宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

詩「春と修羅」の「あけびのつるはくもにからまり」とはどういう意味か

詩集『春と修羅』にある「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)は,「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐植の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様」(宮沢,1985)という詩句で始まる。本稿では引用詩句1行目の「心象のはひいろはがねから」と2行目の「あけびのつるはくもにからまり」が何を意味しているのか考察する。

 

詩「春と修羅(mental sketch modified)」は詩集では恋歌である「恋と病熱」(1922.3.20)と「春光呪詛」(1922.4.10)の間に置かれている。だから,詩「春と修羅(mental sketch modified)」も恋歌と関係深いものが含まれている可能性が高い。

 

「心象」は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば,心の中で起る現象という意味での「こころの風物」(『春と修羅』「序」)とある(原,1999)。よく分からないが,私なりに解釈すれば「わたくしが感じるものであり,みんなが同時に感じることができるもの」であると思われる。だから,賢治の詩も解釈できると思っている。

 

「はひいろはがね」とは,鉄と炭素との鍛錬された合金である硬度の高い鋼(はがね)である。「冬のスケッチ」四四に「灰いろはがねのいかりをいだき」とある。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば,賢治は堅く灰色をした冷たい光でイライラした憂鬱な心理の表現をしたのだという(原,1999)。

 

つまり,1行目の「心象のはひいろはがねから」とは「イライラした憂鬱な気分になっていると」という意味のように思える。

 

2行目の最初の言葉「あけび」はアケビ科の蔓性落葉低木である「アケビ」(Akebia quinata (Houtt.) Decne.)のことと思われる(第1図)。山野に生え,茎はつるになって他の樹木などに絡みついて生長する(第2図)。植物学者の牧野富太郎(1999)は「元来あけびは実の名であるがそれが後には植物を呼ぶようになっている。しかし本当はその植物を指す場合にはすべからく,あけびかずらというべきである」と言っている。「かずら(葛)」とは「ツル草の総称」である。

 

第1図.アケビの花(神奈川県4月)

 

第2図.アケビの蔓(神奈川県6月)

 

大谷大学の木村宣彰(2023)がこの葛(かずら)や藤(ふじ)のような「ツル草」を「葛藤(かっとう)」という言葉と関連させて興味深い話をしている。

 

葛も藤も樹木に絡み付くツル草で,このツル草が縺(もつ)れて解けない状態が「葛藤」である。実はこのような意味で「葛藤」の語を用いたのは仏教経典である。ツル草の葛や藤が生い茂り,錯綜すると縺れて解き放つことができないように,私たちを悩ませる貪欲や愚痴などの煩悩は容易に断ちきることは出来ないと教えている。『法句経』には「愛結〔煩悩〕は葛藤の如し」といい,『出曜経』には葛藤が樹木にまといつき,樹を枯らすように「愛綱〔愛欲の綱〕に堕する者は,必ず正道に敗れ,究竟に至らず」と説き,煩悩を「葛藤」に譬えている。(木村影影)

 

賢治の蔵書に常盤大定(1906)の南北対照英漢和訳『法句経』がある。この二十四章「愛欲品」には「放(まゝ)に任(まか)さば 婬想(たはれおもひ)は,/鬘(かつら)の如く,いや繁りつゝ,/木の實をあさる猴(ましら)にも似て,/かゆき,かくゆき,走り狂はむ。」と記載されている。読みにくいのだが,猴(ましら)は猿(さる)のことで,鬘のルビ「かつら」はその英訳がcreeper(ツル草)になっているので「かずら」のことと思われる。婬(たはれ)は婬(たはむれ)のことであろう。すなわち,「愛欲」は「ツル草」のようだと言っている。

 

賢治は「春と修羅(mental sketch modified)」の約1ヶ月後の詩「小岩井農場」パート九」(1922.5.21)で「信仰」と「愛欲」の葛藤について記載している。この詩には「・・・この不可思議な大きな心象宙宇のなかで/もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ・・・」(宮沢,1985;下線は引用者)とある賢治はこの詩で「愛欲」を「恋愛」と「性欲」に分けている。

 

つまり,「春と修羅(mental sketch modified)」の2行目「あけびのつるはくもにからまり」の「あけびのつる」は賢治の「恋愛」や「性欲」のことを言っていると思われる。では「くもにからまり」とはどういう意味であろうか。 

 

「くも」は「蜘蛛」の巣や「雲」と解釈できるが多分後者であろう。「雲」には色々な種類があるが「乱層雲」と思われる。「乱層雲」は空全体を覆い,厚さや色にむらが少なく一様で,暗灰色をした雲である。持続的に雨や雪を降らせる雲で,雨雲または雪雲とも呼ばれる。ラテン語学術名はnimbus(ニンバス)である(Wikipedia)。国際雲図帳1930年版の十種雲形では下層雲とされていて,そこから断片のような雲(ちぎれ雲)が飛ぶこともある。「乱層雲」が発達して積乱雲になれば雷も発生する。「春と修羅(mental sketch modified)」12行目に「砕ける雲」,21行目に「雲はちぎれて空をとび」,39行目に「けらをまとひ」(下線部は引用者),そして最終行に「雲の火ばなは降りそそぐ」とある。「けら(衣)」は東北地方の方言で「簔(「みの」)のこと。農民たちの雨天時の代表的な服装である。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(NymbusはNimbusの誤記?)とある。賢治は,恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫(ニンフ)と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(乱層雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

Nimbusは官能的なイメージを惹起するので「誘惑する者」の意味も含まれるという(原,1999)。多分,賢治の心を揺さぶる者という意味であろう。Nymphaeaは水瓶に植えるスイレン属(Nymphaea)らしい植物のことである。賢治の有名な花壇スケッチ図(Tearful eye)の眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところに配置される。すなわち,Nymph,Nymbus,,Nymphaeaは「妖精(ニンフ)」,「賢治の心を揺さぶる者(ニンバス)」,「涙(ニンフェア)」である。涙は破局したときの恋人の涙であろう。

 

つまり,「春と修羅(mental sketch modified)」の最初の2行「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり」は「イライラした憂鬱な気分になっていると,あけびの蔓のように自分の愛欲が1人の女性に絡まってしまい解けなくなってしまった」という意味と思われる。「春と修羅(mental sketch modified)」はこれまで多くの研究者によって様々に解釈されてきたが(吉本,2012;大久保,2016),1人の女性との恋に絡ませて解釈しているのはほとんどなかったと思われる。

 

参考・引用文献

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書院.

木村宣彰.2023(調べた日付).生活の中の仏教用語[226]-葛藤.https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000rd3.html

牧野富太郎.1999.「花の名随筆10 十月の花」作品社(青空文庫).

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

大久保等.2016.宮澤賢治詩の現代的解釈 その二-情報系一研究者の考察-八戸学院短期大学研究紀要 43:45-57.

常盤大定.1906.南北対照英漢和訳 『法句経』.博文館.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.