宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか (第3稿)-鬼神との関係-

第1稿と第2稿で,〈土神〉は神道で言われている土地を守護する「地主神」(あるいは「産土の神」)であり,また人間のような姿・形を有しているので「アイヌ」の神や祟り神や天邪鬼の要素を併せ持つ「鬼神」である可能性について述べた。本稿では引き続き〈土神〉の正体を明らかにするため賢治が実際に見たという「アイヌ」の「鬼神」について考察する。

 

3.〈土神〉はタチの悪い神で,北上平野の沼や北上山地の森に出没する「鬼神」である

賢治作品で〈土神〉は,寓話『土神ときつね』以外には登場しない。しかし,賢治は〈土神〉や「鬼神」について,実際に見たということを親友である森莊己一や佐藤隆房に話している。

 

森莊己一(1983)は,賢治が農学校の教師をしていた大正14(1925)年の秋頃,宿直していた賢治から校長室の窓越しに見える森を指さして「あの森にいる神様なんか,あまりよい神様ではなく,相当下等なんですよ」とか,「鬼神(きじん)の中にも,非常にたちのよくない土神がありましてねえ。よく村人の人などに(悪戯とか復讐とかひっくるめていうことば)をして困りますよ。まるで下等なのがあるんですね」と言ったのを聞いている(下線は引用者,以下同じ)。

 

「鬼神」とは,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば,「変幻自在な力を有する神,または神々のこと。善神と悪神とがあるが,特に害を与える神々を言う。天,龍,夜叉,羅刹,修羅など」と説明されている。

 

賢治は,また詩集『春と修羅』刊行の頃(1924)に,〈土神〉かどうかは分からないが,タチの悪い神を幻視したという話もしている。森(1983)の証言によれば,賢治が近隣の町から山道(盛岡から宮古へ通じる閉伊街道)を通って帰途中に雨に降られ,あわててトラックの荷台に乗せてもらったが,高熱を出してしまう。このとき,うなされて夢うつつになった賢治は「小さな真赤な肌のいろをした鬼の子のような小人のような奴らが,わいわい口々に何か云いながら,さかんにトラックを谷間に落とそうとしている」幻影を見たというのである。トラックは実際に谷に落とされてしまうのだが,幸いに賢治と運転手,そして助手は事前にトラックから飛び降りていて無事だった。また,「何回自動車事故が起き,何人犠牲になったか知れなかった」ともある。賢治が「子鬼」の幻影を見た場所は閉伊(へい)街道沿いにある川井か門馬という部落と言っているので早池峰山北側か東側の山道と思われる。

 

また,賢治は,早池峰山の南方にある登山口(河原坊)にある転石の上で眠ってしまったとき,南無阿弥陀仏という念仏を唱える幻聴とともに,若い坊さんの姿をした幻影(鬼神)も見ている(森,1983)。『春と修羅 第二集』の詩「河原坊(山脚の黎明)(1925.8.11」にその時に様子が「・・・あゝ見える/二人のはだしの逞ましい若い坊さんだ/黒の衣の袖を扛(あ)げ/黄金で唐草模様をつけた/神輿(みこし)を一本の棒にぶらさげて/川下の方へかるがるかついで行く/誰かを送った帰りだな・・・曾ってはこゝに棲んでゐた坊さんは/真言か天台かわからない・・・」と記載されている。この地は山岳宗教が盛んだった昔,宿坊があったところという(伊藤,1998)。早池峰山は花巻から北東の北上山地内に位置している。

 

この逸話と似たものをやはり賢治の親友である医師の佐藤隆房(2000)が聞いている。賢治は,「もう何べんか早池峰山に登りました。・・・言い伝えでは何でも何百年か以前に天台宗の大きな寺のあった跡で,修行僧も大勢集まっていて,随分盛んなものだったということです。・・・先年登山の折でした。僕はそこの大きな石に腰をかけて休んでいたのですが,ふと山の方から手に錫杖(しゃくじょう)を突き鳴らし,眉毛の長く白い見るからにすがすがしい高僧が下りて来ました。その早池峯に登ったのは確か三年ばかり前なのですが,そのお坊さんに会ったのは,何でも七百年ばかり前のようでしたよ。」と言っていたという。

 

なぜ700年前なのかは分からないが,700年前は西暦1200年頃で,かつては「蝦夷(エミシ)」の血をひくとされていた奥州藤原氏が西暦1189年に滅亡したころである。奥州藤原氏は「東北」に平泉文化を開花させた豪族であるが,中尊寺(天台宗東北大本山)を造営した初代当主藤原清衡は,花巻市東方にある丹内山神社も篤く信仰をよせたという。社伝によると,耕地24町歩と108カ所の社堂と108本の本地仏を寄進している(現在は一堂,一仏とも残っていない)。佐藤の賢治から聞いた話の中の「天台宗の大きな寺のあった跡」は,天台系の寺を庇護した奥州藤原氏の滅亡と関係があるのかもしれない。

 

賢治は北上平野内でも「鬼神」を見ている。前述した閉伊街道でみた「小鬼」と似たものが,詩集『春と修羅 第二集』の「鉄道線路と国道が」(1924.5.16)という詩に登場する。この詩には「赭髪の小さなgoblinが/そこに座ってやすんでゐます」とある。ゴブリン( goblin)は,ヨーロッパの民間伝承に登場する醜い姿をして悪戯好きの妖精である。賢治研究家の杉浦(2003)は,この場所を花巻近くの二枚橋から石鳥谷のあたりと推定している。また詩集『春と修羅』の「原体剣舞連」では「・・・むかし達谷(たつた)の悪路王(あくろわう)/まつくらくらの二里の洞(ほら)/わたるは夢と黒夜神(こくやじん)/首は刻まれ漬けられ・・・さらにも強く刃(やいば)を合(あ)はせ/四方(しはう)の夜(よる)の鬼神(きじん)をまねき」とあるように,賢治が実際に見たかどうかは定かではないが,原体村(奥州市江刺)の踊り子たちが剣舞を演じると「鬼神」が現れてくるのを感じ取っている。後述するが北上川の支流である豊沢川沿いの沼では「アイヌ」の「鬼神」を幻影として見ている。

 

このように賢治は,様々な「鬼神」の幻影を見ているが「タチの悪い鬼神すなわち土神」がいるのは豊沢川沿いの沼を除けば北上山地内だったように思える。

 

4.「鬼神」はアイヌの神と関係する。                                             

前述した北上平野内の沼に現れる「アイヌ」の「鬼神」が,寓話『土神ときつね』と同時期に書かれたと思われる詩集『春と修羅 第二集』の〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)に登場する。

 

日はトパーズのかけらをそゝぎ

雲は酸敗してつめたくこごえ

ひばりの群はそらいちめんに浮沈する

  (おまへはなぜ立ってゐるか

   立ってゐてはいけない

   沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる

一本の緑天蚕絨の杉の古木が

南の風にこごった枝をゆすぶれば

ほのかに白い昼の蛾は

そのたよリない気岸の線を

さびしくぐらぐら漂流する

  (水は水銀で

   風はかんばしいかほりを持ってくると

   さういふ型の考へ方も

   やっぱり鬼神の範疇である

アイヌはいつか向ふへうつり

蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる

          (宮沢,1986)下線は引用者(以下同じ)

 

この詩では,「鬼神」が,鏡の面を持つ沼に現れる先住民「アイヌ」の幻影と一緒に登場する。ちなみに,この沼は花巻の熊堂古墳群(アイヌ塚)近くにある沼とされている。「沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる」の「アイヌ」を下書稿(一)では,「鬼神」,下書稿(二)では「薬叉(やくしゃ)」にしている。すなわち,沼の面から覗いているのは「アイヌ」の幻影であるが,賢治にとっては「鬼神」あるいは「薬叉」でもある。賢治は沼から覗いている幻影を「アイヌ」にするか「鬼神」にするか「薬叉」にするか悩んでいる様子が伺われる。また,下書稿(一)には「そんな樹神の集まりを考えるなら」,「わたくしは花巻一方里のあひだに/その七箇所を数へ得る」という言葉もある。また,一旦書かれて削除された詩句には「沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬や石斧もとれる」ともある。詩に登場する「鬼神」は遠い昔に花巻に住んでいた「アイヌ」と関係すると思われる。それも沼から杉の古木の隣に並んで立ってはいけないと威嚇しているので,閉伊街道に現れた小鬼ほどではないがタチの悪い神でもある。

 

この詩に登場する「アイヌ(鬼神,薬叉)」が〈土神〉のモデルであろうか。この詩には「杉」やこの「杉」に並んで立つ作者としての「賢治」がいる。すなわち, 「アイヌ(鬼神,薬叉)」と「杉」と「賢治」が登場する。「アイヌ(鬼神,薬叉)」を〈土神〉,「杉」を〈樺の木〉,「賢治」を〈狐〉とすれば,沼から覗いている「アイヌ(鬼神,薬叉)」が「杉」に並んで立つ「賢治」を「おまへはなぜ立ってゐるか /立ってゐてはいけない」と威嚇する構図は,寓話『土神ときつね』における〈土神〉が〈樺の木〉と〈狐〉の仲を嫉妬する構図と類似している。すなわち,賢治が実際に花巻の熊堂古墳群(アイヌ塚)近くの沼で見た「アイヌ(鬼神,薬叉)」の幻影が〈土神〉である可能性が高い。

 

「アイヌ」と〈土神〉を結びつける別の解釈もある。秋枝(2017)によれば,寓話『土神ときつね』は「アイヌ民族」の「神謡(カムイユカラ)」を纏めた(『アイヌ神謡集』1923.8)の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」(Nitatorunpe yaieyukar, “ Harit kunna)をヒントに作られたという。そして,「土神」はこの神謡集に出てくる「谷地の魔神」だという。「nitatorunpe」は「nitat(谷地)」と「or(中)」と「un(在る)」と「pe(者)」に分解できる。この神謡は「ハリツ クンナ/ある日に好いお天気なので/私は谷地に眼と口とだけ/出して見ていたところが/ずっと浜の方から人の話し声がきこえて来た」で始まる。この「谷地の魔神」は「谷地に眼と口とだけ」出していて,谷地の悪口をいう村人がくると泥の中から飛び出して村人を飲み込んでしまう。「谷地に眼と口とだけ」出している魔神という表現は,確かに詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕に登場する沼の面から覗いている「アイヌ(鬼神,薬叉)」とも類似している。

 

更科(1967)によれば「アイヌ」の神にも「魔神」と「善神」がいるという。「アイヌ」の神を示す「カムイ」は元々魔性のある存在であったという。「カムイコタン」という地名は各地にあるが,そこは天候が急変したり,川の中に岩が多く航行の難所であったり,また「カムイミサキ」の「カムイイワ」は海の守護神ではなく,急に風向きを変えて船人を困らせる場所であった。また,同じ神でも「魔神」と呼んだり,「善神」と呼んだりすることもあるという。知床半島の硫黄岳から落下する流れを「カムイワッカ(神の飲み水)」と呼ぶ。この水は硫黄が含まれているため毒であり,「カムイワッカ」は魔神であった。しかし,同じ「カムイワッカ」でも非常に綺麗に澄んだ水のところもある。すなわち,『アイヌ神謡集』の「谷地の魔神」もタチの悪い神の1つと思われる。

 

しかし,賢治の見た〈土神〉はこの「谷地の魔神」を参考にしたとは思うが「谷地の魔神」そのものではないような気がする。神謡の中で題名にある「nitatorunpe」は「nitatorun nitne kamui」だと説明している。「nitatorun」は「nitat(谷地)」と「or(中)」と「un(在る)」に分解できるので「谷地の中にある」という意味で,「nitne kamui」は「魔神」である。すなわち,「nitatorunpe」は「谷地」そのものが「魔神」というよりは,「谷地の中にいる魔神」なのだと思われる。谷地にある「沼」,「岩」,「土」あるいは「木」の「魔神」なのかもしれない。ちなみに「nitatorunpe」の末尾の「pe」は「者」である。「谷地の魔神」だけでは〈土神〉の正体を明かしたことにはならない。

 

賢治は〈土神〉を「森」(北上山地)の中にいる「鬼神」と言っている。しかし『アイヌ神謡集』の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」に植物はまったく登場しない。一方,寓話『土神ときつね』の舞台である谷地には〈樺の木〉は生えているし,その北東の〈土神〉の住まいには背は低いが「ねじれた楊」が所々にある。前述したように,寓話『土神ときつね』の舞台が「一本木野」だとすれば,この地はかつて松の木の多い原野だった(原,1999)。それゆえ,〈土神〉が祀られている所も元々「森」であったのが木樵によって多くの木が伐採されてしまったのかもしれない。そして,〈土神〉が怒り,そこに生えてくる木もねじれてしまったのかもしれない。「ねじれる」とは本ブログの第2稿でも論じたが「ひねくれる」という意味でもある(石井,2022)。

 

賢治が名付けた〈土神〉は,「アイヌ」と関係するタチの悪い神のようにも思えるが,その本当の正体を知るには詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕の下書稿(一)と(二)にあるように「鬼神」や「薬叉」,そして「樹神」について知る必要がある。

 

5.〈土神〉は「薬叉」や「樹神」とも関係がある

「夜叉」は,古代インド神話に登場する「鬼神」で,「大地の力強さ」と「生産力」を具現化しているものとされている(高橋,1989)。「夜叉」には男性と女性があり,男性は「ヤクシャ(男性夜叉)」,女性は「ヤクシー(夜叉女)」と呼ばれる。それゆえ,「薬叉」は男性の「夜叉」である。財宝の神クベーラの眷属と言われ,仏法を守護する八部衆(はちぶしゅう)の1つに位置づけられた。実際に釈迦の遺骨とされるものが奉納されている仏塔を守護している。「大地の力強さ」と「生産力」を示すため人間の姿では,胸や腰部をことさらに「みにくく」強調されている。性格的には人に恩恵を与える寛大さと殺害する凶暴さとをあわせもつ。例えば,粘毛夜叉は人間を見つけると粘毛で捕まえて殺し喰うし,森の湖に棲む「夜叉」の仲間の羅刹は〈土神〉のように水中に引きずり込む(山崎,2022)。「夜叉」は,また「森」に棲む「霊(神)」であり,「樹神」と同一視されることもあるので,聖樹と共に絵図化されることも多い。 

 

仏教研究科の高橋(1996)の論文にそのいくつかが紹介されている。有名なのは,インドのサンチー仏塔のトラーナの彫刻である。トラーナとは我が国では鳥居にあたる。その鳥居に彫られた像は,両側の巨大な醜い姿をした「夜叉」の口から蔓が伸び,その蔓から花が咲き,たわわな実がなっているものである。また,インドの各地の博物館には,いかつい男性像の夜叉像があるが,これらの像の両足の間には木の芽が萌え出ている。「ヤクシー」の女性像としては,樹を抱くヤクシー像とか口から蓮の蔓が伸びていたりする彫刻である。共に,大地の生命力の表現であることが分かる。

 

この「夜叉」に対するインドの人々の思いは,大地からそそり立つ「樹木」の中に,大地や「樹木」の生命力を感じ,それにあやかろうとする信仰心を目覚めさせたと言われている。すなわち,聖樹信仰あるいは樹神信仰である。アイヌ民族のシランパカムイに似ている。インドにおける人々の生活は,勢いのある樹の陰,特に大樹の下が人々の生活の場となっている。大樹の根元には小さな「祠」が作られ,ヒンズー教特有の赤い粉が吹き付けられている(多分ベンガラ)。この赤い色に変わった所は,たとえ「祠」があろうとなかろうと,神が祀られている所であるという。お供えものがしてある場所もあるという。

 

このように,〈土神〉は「アイヌ」の「鬼神」だけでなく,インドの「鬼神」である「薬叉」(森に棲む霊)の性格をも備えている。次稿では「東北」の「先住民」と「アイヌ」の関係について述べる。

 

参考文献

石井竹夫.2022.寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか (第2稿)-土神の棲む祠近くの植物-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/04/17/092543

秋枝美保.2017. 宮沢賢治を読む-童話と詩と書簡とメモと-.朝文社.

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

伊藤光弥.1998.宮沢賢治と植物-植物学で読む賢治の詩と童話.砂書房.

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.

森 莊己一.1983.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

佐藤隆房.2000.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

更科源蔵.1967.アイヌの神話.淡文社.

杉浦 静.2003.宮沢賢治 心象スケッチ「九九〔鉄道線路と国道が〕」考.大妻国文 34:123-142.

高橋堯昭.1989.夜叉信仰の背景.印度学仏教学研究 37(2):585-591.

高橋堯昭.1996.樹神信仰の系譜-釈迦の風土・精神的基盤-.身延論叢 1:17-39.

山崎元一.2022(調べた日付).古代インドの森林と林住族.file:///C:/Users/TISHII/Downloads/gakuho01_64-3,4-05%20(7).pdf