宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -クラムボンは笑った,そして恋は終わった-

キーワード : 誤解,ぷかぷか,かぷかぷ,失笑,嘲笑

 

童話『やまなし』は地方紙の岩手毎日新聞に大正12(1923)年4月8日に掲載されたものである。「クラムボンはわらつたよ。クラムボンはかぷかぷわらつたよ。・・・」と「アイヌ」の叙事詩ユーカラのような「韻」を踏んだ繰り返し(リフレイン)の多い文章で始まる。前報で,私は童話『やまなし』が谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉と移入種の〈魚〉の悲恋物語であるということを報告した(石井,2021a,b)。この物語は,〈魚〉が〈クラムボン〉に婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して近づいたとき,「カワセミ」に天空へ連れ去られて恋が終わるというものである。

 

同じような悲恋物語は1か月後に同じ新聞に発表された童話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11-23)にも見られる。この童話で本線側の「金(かね)」でできた信号機〈シグナル〉と軽便鉄道側の「木」の信号機〈シグナレス〉は相思相愛の中である。〈シグナル〉は〈シグナレス〉に琴座の環状星雲(フイツシユマウスネビユラ;魚口星雲)を婚約指輪に見立てて渡している。しかし,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚は〈シグナル〉の近親者たちによって猛反対を受ける。

 

童話『やまなし』と童話『シグナルとシグナレス』は周囲から反対され悲恋で終わるという点で類似している。類似しているのは二つの童話の主人公たちのモデルが同一人物だからと思われる。〈シグナル〉と〈魚〉には賢治が,〈シグナレス〉と〈クラムボン〉には賢治の恋人が投影されていると思われる(石井,2022)

 

私は童話『シグナルとシグナレス』を読んだとき,童話『やまなし』に登場する〈クラムボン〉の笑った理由がこの童話『シグナルとシグナレス』の主人公たちの会話の中に隠されていると思った。本稿は二つの童話を比較することによって,クラムボンがなぜ「かぷかぷ」と笑ったのかについて考察する。 

 

1.童話『やまなし』と童話『シグナルとシグナレス』の主要登場キャラクターを重ねてみる

童話『やまなし』の主要な登場キャラクターは〈クラムボン〉と〈魚〉と兄弟の〈蟹〉である。前報(石井,2021a,b)では,〈魚〉は1匹だけと思っていたが,『シグナルとシグナレス』を読んで,少なくとも2匹はいると確信した。「白い腹をしていて鉄いろにへんに底びかり」する魚と「銀のいろの腹」をした魚である。本稿では前者を〈鉄色の魚〉,後者を〈銀色の魚〉とする。

 

一方,童話『シグナルとシグナレス』の主要なキャラクターは〈シグナレス〉,〈シグナル〉,〈本線シグナル附きの電信柱〉そして〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉である。

 

童話『シグナルとシグナレス』の登場キャラクターを『やまなし』と重ねてみる。女性がイメージされている〈シグナレス〉には〈クラムボン〉を,この女性と結婚する予定だった男性(賢治)がイメージされている〈シグナル〉には「口を環(わ)のやうに円(まる)く」して〈クラムボン〉に近づく〈鉄色の魚〉を,そして〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚に反対する〈本線シグナル附きの電信柱〉にはもう一つの〈魚〉である〈銀色の魚〉を重ねてみる。また,〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉には弟の〈蟹〉をあててみる。

 

2.〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由

童話『シグナルとシグナレス』で〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対された理由についてはすでに報告した(石井,2022)。ここでは要約だけにとどめる。

 

〈シグナル〉が「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱〉が聞こえないことをいいことに〈シグナレス〉に〈本線シグナル附き電信柱〉の容姿についての悪口を「真面目な顔」をして言った。〈シグナレス〉は優しい性格の持ち主なので,その悪口を事実に基づくものとは知らずに冗談だと思い,また〈シグナル〉が「真面目な顔」で言ったので思わず笑ってしまった。俗に言う「失笑」である。〈本線シグナル附き電信柱〉を軽蔑して笑ったのではない。例えば,大正時代に活躍した喜劇王のチャップリンがいる。彼は「真面目な顔」で「おかしなこと」をする。だから,観客は思わず笑ってしまうのである。観客にチャップリンに対する「侮蔑」の感情はない。

 

シンガーソングライター・井上陽水の初期の作品に『ゼンマイじかけのカブト虫』という失恋を歌ったものがあった。「きみの顔 笑った なにもおかしいことはないのに きみの目がこわれた ゼンマイじかけ・・・」という詩句が入っている。何も「おかしいこと」もないのに笑ったのは「嘲笑」である。

 

「風上」にいた〈本線シグナル附き電信柱〉は〈シグナレス〉の笑い顔を見て「嘲笑」されたのではないかと疑い〈シグナル〉と〈シグナレス〉の「風下」にいた〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉に電話で〈シグナレス〉の笑いがどのようなものであったか問いただした。〈耳のいい電信柱〉は「空」を見ながら〈シグナル〉と〈シグナレス〉の会話を聞いていた。〈耳のいい電信柱〉は〈シグナル〉の「真面目顔」を見ていないので,〈シグナレス〉が〈本線附きシグナル電信柱〉の容姿に関して嘲笑ったと勘違いした。そして,その情報を〈本線シグナル附き電信柱〉へ伝えた。〈本線シグナル附き電信柱〉はその情報が事実に基づいていると自覚しているから〈シグナレス〉から「嘲笑」されたと確信して激怒し,四方の近親者に連絡し結婚反対に対する同意をとってしまう。

 

すなわち,結婚が反対されるきっかけを作ったのは〈シグナレス〉が笑ったことである。そして,その笑いが「嘲笑」と誤解され近親者から結婚を反対されることになったのである。

 

3.なぜ〈クラムボン〉は「かぷかぷ」と笑ったのか

では,童話『やまなし』で〈クラムボン〉が笑った状況を考えてみる。一人で笑ったのか。それとも誰かと会話を交わしながら笑ったのか。童話『やまなし』を読む限りそれは分からない。そこで,『やまなし』と『シグナルとシグナレス』は同じ人物をモデルとして,また同じ出来事を元にして創作されたものと仮定して推論してみたい。

 

『シグナルとシグナレス』では,第1図Bに示すように〈シグナレス(3)〉は近くの〈シグナル(2)〉と「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱(1)〉の会話を聞いて笑っている。そして,「風下」にいた〈耳のいい電信柱〉がその会話と〈シグナレス〉の笑い声を聞いていた。すなわち,〈シグナレス〉が笑った場面には4つのキャラクターが,「風上」から「風下」へ〈本線シグナル附き電信柱〉→〈シグナル〉→〈シグナレス〉→〈耳のいい軽便鉄道の電信柱〉の順に並んでいる。そこで,『やまなし』でも「川上」から「川下」へ同じよう位置に並んで,〈クラムボン(3)〉は〈鉄色の魚(2)〉と〈銀色の魚(1)〉の会話を聞いて笑い,その笑い顔を「川上」の〈銀色の魚〉が見て,「川下」の兄弟の〈蟹(4)〉が聞いていたとする。

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第1図 A.〈銀色の魚(1)〉は〈クラムボン(3)〉が笑ったのを見た。そして,〈蟹(4)〉はそれを聞いていた。第1図 B.〈本線シグナル附き電信柱(1)〉は〈シグナレス(3)〉が笑ったのを見た。〈耳のいい電信柱(4)〉は「空」を見ながらそれを聞いていた。

 

この物語には「ほんたう」のことと,「うそ」が混在している。「ほんたう」と「うそ」を区別するために必要な事柄を4つほど挙げておく。

 

(1)「カニ」は陸上では体内に貯めておいた水を使って呼吸するので,そのとき泡を吐くが,水中では泡は吐かない(「カニ」はエラ呼吸)。

(2)音源から放射された音は川下(あるいは風下)には伝わりやすいが,川上(あるいは風上)には伝わりにくい。

(3)ある色の物体は同系色の背景の中では識別できない(闇夜の烏)。

(4)前述したように〈シグナレス〉の笑いは「失笑」であって「嘲笑」ではない(石井,2022)。

 

では,童話『やまなし』で『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』がどのようなものであったか再現してみる。

 

引用文(1)

二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『クラムボンは跳てわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

                    (宮沢,1986)

 

「2匹の蟹の子供らが青白い水の底で話てゐました」(下線は引用者;以下同じ)と言っているので,第1図Aに示すように兄弟の〈蟹(4)〉は川底にいる。〈クラムボン(3)〉も跳ねて笑っているので川底にいる。そして,〈鉄色の魚〉と〈銀色の魚〉は水中にいて〈蟹(4)〉と〈クラムボン〉の上を行ったり来たりしている。川底は「青じろい」とあるので,ある程度川底にいる生物(蟹とクラムボン)はお互いに姿を認識することはできていると思われる。また,〈銀色の魚(1)〉は暗い水の中を泳いでいるが〈蟹(4)〉と〈クラムボン(3)〉は見ることができる。多分,第1図Aのような位置にいれば〈クラムボン(3)〉の笑った顔を見ることができる。しかし,「川上」にいるので話し声や笑い声は聞きづらいか聞こえない。また,兄弟の〈蟹(4)〉は〈クラムボン(3)〉の横側くらいは見ることはできるかも知れないが〈クラムボン〉の笑い顔は確認できない。

 

語り手は「上の方や横の方」を,「青くくらく鋼のやうに見えます」と表現している。〈クラムボン(3)〉が笑っていた所の上方はかなり暗そうだ。兄弟の〈蟹(4)〉は〈クラムボン(3)〉の上方で話している〈鉄色の魚(2)〉も見ることはできていないと思われる。なぜなら〈クラムボン(3)〉の上は「青くくらく鋼のやうに」見えるので同系色の「ごく暗い青緑」の〈鉄色の魚(3)〉は闇夜の烏と同じで見ることはできないからである。すなわち,兄弟の〈蟹(4)〉は〈鉄色の魚(3)〉の顔の表情も見ることはできていない。

 

笑いには色々な笑いがある。「苦笑」,「失笑」,「冷笑」,「嘲笑」などがある。ここでは,〈クラムボン〉の笑いに相手への否定,別の言葉で言えば「冷笑」や「嘲笑」のように「侮蔑」の意味が含まれていたかどうかについて考えたい。会話の中での笑いがどのようなものなのか知るには声だけでなく顔の表情を見ることも重要である。

 

童話『シグナルとシグナレス』では〈シグナル〉が「風上」にいた〈本線シグナル附きの電信柱〉が聞こえないことをいいことに〈シグナレス〉に〈本線シグナル附き電信柱〉の悪口を「真面目な顔」をして言った。それなら,同じように,〈鉄色の魚〉が「川上」にいた〈銀色の魚〉が聞こえないことをいいことに間近で〈クラムボン〉に〈銀色の魚〉の容姿に対する悪口を「真面目な顔」をして言ったとしてみよう。〈クラムボン〉は優しい性格の持ち主と思われるので,その悪口が事実に基づくものとは知らずに冗談だと思い,また〈鉄色の魚〉が「真面目な顔」でいったので怖いながらも思わず笑ってしまった。〈クラムボン〉には〈鉄色の魚〉が間近にきているので暗くても顔を確認できる。すなわち「失笑」である。〈銀色の魚〉への「蔑視」の感情はない。後述するが〈魚〉と〈クラムボン(=カゲロウ)〉は捕食する者と捕食される者の関係である。〈クラムボン〉にとって〈魚〉は怖い相手であり,蔑視する相手ではない。

 

〈銀色の魚(1)〉は〈クラムボン(3)〉の笑い顔しか見ていないので笑いがどんなものであったのか分からなかった。しかし,弟の〈蟹〉は〈クラムボン〉の笑いを「かぷかぷ」と形容しているので「嘲笑」と受け取ったようだ。「ぷかぷか」は軽いものが水に浮く様あるいは浮いて流れる様をいう。だから,「ぷかぷか笑う」とは川底にいる〈蟹〉からは「見上げているような笑い」である。一方,「かぷかぷ」は賢治の造語と思われるが,「ぷかぷか」の逆だから,重いものが水に沈む様あるいは沈んで転がる様を言っているように思える。すなわち,「かぷかぷ笑う」とは「見下すように笑う」ということであろう。すなわち,弟の〈蟹〉には〈クラムボン〉が「嘲笑っている」ように聞こえたというのだ。本当であろうか。そのように聞こえたにせよ,聞こえなかったにせよ,弟の〈蟹〉は「クラムボンはかぷかぷわらったよ」と言った。

 

次にまた〈クラムボン〉が笑う。

引用文(2)

 上の方や横の方は,青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を,つぶつぶ暗い泡が流れていきます

『クラムボンはわらつてゐたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』

『知らない。』 

                  (宮沢,1986)

 

ここでは, 語り手は「青くくらく・・・・・そのなめらかな天井を,つぶつぶ暗い泡が流れていきます」と語る。この表現は矛盾している。「青く暗い」水の中に流れる「つぶつぶ」の「暗い泡」が見えるはずはない。そして,また弟らしき者が『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』と繰り返して語る。どうも弟の話しがだんだん怪しくなってくる。

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第2図。〈銀色の魚〉が兄弟から〈クラムボン〉の笑いがどんなものだったのか聞いている。

 

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』という問いは誰だろうか。兄ではない。多分,第2図Cに示すように兄弟の近くに「川上」から泳いできた〈銀色の魚(1)〉と思われる。〈銀色の魚(1)〉が〈クラムボン(3)〉がどういうことで笑ったのか兄弟の〈蟹(4)〉に尋ねていたのだと思われる。多分,兄は「知らない」と答えたが,弟が〈鉄色の魚(2)〉と〈クラムボン(3)〉の会話の内容を〈銀色の魚(1)〉に話したのだと思われる。

 

引用文(3)

つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜に上の方へのぼつて行きました。

つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまつたよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は,その右側の四本の脚の中の二本を,弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。

『わからない。』

                      (宮沢,1986)

 

ここで,「蟹の子供らもぽつぽつぽつとつづけて五六粒泡を吐きました」とある。「カニ」は水中では「泡」は吐(は)かない。「うそ」である。子供らは「うそ」を5~6回吐(つ)いたのである。弟の〈蟹〉は〈クラムボン〉が「かぷかぷわらった(見下して笑っていたよ)」と言っているが,そのようには聞こえていなかったのだ。「うそ」を吐(つ)いていたのだ。「水銀のやうな光」とは明るい光ではない。何か重苦しい陰湿な感じを受ける。子供らは〈銀色の魚〉に「かぷかぷわらったよ」(見下して笑っていたよ)と「うそ」の情報を伝えたのだと思う。子供らは同系色の背景の中にいる〈鉄色の魚〉の姿を見ることはできない。繰り返すが,声だけの情報では笑いの意味を正確に判断するのは難しい。

 

子供らから「うそ」の話しを聞いた〈銀色の魚(1)〉は「銀のいろの腹をひるがへし」て〈クラムボン〉の所へ向かうことになる(第3図D)。童話『シグナルとシグナレス』で,〈銀色の魚〉と思われる〈本線シグナル附き電信柱〉は『くそつ,えいつ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生,あんまりだ。犬畜生,ええ,若さま,わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまつてゐるとお考へですか。結婚だなんてやれるならやつてごらんなさい。電信ばしらの仲間はもうみんな反対です。シグナルばしらの人たちだって鉄道長の命令にそむけるもんですか。そして鉄道長はわたしの叔父ですぜ。結婚なりなんなりやつてごらんなさい。えい,犬畜生め,えい』とえらい剣幕で怒り出す。多分,童話『やまなし』の「つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。」という語り手の言葉にはそんな意味が込められていたのであろう。

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第3図.〈銀色の魚〉は〈クラムボン〉を叱ったのだろうか。

 

この後,〈シグナレス〉は「しくしく泣なきながら,・・・しょんぼりと腕をさげ,そのいじらしいなで肩はかすかにかすかにふるへておりました」,そして「ええ,みんなあたしがいけなかつたのですわ」となる。「なで肩」とは「大正ロマン」を代表する画家・竹久夢二の描くほっそりした背の高い女性をイメージさせる。〈シグナル〉は〈シグナレス〉を世界で一番美しいと言っていた。その〈シグナレス〉が震えるほどに泣いた。童話『やまなし』では兄には「死んだ」と思わせ,弟には「殺された」と思わせた。

 

多分,〈クラムボン〉は〈銀色の魚〉からひどいことを言われ泣いてしまったのであろう。殺されたのではない。兄から『それならなぜ殺された。』と聞かれたとき弟は『わからない』と答えている。兄が自分の「脚の中の二本を弟の平べつたい頭にのせ」ながら質問するやり方は,ジークムント・フロイト(1856~1939)が実施した精神分析法の一つである「前額法(ぜんがくほう)」というものである。例えば,ヒステリーの症状のある患者に,「いつからこの症状が現れましたか」,「原因は何ですか」と質問して,「私にはわかりません」と答える患者がいた場合,片手を患者の額に置き,「こうして私が手で押さえていると,今に思い浮かびますよ。私が押さえるのを止めた瞬間にあなたには何かが見えるでしょう。さもなければ何かが思い浮かぶでしょうから,それを教えてください」と言う。この方法でフロイトは患者のヒステリーの原因を突き止めた。結局,弟の〈蟹〉が「わからない」としか答えられなかったので,弟の「殺された」というのも「うそ」である。

 

その証拠に〈銀色の魚〉が下流へ戻ると〈クラムボン〉はまた笑うことになる。死んでいない。

引用文D

 魚がまたツウと戻って下流の方へ行きました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『わらつた』

             (宮沢,1986)

 

この後,谷川は「にはかにパツと明るくなり,日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて」来る。谷川の底で何が起こっていたのかが明らかになる。多分,「ほんたう」のことが語られている。

 

引用文E

魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして,又上流(かみ)の方へのぼりました。

『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。

『何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。』

『とつてるの。』

『うん。』

そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて,ひれも 尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円(まる)くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

『お魚は……。』

その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて,青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが,いきなり飛込んで来ました。 

兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。と思ううちに,魚の白い腹がぎらつと光つて一ぺんひるがへり,上の方へのぼつたやうでしたが,それつきりもう青いものも魚のかたちも見へず光の黄金(きん)の網はゆらゆらゆれ,泡はつぶつぶ流れました。

                              (宮沢,1986)

 

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第4図.〈鉄色の魚〉は婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して〈クラムボン〉に近づいている。

 

兄弟の〈蟹(4)〉には〈鉄色の魚(2)〉が何か悪いことをしているように思えている。しかし,実際は〈鉄色の魚(2)〉は〈クラムボン(3)〉に求婚していたのだ。ヤマメの婚姻色とも思える〈鉄色の魚(2)〉が〈クラムボン(3)〉に婚約指輪を真似て「口を環(わ)のように円(まる)く」して近づいた。

 

ことの詳細を谷川の「神」の化身である「カワセミ」が上空から見ていた。谷川に先住していた〈蟹〉や〈クラムボン〉たちが信仰する「神」であるが少し乱暴な「神」でもある。なぜなら兄弟は「カワセミ」を怖いと言ったが,父は「おれたちはかまはないんだから」と答えているからである。すなわち,〈蟹〉にとって「カワセミ」は同族あるいは味方である。また,兄弟が見た「カワセミ」の眼は黒色なのだが,父は「そいつの眼は赤かったかい」と子供らに尋ねてもいる。赤は「怒り」を象徴することがある。この「神」は谷川の先住民からは「鬼神」と呼ばれている。「鬼神」は,〈クラムボン(3)〉の身を震わせながら流した涙が〈鉄色の魚(2)〉によるものだと察した。

 

詩集『春と修羅』の「晴天恣意(水沢臨時緯度観測所にて)」(1924.3.25)に「鬼神」が怒るとどうなるかが記載されている。

      

古生山地の峯や尾根

盆地やすべての谷々には

おのおのにみな由緒ある樹や石塚があり

めいめい何か鬼神が棲むと伝へられ

もしもみだりにその樹を伐り

あるひは塚を畑にひらき

乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと

さてもかういふ無風の日中

見掛けはしづかに盛りあげられた

あの玉髄の八雲のなかに

夢幻に人はつれ行かれ

かゞやくそらにまっさかさまにつるされて

見えない数個の手によって

槍でづぶづぶ刺されたり

おしひしがれたりするのだと

さうあすこでは云ふのです。

                 (宮沢,1986)

 

下線部の「イリス」は,植物の「アイリス」のことでアヤメ科アヤメ属の学名である。賢治の詩に登場する「カキツバタ」(Iris laevigata Fisch)や「シャガ」(I. japonica Thunb.)を指す。いずれも「在来種」である。「カキツバタ」は茎先に青紫色の花をつける。「イリス」は「先住民」の女性の比喩として使われているように思える。童話『やまなし』では〈クラムボン〉のことである。この詩の「あんまりひどくイリスの花をとりますと・・・/かゞやくそらにまっさかさまにつるされて・・・/槍でづぶづぶ刺されたり・・・」という詩句は,童話『やまなし』の兄弟の〈蟹〉の「魚が何か悪いことしてるんだよとつてるんだよ」という会話を彷彿させる。『やまなし』ではこの後に〈鉄色の魚〉が〈カワセミ〉の槍のような嘴で挟まれて天空に連れ去られる。

 

このように,童話『やまなし』は〈クラムボン〉が笑ったことで〈銀色の魚〉が激怒し〈クラムボン〉と〈鉄色の魚〉との恋が終わったという悲恋物語である。ただ,〈クラムボン〉の笑いは「失笑(ぷかぷか)」だったのだが,魚側だけでなくクラムボン側の近親者にも「嘲笑(かぷかぷ)」と誤解された。

 

〈クラムボン〉は,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できるかもしれない。石の下にいる小さな者という意味で「カゲロウ」の幼虫のことと思われる(石井,2021a,b)。「カゲロウ」の幼虫は英語で「Nymph;妖精」と呼ばれる。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1986)(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた杉」は,失恋した背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(積乱雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

雨雲は,『新宮沢賢治語彙辞典』によれば,前述した積乱雲のLipido像のように「官能的なイメージを惹起させるもので,性欲を否定したがる賢治にとって,「誘惑者」であり邪気を含んだもの」であるとしている(原,1999)。

 

「スイレン属」の植物は,「Tearful eye(涙ぐむ目)」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図に記載されている(文字は英語)。このスケッチ図の眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところにはスイレン属(Nymphaea)らしい植物を浮かせた水瓶(Water Vase)を置くとしている。すなわち,賢治の詩に登場する「Nymphaea」は,失恋した恋人の涙を意味しているかもしれない。

 

すなわち,〈クラムボン〉は賢治にとって世界一美しい「Nymph(妖精)」であり,「Nimbus(誘惑者)」であったのだが,「Nymphaea(涙ぐむ目)」になってしまったのである。賢治が童話『やまなし』を地方紙に発表したのは童話『シグナルとシグナレス』と同様に自分たちの結婚が反対されているのは「誤解」によるということを訴えたかったからと思われる。

 

参考資料と引用論文

原 原子.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書店.

石井竹夫.2021a.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2021 b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2022.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.