「松の針」(1922.11.27)の全文
さつきのみぞれをとつてきた/あのきれいな松のえだだよ/おお おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる/そんな植物性の青い針のなかに/はげしく頬を刺させることは/むさぼるやうにさへすることは/どんなにわたくしたちをおどろかすことか/そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ/おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた/《ああいい さつぱりした/まるで林のながさ来たよだ》/鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう/ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ/おまへの頬の けれども/なんといふけふのうつくしさよ/わたくしは緑のかやのうへにも/この新鮮な松のえだをおかう/いまに雫もおちるだらうし/そら/さわやかな/terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう
(宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ
「松」はマツ科マツ属の常緑針葉樹である「アカマツ(赤松)」(Pinus densiflora Siebold et Zucc.)や「クロマツ(黒松)」(Pinus thunbergii Parl.)などがある。「南部アカマツ」は岩手県の県木である。古くから,神が宿る木(依り代)として神聖視されてきた。賢治作品では「あの世」などの異空間との境に生える植物として登場する(前ブログ,2021)。
「植物性の青い針」とは何か。単に植物である「マツ」の針状の「みどりの葉」のことを言っているのではない。この詩では「植物」ではなく「植物性」と記載されている。植物に見えるが,実体は植物ではないものがイメージされている。例えば,「あの世」にいる何か得体のしれない「青い針」をもつ生き物というようなものだ。仏教では,「青」は〈釈迦如来〉の髪の毛の色で,心乱れず力強く生き抜く精神(「定根(じょうこん)」あるいは「禅定」)を意味するとされる。
「松のえだ」の「青い針」の中に「はげしく頬を刺させること」とは何か。
なぜ,こんなことができるのであろうか。
「青い針」を植物のものとしてごく普通に考えれば,病状が悪化して「痛み」の感覚が麻痺してきたので,「マツ」の針状の葉に刺されても「痛み」を感じないというものである。しかし,「青い針」が「植物」ではないなら話しは別である。この詩では神経生理学的な衰弱ではなく,スピリチュアル的な目に見えない何か不思議な力が働いている。
がん末期の痛みは,身体的な原因というより,精神的な「苦しみ」や「死への恐怖」,「不安感」などと深く結びついていることが知られている。薬では効きにくい。「全人的苦痛(トータルペイン)」と呼ばれ,心と体が互いに影響し合って痛みを強めるのだという。肺結核末期のトシにおいても,そのようなことが起きている可能性はある。
妹トシは臨終の際に「うまれでくるたて/こんどはこたにわりやのごとばかりで/くるしまなあよにうまれてくる」と言っていた。前ブログ(2026e)でこの「苦しみ」は,結核に罹り長い病床生活をおくってきたことや,7年前に起きた花巻高等女学校の音楽教師との恋愛をめぐる事件のことが関係していることについてはすでに述べた。このとき,トシの学校生活は「針のむしろ」の中にいるような状態であったと思われる。
また,この詩の日付の9日前11月19日に,妹トシは下根子・桜の別宅から実家の離れに戻される。このとき,付添人の細川キヨは,「トシさんは,桜の家から移るとき,「あっちへいくと,おれ死ぬんちゃ,寒くて,暗くて,いやな家だもな。」と移りたくない様子だった」ということを聞いている(森,1974)。トシのこの言葉は,まだ生きていたいという強い気持だけでなく,死に対する恐怖すら感じさせるものである。強い「不安」もあっただろう。
トシは咳き込むと「痛み」も感じていたと思われる。また,精神的な「苦しみ」や「死の恐怖」といったスピリチュアルな要素が加わって「痛み」に過敏になっている可能性もある。トシは,とても「松の枝」の針状の葉に触れるような状態にはなかったと思われる。
妹トシが賢治から貰った「松のえだ」の「青い針」の中に「はげしく頬を刺させる」ことができたのは,何か不思議な力によって,トシが「苦しみ」や「死の恐怖」から解放されたからだと思われる。スピリチュアルな「痛み」に対してはスピリチュアルなケアが必要とされている。
例えば「傾聴」と「共感」に徹する。存在を肯定する。特別の会話がなくても傍にいる。本人が特定の宗教を信仰している場合は宗教家を招くなどである。
妹トシの臨終に際しては家族が見まもっていたし,「法華経」に帰依した賢治も傍に付いていた。
賢治は,困難な状況で〈観世音菩薩〉に幾度か救って貰った経験がある(前ブログ,2026b,2026c)。多分,妹トシにも,臨終のとき〈観世音菩薩〉が現れたのかもしれない。これは,妹トシが賢治と同等あるいはそれ以上の信仰心の強さも持っていた可能性があるからである。
賢治には『ひかりの素足』(第一形態1922年前半ごろまでで最終形態は1923年頃)という童話がある。この童話は,〈一郎〉と泣いてばかりいる弟の〈楢夫〉という二人の子が現世と前世で罪を犯したということで「うすあかりの国」(地獄のような所)に落ち,そこで手に鞭(むち)を持つ「鬼」に赤い瑪瑙の「棘(とげ)」のある地面を裸足で歩かせる苦行を強いられる物語である。この「うすあかりの国」で〈一郎〉は「私を代わりに打って下さい,楢夫はなんにも悪いことはないのです」,「楢夫は許してください」と言って,何度も泣きじゃくる〈楢夫〉を抱きしめ,罰を与える「鬼」から一生懸命に守っていた。〈一郎〉には賢治が,〈楢夫〉には恋人が投影されていた(前ブログ,2026a)。
童話では〈一郎〉が「にょらいじゅりょうぼん第十六」とつぶやくと「大きなまっ白なすあし」の人が現れ,赤い瑪瑙の「棘」の地面を「平らな波一つ立たないまっ青な湖水の面」に変え子供を救う。つまり,二人の子供は赤い瑪瑙の「棘」のある地面を裸足で踏んでも傷みを感じない。前ブログではこの「大きなまっ白なすあし」の人は立派な「瓔珞」をかけ黄金の円光を冠っていることから〈観世音菩薩〉(円光観音)であると推測した。如来はあまり飾り物を身につけないからだ。
妹の死から8か月後の日付のある詩「靑森挽歌」にも妹の臨終の様子が詠われている。99行目~104行目に「わたくしがその耳もとで/遠いところから声をとつてきて/そらや愛やりんごや風,すべての勢力のたのしい根源/万象同帰のそのいみじい生物の名を/ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき/あいつは二へんうなづくやうに息をした/白い尖つたあごや頬がゆすれて/ちいさいときよくおどけたときにしたやうな/あんな偶然な顔つきにみえた/けれどもたしかにうなづいた」とある。「いみじい」は,程度が並外れてはなはだしいという意味。
また,171行目~175行目に「天の瑠璃の地面と知つてこゝろわななき/紐になつてながれるそらの楽音/また瓔珞やあやしいうすものをつけ/移らずしかもしづかにゆききする/巨きなすあしの生物たち」とある。
詩では,兄が死にゆく妹の耳もとで「いみじい生物の名」を叫んだとき,妹はその生物が確かに存在することを示すために「うなずいた」とされている。この「いみじい生物」とは何のことか。評論家の吉本隆明は,自著で「この生物の名はたぶん「如来」ということだとおもわれる。じっさいには宮沢賢治の信仰の集約言である「南無妙法蓮華経」の題目を,トシのために称えたことを指していよう」とした(吉本,1996)。多分,吉本にとっては,「いみじい生物」は〈釈迦如来〉のことなのだと思われる。賢治は妹の耳もとで「南無妙法蓮華経」と題目を唱えながら「こころ」の中で「そこに如来はおられるのか」と妹にテレパシーを送ったということだ。
吉本のこの考察は,堀尾青史の「「無声慟哭」の日」に「トシは何かを索(もと)めるように眼を動かしていた/いったい何を求めているのか。/咄嗟であり寸刻である。生と死の刹那であり,劫(ごう)に通じる一瞬である。/賢治は頭をだき起すとその耳もとで力いっぱい叫んだ。/南無妙法蓮華経/トシは二へん,うなずくように息をし,しずかに頭をよせかけたままになった。」(下線は引用者)と書かれている。というものを参考にしている。堀尾のこの文章は,賢治作品の読み込みと,関係者から聞いたメモから再構成されたものと言われている(吉本,1999)。
もしかしたら,妹トシは賢治の助けを借りなくても「大きなまっ白なすあし」(あるいはいみじい生物の名)の人を呼び寄せることができていたのかもしれない。
いずれにせよ,賢治は11月27日の臨終の日に妹トシが「法華経」に登場する「いみじい生物」の姿を感じ取っていたと信じているように思える。科学者としての賢治は,異空間である「あの世」も「いみじい生物」も存在するとは思っていないが,宗教者としての賢治は信じたいと思っている。「あの世」に旅立つ「信仰を一つにするたったひとりのみちづれ」に是が非でも「いみじい生物」の存在の有無を確かめたかったのだ。
詩「松の針」では「おお おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる」とある。賢治の言う「いみじい生物」が存在するとするなら,多分,妹トシは,たしかに「いみじい生物」に出会い,その「いみじい生物」の腕の中に飛び込んだのだと思われる。このとき,「マツ」の針状の「みどりの葉」は柔らかな毛のようなものに変わったのかもしれない。「むさぼるようにして」とあるのは,「いみじい生物」の腕の中で「苦しみ」や「死への恐怖」から解放され,喜びを感じ取っていたのだと思われる。もしかしたら,「青い針」とは〈釈迦如来〉の青い髪の毛だったのかもしれない。
ただ,「いみじい生物」に出会うにはかなり強い信仰心が必要だと思われる。妹トシに強い信仰心がうかがわれる事例がある。トシの就職のときである。トシは,1915年の恋愛事件後に故郷には居られず東京の大学へ行っているが,1919年に大学を卒業したあとには再び帰郷し,1920年に母校(花巻高等女学校)の教諭となる。当時の件を知る人がまだ学内及び地域にいたことを考えればかなりの覚悟がいるはずだ。「針のむしろ」の中に飛び込むようなものだからである。私は,理由は色々とあるとは思われるが,トシが持つ信仰心の強さが一番強く影響していると思っている。
「鳥のやうに栗鼠のやうに/おまへは林をしたつてゐた/どんなにわたくしがうらやましかつたらう」とは何か。
「林」は別宅近くの林のことと思われる。実家に戻された妹トシは,実家離れの建物や薄暗い蚊帳の病室が嫌で,独居自炊することになる下根子桜の別宅での夏から秋への療養生活を恋しがっていたという。別宅は高台にあり,太陽がさんさんと照り,松の木は爽やかに酸素を吐き,兄の植えたギンドロの木はまさに銀色の葉をひるがえしていた。7月の或日に別宅へ移ったとき,「おらあど死んでもいいはんて,あの林の中さ行ぐたい」と言った(堀尾,1991)。という。
ただ,賢治の使う「林」には別の意味も隠されている。「林」は「法華経思想」の譬喩でもあることはすでに述べた(前ブログ.2026d)。つまり,「林へ行きたかった」あるいは「林をしたってた」は「信仰とともに生きていきたい」あるいは「心乱れず力強く生き抜きたい」という意味でもある。妹トシは,賢治にとっては「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」だった。「恋愛」と「宗教情操」の間を揺れ動く賢治は「林をしたってた」妹を「うらやましい」とさえ思っている。
下線部分の13行目「ほかのひと」は,友人の保阪嘉内や同僚の堀籠文之進なのだとする諸説があるが,賢治の恋人のことであろう。このとき,賢治は病床の妹よりも,恋人のことばかり考えていた自分を恥じ罪の意識を感じている。妹は,あんなにも熱心に「法華経」を学んでいるのに,自分はなんというザマだ・・・と。
なぜ,賢治は「ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか」と言ったのか
多分,前報でも触れたが,賢治は妹トシが「(Ora Orade Shitori egumo)」と発語することを恐れていたと思われる。それを言われてしまうと妹にも見放されてしまうと思うからである(前ブログ,2026e)。だから「ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ/ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか/わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ/泣いてわたくしにさう言つてくれ」と願うのだと思われる。
「terpentine(ターペンテイン)の匂い」とは何か。
ターペンテインとはマツ科の樹脂(ドイツ語のterpentinに由来)のことでテルビン油の原料になる。賢治の童話『車』では松林に隣接してこのテレビン油を作る工場が出てくる。テレビン油はマツの樹脂に水を加え蒸留して作られ,αピネン,βピネンを主成分として,その他に3-カレン,d-リモネン,酢酸ボニールなどの揮発性物質を含むことが知られている。油絵の具やペンキの溶剤などに使う。
「松」の「さわやかさ」を作っている香りは主としてこの樹脂に含まれるピネンによるものだが,柑橘類に多いリモネンも含まれるためレモン臭も加わり松独特の香りとなる。賢治の作品には香りの成分である,ピネンやリモネンそのものが登場してくる詩がある。詩「落葉松の方陣は」(1924.9.17)には「落葉松の方陣は/せいせい水を吸ひあげて/ピネンも噴きリモネンも吐き酸素もふく」とある。
「わたくしは緑のかやのうへにも/この新鮮な松のえだをおかう」とは何か
前述したように,妹トシは,爽やかな香りのする松林が近くにある桜の別宅でずっと療養生活を送っていたかった。しかし,それは叶わぬ願いであった。だから,賢治はその代わりとして,トシの寝床の蚊帳の上に新鮮な「松の枝」を置いたのであろう。賢治の罪の償いの一つなのかもしれない。
信仰を一つにするたったひとりのみちづれよ いまに雫もおちるだらうし そら さわやかな terpentine(ターペンテイン)の匂もするだらう。
賢治の妹に対する自責の念は,日に日に増していっているように思える。賢治は徐々に恋人を遠ざけていくことになる。
参考・引用文献
遠藤 均.2020.宮澤賢治と妹・トシ.星槎道都大学研究紀要創刊号.
堀尾青史.1991.年譜宮澤賢治伝.中央公論社.
原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.
宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.
森荘已池.1974.宮沢賢治の肖像.津軽書房.
吉本隆明.1996.宮沢賢治.筑摩書房.
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お礼 ユキノカケラさん 本ブログ読んでいただきありがとうございます。2026.8.11.