宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

春と修羅

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 5)-出版を通して世に問うた-

5.詩集『春と修羅 第一集』を出版して理念と命題の正しさを世に問うたが成功しなかった。 賢治は恋愛から宗教情操へ戻ることが正しいという自分の考えを第三者から支持してもらおうとしたと思われる。その一つの手段が「小岩井農場」(パート九)のある著書…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 4)-表紙にあるアザミの紋様が意味するもの-

4.『春と修羅』の表紙にある「アザミ」の紋様は何を意味しているのか 詩「小岩井農場」は大正1922年5月21日の日付が付いているが,パート九の本稿(試論1)での引用部部分がその日に創作されたとは限らない。賢治研究家の杉浦静(1976,1998)によれば,詩…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 3)-万人に適応できるかどうか-

3.賢治の理念と命題は万人に適応できるものかどうかもわからない。 詩「小岩井農場」(パート九)で,賢治は宗教者としての分身の主張を受け入れて「宗教情操→恋愛→性欲という命題は可逆的にもまた正しい」と判断していたが,この命題は物理学的法則のよう…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 2)-正しいと思う賢治の根拠-

2.「宗教情操」と「恋愛から宗教情操への漸移」は正しく「宗教情操から恋愛への漸移」は正しくないとしている根拠はあるのか 賢治が「宗教情操」は正しく,「宗教情操から恋愛への漸移」を正しくないとしているのは「法華経」の教えによるところが大きいと…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 1)-賢治は正しいと思っている-

賢治のように菩薩になりたかった人においては修行の初めに必ず起こす4つの誓いがある。「四弘誓願(しぐせいがん)」と言われているものである。仏教における「純粋な心」での「強い信仰心」は,大乗仏教的には「菩提心」と呼ばれている。さとり(菩提,bodh…

宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(4)-教え子である柳原昌悦への手紙から-

前稿で詩「業の花びら」に記載されている「暗い業の花びら」は「慢心という業の報い(罰)を受けたときに現れる幻の花びらのこと」であると推論した。しかし,多くの賢治ファンは,菩薩に成りたかった賢治に「慢心」(傲慢)が生じることを認めたくないであ…

宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(3)-ボードレールの「悪の華」との類似点から-

本稿(第3稿)は下書稿の「業の花びら」に記載されている「暗い業の花びら」が何を意味しているかを,詩の表題が類似するボードレールの詩集を読み込むことから考察する。 フランスの象徴主義の詩人であるボードレール(Charles-Pierre Baudelaire;1821~186…

宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(2)-花びらは実際に見えていたのか-

前稿では,定稿「〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の下書稿で「業の花びら」という表題のついた詩の背後にあるものを解説した。本稿(第2稿)は「暗い業の花びら」という言葉を「暗い」,「業」,「花びら」の3つに分解してそれぞれの意味を考えて…

宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(1)-詩の背後にあるものから

賢治の詩集『春と修羅 第二集』に「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)という仮題がついた短い詩がある。夜の湿気と風がさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録…

詩「春と修羅」の「のばらのやぶや腐植の湿地いちめんのいちめんの諂曲模様」とはどういう意味か(2)

賢治が母親に気に入られようとしていた可能性のあることはすでに述べた。これを裏付けるものとして賢治の手紙,賢治研究家である堀尾青史の調査資料,文学作品などを紹介してみる。 大正7(1918)年6月20日前後の親友である保阪嘉内あての手紙(封書)に母…

詩「春と修羅」の「のばらのやぶや腐植の湿地いちめんのいちめんの諂曲模様」とはどういう意味か(1)

詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)の特に出だしの4行は難解である。前稿で,最初の2行「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり」は「イライラした憂鬱な気分になっていると,あけびの蔓のように自分の愛欲が1人の…

詩「春と修羅」の「あけびのつるはくもにからまり」とはどういう意味か

詩集『春と修羅』にある「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)は,「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐植の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様」(宮沢,1985)という詩句で始まる。…

賢治は雲をなぜカルボン酸に喩えるのか

詩集『春と修羅』の「風景」(1922.5.12)に「雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり/また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ・・・」とある。また,「冬のスケッチ」十七には「きりの木ひかり/赤のひのきはのびたれど/雪ぐ…

詩「蠕虫舞手」考-水ゾルとは何か,そしてなぜ詩の最初にだしたのか-

宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」(1922.5.20)は以下の詩句で始まる。 (えゝ 水ゾルですよ おぼろな寒天(アガア)の液ですよ) 日は黄金(きん)の薔薇 赤いちいさな蠕虫(ぜんちゆう)が 水とひかりをからだにまとひ ひとりでをどりをやつてゐる (えゝ 8(エ…

詩「蠕虫舞手」考-なぜ賢治は蠕虫にアンネリダのルビを振ったのか-

「蠕虫」のルビをドイツ語読みにしたいなら「ウオーム」(Wurm」としなければならない。また,ルビの「アンネリダ」が正しいのなら「蠕虫」は「環虫」にしなければならないように思われる。なぜなら「アンネリダ」(Annelida)は生物学的には環形動物門のこ…

詩「蠕虫舞手」考-燐光珊瑚の環節に正しく飾る真珠のぼたんとは何か-

宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」(1922.5.20)に「赤い蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は/とがつた二つの耳をもち/燐光珊瑚の環節に/正しく飾る真珠のぼたん/くるりくるりと廻つてゐます/(えゝ 8(エイト)γ(ガムマア)e(イー)6(スイツク…

宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」に登場するナチラナトラのひいさまはどんなお姿をしているのか

水の中で踊る「ナチラナトラのひいさま」はどんな生き物がイメージされているのだろうか。詩の中で,この生き物は「赤い小さな蠕虫」と表現されている。「蠕虫」には「アンネリダ」のルビが振られていて,体には青白い光を放つ「環節」があり,「とがった二…

宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」に登場する「8(エイト)γ(ガムマア)e(イー)6(スイツクス)α(アルフア)」とは何か

詩「蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツェーリン)」(1922.5.20)の前半の詩句は以下のようなものである (えゝ 水ゾルですよ おぼろな寒天(アガア)の液ですよ) 日は黄金(きん)の薔薇 赤いちいさな蠕虫(ぜんちゆう)が 水とひかりをからだにまとひ ひと…

なぜ人は食べもしないドングリを拾うのか(試論)

秋も深まったころ,県立大磯城山公園内の草地を散策していたら,多数の家族連れが2~3本のシラカシの木の下で一生けんめい地面に落ちた「ドングリ」を拾っているのを見かけた。中には,子供たちと一緒に大人も夢中になって拾っていた。城山公園にはコナラ,…

賢治と地質時代のシダ植物(試論)

賢治は,地質時代(古生代,中生代)という太古の植物や動物を扱った作品を数多く残している。中でも,『春と修羅(第二集)』の「「春」変奏曲」(1924.8.22 ;1933.7.5)という古代シダを扱った詩(心象スケッチ)がとてもユーモラスであり,また同時に賢…