宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(2)-

Keywords: アイヌ神謡集,文学と植物のかかわり,インディアン,絹で包んだリンゴ,高原,涙ぐむ眼,先住民,種山ヶ原

 

童話『銀河鉄道の夜』の初期形第一次稿は,四次稿の4分の1程度の長さの物語であり,大きく分けると「橄欖の森」,「高原のインディアン」,「バルドラの野原の一匹の蠍」そして最後の「ブルカニロ博士」の4つの話から構成されている。「ブルカニロ博士」の登場する場面は第四次稿で削除されるが,残りの3つの話は,一次稿から四次稿までほとんど加筆修正されることなく残されるので『銀河鉄道の夜』の最も重要な部分(核の部分)である。

 

本稿(1)では,最初の「橄欖の森」について言及し,『銀河鉄道の夜』が北海道の日高山系や「東北」の北上山系の「蝦夷」など「先住民」の住む「橄欖岩」を産出する大地をイメージして創作されたことを明らかにした。本稿(3)では残りの2つの話を検討して『銀河鉄道の夜』がいかにして生まれたかについて考察してみる。

 

1.童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)と『アイヌ神謡集』との関わり

賢治の寓話『土神ときつね』は,秋枝(2017)によれば「アイヌ民族」の「神謡(カムイユカラ)」を纏めた(『アイヌ神謡集』1923.8)の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」をヒントに作られたという。「神謡」とは,「アイヌ」の神々が主人公になって自らの体験を語る叙事詩である。「アイヌ」にとって,熊,狼,梟(シマフクロウ;第1図)などの動物も「神(カムイ)」として崇められた。

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第1図.シマフクロウ(苫小牧市美術博物館内で撮影).

 

『銀河鉄道の夜』もこの『アイヌ神謡集』の出版直後なので,この神謡集を参考にした可能性は高い。『アイヌ神謡集』は,「アイヌ」の知里幸恵(1978)によって翻訳されたもので,「アイヌの自由な天地,楽しく天真爛漫に野山を駆け巡った北海道の大地が,近年急速に開発され,今やアイヌも滅びゆく民となった」という大正11年3月1日(1922)の日付のある序文と13個の「神謡」から構成されている。

 

神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」は5番目に記載されているが,1番目に記載されている神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」を読むと,『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)の「高原のインディアン」と「バルドラの野原の一匹の蠍」の逸話と類似していることがわかる。「梟」は,『銀河鉄道の夜』の第四次稿の「四,ケンタウル祭の夜」で時計屋の「赤い眼」の置物としても登場する。また,“銀の滴降る降るまわりに”という歌は,「ケンタウル露を降らせ」にも通じる。

 

神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」は以下の謡句から始まる。

「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると昔の貧乏人が今お金持ちになっていて,昔のお金持ちが今の貧乏人になっている様です.

 

この神謡の「昔の貧乏人が今お金持ち」と「昔のお金持ちが今の貧乏人」はアイヌコタンの村民の貧富の差を指している。しかし,賢治が,『アイヌ神謡集』の知里幸恵の「アイヌの土地に開拓者が入ってきた」という序文をもとに,この詩句で始まる「神謡」の「お金持ち」を「移住者(開拓者)」とし,「貧乏人」を「先住民」(アイヌ)と読み替えたとして,この「神謡」をまとめてみると次のようになる。

・「移住者」の子らの中に「先住民」の子が混じっておもちゃの弓や矢で遊んでいる。

・「移住者」の子らが神の鳥(梟)を矢で射止めようとするが当たらない。しかし「先住民」の子が放った矢は,神の鳥が「先住民」の子を不憫に思い,その矢を受けて地上に落下する。「移住者」の子らは,これに立腹して「先住民」を「にくらしい子,貧乏人の子」と言っていじめる。

・「先住民」の子は「移住者」の子らから必死になって神の鳥を守り,粗末な自分の家へ運び神の鳥に祈りを捧げる。

・神の鳥は,お礼に「先住民」の小さな貧しい家を宝物で一杯の大きな立派な家にする。

・「先住民」の家族は,村中の「移住者」の家族を招待して御馳走する。

・宴会の席上で「先住民」の子のいる家の主人が「村中,私共は一族の者なのですから仲良くしてお互いに往来をしたい」と挨拶すると,「移住者」たちは家の主人に詫びて仲良くすることを話す。

 

このように,謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」は,「先住民」が矢で神の鳥を射る話と,その「神」の鳥に祈りを捧げることで「先住民」だけでなく「移住者」も共に「幸せ」になるという話になる。そこで,この2つの話を『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)の「高原のインディアン」と「バルドラの野原の一匹の蠍」の逸話の2つ話と比較して,それらの類似性を検討してみる。

 

2.「高原のインディアン」

1)コロラド高原で「絹で包んだ苹果」のような顔色の女の子の見つめる先

 童話『銀河鉄道の夜』の列車は銀河宇宙を「北十字」から「南十字」に南下するが,車窓には地球を西進している風景が現れる。カムパネルラが「女の子」と「イルカ」や「クジラ」について楽しそうに話していていると,列車の進行方向先に「トウモロコシ」の木の林と「コロラド高原」が車窓から見えてくる。さらに,地平線のはてからは「新世界交響楽」と音の響きと一緒に「インディアン」も登場する。

 

「コロラド高原」は「ロッキー山脈」やユインタ山脈に囲まれた高原で,ナバホ族のインディアン居留地(reservation)がある。このとき,「先住民」である「インディアン」は,「アイヌ」の神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」に登場する「アイヌ」の子と同じように矢を放つが,射止めたのは「鶴(つる)」である。「鶴」の読みである「つる」を英語の “true”(真実)とすれば,「インディアン」は「梟」(カムイ)と同じく「真実(=神)」を射止めたことになる。

 

「女の子」は,「インディアン」が登場してくると「絹で包んだ苹果」のような顔色をして,カンパネルラではなくジョバンニが見ているのと同じ方角を見つめるようになる。このとき,カムパネルラが寂しく口笛を吹いている。「女の子」は,第四次稿では「かほる」という名で日本人である。「かほる」がジョバンニと一緒に見つめている先は,前報(石井,2015)で報告したようにアメリカ大陸の西にあるアジアの日本である。この日本人の「かほる」という女性を賢治の相思相愛の恋人に重ねることもできる。恋人は破局後米国へ旅立ったからである。

 

「絹で包んだ苹果」のような顔色とは,黄色である。中国最古の医学書の『黄帝内経素問』(前漢時代に編集)の「五蔵生成篇第十第二節」には「生於脾如以縞裹括樓實」の記載がある。これは,健康な人の顔色が,消化器系の臓器に「精気」となって表れるときは,薄い「白絹」で黄色の「シナカラスウリ」(ウリ科のTrichosanthes kirilowii var. kirilowii)の果実を包んだときの艶(つや)のある色合いになることを指す。

 

多分,賢治は中国医学での顔色の表現方法を知っていて,「シナカラスウリ」の代わりに黄色い「リンゴ」を当てたのであろう。黄色は中国医学では「五志」である「喜」「怒」「思」「憂」「恐」のうちの「思」である。すなわち,「女の子」はホームシックになり郷愁の思いで日本を見つめていたのである。日本といってもその北方である「東北」,「北海道」,「樺太」辺りを見つめている。「女の子」が見つめている先が日本の北方をイメージしているという根拠にジョバンニの家系の「ルーツ」がある。

 

第一次稿の物語には「イルカ」,「クジラ」,「サケ」,「マス」が唐突に登場してくるが,第四次稿でもジョバンニの父は北方で漁をしていてジョバンニに「ラッコ」や「トナカイ」の毛皮やはく製をお土産に持ってくる。ジョバンニは,父親が密漁しているという噂もあって,学校の同級生から「らっこの上着が来るよ」と言ってからかわれるが,いじめる側は同級生だけではない。アルバイト先の活版所の大人たちからも冷たい視線を向けられている。「ラッコ(Rakko)」はアイヌ語である。『銀河鉄道の夜』に登場するこれら動物はみな北方の先住民(「アイヌ」など)が海や川で狩猟するときの獲物である。

 

賢治が「リンゴ」を使ったのには別の意味も込められている。それは,「リンゴ」がキリスト教では「原罪」という意味を持つことと関係がある。ここで言う「原罪」とは,アメリカ大陸へ移住してきたキリスト教徒ら(ピューリタンら)の「原罪」である。「コロラド高原」で「新世界交響楽」が流れて来るが, ドヴォルザークがこの曲を作曲するにあたって影響を受けた黒人霊歌(Negro spiritual)は,聖書を題材にしたものが多いが,その根底に流れるものは「奴隷」としてアメリカに連れて来られた黒人(アフリカ系アメリカ人)の故郷への「郷愁」と「逃亡」あるいは「自由(幸せ)」への憧憬であった。

 

「コロラド高原」には「先住民」の「インディアン」が住んでいたが,「移住者ら」は,彼らを居留地へ強制移住させた。この「先住民」と「移住者」の関係は,我が国の北上山系にある準高原である「種山ヶ原」でも同様である。「絹」には,その機能特異性から「朽ちらせない」という意味もある。「絹」で果物を包むと鮮度が長持ちするという意味である。「絹で包んだ苹果」とは,「原罪」を永遠に朽ちさせないという重要な意味が込められている。

 

賢治の有名な詩集『春と修羅』の「原体剣舞連(mental sketch modified)」(1922.8.31)にも,『銀河鉄道の夜』のインディアンが登場する場面を彷彿させる詩句が記載されている。この詩に登場する達谷の悪路王とは,平安時代に平泉近くの達谷窟を拠点に構えた「先住民」である「蝦夷(エミシ)」の首長であったアテルイがモデルになっているとされる。賢治はこの詩に登場する「青い仮面」の人物を悪路王に見立てて,剣舞から悪路王が中央政権から任じられた征夷大将軍の坂上田村麻呂(758 - 811)に率いられる強力な軍隊に屈服させられる様子を想像したものと言われている。

 

すなわち,物語の中の「橄欖の森」が「東北」の北上山系の「蝦夷(エミシ)」など「先住民」の住む「橄欖岩」を産出する大地をイメージできるように,物語の中の「コロラド高原」もやはり「東北」北上山系の高原である「種山ヶ原」をイメージできる。『銀河鉄道の夜』で虐げられた「先住民」の「インディアン」が矢を放って「鶴(true)」を射止めるという話は,『アイヌ神謡集』の神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」の「アイヌ」の子が矢で神の「梟」を射止めるのと同じである。

 

2)詩集『春と修羅』との関係

 ジョバンニと「女の子」を「先住民」,カムパネルラを「移住者」あるいはその末裔とすると,ジョバンニと「女の子」が並んで同じ方角の大地を見ているとき,「移住者」であるカムパネルラは寂しく口笛を吹いているだけだった。このカムパネルラの「寂しさ」は,賢治の「寂しさ」でもある。

 

物語に登場する「女の子」を賢治の相思相愛の恋人をモデルにしたとすれば,恋人が破局後渡米して1年後に書かれた詩集『春と修羅 第二集』の詩〔はつれて軋る手袋と〕(1925.4.2)に賢治のそのときの心境を垣間見ることができるように思える。なぜなら,この詩の改稿形を『移行する雲』というタイトルで日本詩壇へ亡くなる5ヶ月前に投稿(1933.4.1)しているからである。晩年の賢治の心境が綴られている。

何か玻璃器を軋(きし)らすやうに

鳥がたくさん啼いてゐる

    ……眼に象(かたど)って

      泪(なみだ)をたゝえた眼に象って……

丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる

ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて

笹がすこうしさやぐきり

たとへばねむたい空気の沼だ

かういふひそかな空気の沼を

板やわづかの漆喰から

正方体にこしらえあげて

ふたりだまって座ったり

うすい緑茶をのんだりする

どうしてさういふやさしいことを

卑しむこともなかったのだ

    ……眼に象って

      かなしいあの眼に象って……

あらゆる好意や戒(いまし)めを

それが安易であるばかりに

ことさら嘲(あざ)けり払ったあと

ここには乱れる憤(いきどお)りと

病ひに移化する困憊(こんぱい)ばかり

     (中略)

     (わたくしのつくった蝗(いなご)を見てください)

     (なるほどそれは

      ロッキー蝗といふふうですね

      チョークでへりを隈どった

      黒の模様がおもしろい

      それは一疋だけ見本ですね)

おゝ月の座の雲の銀

巨きな喪服のやうにも見える  (宮沢,1985)

 

詩の後半に登場する括弧で括られた独り言の中に雲が作ったと思われる「ロッキー蝗」という難解の用語がでてくるが,下書稿に“Rocky Mountain locust”とあるので「ロッキートビバッタ(Melanoplus spretus)のことである。1902年頃に絶滅したとされ,かつて北米で大規模な蝗害を起こしたことで知られている(原,1999)。賢治が日本では殆ど知られていないと思われる「ロッキー蝗」を詩に登場させているということは,渡米した恋人への思いが強いということかもしれない。

 

詩前半の「…」と「…」で囲まれた言葉にならない内語と呼ばれている「眼に象って /泪をたゝえた眼に象って 」という呟きは,賢治の心の底からの叫びであり「寂し」である。この「泪をたゝえた眼」とはあの有名な「涙ぐむ眼」という花壇と繋がる。賢治の弟の清六氏は,賢治が亡くなったあとに作られた「涙ぐむ眼」の花壇を見るといつもこの詩と〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕の「 ……けふもまだ熱はさがらず/Nymph, Nymbus, Nymphaea, ……」の詩を連想するという(宮沢,1991)。

 

賢治の恋の破局の理由の1つと思われるものとして,詩〔はつれて軋る手袋と〕の中の「板やわづかの漆喰から/ 正方体にこしらえあげて/ ふたりだまって座ったり/ うすい緑茶をのんだりする 」という「小さな家の中で2人でお茶を飲む」というふうな慎ましい恋人との生活を「嘲けるような」ことをしたということが記載されている。同様に,詩ノートの〔わたくしどもは〕(1927.6.1)には,1年で死んでしまった若い妻をイメージして「村の娘が持って来た花があまり美しかったので/二十銭だけ買ってうちに帰りましたら」,妻はそれを店に並べ10倍の2円で売ったという話が記載されている。この仮想された妻を1年で破局した恋人に重ねてみれば,賢治は,詩〔はつれて軋る手袋と〕にあるような慎ましい生活だけでなく,「花よりは実」を取る庶民感覚を持つ「生活者」としての恋人の振舞いにも「嘲けるような」ことをしてしまったような気がする。

賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という理念からすれば,2人だけの慎ましい生活は否定せざるを得なかったのかもしれないが,打算的にならざるを得ない「生活者」そのものを避ける気持ちが賢治の中にあったように思える。

 

3)涙ぐむ眼

賢治の羅須地人協会時代(1926年8月に設立)に使用した「MEMO FLORA」ノート32頁に「tearful eye」(涙ぐむ眼)という眼を象った花壇設計スケッチ図が記載されている(第2図;文字は英語)。設計図では眼の「瞳(瞳孔)」に相当するところは暗色系のパンジー(Pansy Dark),眼の「虹彩;Iris」の部分は青花のブラキコメ(Brachycome Indigo),強膜(いわゆる白目)の部分は白花のブラキコメ(Brachycome White)を植えるとしていて,眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢から涙が出るところにはスイレン属(Nymphaea)の植物を浮かせた水ガメ(Water Vase with Nymphaea)を置くとしている(宮沢,1985;伊藤,2001)。ブラキコメとは70種ほど存在するブラキコメの仲間のうちイベリディフォーリア種(B.Iberidifolia)で,ヒメコスモスとも呼ばれる(草丈20 - 40cn)。花の色は青系が多いが,他に白やピンク,紫紅色もある(鈴木康夫,2005)。

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第2図.Tearful eye.

 ここで注目すべきことは,眼の「虹彩;Iris」の色としての青である。「東北」では,眼の青い人が多いという。宮城県のある地域では424人中15.2%の人が一部にせよ眼が青かった(安藤,1992)。

 

賢治は東北人の特徴を青い眼で表現したのかもしれないが,「青」にはもう1つ別の重要な意味が隠されている。それは詩「春と修羅」の「いかりのにがさまた青さ」とあるように「怒り」である。賢治は,特殊な超越的感覚を持ち合わせていて「怒り」を言葉ではなく色で表現することができる。賢治は大正9年(1920.6 - 7)に友人の保阪嘉内に宛てた手紙に「いかりは赤く見えます。あまり強いときはいかりの光が滋(しげ)くなって却て水の様に感ぜられます。遂には真青に見えます」とある。だから,「MEMO FLORA」の「涙ぐむ眼」は,恋人の涙であるが,また恋人や「東北」の先住民たちの「怒り」でもある。「種山ヶ原」の美しい青い花蓋(かがい)をもつ「アイリス(Iris)」(カキツバタ)は無残にも土地開発によって地中に鋤き込まれた。(続く)

 

引用文献

秋枝美保.2017. 宮沢賢治を読む-童話と詩と書簡とメモと-.朝文社.東京.

安藤 真.1992. 東北で考えた日本文化(31)日本縄文考(11)-青い目の血脈-.自由 34(12):182-196.

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

石井竹夫.2015. 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する絹で包んだリンゴ.人植関係学誌.16(1):51-58.

伊藤光弥.2001. イーハトーブの植物学.洋々社.東京.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集.全十巻.筑摩書房.東京.

宮沢清六.1991. 兄のトランク.筑摩書房.東京.

鈴木康夫.2005. ヤマケイポケットガイド庭の花.山と渓谷社.東京.

知里幸恵.1978. アイヌ神謡集.岩波書店.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌17巻第2号23~26頁2018年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html