宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-

Keywords: アイヌ語,蝦夷,カゲロウの幼虫,カシワ,鬼神,コルボックル論争,クラムボン,涙ぐむ目,ニンフ(妖精),杉,スイレン属,手宮洞窟

 

前稿(Shimafukurou,2021a)では〈クラムボン〉の正体の解明を試みた結果,〈クラムボン〉には従来の解釈と異なり先住民の女性が投影されていて,賢治の悲恋物語が描かれているという新しい説を得ることができた。本稿の前半に相当する項目「1」の「1)物語の背景にあるコロボックル論争」から「3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈」までは植物を取り上げずに〈クラムボン〉の語源について検討し,後半の「4)〈クラムボン〉と恋人の関係」から「2.アイヌは東北の先住民か」までは悲恋物語であるという新説が童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物を読み説くことによって裏付けられるかどうか検討する。

 

1.なぜ川底の小生物を恋人の比喩である〈クラムボン〉と呼んだのか

それは〈クラムボン〉が遠い昔から谷川の川底に住んでいたことと関係がありそうである。北海道や「東北」の「アイヌ」あるいは「蝦夷(エミシ)」も遠い昔から同じ土地に住んでいた。賢治が生きていた時代には,さらに彼らよりも前に住んでいたとされている「先住民」が話題になっていた。すなわち,「アイヌ」の伝説にある北海道の「先住民」であるとされた「コルボックル」が「アイヌ」か「非アイヌ」かが盛んに議論されていた(瀬川,2012)。

 

「コロボックル」の名称は,天明5年(1785)から6年にかけて「蝦夷(エゾ)地」(今の北海道)を調査した探検家である最上徳内の著書『渡島筆記』(1808)に記載されている。

 

これによれば「コロボクングルといふものあり,是も古の人にして,時世いつなることを失ふ。コロボクングル仔細に唱ふれば,コロボツコルウンクルなり。又ボク実はボキなり,コロとはふきの葉なり。ボキ此にボツと略称す。ボキは下といふことなり。コルは持なり,ウンは居也,住也。グルは人といふ義なり。則ふきの葉の下にその茎を持て居る人といへることなり。」とある。すなわち,「コロボックル」は「フキの葉の下に住んでいる人」の意味であると推測されている。アイヌの伝説として伝えられている「小人種」のことである。ただ,北海道に自生するフキは「アキタブキ」(Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.Subsp. giganteus (G.Nicholson) Kitam.)の一種で「ラワンブキ」というのがあるがこのフキは高さが3mに及ぶものがある。

 

賢治も「コロボックル」という言葉を知っていた。賢治の詩集『春と修羅』の「樺太鉄道」(1923.8.4)には,「おお満艦飾のこのえぞにふの花/月光いろのかんざしは/すなほなコロボックルのです」とある。「えぞにふ」は,セリ科シシウド属の「エゾニュウ」(Angelica ursina (Rupr.)Maxim.)のことで,花は白で複散形花序である。1つの散形花序は賢治の詩にあるように「かんざし」のようでもある。

 

賢治は「コロボックル」以外にも伝説上の「小人」を作品の中に多数登場させている(佐藤,2008)。短編『うろこ雲』(1922)では「銀の小人」,詩「滝沢野」(1922)では「Green Drwarf(緑の小人)」,詩〔鉄道線路と国道が〕(1924.5.16)では「赭髪(あかがみ)の小さなgoblin」が登場する。「goblin(ゴブリン)」はケルト民俗由来の悪戯好きの妖精である。賢治は,「小人」に「妖精」のイメージを重ねているようにも思える。 

 

「コロボックル」と関係するものとして「手宮文字」がある。賢治の詩集『春と修羅』の詩「雲とはんのき」(1923.8.31)に出てくる。

 

「手宮文字」は,小樽市近郊の凝灰岩が露出している「崖の下」の「洞窟」の壁に刻まれた線刻画のことで,北海道の「先住民」が残したものとされている。この壁画のようなものは,沢山の「頭に角(つの)を持つ人物」あるいは秋田の男鹿半島の「なまはげ」のような「角のある面を付けた人物」に見える。1600年前頃の続縄文時代中頃から後半の時代のものと推定されている。「石斧」や「土器」も発掘されていて,1921年に国指定史跡になっている。渡瀬荘三郎(1886)は,この洞窟遺跡や近傍の竪穴住居跡が「コロボックル」のものであるとして人類学会で紹介した。ただし,この論文は「コロボックル」のものとしては確証に乏しく,人類学へのロマンをかき立てるようなものであった。

 

1)物語の背景にあるコロボックル論争

コロボックル論争(1886~)は,渡瀬の人類学会での報告に白井光太郎が辛辣に批判したことがきっかけで,人類学者の坪井正五郎と解剖学者の小金井良精の間で起こった「日本人の起源」をめぐる論争である。坪井は「アイヌ」が石器や土器を使った記憶を残していないことと,「アイヌ」の小人伝説から「石器(縄文)人」=非アイヌ説をとる。彼は,「コロボックル」は背が小さいと言われているエスキモーやアメリカ大陸からベーリング海峡にかけて散在している島々に棲むアリュート人が潮流に乗って千島から日本列島へ来て日本の原住民になった人達という説を唱える。

 

一方,小金井は,「アイヌ」と狩猟採取の民である「石器(縄文)人」の骨格を比較し,「アイヌ」は石器(縄文)人の末裔であり,その後新しく渡来した人たちに追われ北上し,ついには北海道に閉じ込められた,いわゆる「石器(縄文)人」=アイヌ説を唱えた(梅原・埴原,1993;金田一,2004;阿部,2012)。その後,鳥居(1903)は千島アイヌが石器や土器を使っていたことを発見し,また千島アイヌ,蝦夷(エゾ)アイヌ,樺太アイヌの身長がほぼ同じであるという情報が得られたことなどから,「アイヌ」以外に背の小さい「先住民」がいたという坪井説は劣勢となっていった。ちなみに明治時代に石器や土器を使っていたという千島アイヌの身長(男子7名の平均158cm)は同時期の日本人の身長ともほぼ同じであったという。

 

2)〈クラムボン〉と「コロボックル」の関係

筆者は,童話『やまなし』に登場する「樺」の植物名が後述(次稿)するアイヌ語に由来すると思われることから,〈クラムボン〉もアイヌ語と関係すると考えている。〈クラムボン〉がアイヌの伝説の小人「コロボックル」と関係があると最初に示唆したのは山田貴生であろう。彼は高知大学宮沢賢治研究会の機関誌(注文の多い土佐料理店)に,「クラムボン」はアイヌ語で分解すると「kur・人,男,ram・低い,pon(bon)・子供)」になり,「アイヌ各地に分布する伝説の小人・コロボックルである」と報告している(山田,2006)。山田は「イサド」もアイヌ語で解釈できるとして,「i・そこの,sat・乾いた,to・沼」だとしている。

 

「コロボックル」は文字として残されたものではなく,「アイヌ」の口碑によって伝承されたものなので様々な呼び名の名称として残されている。例えば,アイヌ研究家のジョン・バチラーは,彼らは「koropok un guru(コロボク・ウン・グル)」と呼ばれていたと著書で記している(仁多見・飯田,1993)。バチラーは,「コロボックル」を「フキの葉の下の人」ではなく「下の方の住民たち」と解釈し,「corpok・下に」を「korkoni・フキ(蕗)」とするのは誤訳であると指摘している。バチラーは,当時北海道で発掘されていた竪穴住居の遺跡が「アイヌ」のものであると推測していた(阿部,2012)。竪穴住居とは深さ90cmくらいの穴を掘り窪めて複数の柱を立て「アシ(葦)」などの植物を使って屋根を葺いた家屋である。

 

北海道余市町にも,小樽市の「手宮洞窟」と同じ時代のものとされる「フゴッペ洞窟」が残されている。この洞窟にある陰刻画も「先住民」が描いたとされ,その陰刻画には「角を持つ人」以外に舟や魚などもあった。

 

アイヌ人の詩人で思想家の違星(1972)が余市町の古老に「アイヌ」の先住民族「コロボックル」について訪ねたとき,古老は「お前はコロボックルといふが,それはさうぢゃないkurupun unkurといふんだ,クルは岩だ,水かぶり岩だ,ナニ水の底にあるごろんだ(粒々の)石のことだ,ナンデモ石に親しんだもので恰(あたか)も石の下にでもゐるやうな人種だからアイヌはこれを形容してクルプンウンクルとよんだもんだ」(昭和2年7月3日)と答えたという。

 

さらに話は続き,「私は非常に面白いと思った。私の兄に話したら「馬鹿いへ,水かぶりの石の下・・・サル蟹ぢやあるまいし」と一笑に付されたのであるが,発音はkurupun unkurといふのが正しいと父もいってゐたのである。石に親しんだものだから石の下の人とよび,背が低かったから色々な説話もうまれたものであって,要するに実在の重要な反映を做(な)すものである」とある。引用文にあるサル蟹は「サワガニ」のことと思われる。

 

3)〈クラムボン〉に対する古アイヌ語を基にした新しい解釈

「kur・クル」はアイヌ語で「人」あるいは「影」だが,「kut・クッ」には古いアイヌ語で別の意味がある。言語学者で盛岡出身の金田一(2004)によれば,「kut・クッ」は「岩層・断崖」を意味するとある。陸奥二戸郡福岡付近に岩山があるが,古くは尻屈(シリクツ)山あるいは尻口(シリクチ)山と呼ばれていた。「シリ」は山のことで,「クツ」あるいは「クチ」は岩層のことであるという。北海道の旭川にも似た岩山(神居岩)があり,「kut ne sir・クッネシリ」という。アイヌ語で「岩崖になっている山」という意味だという。

 

ちなみに,アイヌ語で「ra・ラ」は「下方」あるいは「低い所」を示す名詞で,「un・ウン」は「~にいる」で,「pon(bon)・ポン(ボン)」は形容詞の「小さい」という意味である(田村,1982;知里,1992)。名詞の「小さい子」は「po・ポ」である。アイヌ語で「p」と「b」は同一の音素で区別しない。「u」は,音節のつながり方によって,省略される場合がある。例えば,鬼志別(onispet)は,「o ni us pet」(川口に・木が・たくさんある・川)の「u」が省略されたものである(佐藤,1977)。すなわち,〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できるかもしれない。

 

また,「コロボックル」が「コロボツクル・ウンクル」の略称であったように,〈クラムボン〉も略称である可能性があり,本当は「クラムボン・ウンクル」と呼んだ方が良いのかもしれない。「アイヌ」の古老が記憶していた「kurupun unkur・クルプンウンクル」(石の下の人)は,「kut・岩崖, ra・低い所,pon・小さい,unkur・人」の変化したものと思われる。

 

筆者は,〈クラムボン〉の名称が「アイヌ」の伝説に登場する「先住民」を指す言葉「コルボックル」に由来すると考えているが,今のところ,(1)山田説か,(2)「kut・岩層(岩崖)」と「ra・下方」と「un・にいる」と「bon・小さい」とした賢治の造語か,あるいは(3)「kurupun unkur」やそれに類似した別称の発音を真似たもののうちのどれかはわからない。しかし,筆者は(2)が最も可能性が高いと考えている。

 

4)〈クラムボン〉と恋人の関係

賢治は,前述したように小樽市近郊の「崖下」の「手宮洞窟」の壁に刻まれた陰刻画に強い関心を示している。詩集『春と修羅』(第二集)の詩「休息」でも積乱雲が様々に形に変えていく様を「手宮洞窟」のものと思われる線刻画と重ね「古い洞窟人類の/方向のないLibidoの像を/肖顔(にがほ)のやうにいくつか掲げ」(下線は引用者)と比喩したりしている。「角を持つ人物像」と「方向のないLibidoの像」の「肖顔」とはどのような関係があるのだろうか。

 

「リビドー」とは様々な欲求に変換可能な無意識を源泉とする性的エネルギーとされるものである。多分,その答えは詩「雲とはんのき」の中にある。詩には「(ひのきのひらめく六月に/おまへが刻んだその線は/やがてどんな重荷になって/おまへに男らしい償いを強ひるかわからない)/手宮文字です 手宮文字です」(宮沢,1986)と記載されていた。この詩にある「おまえ」を賢治とすれば,賢治は線を何に刻んだのか。別な言葉に置き換えれば,誰を傷つけたのだろうか。償いをしなければならないとあるので,恋の破局の相手であろう。

 

「ひのきのひらめく六月・・・」の詩句は,この詩を書いた3か月前の「風林」(1923.6.3)と「白い鳥」(1923.6.4)という2つの詩の中に記載されたものと関係があると思われる。

 

前者には「かしはのなかには鳥の巣がない/あんまりがさがさ鳴るためだ・・・・」(下線は引用者)とあり,後者には「ゆうべは柏ばやしの月あかりのなか/けさはすずらんの花のむらがりのなかで/なんべんわたくしはその名を呼び/またたれともわからない声が/人のない野原のはてからこたへてきて/わたくしを嘲笑したことか」と記載されている。「風林」の中の「かしはのなかには鳥の巣がない」の詩句は,昭和6(1931)年頃と思われる「雨ニモマケズ手帳」に記載された文語詩〔きみにならびて野に立てば〕の下書稿の詩句「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ(中略)「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ」(下線は引用者)に対応している。

 

「かしは」あるいは「柏」は,ブナ科の落葉樹の「カシワ」(Quercus dentata Thunb.)のことである。「カシワ」の葉は,落葉樹であるが,新芽を守るため葉が枯れても風が吹いても春が来るまでは落ちない。〔きみにならびて野に立てば〕の「きみ」は恋人のことで,恋人は賢治に「強風の中でもカシワの葉は落ちないし,鳥も巣を作っているのになぜあなたはそうしないの」と訴えていた。

 

恋人は,どんなに反対されても賢治と「家庭(巣)」を作って,自分の性的エネルギーの全てを「家庭」に投入するはずであった。しかし,その夢も近親者らの反対などで破れ,方向を失った恋人のLibidoは他へ向かわざるを得なかったと思える。そして,そのLibidoの向かった先の1つが,賢治によって刻まれた「怒り」を象徴する「顔」の「角(鬼)」だったのだろう。賢治は洞窟の壁に刻まれた「角を持った人物像」に恋人を重ねているように思える(石井,2018)。

 

賢治は,〈クラムボン〉に〈ウンクル〉を付けた〈クラムボン・ウンクル〉を,「フキの葉の下に住んでいる人」ではなく,余市の古老が話したように「石の下の人」あるいは「岩崖の下方の小さい人」(さらに深読みすれば岩崖の下の洞窟に住んでいる小人〈妖精〉)という意味で使ったのかもしれない。すなわち,推測ではあるが「先住民」の末裔である恋人とイメージが重なる遠い昔の洞窟に住んでいた人という意味である。

 

5)〈クラムボン〉はカゲロウの幼虫のことかもしれない

筆者は,「コロボックル」が「石の下の人」であるとする余市アイヌによる解釈や,「下の方の住民たち」というバチラーの解釈には興味を持っている。「サワガニ」だけでなく「カゲロウ」などの水生昆虫(幼虫)も石の下に生息しているからである。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は石の下だけでなく巨石の下流側の淀みにも生息している。賢治もバチラーの解釈は知っていたかもしれない。また,「カゲロウ」の幼虫は,水中あるいは水面で脱皮するときに羽が立ち上がる。釣り人はこれを「カゲロウ」が「立ち上がる」と言うらしい(刈田,2000)。一方,「カワシンジュガイ」は石の下にというよりは砂礫(されき)や石礫(せきれき)質の河床に殻を半分ほど埋めて「立ち上がる」ような状態で生息している。

 

「カゲロウ」は,水生の幼虫のあと,有翅(ゆうし)の亜成虫期を経て成虫になる。これを不完全変態と呼ぶ。「カゲロウ」の幼虫は,完全変態する「トビケラ」の幼虫「ラーバ(larva)」と区別するために「ニンフ(nymph)」と呼ぶ。また,「カゲロウ」の仲間は5月(May)頃に羽化するので「メイフライ」ともいう。「ニンフ」はギリシャ神話の「ニュンペー」の英語読みで,若い女性の姿をしている妖精(女神)という意味である。山や川,森や谷に宿り,これらを守っているのだという。ギリシャ語では「花嫁」や「新婦」の意味である。

 

「カゲロウ」や「カワゲラ」の幼虫に対するアイヌ語名はわからなかったが,トビケラ類の幼虫は「worun kamuy・ウオルンカムイ」(wor・水,un・にいる,kamuy・神)と呼ぶ(アイヌ民俗博物館,2020)。多分,トビケラ類は、水生昆虫の総称を指しているのであろう。石の下の意味はないが,「アイヌ」は水生昆虫の幼虫を水の神(精)と見なしている。水の神は,アイヌ語で別に「wakka us kamuy・ワッカウシカムイ」という名が付けられている。「水場の女」を意味する女神である。西洋で「カゲロウ」の幼虫を「ニンフ」と呼ぶのと似ている。ちなみに,渓流の「ヤマメ」はアイヌ語で「icankaot・イチャンカオッ」(ican・ホリ,ka・の上,ot・にたかっている)あるいは「kitra・キッラ」である。神の名ではない。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた杉」は,亡くなった背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫(ニンフ)と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(積乱雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

雨雲は,『新宮沢賢治語彙辞典』によれば,前述した積乱雲のLipido像のように「官能的なイメージを惹起させるもので,性欲を否定したがる賢治にとって,誘惑者であり邪気を含んだもの」であるとしている(原,1999)。また,積乱雲の膨れた形状から妊婦(ニンプ)という言葉も想起させる。

 

「スイレン属」の植物は,「Tearful eye(涙ぐむ目);第1図」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図に記載されている(文字は英語)。このスケッチ図は,賢治が羅須地人協会時代(1926年8月に設立)に使用した「MEMO FLORA」ノートの32頁にある(宮沢,1986)。スケッチ図では眼の「瞳(瞳孔)」に相当するところは暗色系のパンジー(Pansy Dark),眼の「虹彩(Iris)」の部分は青花のブラキコメ(Brachycome Indigo),強膜(いわゆる白目)の部分は白花のブラキコメ(Brachycome White)を植えるとしていて,眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところにはスイレン属(Nymphaea)らしい植物を浮かせた水瓶(Water Vase)を置くとしている(宮沢,1986)。

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第1図.「MEMO FLORA」ノートにスケッチされたTearful eye(涙ぐむ目)の模写図.

 

水瓶の植物は,英語で「Water vase with nymph・・・」と記載されていて,「Nymph・・・」の単語の末字が判読しづらいが,賢治研究家の伊藤(2001)は,これを「Nymphaea」と解釈した。日本には,スイレン属の植物として「ヒツジグサ」(Nymphaea tetragona Georgi)がある。スイレン属の学名Nymphaeaはギリシャ神話の水の妖精(ラテン名Nympha)に由来するという。すなわち,賢治の詩に登場する「Nymphaea」は,失恋した恋人の涙を意味しているかもしれない。

 

多分,賢治は,「コルボックル」を北海道の岩崖の下にある「手宮洞窟」の「先住民」(石器(縄文)人)と考えていて,童話に「先住民」の末裔である恋人を谷川の川底(石の下)に住む妖精(ニンフ)として登場させたものと思われる。そして,「ニンフ」と呼ばれる「カゲロウ」の幼虫に恋人を投影させて,〈クラムボン〉と名付けたのであろう。

 

最近,澤口(2021)は『やまなし』のサブタイトルが「五月」なので,著者と同様に〈クラムボン〉は「メイフライ」と呼ばれる「カゲロウ」であると推測している。しかし,澤口にとって〈クラムボン〉は,恋人ではなく「韻を踏む言葉を探す者」という意味で賢治自身を表すとしている。

 

2.アイヌは東北の先住民か

東北の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」が「アイヌ」か「非アイヌ」かの論争も行われていた。賢治が生きた時代は,言語学者の金田一京助や歴史学者の喜田貞吉が主張する「蝦夷」=「アイヌ」説が優勢であった(秋枝,1996;金田一,2004)。賢治は東北に先住していた「石器(縄文)人」も「蝦夷」や「アイヌ」の祖先と信じていたように思える。

 

詩集『春と修羅 第二集』の詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕(1924.5.18)は「東北」の「先住民」である「蝦夷(エミシ)」=「アイヌ」説の影響を受けている。この心象スケッチの場所は花巻近郊のエミシ塚あるいはアイヌ塚と呼ばれていた場所である。また,詩に登場する〈杉の古木〉は賢治と相思相愛であったが破局し失意の底にある恋人が投影されていると思われる(石井,2018)。〈蛾〉は賢治であろう。

日はトパーズのかけらをそゝぎ

雲は酸敗してつめたくこごえ

ひばりの群はそらいちめんに浮沈する

  (おまへはなぜ立ってゐるか

  立ってゐてはいけない

  沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)

一本の緑天蚕絨の杉の古木

南の風にこごった枝をゆすぶれば

ほのかに白い昼の蛾は

そのたよりない気岸の線を

さびしくぐらぐら漂流する

  (水は水銀で

  風はかんばしいかほりを持ってくると

  さういふ型の考へ方も

  やっぱり鬼神の範疇である)

  アイヌはいつか向ふへうつり

  蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる

              (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この詩では「緑天蚕絨(みどりびらうど)の杉の古木」が近くの鏡の面を持つ沼に現れる先住民「アイヌ」の幻影(鬼神)と一緒に登場してくる。ここで賢治は,沼面から覗く「アイヌ」の「鬼神」が語る「おまへはなぜ立ってゐるか 立ってゐてはいけない」という言葉を「幻聴」として聞いている。また,この下書稿では,「そこに住む古い鬼神」あるいは「樹神」という言葉もあり,また一旦書かれて削除された詩句には「たたりをもったアイヌの沼は/・・・沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬(やじり)や石斧もとれる」(下線は引用者)とある。削除された詩句の「鏃」や「石斧」は石器(縄文)時代の遺物である。

 

すなわち,石器時代の昔から「東北」の地に先住していた民族(アイヌ)の「祟り」を持った「鬼神」に「お前は恋人と並んで立ってはいけない」と威嚇されているのである。この「鬼神」は「東北」の「先住民」に対して繰り返された大和朝廷の侵略の歴史に対する「先住民」の怒りが「鬼」となったものであろう。

 

賢治の恋を読んだ詩「マサニエロ」(1922.10.10)では,「古木」ではなく恋人が務めていた小学校にある「橄欖天蚕絨(かんらんびろうど)」という美しいルビの形容の付く〈杉〉と一緒に「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」といった切ない詩情が語られていた。しかし,2年以上経過して詠んだ詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕には,〈杉の古木〉と一緒にアイヌ塚の沼面から覗く「祟り神」の「鬼神」が登場している。2つの詩の〈杉〉が共通の女性を比喩しているのなら,多分,この間に賢治と恋人の恋の破局が訪れたのであろう。

 

詩の引用箇所の最後の「水ばせう」は,植物の「ミズバショウ」(サトイモ科;Lysichiton camtschatcense S.)のことで葉が変形して花のように見える「仏炎苞」と呼ばれる苞が特徴である。「仏炎苞」という名は,苞が仏像の背後にある炎をかたどる飾り(後背)に似ていることによる。それゆえ,詩の最後の2行は,相思相愛の恋人が「怒り」とともに米国に去ったのち,火に集まる習性のある〈蛾〉に化身した賢治が仏教の暗喩ともとれる仏炎苞を持つまだ芽でしかない「水ばせう」の上を「たよりなく,さびしくぐらぐらと」漂流しているとも読める。ここでは「祟り神」である「鬼神」を恐れている「移住者」の末裔としての賢治が,「先住民」の恋人と並んで「東北」の大地に立つことが許されない苦悩が語られているのかもしれない。

 

童話『やまなし』では,この「アイヌ」の「鬼神」は川面の上方から何の前触れもなく怒りを示す「赤い目」の〈カワセミ〉となって現れる。父親の〈蟹〉が子供達に〈カワセミ〉に対して「おれたちはかまはないんだから」と言ったのは同じ先住民同士だからである。〈蟹〉の兄弟が川底から見た〈カワセミ〉の嘴(くちばし)は「鬼」の「角」のように「黒く尖って」いた。

 

詩集『春と修羅』の「晴天恣意(水沢臨時緯度観測所にて)」(1924.3.25)に「鬼神」が怒るとどうなるかが記載されている。

古生山地の峯や尾根

盆地やすべての谷々には

おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり

めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ

もしもみだりにその樹を伐り

あるひは塚を畑にひらき

乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと

さてもかういふ無風の日中

見掛けはしづかに盛りあげられた

あの玉髄の八雲のなかに

夢幻に人はつれ行かれ

かゞやくそらにまっさかさまにつるされて

見えない数個の手によって

槍でづぶづぶ刺されたり

おしひしがれたりするのだと

さうあすこでは云ふのです。

         (宮沢,1986)下線は引用者による

 

下線部の「イリス」は,植物の「アイリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(I japonica Thunb.;第2図)を指す。いずれも「在来種」である。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「イリス」は「先住民」の女性の比喩として使われているように思える。この詩の「あんまりひどくイリスの花をとりますと・・・/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて・・・/槍でづぶづぶ刺されたり・・・」という詩句は,童話『やまなし』の〈蟹〉の兄弟の「魚が何か悪いことしてるんだよとつてるんだよ」という会話を彷彿させる。『やまなし』ではこの後に〈魚〉が〈カワセミ〉の槍のような嘴で挟まれて天空に連れ去られる。

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第2図.シャガ.

 

すなわち,賢治は「アイヌ」は「蝦夷」であり,「東北」の石器時代まで遡ることのできる「先住民」(コルボックル)と信じている。別の言葉でいえば,賢治は恋人が遠い昔から「東北」に先住していた家系の女性であると強く信じている。賢治は,詩〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕を心象スケッチしたその日の午後に修学旅行の引率のため北海道へ旅立っているが,2日後に「アイヌ」に関する標本が陳列されている博物館を,そして4日後に白老(しらおい)のアイヌ集落を訪問している。並々ならぬ「アイヌ」への関心の高さである。

 

このように,当時学者たちの間では「蝦夷」=アイヌ説が優勢だったが,東北人はどのように受け止めていたのであろうか。賢治研究家の秋枝(1996)によれば,東北人の中にはこの説を受け入れることができなかった者が多かったようで,その一例として,次のエピソードが記載されている。喜田貞吉が昭和5年頃に東北の村役場で「日本民族上に於けるアイヌの地位」と題して講演したところ,途中入場した一酔漢が「蝦夷だアイヌだと,アイヌが何だ」と,演壇下まで迫ってきてなぐられそうになったという。

 

土地の有力者によれば,東北人が「アイヌ」の末裔であるとする考えは,「教育上の一大問題」であり,「立派な日本民族である誇り」をもつ東北人を自暴自棄に陥らせるのだという。多分,賢治もこのことは承知していて作品に「蝦夷」の名を登場させることはしなかったし,「アイヌ」の表記も極力避けたように思える。それゆえ,賢治は「先住民」の「鬼神」となった「コロボックル」を作品に登場させるとき,特に新聞などで公表する場合には,特定の人物との関係が知られることを恐れて正体不明の〈クラムボン〉と表記したのだと思われる。

 

「カワシンジュガイ」と書いても容易に「アイヌ」が連想される。「カゲロウ」の幼虫としても「ニンフ」,すなわち若い「女性」が連想されてしまう。童話『やまなし』は,大正12年4月8日に岩手毎日新聞に発表されている。

 

本稿では従来試みられなかった(植物に着目する)方法で新説を確かなものにすることができた。次稿では『やまなし』に登場する植物を読み解くことによってさらに裏付けが可能かどうか検討する。

 

参考・引用文献

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号67-74頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 中編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。また,自著報文では「童話『やまなし』発表前後の作品に登場する植物と物語の展開との関係」というA41枚程度の表が挿入されていたが,表が大きすぎるので本ブログでは載せていない。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は,雑誌発行日から1~2年後になる予定。

http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm