宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『氷河鼠の毛皮』考 (1) -青年はなぜ月に話かけているのか-

童話『氷河鼠の毛皮』は,大正12(1923)年4月15日に地方紙である岩手毎日新聞の三面に掲載されたものである。この童話はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行列車の車内で〈タイチ〉という裕福な紳士が〈熊のやうな人たち〉に襲われるが,その列車内に偶然乗り合わせた青年に助けられるという物語である。この童話は同じ新聞に発表された童話『やまなし』(1923.4.8)の1週間後に,また童話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11~23)の1か月前に発表されたものでもある。3つの童話は同じ地方紙にほぼ同時に発表されているので,内容も密接に関係していると思われる。

 

童話『シグナルとシグナレス』は,本線の金(かね)でできた信号機〈シグナル〉と軽便鉄道の女性名である木でできた信号機〈シグナレス〉の結婚が〈シグナル〉の近親者である〈本線シグナル附き電信柱〉,〈鉄道長〉,〈本線の電信柱〉によって反対されるというものである(石井,2022a)。この物語は上野から北の盛岡へ鉄道設置が進行した東北本線と岩手県の北上山系を横断する在来線である岩手軽便鉄道が舞台になっている。また,童話『やまなし』は谷川の移入種と思われる〈鉄色の魚〉が在来種と思われる〈クラムボン(=カゲロウの幼虫)〉に求婚しようとするが妨害されてしまうというものである(石井,2021,2022b)。

 

童話『シグナルとシグナレス』と童話『やまなし』に共通するのは,南から来たものたちと先住のものたちの対立が原因で結婚が破綻に向かうということである。また,両童話に登場するキャタクターである〈シグナル〉と〈鉄色の魚〉,〈シグナレス〉と〈クラムボン〉には賢治と大正11(1922)年に相思相愛だった恋人が投影されているのも共通している(石井,2022b)。

 

本稿(1)では童話『氷河鼠の毛皮』が童話『シグナルとシグナレス』や童話『やまなし』と同様に悲恋物語であるのかどうか,そしてこの童話に登場する人物にも賢治,恋人あるいは近親者たちが投影されているのかどうか検討する。次稿(2)は「タイチは誰がモデルになっているのか」について,次次稿(3)は「熊のやうな人たちとは何者か」について,次次次稿(4)は「先住していた者たちの止むに止まれない反感」について検討する。

 

1.舞台と登場人物

舞台はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行の車内である。多分,「東北本線」や「樺太庁鉄道」がモデルとなっていると思われる。この物語の主要な登場人物は,ベーリング行きの最大急行に最初から乗車している〈タイチ〉,3~4人ほどの〈商人風の人〉,〈船乗りの青年〉,〈痩せた赤ひげの男〉,そして物語の後半で乗車してくる20人ばかりの〈熊のやうな人たち〉である。この稿では,〈船乗りの青年〉について考察する。

 

〈船乗りの青年〉は,〈タイチ〉から「ふん。バースレーかね・・・」と言われている。船が港に停泊していることで休暇をとっているようだ。ネットからの情報だが「バースレー(berth ley)」は海軍用語で停泊中の休暇という意味らしい。ただ,「バースレー(verse lay)」なら「verse;詩句,詩を作る」,「lay;物語詩」ということで「詩を作る」という意味で使っているともとれる。いずれにせよ,物語で〈船乗りの青年〉はかたい黄色の帆布(はんぷ)の上着を1枚しか着ておらず,いつも月に話しかけているかのように窓の外を見ている。帆布は綿や麻で織られた平織りの厚手生地である。寂しげで貧しい青年のようだ。

 

2.青年はなぜ月に話しかけているのか

引用文Aにあるように,〈船乗りの青年〉はイーハトヴ発ベーリング行きの最大急行の車内から「鉄いろをしたつめたい空」の「いまみがきをかけたやうな青い月」に話しかけている。

 

引用文A 

黄いろな帆布の青年は立つて自分の窓のカーテンを上げました。そのカーテンのうしろには湯気の凍り付いたぎらぎらの窓ガラスでした。たしかにその窓ガラスは変に青く光つてゐたのです。船乗りの青年はポケツトから小さなナイフを出してその窓の羊歯(しだ)の葉の形をした氷をガリガリ削り落しました

 削り取られた分の窓ガラスはつめたくて実によく透とほり向ふでは山脈の雪が耿々(かうかう)とひかり,その上の鉄いろをしたつめたい空にはまるでたつたいまみがきをかけたやうな青い月がすきつとかゝつてゐました

 野原の雪は青じろく見え煙の影は夢のやうにかけたのです。唐檜(たうひ)やとゞ松がまつ黒に立つてちらちら窓を過ぎて行きます。じつと外を見てゐる若者の唇(くちびる)は笑ふやうに又泣くやうにかすかにうごきました。それは何か月に話し掛けてゐるかとも思はれたのです。みんなもしんとして何か考へ込んでゐました。

     (中略)

『君、おい君、その窓のところのお若いの。失敬だが君は船乗りかね』

 若者はやつぱり外を見てゐました。月の下にはまつ白な蛋白石(たんぱくせき)のやうな雲の塊が走つて来るのです。

『おい、君、何と云つても向ふは寒い、その帆布一枚ぢやとてもやり切れたもんぢやない。けれども君はなか/\豪儀なとこがある。よろしい貸てやらう。僕のを一枚貸てやらう。さうしよう』

 けれども若者はそんな言(げん)が耳にも入らないといふやうでした。つめたく唇を結んでまるでオリオン座のとこの鋼いろの空の向ふを見透かすやうな眼をして外を見てゐました。      

                (宮沢賢治,1986)下線は引用者,以下同じ

 

この〈船乗りの青年〉が「鉄いろ」の「つめたい空」の中にある「青い月(3)」を眺めている様子(第1図C)は,童話『やまなし』の〈蟹(4)〉が「青くくらく鋼のやうな」水の中の〈鉄色の魚(2)〉と「青じろい水の底」の〈クラムボン(3)〉の話を聞いていた様子と類似している(第1図A)。〈船乗りの青年〉は〈鉄色の魚〉,そして〈クラムボン〉は〈月〉に対応すると思われる。前稿で報告しているように〈鉄色の魚〉には賢治が,そして〈クラムボン〉には恋人が投影されている可能性があるとした。多分,童話『氷河鼠の毛皮』の〈船乗りの青年〉と〈月〉には賢治と恋人が投影されていると思われる。

 

「文語詩未定稿」の〔セレナーデ恋歌〕には「江釣子森の右肩に/雪ぞあやしくひらめけど/きみはいまさず/ルーノの君は見えまさず」とある。「ルーノ(luno)」はエスペラント語で「月」である。この文語詩に登場する「ルーノの君」が誰を指しているのか分からないが,賢治は恋人のことを「月」に喩えることがあるようだ。童話『氷河鼠の毛皮』に登場する「月」が賢治の恋人であるという仮説に関しては,すでにエッセイストの澤口たまみ(2021)が指摘していた。すなわち〈船乗りの青年〉は〈月〉に恋人を重ねて話しかけている。〈船乗りの青年〉は「月」とどのような会話をしていたのであろうか。

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第1図.『やまなし』(A)と『氷河鼠の毛皮』(B)の舞台

 

引用文Aとほぼ同じ内容の文章を習作『氷と後光』(1924年冬頃に清書)に見ることができる(他の研究者も指摘している)。

 

引用文B

車室の中はほんたうに暖いのでした。

(ここらでは汽車の中ぐらゐ立派な家はまあありゃせんよ。)

(やあ全く。斯うまるで病院の手術室のやうに暖かにしてありますしね。)

 窓の氷からかすかに青ぞらが透いて見えました。

「まあ,美しい。ほんたうに氷が飾り羽根のやうですわ。」

「うん奇麗だね。」

 向ふの横の方の席に腰かけてゐた線路工夫は,しばらく自分の前のその氷を見てゐました。それから爪でこつこつ削(こそ)げました。それから息をかけました。そのすきとほった氷の穴から黝(くろず)んだ松林と薔薇色の雪とが見えました。

「さあ,又お座りね。」こどもは又窓の前の玉座に置かれました。小さな有平糖(あるへいたう)のやうな美しい赤と青のぶちの苹果を,お父さんはこどもに持たせました。

「あら,この子の頭のとこで氷が後光のやうになってますわ。」若いお母さんはそっと云ひました。若いお父さんはちょっとそっちを見て,それから少し泣くやうにわらひました。

「この子供が大きくなってね,それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために,無上菩提を求めるなら,そのときは本當にその光がこの子に来るのだよ。それは私たちには何だかちょっとかなしいやうにも思はれるけれども,もちろんさう祈らなければならないのだ。」

 若いお母さんはだまって下を向いてゐました。

 こどもは苹果を投げるやうにしてバアと云ひました。すっかりひるまになったのです。

                         (宮沢賢治,1986)

 

いずれの作品も,汽車に乗っていること,窓に羊歯のような形の氷の結晶が付いていてそれを削ること,そして若い男が「笑ふやうに泣く」ことである。習作『光と後光』では,若い夫婦と子供が乗っていて,若い夫婦が暖かい車室の中で子供の未来を語っている。多分,童話『氷河鼠の毛皮』でも〈船乗りの青年〉は恋人といずれ授かるだろう子供の将来について語っていたのかもしれない。ただ,若いお母さんが「だまって下を向いて」いるのは気にかかる。

 

3.〈船乗りの青年〉が着ている黄色い帆布の上着

当時,賢治は花巻農学校の教師をしていて,教壇に立つときは背広とネクタイであったが,農業実習や野外活動時には,いつも麦わら帽子にカーキ色(黄色に茶色を混ぜたような色)の作業着にゴム靴を履いていた(板谷,1992)。また,家にいるときでも「仕立ておろしのような洋服や着物は大嫌い」で,「いつも古ぼけた洋服にゴム靴,それに日焼けした帽子という姿で,どこへでも出かけた」という。(森,1983;佐藤,1994)。

 

賢治の服装に対する考え方は19世紀の歴史家で評論家のトーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795~1881年)の『衣裳哲学』の影響を受けているという(大沢,2018)。童話『ビヂテリアン大祭』に「元来きものというものは,東洋風に寒さをしのぐという考(かんがえ)も勿論ですが,一方また,カーライルの云う通り,装飾(そうしょく)が第一なので結局その人にあった相当のものをきちんとつけているのが一等ですから,私は一向何とも思いませんでした。」とあり,また童話『花椰菜(はなやさい)』には「私はふっと自分の服装を見た。たしかに茶いろのポケットの沢山ついた上着を着て長靴をはいてゐる。そこで私は又私の役目を思ひ出した。そして又横目でそっと作物の発育の工合を眺(ながめ)た」とある。賢治にとって服装とは「装飾」であり,「その人にあった相当のもの」あるいは「その人の役目のもの」と考えている。

 

では,童話『氷河鼠の毛皮』を執筆していた頃の賢治にとって,「その人にあった相当のもの」あるいは「役目のもの」とはどういうものであったのか。賢治が実際にに農作業などに着ていたカーキ色の作業着以外に考えてみる。この時期,賢治は熱心な「法華経」の信者であった。また童話でも,〈船乗りの青年〉は「月」を見ながら習作『氷と後光』の若い男のように「子供が大きくなってね,それからまっすぐに立ちあがってあらゆる生物のために,無上菩提を求めるなら,そのときは本當にその光がこの子に来るのだよ。」と語っていたとすれば,〈船乗りの青年〉が着ていた「黄色い帆布」は仏教あるいは「法華経」と関係している可能性がある。当時賢治は「法華経」に帰依している修行僧のようなものであった。

 

そうであるなら,「黄色い帆布」は釈迦や日蓮が着ていた「袈裟」がイメージされているのかもしれない。なぜなら,物語の後半で〈船乗りの青年〉は列車に乗り込んでくる〈熊のやうな人たち〉に銃で撃たれるが,「黄色い帆布」が落とされるだけで無傷であったからである。「黄色い帆布」が〈船乗りに青年〉の身代わりになっている。ただの布きれではない。「袈裟」は梵語で「混濁色」あるいは「黄褐色」を意味するカシャーヤ(Kasaya)を音訳したものである。使い道が無くなり捨てられたぼろ布などを拾い集め綴(つづ)り合せて身を覆う布を作った。そして,草木や金属の錆で染め直し黄土色(茶色がかった黄色)あるいは青黒色をしていた(japanese-wiki-corpus.2022)。「袈裟」は「糞掃衣」とも呼ぶ(松村,2011)。日本では少ないが東南アジアでは僧侶は黄色(オレンジ系統)の「袈裟」をまとっている。

 

また,「黄色い帆布」は「かたい」とあるので,賢治が所持していた「法華経」に関する本がイメージされている可能性も考えられる。ただ,座右の書である島地大等の『漢和對照妙法蓮華經』は赤い経巻と呼ばれているので違うと思われる。賢治が所持していたとされる『日蓮聖人御遺文』(霊艮閣蔵版)の表紙が黄色なら可能性はある。

 

航海中の〈船乗りの青年〉を修行僧とすれば,前述したように停泊中の休暇は,さしずめ修行を一時中断した恋愛のためだったのかもしれない。

 

ただ,この物語は〈船乗りの青年〉と〈月〉との恋愛物語や「法華経」を主要テーマにしているのではない。この物語の主人公は〈タイチ〉である。〈タイチ〉が何者で,〈船乗りの青年〉とどのような関係があるのかが重要である。この関係が明らかになれば,なぜ〈熊のような人たち〉が〈タイチ〉を列車から連れだそうとしたのかが理解できるし,〈船乗りの青年〉と〈月〉との恋愛物語の関係も明らかになるのかも知れない。それがこの物語の主要テーマである。次稿へ続く

 

参考文献

石井竹夫.2021.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2022a.シグナルとシグナレスの反対された結婚(1)-そのきっかけはシグナレスが笑ったから-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』考-クラムボンは笑った,そして恋は終わった-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

松村薫子.2011.糞掃衣の変遷. file:///C:/Users/TISHII/Downloads/symp_016__25__23_35__25_37%20(1).pdf

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集.筑摩書房.

森 莊己一.1983.宮沢賢治の肖像.津軽書房.

大沢正善.2018.宮沢賢治とカーライル『衣服哲学』.岐阜聖徳学園大学国語国文学 32:48-69.

佐藤隆房.1994.宮沢賢治-素顔のわが友-.桜地人館.

澤口たまみ.2021.クラムボンはかぷかぷわらったよ 宮澤賢治おはなし30選.岩手日報社.

japanese-wiki-corpus.2022(調べた年).袈裟.https://www.japanese-wiki-corpus.org/jp/culture/%E8%A2%88%E8%A3%9F.html