宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-「ほんたうのさいはひ」と瓜に飛びつく人達(1)-

Keywordsアイヌ,文学と植物のかかわり,同化,鴈シャモ,違星北斗,カワラハハコ,知里幸恵,鳥の押し葉,瓜

 

前報(石井,2019)で,稲作主体の農耕文化と接触する以前の「東北」に在住した狩猟採集民である「古代蝦夷(エミシ)」が,「アイヌ」の人達と同じように資源を獲(採)り過ぎない経済観,自然を神(カムイ)として畏敬し共存する自然観,決して争わない社会観といった宗教的とも思える世界観を共有していた可能性のあることについて言及した。

 

しかし,「古代蝦夷(エミシ)」がこの「アイヌ」の世界観を共有していたとしても,この世界観が,「大和民族(和人)」の侵入を繰り返し受け続ける「東北」の古代の先住民達を「ほんたうのさいはひ」に導いていたかどうかは疑問である。「蝦夷(エミシ)」は文字を持っていなかったとされているので,「蝦夷(エミシ)」が「大和民族」と接触した後も,この宗教的な世界観を維持し続けたのか,あるいは変更したのかについての記録は残っていない。

 

本稿では,「蝦夷(エミシ)」の代わりに「アイヌ」自らがアイヌ語の言葉(口承)で,あるいは日本語で翻訳した文字で,「アイヌ」がその宗教的な世界観の中で「しはわせ」であったのかどうか検証していくとともに,この「しはわせ」が特に明治以降に農耕文化と共に生産力や技術の発展をもたらす「移住者」と接触・「同化」することによってどのように変貌せざるを得なくなったか,またそのとき「先住民」の言論人達はどのように反応したかについて述べる。

 

1.近代文明に接触する前と後の「アイヌ」の状況

宗教的世界観の中で生きていくということが狩猟採集民である「アイヌ」にとって「さいはひ」なのかどうかについて,バイリンガルである知里幸恵(1903~1922)は日本語に翻訳した『アイヌ神謡集』(1922年初版)の序文の中で以下のように述べている。

  その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉のような小舟を浮かべひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮らして蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。(『アイヌ神謡集』序文 知里,1978)下線は引用者

この序文では,その昔がいつ頃かなのかは定かではないが,狩猟採集民である「アイヌ」は,北海道「蝦夷地(えぞち)」の大地で「大自然に抱擁されてのんびり楽しく生活して」いて,「真に自然の寵児(ちょうじ),なんという幸福な人たちであった」と語られている。これは,以下に紹介する違星北斗ら「アイヌ」の言論人達にも「理想郷」として支持されているので,単に知里個人の感想ではないようである。

 

「その昔」を,蝦夷地が明治新政府により北海道と改称(1869年)され本格的な開拓が始められる前とすれば,「アイヌ」は漁業権問題などによるアイヌ民族集団同士の戦いや「和人」との激しい戦い(シャクシャインの戦い)などもあったが,知里が生きた時代の「アイヌ」よりは「幸福な人たち」であったのかもしれない。しかし,その「幸福」を支えていた狩猟民である「アイヌ」の土地も没収され,言葉や風習などの生活様式は,多数の「開拓民(移住者)」の流入明治新政府による農耕民化への強制的な「同化政策」によって否応なしに変更を余儀なくされたと思える。そして,「アイヌ」の人達に深い「悲しみ」を与えた。

 

アイヌ神謡集』の序文は,この引用文の後に「それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく。(中略)僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり,しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名,なんと悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。」(下線は引用者)と続く。

 

確かに,「アイヌ」の人口は1807年に約26,000人(北海道の総人口は約31,000人)だったのが,100年後の知里が生きた時代には約18,000人(北海道の総人口約1,077,000人;1903年)に減少している。しかし,知里が「アイヌ」を「亡びゆくもの」(滅びゆく民族)としたのは,「生物学的な滅亡」(個体数の減少)という意味ではなく,生産力や技術の発展をもたらす圧倒的多数の「移住者」である「和人」に「同化」するなどして民族的特徴を失っていったことを指していると思われる。

 

これは,開拓民の大量移住と1899年に制定された北海道旧土人保護法による明治新政府によって行われた「同化政策」によるところが大きい。例えば,「アイヌ」は少数派というだけでなく,「アイヌ」に対する当時の誤った社会的偏見が影響していて,たとえ「アイヌ」を自ら名乗っていても,日常的にアイヌ語で話し,アイヌ風の生活をしている人達は激減していた。アイヌ語アイヌ文化を研究する学者の多くも「アイヌはすでに滅び去った民族」とか「滅びゆく民族」と言うようになった。

 

少なくとも,知里は,アイヌ語しか話せないとか,あるいは「一挙一動宗教的感念に支配されていた」というように,自然の中に様々な動物に化身した神を見出し,資源を守りながら自然と共に生きようとするだけでは,科学を学び高い生産力や技術力を持つ「移住者」である「和人」との「優勝劣敗」の生存競争の中で生き残れないと自覚していた。言い換えれば,圧倒的多数の「和人」の中で生きていかなければならなくなったとき「アイヌ」の古来持ち続けた宗教的な世界観だけでは「ほんたうのさいはひ」は得られないばかりか,時代に取り残されて滅亡してしまうと感じていたように思える。

 

2.被差別と「滅びゆく民族」言説に抗する「アイヌ」の言論人達の反論

賢治が童話『銀河鉄道の夜』を執筆していた頃(1924〜1933),知里以外の「アイヌ」の言論人達の中には,自ら被差別や「アイヌ」の民族的消滅を含意する「滅びゆく民族」という言説に対して「同化」を認めながらも抵抗と異議を唱えるものがでてきた。

 

アイヌ」の歌人で自ら雑誌『コタン』を創刊した違星北斗(1901〜1929),日高のアイヌ代表である平村幸雄,社会運動家である貝沢藤蔵(1888〜1966),歌人キリスト教伝道者のバチェラー八重子(1884〜1962)などである(関口,2005;須田,2018)。

 

賢治も当然,「アイヌ」の言論人達の発言に注目していたと思われる。なぜなら,知里に「幸福な人たちだった」と言わせた同族の「アイヌ」の住んでいた大地に侵入し「和人」への同化を迫った「権力者」やその追従者である「移住者」と,「東北」の「しはわせ」だったかもしれない「蝦夷(エミシ)」の大地に移住した宮沢家あるいはその末裔である賢治自身とが重なるからである。また,賢治に対して示す「先住民」の「疑い」や「反感」を「まっくらな巨きなもの」という曖昧なものではなく,具体的な「言葉」として「アイヌ」の言論人達から直に聞くことができるからである。

 

1)違星北斗の場合 

違星北斗は,1901年に漁業を営む家庭に生まれる。子供時代から差別や「いじめ」に遭い,「和人」に対して「疑い」と「反感」を持つようになる。青年になって自ら創刊した雑誌の名前に『コタン』を採用したが,この「コタン」というアイヌ語には「村」以外に「故郷」という意味もある。違星は,知里の『アイヌ神謡集』の序文に感化され,その序文に記載されていたアイヌ民族の失われた「理想郷」を,この「コタン(故郷)」に重ね,「アイヌ」の地位向上の運動を始めるようになる。そして,北海道中に散らばる「コタン(村)」を歩き回り「和人」から差別を受ける同族同士の連携と自覚を促す活動を始めた。また,活動を正当化するための理論構築を短歌の新聞投稿や論説の雑誌投稿で展開した(須田,2018)。

 

違星は,『コタン』創刊号(1927.8.10)の論説「アイヌの姿」で,「アイヌ」と「和人」を顔立ち,頭毛,体毛などで人類学的に区別する「不変」の特徴は,それぞれの「血」が決定するという考えに基づき,「アイヌ」が「和人」になるのは血の問題があって容易ではないので,「アイヌ」が「和人」の中に埋没して(民族を隠して)「同化」するのではなく,民族を主張した自覚的な「同化」を目指して「アイヌ」と「和人」の1つ上の概念である「日本臣民」になるべきだと主張した。

 

これは日本が単一民族国家であるということへの異議と思われるが,違星は「アイヌ」と「和人」という異なった民族が共に対等な立場(地位)で「日本人」になることを願ったのである。違星にとって「同化」(=同等化)は受動的ではなくアイヌ民族の民族としての能動的自覚が前提であった。なぜなら,明治新政府の「同化政策」に対して,差別に耐えかねてアイヌ語や自然信仰を捨て「和人」を模倣したり,自ら「アイヌ」であることを隠したりして「和人」の社会の中に溶け込もうとした者が多かったからである。違星は,雑誌『コタン』の「アイヌの姿」で自らの非差別経験を踏まえて以下のように述べている。

  私は小学校時代同級の誰彼に,さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生々活をしたと云ふ理由は,簡単明瞭「アイヌなるが故に」であった。現在でもアイヌは社会的まゝ子であって不自然な雰囲気に包まれてゐるのは遺憾である。然るにアイヌの多くは自覚してゐないで,たゞこの擯斥(ひんせき)や差別からのがれようとしていてのがれ得ないでゐる。即ち悪人が善人になるには悔いあらためればよいのであるが,アイヌがシャモになるには血の問題であり時間の問題であるだけ容易ではないのである。こゝに於いて前科者よりも悪人よりも不幸であるかの様に嘆ずるものもある。近頃のアイヌはシャモへシャモへと模倣追従を事としてゐる徒輩も亦続出して,某はアイヌでありながらアイヌを秘すべく北海道を飛び出し某方面でシャモ化して活躍してゐたり,某は〇〇〇〇学校で教鞭をとってゐながら,シャモに扮してゐる等々憫むべきか悲しむべきかの成功者がある。これら贋シャモ共は果たして幸福に陶酔してゐるであろうか? 否ニセモノの正体は決して羨むべきものでない。先ず己がアイヌをかくしていることを自責する。世間から疑はれるか,化けの皮をはがれる。(『コタン』「アイヌの姿」 違星,1995)下線は引用者

「シャモ」は,「アイヌ」が「和人」を指して呼んだ言葉で,アイヌ語の隣人を意味する「シサム」に由来すると言われている。しかし,俗語,蔑称としての意味合いを含む。例えば「和人」よりも「アイヌ」の人達が多数派になる場合では,「アイヌ」が「和人」に対して「シャモのくせに」など「和人」を見下すような差別的な言い方をすることも少なくない。

 

しかし,立場が逆転して「アイヌ」が「和人」よりも少数派になる場合には,逆の「劣等感」や「反感」などの感情がでてくる。上記引用文で,違星は2つのことを危惧しているように思われる。1つは「アイヌ」が「差別」を繰り返し受けることによって「アイヌ」であることを「恥じ」と思ってしまうことであり,もう1つは「アイヌ」が自らの信仰,文化そして言語を捨て「和人」がもたらした信仰,文化に飛びつく様である。

 

(1)鳥の押し葉と贋シャモ 

違星(1995)は,「和人」の「物質的豊かさ」をもたらす文化に飛びつく「アイヌ」の「なりすまし」を「贋(がん)シャモ」と呼んで軽蔑した。「和人」が「シャモ」から連想するのは闘鶏専用の鶏である「軍鶏(シャモ)」である。それゆえ,「贋シャモ」は「贋」が「偽物」という意味なので「偽物の鳥」と読むこともできる。

 

童話『銀河鉄道の夜』の第三次稿あるいは第四次稿にも「偽物の鳥」が「鳥の押し葉」という呼び名で登場してきて,「本物」か「偽物」かの議論がなされる。多分,賢治は違星の雑誌『コタン』創刊号に記載されている「アイヌの姿」を読んで自分の作品に取り入れたようにも思える。『コタン』は1927年にガリ版刷りで発行されているが,1930年には希望社より製本され出版されている。賢治が読む機会はあったと思われる。第四次稿の「八 鳥を捕る人」の章には以下の文章が記載されている。

 「鷺(さぎ)を押し葉にするんですか。標本ですか。」

 「標本ぢゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。」

 「をかしいね。」カムパネルラが首をかしげました。

 「をかしいも不審もありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして, 手ばやくくるくると解きました。

 「さあ, ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」

 「ほんたうに鷺だねえ。」

 (中略 ここで鷺を包みの中に戻す)

 「鷺はおいしいんですか。」

 「えゝ,毎日注文があります。しかし,雁の方がもっと売れます。雁の方がずっと柄がいいし,第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは,また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって,なにかのあかりのやうにひかる雁が,ちゃうどさっきの鷺のやうに,くちばしを揃へて,少し扁(ひら)べったくなって,ならんでゐました。

 「こっちはすぐ喰べられます。どうです,少しおあがりなさい。」鳥捕りは,黄いろな雁の足を,軽くひっぱりました。するとそれは,チョコレートででもできてゐるやうに,すっときれいにはなれました。

 「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは, それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは, ちょっと喰べてみて, (なんだ, やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも, もっとおいしいけれども, こんな雁が飛んでゐるものか。この男は, どこかそこらの野原の菓子屋だ。

(中略)

 「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは,さっきから,訊(き)かうと思ってゐたのです。

 「それはね,鷺を喰べるには,」鳥捕りは,こっちに向き直りました。

 「天の川の水あかりに,十日もつるして置くかね,さうでなけあ,砂に三四日うづめなけあいけないんだ。さうすると,水銀がみんな蒸発して,喰べられるやうになるよ。」

 「こいつは鳥ぢゃない。たゞのお菓子でせう。」やっぱりおなじことを考へてゐたとみえて,カムパネルラが,思い切ったといふやうに,尋ねました。鳥捕りは,何か大へんあわてた風で,

 「さうさう,ここで降りなけあ。」と云ひながら,立って荷物をとったと思ふと,もう見えなくなってゐました。

 「どこへ行ったんだらう。」

 二人は顔を見合わせましたら,燈台守は,にやにや笑って,少し伸びあがるやうにしながら,二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら, たったいまの鳥捕りが, 黄いろと青じろの, 美しい燐光を出す, いちめんのかはらははこぐさの上に立って, まじめな顔をして両手をひろげて, じっとそらを見てゐたのです。 

(『銀河鉄道の夜』第四次稿 宮沢,1985)下線は引用者

この引用文は,銀河鉄道の列車の車内で<鳥捕り>とジョバンニらが「鳥の押し葉」について会話をしている場面である。

 

<鳥捕り>は,天の川で鳥を捕まえて売る商売をしていて,いつも白い巾で包んだ荷物を2つに分けて持っている。2つに分けた荷物には「鶴(true=ほんとう)」や「鷺(さぎ=うそ)」などが入っている。<鳥捕り>はジョバンニたちに最初は「鳥の押し葉」にするといって捕まえた「鷺」を白い布から取り出す。すると,ジョバンニたちが,「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」と<鳥捕り>に質問する。<鳥捕り>は,それに対して「標本ぢゃありません。みんなたべるぢゃありませんか。」と不可思議な答え方をする。次に<鳥捕り>は「雁(がん)」を取り出してジョバンニ達に食べさせる。この「雁」はチョコレートよりも美味しい。ジョバンニは,<鳥捕り>が出した「雁」の「押し葉」は実は「お菓子」ではないかと疑う。カムパネルラも疑い始めたとき,一緒に居合わせた燈台守が「にやにや笑って」窓の外を見ると<鳥捕り>は「かはらははこぐさ」の上に立っている。

 

(2)カワラハハコはドライフラワーの材料

この場面で登場する「かはらははこぐさ」は,「カワラハハコ」(キク科;Anaphalis margaritacea (L.) Benth. et Hook.f. subsp. yedoensis (Franch. et Sav.) Kitam.)のことで英名では “Japanese pearly everlasting”という。 “everlasting” は「永遠の」あるいは「永久に続く」の意味である。<鳥捕り>は「鳥の押し葉」の作り方として, 「十日もつるして置く」か「砂に三四日うずめておく」と言っている。前者は明らかにドライフラワーの作り方である。「カワラハハコ」は全体に「白色」の綿毛が覆い, 花も「白色」のカサカサした花びらのような総苞片に囲まれていて, 中に「黄色」の管状花がある。乾燥させた後でも花が色あせないことから「押し葉(花)」の材料に適した植物とされてきた。

 

また,「鷺」の中で「コサギ」(Egretta garzetta (Linnaeus,1766))(第1図)は羽が「白色」で足は「黄色」である。すなわち「鳥を捕る人」の章に出てくる「鷺」の「押し葉」は,「カワラハハコ」を材料にして作った「鳥の形」をした「押し葉」である。著者は実際に「カワラハハコ」(第2図)を使って「コサギ」に似せた「押し葉(花)」のアート作品を作ったことがある(第3図)(石井,2012)。もちろん,この「押し葉(花)」は食べられないものである。

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第1図.コサキ(足は黄色;神奈川県大磯町不動川で撮影).

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第2図.カワラハハコの押し花標本

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第3図.コサギに似せたアート作品(部分)

 一方,<鳥捕り>がジョバンニ達に食べさせた「押し葉」のように見せた平べったい「雁」は,米などから作られる「落雁」,「初雁」,「雁月」などと命名されている和菓子からイメージした「お菓子」であろう(京都では鳥の形をした「落雁」が売られている)。すなわち「雁」(贋と発音が同じ)の「押し葉」は平べったく「鳥の形」をしているが「永遠の」真実に見せかけた「なりすまし」の「偽物の鳥」(贋シャモ)である。ジョバンニたちはそれを見抜いているようにも思える。違星は,雑誌『コタン』の「アイヌの姿」で次のような文章も記載している。

  「水の尊きは水なるが為めであり,火の尊きは火なるが為めである。」(権威)そこに存在の意義がある。鮮人が鮮人で尊いアイヌアイヌで自覚する。シャモはシャモで覚醒する様に,民族が各々個性に向つて伸びて行く為に尊敬するならば,宇宙人類はまさに壮観を呈するであらう。嗚呼我等の理想はまだ遠きか。     (『コタン』 違星,1995)下線は引用者

違星のこの文章を参考にして『銀河鉄道の夜』の「鳥を捕る人」の章を解釈すれば,「カワラハハコ」は植物の「カワラハハコ」ということで,「雁」は鳥の「雁」(カモ科の水鳥のうちカモより大きくハクチョウよりも小さい一群の総称)ということで,「お菓子」は「お菓子」の食品であるということで存在の「意義」があり「尊い」のであり,「カワラハハコ」を鳥としたり,「雁」を「お菓子」としたりすればそれは違星のいう「贋シャモ」と同じく「偽物」であるということになる。賢治は,ここで「ほんたうのさいはひ」を求めるには「本物」と「偽物」を区別する方法を取得する必要があるということを言いたかったのかもしれない。現在は,「贋シャモ」という言葉は殆ど使われず,似た言葉として「アイヌ」が出自であるにも関わらず「沈黙」する人達を指す「サイレント・アイヌ」がある(石原,2018)。

 

賢治の創作メモに「カムパネルラ 少女とひわやいんこのことをかたる」の記載があるが,童話『銀河鉄道の夜』第一~第四次稿の中に,この逸話が実際に語られる事はない。「ひわ」は「マヒワ」(Carduelis spinus Linnaeus,1758)のことでスズメ目アトリ科に分類される小鳥である。創作メモに記載されていることは,童話『種山ヶ原』にでてくる。主人公の達二が夢の中で女の子に「ひわ」をあげる約束をして家から「ひわ」を持ち出す。しかし,眼が覚めると鳥は萌黄色の生菓子に変わっている話である。賢治にとって本当は「少女,ひわ,お菓子」の言葉を入れた淡い恋物語の逸話を,賢治の恋物語(しはわせ)に重ねて『銀河鉄道の夜』にも導入したかったのだろう。

 

しかし,恋人が1927年に異郷の地(シカゴ)で亡くなり,また「ほんたうのさいはひ」が何かということに答えを出すには「本物」と「偽物」を区別する必要があると感じるようになり,違星の論説を基にシリアスな「偽物の鳥」(贋シャモ)の話に作り変えたように思える。

 

(3)プレシオスの鎖

鳥の「雁」は賢治にとっては夜空の「星」を指し示す場合がある。賢治研究家の浜垣(2019)は,短編『ラジュウムの雁』(1922)に記載されている「すばるがずうっと西に落ちた。ラジュウムの雁。化石させられた燐光の雁。」という文章をヒントにして,「雁」は「鳥」以外に「プレアデス星団」という「星団」を意味することもあるという説を立てている。

 

「プレアデス」は漢名で「昴(ぼう)」あるいは「昴宿」,和名で「すばる」と呼ばれる。賢治の恋人が亡くなった日(1927.4.13)から1か月後に創作された未定稿詩〔古びた水いろの薄明窮の中に〕(1927.5.7)で,「青い燐光の菓子でこしらえた雁」と記載されているように,「雁」は「お菓子」という意味でも使われる。「プレアデス星団」はおうし座の散開星団で,肉眼でも青白く輝く5~7個の星の集まりを見ることができる。賢治には,それら星々の配列から,飛んでいる鳥の「雁」や「お菓子」に見えることもあったのであろう。  

 

また,『旧約聖書ヨブ記38章31節に「なんじ昴宿(プレアデス)の鏈索を結びうるや。參宿(オリオン座)の繋繩を解うるや」という一節がある。「鏈索(くさり)」と「繋繩(つなぎ)」は星の連なった状態のことである。神が創造した星の「鏈索」や「繋繩」を人間が結んだり解いたりすることができるのかという意味であろう。

 

この有名な聖書の一節は,『銀河鉄道の夜』第三次稿でブルカニロ博士がジョバンニに話す「「ほんたう」と「うそ」を区別するにはあのプレシオスの鎖を解かなければならない」という話と関係している。多分,賢治の造語である「プレシオスの鎖」は,『旧約聖書』の「プレアデスの鏈索」を真似たものであり,「プレシオスの鎖」は「プレアデス(昴)の鏈索」(=「雁の鏈索」)のことである。原(1999)も『旧約聖書』に基づくものとして「プレシオスの鎖」は「解きがたい謎」の比喩であるとしている。賢治にとって,「ほんたうのさいはい」は「プレシオスの鏈索(「雁」の鏈索)」を解くこと,すなわち「本物(ほんたう)」と「偽物(うそ)」を区別することにより得られると信じられている。(続く)

 

引用文献

浜垣誠司.2019.3.19(調べた日付).「雲の信号」と雁(つづき).http://www.ihatov.cc/blog/archives/2008/11/post_589.htm

原 子朗.1999.新宮沢賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

違星北斗.1995.違星北斗遺稿-コタン(初出は1927年).草風館.東京.

石井竹夫.2012.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する鳥の押し葉.人植関係学誌.11(2):19-22.

石井竹夫.2019.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-粟とジョバンニの故郷 後編-.人植関係学誌.18(2):61-69.

石原真衣.2018.沈黙を問う-「サイレント・アイヌ」というもう一つの先住民問題.北方人文研究 11:2-21.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

関口由彦.2005.「滅び行く人種」言説に抗する「同化」-1920〜30年代のアイヌ言論人の抵抗-.国立民族学博物館研究報告 29(3):467-494.

須田 茂.2018.近現代アイヌ文学史論<近代編>.寿郎社.北海道.

知里幸恵.1978. アイヌ神謡集岩波書店.東京.

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌19巻第1号11~15頁2019年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。原文あるいはその他の掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html