宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -12月に樹上に残る「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の実-

童話『やまなし』の第二章「十二月」で「やまなし」の実が谷川に「ドブン」と落ちてくる。これは,『やまなし』の舞台となっている谷川では,12月でも樹上に「やまなし」の実が残っていることを意味する。

 

現在,日本列島には果樹園で栽培されるナシを除き,「ミチノクナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.),「マメナシ」(Pyrus calleryana Decne),「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)の3種と「ミチノクナシ」の「変種」である「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)と「アオナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.var. hondoensis (Nakai et Kikuchi) Reh.)という3種2変種のナシが自生している。

 

この3種2変種のナシのうち,童話『やまなし』の第二章「12月」に登場する「やまなし」は,バラ科ナシ属では東北地方にのみ自生する「イワテヤマナシ」である可能性が高いと言われている。しかし,童話『やまなし』の「やまなし」=「イワテヤマナシ」説を実証するには「イワテヤマナシ」の実が12月に樹上に残っていることを示す必要がある。賢治研究家の松田司郎(1991)が岩手県種山ヶ原で「イワテヤマナシ」と思われるナシが11月終わりでも樹上に果実をたわわに残しているのを報告している。しかし,12月ではない。

 

私は神奈川県に在住するものであり,自ら岩手県の北上山地を中心に自生する「イワテヤマナシ」の実を12月に現地で確認することはできない。だが,同じバラ科ナシ属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)なら身近な公園で見ることができる。

 

本稿では,神奈川県平塚市総合公園に植栽されている「イワテヤマナシ」と同属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )が12月上旬でも果実をつけているかどうか確認し,童話『やまなし』の「やまなし」=「イワテヤマナシ」説の妥当性を検討してみる。

 

第1図.12月3日の平塚市総合公園にあるヤマナシ

 

第1図Aに示すように,12月3日の段階でも神奈川県の「ヤマナシ」は樹上に葉と果実をたくさん残していた。葉はすっかりと落としているが実だけ残している枝もあった(第1図B)。この頃の平塚市の最低気温は6℃くらいである。11月15日に訪れたときは地上に落下した果実を探すのに苦労したが,12月3日では第2図に示すようにすく見つけることができた。ただ,地上に落果している果実は樹上に残っている果実に比べればまだ少ない。さらに,落果した果実には果柄がついていないものや食害されたものが多く鳥などによって落とされた可能性が高い。すなわち,自然落果のものはまだ少ないと思われた。

 

第2図.地上に落果したヤマナシの実

 

詩人で賢治研究家の谷川雁は,自著『賢治初期童話考』(197頁)で,「私は例年のように,長野県戸隠高原の種々の自生のナシの木を見に出かけるが,無数についている青い実は・・・・十一月半ばには一個もあまさず地に落ちているのが普通である」ということを記載していた。谷川が見た「やまなし」が3種2変種のナシのうちの「アオナシ」である可能性が高いことはすでに報告した(石井,2022)。長野県戸隠高原の「アオナシ」と思われるナシは11月半ばには果実をすっかり落としてしまうようだが,神奈川県平塚市の「ヤマナシ」は11月中旬でも12月上旬でも樹上に果実をたくさん残していた。また,3種2変種のナシのうちの「マメナシ」の果実は秋~冬に黄褐色に熟し,翌年の花期にも果実が残っているという(katou,2022)。

 

「アオナシは」は同じ場所に生育する他の植物よりも,果実が成熟して落葉する時期が1ヶ月程度早く,9月上中旬であるということも知られている(池谷,2005)。谷川の見た「アオナシ」は他の3種2変種のナシよりの早く成熟し落果すると思われる。多分,「アオナシ」以外の野生ナシは12月でも果実を樹上に残している可能性がある。すなわち,童話『やまなし』に登場する「やまなし」は,バラ科ナシ属では岩手県に自生する「イワテヤマナシ」としても良いと思われる。

 

参考・引用文献

池谷 祐幸・間瀬 誠子・佐藤 義彦.2005.山梨県・長野県におけるアオナシの探索・収集.植探報.21:37-43.

石井竹夫.2022.童話『やまなし』考 -第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/03/102357

Katou.2022(調べた年).三河の植物観察-マメナシ 豆梨.https://mikawanoyasou.org/data/mamenasi.htm

松田司郎・笹川弘三.1991.宮澤賢治 花の図譜.平凡社.