宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』に記載されている「うそ」と「ほんとう」を分けて明らかになること (第1稿)

童話『やまなし』(1923年4月8日新聞発表)には,自然現象としては起こりえないこと,あるいは「うそ」と思われるものがたくさん記載されている。本稿ではそれらを列挙して,賢治がなぜそのような「うそ」を童話に組み込んだのかを考えてみたい。ただし,〈蟹〉や〈クラムボン〉が人間の言葉を話したり,笑ったりするというのは,この童話が動物を擬人化しているということで不問にする。また,この童話に登場する擬人化された動物(蟹,クラムボン,魚,かはせみ)には〈 〉を付けた。本稿は3稿で構成されている。

 

1.自然現象としては起こりえないこと,あるいは「うそ」と思われるもの

1)子供の〈蟹〉が水の底で泡を吐(は)くこと

賢治は童話では「泡」と表現しているが,「泡」には「気泡」と「泡沫」の2種類ある。「気泡」とは1粒,2粒と数えられるものであり,「泡沫」とは「気泡」がたくさん集まったものである。童話『やまなし』の絵本の表紙や挿絵に「カニ」が水中で「気泡」を吐(は)いているものをよく見かける。自然界でも「カニ」は本当に水中で「気泡」を吐(は)くのであろうか。「カニ」は水中ではエラ呼吸をしているので「サカナ」と同様に「気泡」を吐くとは思えないのだが。

 

ただ,「カニ」が陸に上がると体にため込んだ水を使ってエラ呼吸するので口付近で「泡」を作ることはある。この「泡」は「泡沫」である。少量の水を体内で循環させて使うので時間がたつと粘性が上がり泡立つのだという(九頭見,1996;ネット情報)。「泡沫」を作るのは体内の水をたくさん空気に触れさせて酸素を取り込むためとも言われている。また,酸素不足で苦しい状態にあるとも説明されている。ベンケイガニを例にすると,陸に上がっているときの「カニ」は「口の上にある出水孔からでた水を甲の側面を伝って,ハサミ脚の付け根から甲の中に入れ,エラを通ってまた出水孔へ」戻しているらしい(すさみ町立エビとカニの水族館,2023)。すなわち,「カニ」が「泡(泡沫)」を吐くのは長く陸上に上がっているときだけと思われる。

 

陸上で「泡沫」を付けた「カニ」が水の中に戻るシーンをネット動画で見ることができる(酢飯屋,2018)。「カニ」が水に入ると直ぐに「泡沫」が水面に浮かんだ。多分,「泡沫」が浮力で「カニ」の体から離れたのだと思う。水中に戻った「カニ」はそのあと「泡」を吐いていない。水中ではエラ呼吸で十分であり,空気に触れさせた水を体内で循環させる必要がないからだと思われる。

 

夏場に魚が水面近くで口をパクパクさせるのは,上昇した水温で溶存酸素が少なくなり溶存酸素の多い水面に上がってくるからである。ネットで金魚が水面で口をパクパクさせているとき,口から「泡」を吐(は)いている金魚を見かけた。これは,金魚が間違って空気を口に入れてしまったので,それを吐き出したのだと思われる。エラ呼吸をする金魚が空気中の酸素を体に取り込むことはない。ただ,魚の中でも「ドジョウ」は腸呼吸もできるので空気中の酸素を取り込むことがある。水中の溶存酸素が少なく苦しくなると水面に上がり,空気を飲み込んで空気中の酸素を腸粘膜の毛細血管から取り入れているようである。ガス交換をして二酸化炭素の多くなった腸内の空気は肛門から「気泡」として排出する(平山ら,1967;林,2020)。

 

水に溶けている気体が「泡」になる可能性もある。20℃1気圧の水には 0.016cm3/cm3 の酸素あるいは0.88cm3/cm3の二酸化炭素を溶解する能力があり,この値を飽和溶存量という。この値は温度と関係し,温度が高いと小さくなる。低い温度で飽和になっている場合,温度を上げれば溶けていた過剰の気体が「泡」になる。冷えたコーラを暖かいところで開けると二酸化炭素の「泡」が発生する。温度上昇以外には「振動」や「かくはん」などによっても容易に「気泡」が発生すという(Shimazu.2023)。風呂に入ったとき体に小さな「泡」がたくさん付くのも同じ原理である。童話『やまなし』の川底の水が飽和溶存量の酸素や二酸化炭素を含んでいたとし,「カニ」が何かしらの理由で激しく動いたり振動したりすれば「泡」が発生する可能性はある。ただし,「泡」を吐いたとは言わない。

 

すなわち,水温の低下した冬の川底にいる〈蟹〉は水中の酸素をエラ呼吸で取り入れるだけであり,溶存酸素が低下して苦しくなっても,魚のように口をパクパクさせて泡を吐き出すこともないし,「ドジョウ」のような腸呼吸の機能を持っていないので空気を口から飲み込んで肛門から吐き出すこともない。繰り返すが,水中に長くいる「カニ」は「泡」を吐かないと思われる。賢治は水中の〈蟹〉が泡を吐くというのは自然現象としては起こりえない「うそ」であることを知っていたと思う。童話の中で子供の〈蟹〉が繰り返し泡を吐(は)いているが「うそ」を吐(つ)いるのである。あるいは,賢治がそう言いたいのである。 

 

「十二月」に兄弟の〈蟹〉が「泡」の大きさで喧嘩をしている。自分が吐(つ)いた「うそ」の大きさを競っているようにも思える。

 

2)弟と思われる〈蟹〉が「クラムボンはかぷかぷわらったよ」と言ったこと

「かぷかぷ」は難解な用語1つである。どのような「笑い」だったかを説明していると思われる。賢治の造語であろう。「ぷかぷか」は「浮かぶ」あるいは「上げる」というイメージがある。ならば,その逆読みである「かぷかぷ」は「沈む」あるいは「下げる」というイメージが付加されているように思える。すなわち,「かぷかぷわらった」とは「見下げてわらった」(=嘲笑った)という意味と思われる。なぜ弟と思われる〈蟹〉が「クラムボンはかぷかぷわらったよ」と言ったかについての説明はない。しかし,私は「笑った」のは「ほんとう」でも,「かぷかぷ(見下げて)」は「うそ」だと思っている(石井,2022d)。

 

〈クラムボン〉が「嘲笑」したというのが「うそ」であるということは,童話『やまなし』を読んだだけで理解するのは難しい。だから,賢治は1か月後に新聞発表された寓話『シグナルとシグナレス』の中で詳細に説明したのだと思われる(石井,2022f)。この寓話は,貧しい軽便鉄道側の〈シグナレス〉が裕福な本線の〈シグナル〉の後見人である〈本線シグナル附きの電信柱〉の容姿などを「笑った」ことがきっかけになって,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚がシグナル側の近親者たちから猛反対されてしまう話である。そして,そのことによって〈シグナレス〉がひどく落ち込んでしまう様子も描かれている。〈シグナレス〉が笑ったのは「ほんとう」であるが,この笑いは「失笑」であり〈本線シグナル附きの電信柱〉を蔑視するものではなかった。

 

しかし,背が高く耳のいい〈シグナレス側の電信柱〉が〈シグナレス〉の笑い声だけを聞いて,それを「嘲笑」と勘違いしてシグナル側へ密告してしまった。〈本線シグナル附きの電信柱〉はそれを聞いて,自分より格下の〈シグナレス〉から「嘲笑」されたと勘違いし,激怒したのちにシグナル側の近親者も巻き込んで結婚に猛反対することになる。多分,寓話『シグナルとシグナレス』の〈シグナレス〉と〈シグナル〉は童話『やまなし』の〈クラムボン〉と〈魚〉に対応しているのだと思われる。すなわち,童話『やまなし』で「クラムボンはかぷかぷわらったよ」の「嘲笑」を意味する「かぷかぷ」は「うそ」である。

 

3)〈クラムボン〉が笑ったあとに,弟の〈蟹〉が「クラムボンは死んだよ」,「クラムボンは殺されたよ」と言っていたこと

これも「うそ」である。弟の〈蟹〉は「泡」を吐(は)くのように「うそ」と吐(つ)く。「うそ」だというのは,兄と弟の会話で分かる。兄が「その右側の四本の脚の中の2本を,弟の平べったい頭にのせながら」「なぜ殺された」と弟に聞いたとき,弟は「わからない」としか答えなかった。兄の脚の2本を弟の頭にのせる」という行為はフロイドの精神分析法の1つである「前額法(ぜんがくほう)」を真似たものである(石井,2021a)。フロイドは患者の額に手を当てて患者の過去の忘れてしまった記憶をよみがえらせた。弟は〈クラムボン〉が笑ったあとに「死んだ」とか「殺された」と言っているが,これを裏付ける過去の記憶が残っていなかったのである。この会話のあと〈クラムボン〉が再び笑うことになる。すなわち,〈クラムボン〉は生きていた。ただ,〈クラムボン〉はひどく落ち込んでいると思われる。

 

4)「五月」に〈魚〉が「自分を鉄いろに変に底びかり」させること

「鉄いろ」とは,青みが暗くにぶい青緑色あるいは「くろがね」と呼ばれるような黒っぽい鉄の色である。これは「婚姻色」のことである。〈魚〉を「ヤマメ」とすると「婚姻色」は黒である(特に頭部が黒くなる)。「ヤマメ」の繁殖期は秋であるが,この「ヤマメ」は春に発情して黒くなり鼻先も伸びている。「変に底びかり」の「変」はそのことを言っていると思われる。すなわち,季節を考慮すれば通常あり得ない変な現象なのである(石井,2021a)。(続く)

 

参考・引用文献

林 公義.2020.飼ってるドジョウが水面に上がってくるのはなぜ?https://www.nhk.or.jp/radio/kodomoqmagazine/detail/20200803_04.html

平山 次・広瀬一美・平野礼次郎.1967.ドジョウの腸呼吸について.水産増殖.15(3):1-11.

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2022d.童話『やまなし』考 -クラムボンは笑った,そして恋は終わった-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

石井竹夫.2022f.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから..https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

九頭見和夫.1996.宮沢賢治と外国文学-童話「やまなし」と比較文学的考察(その1).福島大学教育学部論集 人文科学部門 61:53-70.

Shimazu.2023(調べた年).気泡発生のメカニズム.https://www.an.shimadzu.co.jp/hplc/support/lib/lctalk/s5/02.htm

酢飯屋.2018.カニの泡吹きについての豆知識.https://ja-jp.facebook.com/sumeshiya/videos