「アイヌ」の間では「kurupun unkur」(石の下の人)として伝承されている地域もある。〈クラムボン〉(発音はkut ran bon)は,賢治の造語と思われる。私は,〈クラムボン〉の最初の「ク」を「kut(岩崖)」として山田さんとは異なった解釈を試みてみた。すると,〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・下方,un・にいる, bon・小さい」に分解できることが分かった。すなわち,〈クラムボン〉は「カゲロウ」の幼虫の姿をしているが,「岩崖(石)の下」にいる「小人(妖精)」のことであろう。〈魚〉が谷川の岩(石)の下に居る水の妖精に恋をしたのである。

 

参考文献

石井竹夫.2021.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である。https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

 

2021.9.22(投稿日)

童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である

宮沢賢治の童話『やまなし』は,大正12(1923)年4月8日に岩手毎日新聞に発表されたものである。この童話には,〈蟹〉,〈魚〉,〈鳥〉などの動物や「樺の木」や「やまなし」などの植物が登場し,〈蟹〉の親子(父親と二人の男の子)がこれら動植物を谷川の川底から眺めている世界が描かれている。小学校高学年の教科書にも採用されている。しかし,〈クラムボン〉,「イサド」あるいは「樺の木」など意味が取りにくい用語もたくさん出てきて難解である。

 

この物語(特に前半部)には,〈魚〉が〈クラムボン〉のところに「ゆっくり落ち着いて,ひれも尾もうごかさず」に「口を環(わ)のように円(まる)くして」やってきたとき,鳥である〈かはせみ(カワセミ)〉が鉄砲玉のように飛び込んできて魚を上空へ連れ去るシーンが描かれている。前半部の山場のところである。多くの研究者たちは,〈クラムボン〉を正体不明としたり,あるいはアメンボ,プランクトン,言葉変化遊び(crambo),水の泡,光線による水面の変化などと様々な推測を試みたりしながらも,この物語が谷川での生物の生と死,別の言葉で言い変えれば弱肉強食の生存競争あるいは食物連鎖をイメージして創作されたものと考えた。すなわち,〈クラムボン〉が〈魚〉に捕食され,〈魚〉は〈カワセミ〉に捕食される。後半部ではナシの実が〈蟹〉に捕食されることが予想されている。いわゆる〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉あるいは「ナシの実」→〈蟹〉という食物連鎖が想定されている。

 

しかし,この物語が生物の生と死あるいは食物連鎖をメインテーマにしているなら,なぜ題名が植物名の「やまなし」なのかが理解できない。別の解釈もある。エッセイストの澤口たまみさんは,この題名には賢治の相思相愛の恋人の名が隠されていて,物語には恋の終わりが記録されているとした(『新版 宮澤賢治 愛の歌』,2018)。ただ,どのような恋が描かれているかについての詳細な説明はない。

 

私は,澤口たまみさんの新しい解釈に興味をもった。その理由は,賢治の恋の破局の時期がこの童話が新聞で発表された時期と重なるからである。同時期に発表された『シグナルとシグナレス』,あるいは執筆されたが未発表の寓話『土神ときつね』も悲恋物語である。賢治は詩や童話を書いているので,破局したとはいえ,悲恋体験をそれとは分からないように文字として残したと思われる。童話『やまなし』もそのうちの1つである可能性がある。私は童話が本当に悲恋物語なのかどうか調べてみたくなった。

 

調べるに当たって最も注目したのは,〈魚〉が〈カワセミ〉によって天空へ連れ去られる前の〈魚〉の行動である。〈魚〉は〈クラムボン〉の所へ行ったり来たりしていた。そして〈カワセミ〉に連れ去られる直前では,前述したように「口を環のように円く」して静かにやってくる。〈魚〉が,餌を捕食するとき口を開けっぱなしにするだろうか。クジラがオキアミを捕食するときなら納得するが,渓流魚では考えにくい。普通,〈魚〉は餌を「パクッ」と食べるのではないのか。口を開けるのは飲み込む直前の一瞬と思われる。

 

では,〈魚〉が「口を環のように円く」するとはどのような意味が込められているのであろうか。そして,それが悲恋物語にどのように繋がるのであろうか。

 

賢治は「魚の口」という言葉に強い「こだわり」をもっているように思える。最近,東京オリンピックの閉会式のフィナーレを,宮沢賢治の「星めぐりの歌」が飾った。女優の大竹しのぶさんは,子供達と一緒に「あかいめだまのさそり ひろげた鷲(わし)のつばさ・・・・」と歌った。ここで,注目したいのは,この歌詞の続きに「・・・アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち・・・」とあることである。なぜ,渦巻き銀河であるM(メシエ)31アンドロメダ銀河(アンドロメダ大星雲とも呼ぶ)を「魚の口」としたのであろうか。賢治は,『やまなし』と同時期に制作した作品の中でも渦巻き銀河ではないが環状星雲を「魚の口」と表現している。

 

寓話『シグナルとシグナレス』(1923)では,擬人化された鉄道信号機の〈シグナル〉が相思相愛の〈シグナレス〉に「琴座」の環状星雲を婚約指輪に見立てて差し出している。〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡す婚約指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「琴座」のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという。また,物語では,宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってある。「フイツシユマウスネビユラ」とは「魚口星雲」のことである。

 

「フイツシユマウスネビユラ」の婚約指輪は,寓話『土神ときつね』(1923年頃)でも登場する。この寓話は,南から来たハイネの詩を読みドイツ製ツァイスの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北のはずれにいる土着の〈樺の木〉に恋をするが,土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。この寓話で〈きつね〉は〈樺の木〉に環状星雲を望遠鏡で見せる約束をする。そして,〈樺の木〉は「まあ,あたしいつか見たいわ」と答える。この環状星雲を〈きつね〉は「魚の口の形ですから魚口星雲(フイツシユマウスネビユラ)とも云ひます」と説明する。〈きつね〉が環状星雲を見せると約束し,〈樺の木〉が見たいと答えたことで婚約が成立しそうになっている。

 

『やまなし』では婚約指輪と記載されていないので分かりにくいが,〈魚〉は〈カワセミ〉に連れ去られる直前に,婚約指輪のつもりで「口を環のように円く」して,〈クラムボン〉に求婚しようとしていたのだと思われる。しかし,〈魚〉と〈クラムボン〉の恋愛は谷川で生活している生き物たちには歓迎されていない。だから,〈魚〉が〈クラムボン〉に求婚したとき〈カワセミ〉が突然に川底に侵入してきて〈魚〉を上空へ連れ去ってしまったのである。この恋の顛末は寓話『土神ときつね』の〈きつね〉と〈樺の木〉の恋と同じである。

 

賢治は環状星雲であるM57がある「琴座」に強い関心を寄せている。「琴座」は,ギリシャ神話の音楽の名手オルフェウスの竪琴(たてごと)の姿を形づくっている。「琴座」は童話『銀河鉄道の夜』に「橄欖(かんらん)の森」という言葉で出てくる。具体的に言えば,『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿;1924年)の冒頭部分に,「そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひ,そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗(へ)らされて聞えないやうになりました」とある。本文の中で「橄欖の森」について詳しい説明はないが,登場人物の〈女の子〉に「あの森琴(ライラ)の宿でせう」と言わせている。

 

すなわち,「橄欖の森」は「竪琴」の音が奏でられている「琴(ライラ)の宿」と同じ意味で使われている。これは,ギリシャ神話の竪琴の名手オルフェウスが,死んで天上世界へ旅だった妻のエウリディケを追いかけて連れ戻そうとする悲恋物語を連想させる。エウリディケという名は木の「妖精」(Nymph)という意味である。賢治は,『銀河鉄道の夜』(第一次稿)を執筆する2年前,あるいは『やまなし』を発表する1年前に先住の民と思われる女性と相思相愛の恋をしたが,1年で破局するという苦い体験をしている。恋人は,破局後渡米し3年後に亡くなる。

 

余談だが,東京オリンピックの閉会式で「星めぐりの歌」を歌った大竹しのぶさんは,1988年にお笑いタレントで魚の名前がつく明石家さんまさんと結婚している。童話と同じで本物の婚約指輪はもらっていないそうだ。名前(さんま)の由来は,さんまさんの実家が水産加工業を営んでいたからという。4年後に離婚しているが,その後も共演を繰り返していて仲が良さそうだ。大竹さんはオリンピック閉会式の放送後,さんまさんは見逃したらしいが,「オリンピックに出たよ・・」とLINEで出演したことを報告したという。また,大竹さんは2015年にギリシャ神話のオルフェウスの話をパロディ化した舞台『地獄のオルフェウス』にも出演している。何か,賢治とは縁があるのかもしれない。

 

谷川の〈魚〉には賢治が,そして〈クラムボン〉には恋人が投影されているとすれば,童話『やまなし』は実体験を基にして創作された〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語になる。「ヤマメ」などの渓流魚の多くは「在来種」というよりは移入種である。移入種とは日本固有種であるが,本来の生息域ではない場所に人為的に持ち込まれたものである(移植放流など)。〈魚(=移住者の末裔としての賢治)〉が〈クランムボン(=先住民の末裔としての恋人)〉に恋をして求婚しようとするが,谷川に先住していた生き物達(=周囲の者達)には歓迎されず,〈カワセミ(=周囲の者達)〉から手荒い仕打ちを受けたという悲恋物語であろう。

 

〈魚〉が自分の口を婚約指輪(琴座の環状星雲)に見立てて〈クラムボン〉に示したのは,賢治にしてみれば,琴座にまつわるギリシャ神話にもあるように,破局して去っていった恋人を連れ戻そうとする気持ちの現れだったのではないだろうか。

 

注:〈 〉に囲まれた言葉は,物語の登場人物あるいは擬人化された動植物

 

2021.9.20(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(7) -なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのか-

Keywords: 栗の木,再生と復活,神聖な木,やどりぎ

 

本稿では,なぜ物語にやどり木と栗の木が登場するのかについて考察する。最後に「まとめ」を記す。

 

8.やどり木

「やどり木」はビャクダン科の「ヤドリギ(宿り木)」(Viscum album L.subsp.coloratum Kom.)のことで,高い木の途中に30~100cm位の緑色の球体となって寄生する。主にエノキ,クリ,ブナなどの落葉樹の枝に根を食い込ませ水分や養分を奪うが,自らも光合成を行なうので正確には半寄生植物である。熱帯産の「ヤドリギ」は水分を吸い尽くすとされ宿主樹木を枯らすこともあるが,日本で見られる「ヤドリギ」は宿主樹木を枯らすことはほとんどないと言われている。 

 

欧州では「ヤドリギ」は冬の落葉樹が葉を全て落とした枝に,生き生きと緑の葉を付けているので神聖なものとされていた。特に北欧では落葉樹の「オーク(ブナ科 コナラ属植物の総称)」が古代から最も神聖な木とされていたので,「オーク」に付く「ヤドリギ(セイヨウヤドリギ)」(Viscum album L. subsp.album)は一番珍重され,再生や不滅の象徴とされていた。例えば,ギリシャ神話にも冥界を訪れた半神の英雄アイネイアスが安全に地上に戻れるように,ヤドリギを持って行ったという話が残っている(De Vries,1984)。北欧では1年で最も日が短い「冬至」に光の神バルデルの人形と「ヤドリギ」を火のなかに投げ,太陽の死からの再生・復活を願う火祭りが行われる。つまり,欧州では「ヤドリギ」は「再生復活の呪力」があるものとして崇められてきたようである。

 

童話『若い木霊』では「ヤドリギ」は「黄金(きん)色のやどり木」として登場してくる。この「黄金色のやどり木」も「再生復活の呪力」が関係していると思える。「ヤドリギ」が金色なのはフレーザー(Sir James George Frazer;1854~1941)の『金枝篇(The Golden Bough)』(1890~1914)という著書の影響があるのかもしれない。フレーザーは「ヤドリギ」がなぜ「金枝」と呼ばれるかについて,切り取られた「ヤドリギ」の葉が次第に金色を帯びるからとしている(Frazer,1973)。童話『若い木霊』の「金色のやどり木」には,高慢になって太陽の届かない「暗い森」すなわち「性欲」などの欲望に囚われそうになっている修行中の〈若い木霊〉を「みんなのさいはひ」を求める本来の姿に復活させようとする役割が与えられているように思える。

 

ただ「ヤドリギ」が枯れるなどして金色になるかどうかは疑わしいところがある。余談だが,フレーザーの『金枝篇』を読んで「ヤドリギ」を切り取って数ヶ月放置して枝や葉が金色になるかどうか確認しようとした植物研究者がいる。その研究者によると「私もいちど試してみたのだが,褐変して,あげくは,ばらばらになってしまった。気候のちがいか,付着する菌類がちがうのか,その原因はいまだに解らない」としてある(栗田,2003)。賢治が実際に「黄金色のヤドリギ」を見たかどうかは定かではない。

 

9.栗の木

この童話で「ヤドリギ」は「栗の木」に付いていた。この「栗の木」にも何か意味が込められているのだろうか。童話『水仙月の四月』と童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった』にも「黄金(きん)いろのやどり木」が登場するが,いずれも「栗」の梢に付いている。

 

また,賢治は昭和5年(1930)2月9日に教え子の沢里武治に「もし三月来られるなら栗の木についたやどりぎを二三枝とってきてくれませんか。近くにあったら。」(下線は引用者)と手紙を出している。賢治は「栗の木」とわざわざ指名している。4月4日に「やどりぎありがとうございます。ほかへも頒(わ)けましたしうちでもいろいろに使ひました。あれがあったらうと思われる春の山,仙人峠へ行く早瀬川の渓谷や赤羽根の上の穏やかな高原など,いろいろ思ひうかべました。・・・こんどはけれども半人前しかない百姓でもありませんから,思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます。期して待って下さい。・・・私も農学校の四年間がいちばんやり甲斐のある時でした。但し終わりのころわづかばかりの自分の才能に満じてじつに倨傲(きょごう)な態度になってしまったこと悔いてももう及びません。しかも,その頃はなお私には生活の頂点でもあったのです。もう一度新しい進路を開いて幾分でもみなさんのご厚意に酬いたいとばかり考えます。」と返信している。

 

賢治は,教え子である沢里の手紙を貰う2年半前(1928年8月)に両側肺浸潤と診断され以後自宅で療養生活を送っていた。それが1929年9月頃になると病状も回復してきて,さらに半年後には引用した手紙に書かれてあるように「思い切って新しい方面へ活路を拓きたいと思ひます」とすっかり健康を取り戻した。沢里に送ってくれるように頼んだ「ヤドリギ」は再生復活を強く意識したものと思われる。賢治はその後石灰岩を粉砕して肥料を作っている鈴木東蔵に出会い,東北の酸性土壌を安価な石灰で改良するという東蔵の話に意気投合し,昭和6(1931)年2月に東北砕石工場の嘱託技師となり石灰の宣伝・販売に従事するようにうなる(佐藤,2008)。

 

賢治が「栗の木についたやどりぎ」を指定したのは,「オーク」が欧州の先住民にとって神聖な木であったように,「栗」が我が国の「先住民」にとって神聖な木であったからと思われる。

 

「栗」は,我が国の山野で普通に見られる「クリ」(別名はシバグリ,ヤマグリ;Castanea crenata Siebold et Zucc..)のことであろう。「オーク」と同じブナ科の落葉高木である。果実はクルミ,トチ,各種ドングンリと同様に縄文時代からの狩猟採取民にとって重要な食料源であった。近年,縄文時代中期頃とされる青森県の三内丸山遺跡で極めて高率に花粉分布域が検出され,当時この周辺には栽培・管理された純林に近い「クリ林」が存在していたことが明らかにされている。さらに,縄文人は果実を食料にするだけでなく木材を住居の柱,杭,丸木舟,櫂(かい)など土木・用具材に利用してきたことも明らかになってきた。

 

三内丸山遺跡で,巨大な集落跡に「クリ材」を使用したと思われる地上の高さ15mと推定される6本柱の巨大な掘立柱建物跡(直径約1m)が出土した。柱穴規模や残された「クリ材」の巨大さ,集落内の移住空間と分離した位置にあることから,一般の掘立柱建物とは異なった祭祀的性格の強い構造物だったとされている(植田,2005)。縄文文化の中心が「東北」ということを考えれば,「クリ」は狩猟採集の縄文時代を通じて最もよく使われる木材の1つであり,また神聖な木であったと考えられる。

 

10.まとめ

(1)童話『若い木霊』は,「鴾の火」や〈大きな木霊〉や「黒い森」など難解な用語が多く,全体の意味が取りにくい謎の多い作品の1つとして知られている。難解な用語を解くカギは,「四」という数字に隠されていると思われる。なぜなら,木の霊である〈若い木霊〉は,木から抜け出して早春の4つある丘を散策していくが,最初の丘で何か胸がときめくのを感じ,柏の木の下で「来たしるし」として「枯れた草穂をつかんで四つだけ結ぶ」という不思議な動作をするからである。

 

(2)〈若い木霊〉には,菩薩になりたかった賢治自身が投影されていると思われる。修行僧がイメージされている〈若い木霊〉にとって胸をときめかすものは「法華経」と思われる。〈若い木霊〉が「四つだけ結ぶ」とは,28品目ある「法華経」のうち,特に方便品第二,如来寿量品第十六,安楽行品第十四,観世音菩薩普門品第二十五の4品を学ぶということを意味していると思われる。〈若い木霊〉は4つの丘の間にある平地や窪地にいる擬人化された〈蟇〉やそこで咲いている〈かたくり〉や〈桜草〉の独り言あるいは葉に現れる文字のようなものから「法華経」の「四要品」の教えを学ぶことになる。

 

(3)最初の丘を下ったところの窪地にいる〈蟇〉の「鴾の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧(あお)くはないんだ。桃色のペラペラの寒天でできてゐるんだ。いい天気だ。ぽかぽかするなあ。」という独り言は,「法華経」の「方便品第二」の教えに相当すると思われる。「方便品第二」では「如来がこの世に登場したのは煩悩に縛られている衆生を救うためである」と説かれている。物語では,土の中から出られないでいた〈蟇〉(煩悩で苦しんでいる衆生)が,日が長くなった春の光(如来の登場)で救いだされたのである。〈若い木霊〉は〈蟇〉の「鴾の火」という言葉を聞いて「胸はどきどきして息はその底で火でも燃えてゐるやうに熱くはあはあ」する。この〈若い木霊〉にとっての「鴾の火」は多くの研究者によって「若い主人公の中に目覚めた官能の象徴」と解釈されてきた。しかし,筆者は,〈若い木霊〉が興奮したのは,〈蟇〉の独り言の中に「法華経」の「方便品第二」の教えを読み取ったからと考える。

 

(4)2つめの丘の向こうにある窪地には〈かたくり〉が咲いている。その〈かたくり〉の葉に現れるあやしい文字「そらでも,つちでも,くさのうえでもいちめんいちめん,ももいろの火がもえてゐる。」は,「観世音菩薩普門品」の教えに対応する。観世音菩薩とはサンスクリット語では「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」という意味である。「観世音菩薩普門品」には,観音の力を念じれば菩薩はどんなところでも一瞬のうちに現れて,念じた者の苦しみを無くしてくれるということが記載されている。太陽の高さが高くなり日陰だったところに春の光が「いちめんいちめん」に射すようになると〈かたくり〉が芽を出し,そして花を咲かせるようになる。

 

(5)3つめの丘を下ったところの窪地には〈桜草〉が咲いている。この〈桜草〉は,「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる。そして沈んでまたのぼる。空はもうすっかり鴾の火になった。さあ,鴾の火になってしまった。」と独り言を言う。この独り言は,「法華経」の「如来寿量品」にある「良医治子の誓え」に対応していると思われる。

 

(6)「良医治子の誓え」は,如来の教えを学ぶ衆生に対して,求道心を強く持たせようとするものである。「法華経」によれば,如来の寿命は本来無限であるのだが,無限と言ってしまっては衆生が怠けてしまうので,時には死んだと嘘をつくというものである。〈桜草〉にとって太陽からの光は「鴾の火」であり,尽きることはないと思われるが,一日中連続的に浴びていたらうまく成長できない。すなわち,植物にとって太陽は毎日一定時間沈む必要があるのである。

 

(7)〈若い木霊〉は,〈桜草〉の独り言を聞いて「胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し・・・その息は鍛冶場のふいごのやう,そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れなく」なってしまう。〈若い木霊〉は〈桜草〉の独り言の中に「ほんたうのこと(=真実)」を感じ取ったと思われる。賢治も書物を読んで激しく感動した経験を持っている。賢治の弟の清六は,賢治が盛岡高等農林学校へ進学するための受験勉強をしていた頃の兄について,賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』にある「如来寿量品第十六」を読んで感動し,驚喜して身体がふるえて止まらず,この感激を後年ノートに「太陽昇る」と記していた」と述べている

 

(8)〈鴾〉が〈若い木霊〉を案内した4つめの丘の「南」に位置する「桜草がいちめん咲い」ていていて,その中から「桃色のかげろふのやうな火がゆらゆらゆらゆら燃えてのぼって」いる場所は,賭博場あるいは性的エネルギーの発散場所でもある遊郭などがイメージされているように思える。

 

(9)〈鴾〉が桜草の咲いている場所で〈若い木霊〉に分け与えようとした「鴾の火」は,〈鴾〉自身がときめく「番(つがい)」の対象となる「黒い鴾」であると思われる。別の言葉で言えば「官能の象徴」でもある。物語の〈鴾〉が「トキ」(Nipponia nippon)のことであるとすれば,この〈鴾〉の羽は通常白く裏側が桃色であるが,繁殖期になると〈鴾〉は首の周りから出る分泌物をこすりつけることで,頭から背中にかけて黒灰色になる。しかし,〈若い木霊〉は〈鴾〉が差し出した「黒い鴾」すなわち「官能の象徴」を「桃色のかげろふ」のような火の中からは認識することができなかった。

 

(10)〈鴾〉が分けてくれた「鴾の火(=黒い鴾=官能の象徴)」が〈若い木霊〉に見えなかったのは,「桃色のかげろふ」のような火の向こうにある「暗い木立(黒い木)」に秘密がある。多分,〈若い木霊〉は背景にある「暗い木立」が「黒い鴾」を見えにくくしているのだと思われる。

 

(11)「黒い木」は,〈桜草〉の「お日さんは丘の髪毛の向ふの方へ沈んで行ってまたのぼる」という独り言の中の「髪毛の向ふ」と関係していると思われる。「髪毛の向ふ」とは「お日さん」が沈むところであろう。「お日さん」を「如来の言葉」すなわち「法華経」とすれば,「髪毛の向こう」は「法華経」が隠されているところなのかもしれない。「安楽行品」の「髻中明珠の譬え」には「法華経」の譬喩である宝珠が如来の頭にある「髻」の中に隠されているとある。すなわち,「暗い木立」は〈若い木霊〉にとっては「髻中明珠の譬え」にある「髻」の髪の毛であろう。

 

(12)「髻中明珠の譬え」とは,転輪聖王という王が闘いで活躍した兵士に城や財宝を与えて讃えたが,自分の束ねた髪の中に隠した宝珠だけは大きな功績がある者にだけしか与えなかったという譬え話である。この話で転輪聖王は「如来」で,兵士は衆生,城や財宝は法華経以前の仏の教えで,「髻」の中の宝珠は「法華経」である。法華経は諸経の中で最も優れていて高度なものだから,少しでも遊びや快楽の要素が含まれているものに近づこうとする者には理解できないとする教えである。

 

(13)だから「桜草のかげらふ」の中に飛び込んだ〈若い木霊〉には,背景にある「暗い木立」で〈鴾〉が「すきな位持っておいで」と差し出した「鴾の火」すなわち繁殖期の「黒い鴾」が見えなかったのである。「黒い木」とは転輪聖王(如来)の「髻」の髪の毛であろう。すなわち,〈若い木霊〉は「宝珠」(法華経)が隠されている如来の「髻」の中に飛び込んだのである。〈若い木霊〉が飛び込んだ「桜草のかげらふ」とは〈若い木霊〉にとっては如来の「髻」であり,〈鴾〉にとっては繁殖期の雌の〈鴾〉のいる「遊郭」やトランプ遊びができる娯楽の場所である。

 

(14)〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てくる。〈若い木霊〉はこの〈大きな木霊〉を見て逃げてしまう。この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であろう。そして,この〈大きな木霊〉から逃げたのは,「法華経」の「安楽行品」から「みんなをさいはひ」に導くためには「若い女性に近づくな」ということを学んだからである。

 

参考・引用文献

De Vries,A.(著),山下圭一郎他訳.1984.イメージ・シンボル事典.大修館.東京.

Frazer,J.G.(著),永橋卓介(訳).1973.金枝篇(5).岩波.東京.

栗田子朗.2003.折節の花.静岡新聞社.静岡.

佐藤竜一.2008.宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死.集英社.東京.

植田文雄.2005.立柱祭祀の史的研究-立柱遺構と神樹信仰の淵源をさぐる-.日本考古学 12(19):95-114.

 

2021.9.19(投稿日)

宮沢賢治の『若い木霊』(6) -黒い森と大きな木霊から逃げた理由-

Keywords: 葦,恋人,まっくらな巨きなもの,先住民,日本武尊

 

本稿では,「黒い森」が何を意味しているのか明らかにし,〈若い木霊〉が〈大きな木霊〉から逃げた理由について考察する。「黒い森」は以下の場面で登場してくる。

「鴾(とき),鴾,どこに居るんだい。火を少しお呉れ。」

「すきな位持っておいで。」と向ふの暗い木立の怒鳴りの中から鴾の声がしました

「だってどこに火があるんだよ。」木霊はあたりを見まはしながら叫びました。

「そこらにあるじゃないか。持っといで。」鴾が又答へました。

 木霊はまた桃色のそらや草の上を見ましたがなんにも火などは見えませんでした。

「鴾,鴾,おらもう帰るよ。」

「そうかい。さよなら。えい畜生。スペイドの十を見損っちゃった。」と鴾が黒い森のさまざまのどなりの中から云ひました

 若い木霊は帰らうとしました。その時森の中からまっ青な顔の大きな木霊が赤い瑪瑙(めのう)のやうな眼玉をきょろきょろさせてだんだんこっちへやって参りました。若い木魂は逃にげて逃げて逃げました

                     (宮沢,1986)下線は引用者

 

前稿(石井,2021c)で,「桃色のかげろふのやうな火」という「幻想世界」の中から見た「暗い木立(黒い木)」は,如来の「髻(もとどり)」にある「髪の毛」がイメージされていると述べた。〈若い木霊〉は〈鴾〉を追いかけて走り回った影響で疲労困憊したと思われる。〈若い木霊〉が見た「暗い木立」は,うとうとと眠りかけたときに見る「入眠幻覚」のようなものとして現れた。しかし,幻影としての「暗い木立」は,〈若い木霊〉が〈鴾〉が示した「鴾の火」を見つけられずに「おらもう帰るよ。」と言った瞬間に「黒い森」に変わる。賢治が意図的に変えたと思われる。多分,〈若い木霊〉は,この場から帰りたいと思った瞬間,「幻想世界(夢)」から醒め,再び「現実世界」に立ち戻ったのだと思う。「黒い森」は「暗い木立」という言葉と似ているが,意味は全く異なると思われる。では「現実世界」で見た「黒い森」とは何を意味しているのであろうか。

 

6.「黒い森」とは何か

〈鴾〉は〈若い木霊〉をこの「黒い森」に案内する途中で4番目の丘の狭間の「葦」の中に墜ちてしまう。この「黒い森」の正体は,この〈鴾〉が落ちた場所と関係がありそうである。

「お前は鴾といふ鳥かい。」

 鳥は

「さうさ,おれは鴾だよ。」といひながら丘の向ふへかくれて見えなくなりました。若い木霊はまっしぐらに丘をかけのぼって鳥のあとを追ひました。丘の頂上に立って見るとお日さまは山にはひるまでまだまだ間がありました。鳥は丘のはざまの蘆(あし)の中に落ちて行きました。若い木霊は風よりも速く丘をかけおりて蘆むらのまはりをぐるぐるまわって叫びました。

「おゝい。鴾。お前,鴾の火といふものを持ってるかい。持ってるなら少しおらに分けて呉(く)れないか。」

「あゝ,やらう。しかし今,ここには持ってゐないよ。ついてお出(い)で。」

 鳥は蘆の中から飛び出して南の方へ飛んで行きました。若い木霊はそれを追いました。あちこち桜草の花がちらばってゐました。そして鳥は向うの碧いそらをめがけてまるで矢のやうに飛びそれから急に石ころのやうに落ちました。

                       (宮沢,1986)下線は引用者

 

鳥の「葦むら」に落ちてから飛び上がり,また落ちるという不可思議な行動と野原の向こう側から聞こえてくる不思議な声は,詩集『春と修羅』の「白い鳥」(1923.6.4)にもでてくる。「白い鳥」には「どうしてそれらの鳥は二羽/そんなにかなしくきこえるか/それはじぶんにすくふちからをうしなつたときわたくしのいもうとをもうしなつた/そのかなしみによるのだが/(ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか)/そのかなしみによるのだが/またほんたうにあの声もかなしいのだ/いま鳥は二羽,かゞやいて白くひるがへり/むかふの湿地,青い芦のなかに降りる/降りやうとしてまたのぼる」とある。

 

引用した詩は,「(日本武尊の新らしい御陵の前に/おきさきたちがうちふして嘆き/そこからたまたま千鳥が飛べば/それを尊のみたまとおもひ/芦に足をも傷つけながら/海べをしたつて行かれたのだ)」という詩句が続くことから『古事記』の白鳥陵伝説を元にして創作された心象スケッチであることがわかる。「芦(よし)」はイネ科ヨシ属の多年草で「ヨシ」(Phragmites australis (Cav.) Trin.ex Steud.)で,童話『若い木霊』の「葦(あし)」のことである。

 

「葦(あし)」という呼び名は,古くは『古事記』や『日本書紀』などの記紀の「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という言葉の中で使われていた。これは日本という国の古い呼称である。多分,童話の「葦」は記紀に登場する「葦」がイメージされている。朝廷によって作られた歴史書によれば,日本列島は大陸から稲作と鉄器の文化を持ってきた渡来系弥生人らによって統治される前は「葦」の茂る未開な国であったということである。この日本列島の「葦」が茂る土地には,渡来系弥生人らが来る前にすでに「先住民」が暮らしていた。

日本武尊(やまとたけるのみこ)は,第12代景行天皇の皇子で,西国の熊襲征討と東国(東北)の蝦夷(エミシ)征討を行ったとされる記紀上の伝説的英雄である。童話『若い木霊』が東北を舞台にしているとすれば,この物語に登場する「幻想世界」から醒めたときに現れた「黒い森」は東北の「蝦夷」と呼ばれた「先住民」と関係しているように思える。東北の「先住民」には朝廷に対して「まつろわぬ民」として記紀に登場する日本武尊の時代から,阿弖流為と坂上田村麻呂が戦った古代そして戊辰戦争の近代に至るまで対立してきた歴史がある。

 

賢治の作品には,この「黒い森」に相当するものは,詩集『春と修羅 詩稿補遺』の詩「境内」では「どうにも動かせない」「まっくらな巨きなもの」(石井,2021a),詩「火祭」においては「(ひば垣や風の暗黙のあひだ/主義とも云はず思想とも云はず/たゞ行はれる巨きなもの)」(石井,2021a)で,童話『ガドルフの百合』では「巨きなまっ黒な家」,そして童話『銀河鉄道の夜』においては「橄欖の森」,「大きな闇」あるいは「巨きな黒い野原」として表現されてきた。「橄欖の森」はブログ名にも採用している。詳細は固定ページの「ブログ名(橄欖の森)について」を参照してください。

 

これらの「まっ黒」で「巨きなもの」として象徴されるものは,東北の「先住民」が「大和」あるいは「侵略者」に示す「疑い」や「反感」・「憎悪」の共同体意識(共同幻想)である。別の言葉で言い換えれば,「村人(農民)」の「町の人」に対する反感意識でもある。すなわち,〈鴾〉は〈若い木霊〉を「疑い」や「反感」・「憎悪」が渦巻く東北先住民の共同体意識の中に連れ込もうとしたと思われる。多分,〈若い木霊〉は丘の木々や花の精霊,動物達,あるいは「黒い森」に住む者達にとってはよそ者(移住者)として設定されているように思える。

 

7.大きな木霊から逃げた理由

〈若い木霊〉が帰ろうとしたときに「黒い森」の中から「赤い瑪瑙」のような眼玉をきょろきょろさせて〈大きな木霊〉が出てきて,〈若い木霊〉はこれを見て逃げてしまう。「黒い森」あるいは〈大きな木霊〉から逃げた理由として,伊東(1977)は「早すぎた目覚め」と「鴾の火(性)に対する無知」によるものとし,中地(1991a,b)は「性の目覚めを体験し,それに執着したために不気味な幻想世界(修羅の世界)を呼び起こして驚いたから」とし,鈴木(1994)は魔王波旬の眷属になってしまうことへの恐怖によるものとした。

 

筆者は,この〈大きな木霊〉は性愛を伴う恋愛の対象者としての〈大人の木霊〉であると思っている。「瑪瑙(メノウ)」は,縞模様が入る二酸化ケイ素を主成分とする鉱物(宝石)である。それゆえ「赤い瑪瑙」は,サケやマスの繁殖時期の腹側にできる薄赤い縞模様(「婚姻色」)がイメージできる。すなわち,「幻想世界」の中で「法華経(安楽行品)」から「若い女性に近づくな」ということを学んだ〈若い木霊〉は,この若い成熟した女性の木霊を見て「逃げた」のである。さらに深読みすれば,〈大きな木霊〉は賢治の背が高かった「先住民」の末裔と思われる恋人が投影されていると思われる。前述した詩集『春と修羅』の「白い鳥」に登場する2羽の白い鳥のうち1羽は妹トシであるが,もう1羽は破局に終わった恋人と思われる。

 

この童話の制作年度は研究者によっては1921年11月以前を想定しているが,賢治の恋が破局した1923年春頃も見直しと修正がなされていたのかもしれない。

 

賢治は,花巻農学校の教諭時代に地元の女性と相思相愛の恋愛をしている(佐藤,1984)。この女性は,前稿で述べたレコード鑑賞会に参加していた花城小学校の7~8人の女性教諭の1人である。この恋は長続きせずに1年ほどで破局している(1922年春から1923年春頃まで)。破局の原因は定かではないが,筆者は東北の「先住民」と京都に都を置いた朝廷側の歴史的対立が破局の原因の1つであると考えている(石井,2021b)。宮沢一族は京都出身の「移住者」の末裔であり,恋人は「先住民」の末裔と思われる。この歴史的対立がもたらした「先住民」の「移住者」に対する反感・憎悪は,前述したように「まっくらな巨きなもの」である。

 

賢治は,自分の前に立ちはだかった「まっくらな巨きなもの」をどうにも動かすことができなかった。賢治は「まっくらな巨きなもの(=黒い森)」から幻聴として「怒鳴や叫びががやがや聞えて」きたのかもしれない。前述したように「白い鳥」という詩の中には「またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」という詩句がそれに対応している。そして,賢治は2人の「さいはひ」よりも「みんなのさいはひ」を選択したのであろう。

 

また,2番目の丘のところで〈若い木霊〉は,〈栗の木〉に耳をあてても何の音もしないことから,〈栗の木〉につく〈やどり木〉に対して「おい。この栗の木は貴様らのおかげでもう死んでしまったやうだよ」と非難していたが,森から引き返した後では「ふん,まだ,少し早いんだ。やっぱり草が青くならないとな」とやさしい言葉をかけるようになる。「法華経」の「安楽行品」から「他人を非難し敵視せず」ということを学んだからと思われる。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/145103

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『若い木霊』(4)-鴾の火と法華経・如来寿量品の関係について-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/16/061200

伊東眞一朗.1977.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」論.国文学攷 74:12-24.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

中地 文.1991a.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(上).日本文学 75:16-33.

中地 文.1991b.「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」の成立考(中).日本文学 76:50-63.

鈴木健司.1994.宮沢賢治 幻想空間の構造.蒼丘書林.東京.

 

本稿は未発表レポートです。                                        2021.9.18(投稿日)