宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第2稿)-

新寄宿舎で賢治と恋人がどんな会話をしていたのかは定かではない。ただ,童話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11~23)では親戚から結婚を反対された〈シグナル〉と〈シグナレス〉が以下のような会話をしている。

 

 諸君,シグナルの胸は燃えるばかり,

「あゝ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなのいないところに行つてしまひたいね。

えゝ,あたし行けさえするなら,どこへでも行きますわ。

「ねえ,ずうつとずうつと天上にあの僕たちの婚約指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね、あすこは遠いですねえ。」

「えゝ。」シグナレスは小さな唇で,いまにもその火にキッスしたそうに空を見あげていました。

「あすこには青い霧の火が燃えているんでせうね。その青い霧の火の中へ僕たちいつしよにすわりたいですねえ。」

「えゝ」

                  (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

すなわち,〈シグナル〉が駆け落ちも辞さない覚悟を述べれば,〈シグナレス〉はどこまでもついていく覚悟を語る。童話は,このあと二人に親切な〈倉庫の屋根〉が登場して二人に幸せな夢を見せて終わる。しかし,この幸せは長くは続かない。ある時期を境に賢治と恋人の関係は急展開を示す。ある時期とは賢治の妹トシが死んだ日である。トシは家族では賢治の法華経信仰への唯一の理解者であった。宮沢家は浄土真宗を信仰していた。すなわち,賢治は信仰を共にするかけがえのない「道連れ」を失ってしまった。

 

〈シグナル〉すなわち賢治は,一時的と思われるが,妹の死で心変わりをしてしまったようである。あるいは賢治の心が揺らいだといった方がよいかもしれない。多分,恋人との幸せよりも,みんなの幸せ(=法華経信仰)を重視したように思える。

 

これを裏付けるものとして,大正11年の冬の頃のものと思われるもう一つの詩が残されている(佐藤,1984)。「雨ニモマケズ手帳」(注)に記載された文語詩〔きみにならびて野にたてば〕の下書稿にあたる詩である。この詩には「きみにならびて野にたてば/風きらゝかに吹ききたり/柏ばやしをとゞろかし/枯葉を雪にまろばしぬ/峯の火口にたゞなびき/北面に藍の影置ける/雪のけぶりはひとひらの/人も雲とも見ゆるなれ/「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕(つぐ)はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ・・・」(宮沢,1985)とある。(注):「雨ニモマケズ手帳」は昭和6年10月上旬から年末か翌年初めまでと推定されている。

 

「 」内は恋人の言葉と思われる。また,詩の「枯葉を雪にまろばしぬ」は初冬の12月をイメージできるかもしれない。賢治研究家の佐藤勝治(1985)は,この逢瀬の場所は「峯の火口にたゞなびき」が岩手山で,「北面に藍の影置ける」でその北面を見ることのできる盛岡以北と推測している。

 

「かしは」あるいは「柏」は,ブナ科の落葉樹の「カシワ」(Quercus dentata Thunb.)のことである。「カシワ」の葉は,落葉樹であるが,新芽を守るため葉が枯れても風が吹いても春が来るまでは落ちない。〔きみにならびて野にたてば〕の「きみ」は恋人のことと思われる。恋人は賢治に「強風の中でもカシワの葉は落ちないし,鳥も巣を作っているのにあなたはそうしない。純粋な心をもつあなたはみんなの幸せしか考えていない」と訴えていた。

 

詩〔きみにならびて野にたてば〕の「きみ」が恋人だとする根拠を,佐藤(1986)は,恋人が渡米したのちに妹に手紙を送っているが,その中にこの詩に符号する1行があるからだとした。その1行を含む数行は,「前後の文面とは隔絶したもので,悲痛な叫びが書き込まれていた」という。ただ,この恋人の手紙は公表されていないので,この1行が詩のどの部分にあたるのかは定かではない。

 

一途に賢治を思う恋人の「みずのそこのまこと」は,自分から離れていこうとする賢治を必死に引き戻そうと繰り返し説得していたと思われる。佐藤(1986)は,「ひたむきに賢治を慕うつつましい女性は,しかし火と燃えて結婚を願ったであろう」と述べている。しかし,それがかなわないとわかり始めると次第に気分が落ち込んでいく。すなわち,下に沈んでいく。「みずのそこのまことはかなし」である。多分,大正11年(1922)の雪の降る日に,〈シグナレス〉すなわち恋人は,人目を避けて寄宿舎やその他の場所で賢治と繰り返し会っていたのだと思われる。

 

佐藤(1984)は,大正11年冬以降の恋人の様子を家族の聞き取り調査から以下のようだったと述べている。賢治の恋人は「Y子さん」と記載し名を伏せている。「Y」は名前の頭文字と思われる。「YAMANASU」の頭文字の「Y」でもある。

 

 Y子さんのご家族の一人からお聞きしたお話は意外であった。

 これも時期とすれば,とし子さん(賢治の妹)の亡くなった恰度その前後にあたることになるが,(大正十一年末から大正十三年初めにかけて)それまで健康で非常に明るかったY子さんは,急にすっかりふさぎ込み,無口になり,衰弱していった。そしてある休暇に,(大正十二年冬らしい。とし子さんの亡くなった翌年である。),二,三日山の温泉に行って来たいと家族に云った。常は勤めから帰るとすぎに母に手伝ったり,弟妹の世話をしてすべてにやさしく勤勉であったこの姉は,その頃は何かに思いつめているようになっていた。・・・・ 山の温泉から帰ったあと,姉妹たちは驚いたことに,あっという間に,まるで不釣り合いな結婚を承諾して,アメリカへ行ってしまった。                

                                   (佐藤,1884)

 

恋人が結婚した相手は,シカゴで宿泊業を営んでいる,かなり年の離れた人であることが最近明らかになっている(布臺,2019)。

 

佐藤の聞き取りでは,健康で明るい性格の恋人は賢治の妹トシが亡くなった11月27日ころから「急にすっかりふさぎ込み,無口になり,衰弱していった」とある。この恋人の時間をかけて衰弱していく心理状態が,童話『やまなし』の落果した「やまなし」の果実が水の底に沈むという現象に対応しているとすれば,第二章は11月というよりは12月の方が良いように思える。

 

童話『やまなし』は,妹トシが亡くなってから約4か月後に新聞発表される。賢治と恋人と関連作品に関しては第1表にまとめた。賢治の妹の病気と恋愛が同時進行している。

 

 

すなわち,恋人の破局時の「心の動き」からすれば第二章の章題「十二月」は妥当だったと思われる。むしろ,「十一月」の方が不適切と思われる。なぜなら,「十一月」としてしまうと「ドブン」と落ちて川底に沈むのが恋人との別離ではなく,妹トシの死を想起させてしまうからである。

 

妹の死の1ヶ月前に稗貫農学校の生徒が大正11年(1922)10月の出来事として,次のようなエピソードを話している。「十月の小春だったか,先生と二人で,小さな舟で北上川を渡ったことがあった。その途中,先生のポケットからリンゴがポチャンと落ちた。先生は,それが水に沈んでゆくさまがきれいだと言って,何度もポチャンを繰り返す。ああ,きれいだと言って繰り返す。そのあげく,泳がないかと言い自分一人で泳ぎ出す。さすがに私は冷たくて泳げなかったが」(中村,1987)というものである。

 

花巻で10月に泳ぐとはただ事ではない。賢治は「きれい」だと感じる「りんご」が落ちて,それが沈み,そして浮き上がり,流れ去っていく様を見て,これから何か不吉なことが起こるかもしれないと予感したかもしれない。この予感とは何であろう。創造たくましく推論すれば,「きれい」な「りんご」から頬の薄赤い恋人とその名でもある「やまなし」を連想し,その「やまなし」の実が11月終わりから12月にかけて落ちるように,恋人との関係が終わってしまうのではないかと予想したのかもしれない。もしかしたら,賢治が水に飛び込んだのは流れ去る「りんご」を追いかけて,自分の手に取り戻すためだったとも思える。

 

大正11年10月10日の日付がある詩集『春と修羅』の「マサニエロ」には,高台の城跡から恋人が勤める小学校を眺めながら「・・・(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)/ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか・・・」と語りかける賢治の姿がある。

 

詩「マサニエロ」の1年後に創作した「過去情炎」(1923.10.15)には,「・・・わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です/雲はぐらぐらゆれて馳(か)けるし/梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて/短果枝には雫がレンズになり・・・なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで/わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる・・・そんならもうアカシヤの木もほりとられたし/いまはまんぞくしてたうぐわをおき/わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに/応揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども/それはひとつの情炎(じやうえん)だ/もう水いろの過去になつてゐる」とある。開墾地で賢治が「鄭重にかがん」で「唇」をあてる「梨」も「やまなし」だったのかのかもしれない。それも「水いろ」の過去の話になっている。

 

「水いろの恋」が1年続き,その年の冬に終わったことは,詩〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕(1927.5.7)から1か月後の詩〔わたくしどもは〕(1927.6.1)に記載されているように思える。この詩には「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました/その女はやさしく蒼白く/その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした・・・・そしてその冬/妻は何の苦しみといふのでもなく/萎(しお)れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました」とある。

 

繰り返すが,11月は妹トシが亡くなった月である。賢治は童話『やまなし』の初稿・第二章を,理由はよく分からないが「十一月」としていたが,恋人との別れと妹の死が二重に重なることを避けて印刷の段階で冬の「十二月」に訂正したとも思える。「やまなし」が川底に沈むのは,〈クラムボン〉すなわち恋人にとっては悲しく辛い出来事を意味しているが,恋人側の人たちを投影している川底に棲む蟹などの生き物にとっては,〈クラムボン〉が川底に戻ってくることを意味することになるからむしろ歓迎すべきこととなる。11月に川底で祝うべきものは何もない。

 

参考・引用文献

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要.14:27-33.

浜垣誠司.2008.宮澤賢治の詩の世界.雪の日に来る恋人.https://ihatov.cc/blog/archives/2008/12/post_592.htm

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/10/122017

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/09/101746

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/18/190012

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/20/091202

石井竹夫.2022c.童話『やまなし』考 -第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/03/102357

石井竹夫.2022d.童話『氷河鼠の毛皮』考 (1) -青年はなぜ月に話かけているのか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/15/094823

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

中村和歌子.1987.賢治童話「やまなし」-その成立をめぐって-.国語研究.5:29-35.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

澤口たまみ.2013.宮沢賢治『春と修羅』の恋について,続報.宮澤賢治センター通信 17号.

谷川 雁.1986.賢治初期童話考.潮出版社.