宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治の詩「敗れし少年の歌へる」の原稿に書き込まれた落書き絵-翼を広げた鳥と魚-(試論 1)

 

本稿は未定稿文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿の余白に書き込まれた「翼を広げた鳥」と「魚」の線画が何であるのかと何のために書いたのかについて考察する。

 

第1図に「翼を広げた鳥」(A)と「魚」(B)を示す。「翼を広げた鳥」は「さながらきみのことばもて/われをこととひ燃えけるを」の詩句の左側余白に,「魚」は原稿上部の余白に書き込まれている。この鳥の特徴としては頭に耳のようなものが1対付いていることと,足と尾羽のようなものを広げていることである。尾羽は立てているようにも見える。尾羽を立てているのは繁殖期のディスプレイ行動を意味しているのかもしれない。「ミミズク」の様な鳥と思われる。ただ,一つ不可解なものが書かれてある。鳥の嘴部分から舌のようなものが長く伸びている。ちなみに,校本宮沢賢治全集7巻には「余白にはブルーブラックインクによる魚(三つ)や鳥の線画が書かれている」とだけあり落書き絵の写真は掲載されていない。第1図は平澤(2017)の文献にある「敗れし少年の歌へる」の下書原稿写真を使わさせてもらった。

 

第1図.文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿の余白に書き込まれた翼を広げた鳥(A)と魚(B).平澤(2017)の文献から引用. 

 

この絵はいつ頃描かれたものであろうか。第2図に示すように同様の「鳥」(A)と「魚」(B)が昭和8年(1933)8月4日の鈴木東蔵あて葉書の下書きと共通の用箋にブルーブラックインクで書かれてあるので晩年のものと思われる。賢治研究家の平澤信一(2017)は,根拠を示していないが,この落書きが賢治の東京で遺書(1931.9,21)を書いた頃と推定している。もしそうなら,この落書きも賢治にとっては重要なものなのかも知れない。

 

第2図.2羽の鳥(A)と魚(B).校本宮沢賢治全集第15巻から引用.

 

この「ミミズク」のような「翼と足を広げた鳥」は文語詩「敗れし少年の歌へる」の基になった詩「暁穹への嫉妬」(1925.1.6)に出てくる「滅びる鳥の種族」と関係があるように思える。詩「暁穹への嫉妬」の中頃に「ぼくがあいつを恋するために/このうつくしいあけぞらを/変な顔して 見てゐることは変らない」とあり,最後に「滅びる鳥の種族のやうに/星はもいちどひるがへる」(宮沢,1985)とある。失恋の歌である。  

 

では,失恋を詠った詩「暁穹への嫉妬」に出てくる「滅びる鳥の種族」は何を意味しているのであろうか。

 

「滅びる鳥」と同様の表現は9ヶ月前に書いたと思われる詩「有明」(1924.4.20)にも登場する。この詩の中頃に「そこにゆふべの盛岡が/アークライトの点綴や/また町なみの氷燈の列/ふく郁としてねむってゐる/滅びる最後の極楽鳥が/尾羽をひろげて息づくやうに/かうかうとしてねむってゐる」(宮沢,1985,下線は引用者 以下同じ)とある。注目すべきは,この詩の日付が詩集『春と修羅』の出版日(奥付)であることである。多分,「滅びる鳥」は詩集『春と修羅』に登場する賢治の恋人・大畠ヤスとも関係していると思われる。エッセイストの澤口たまみ(2018)は,この詩は渡米する前の恋人と賢治の最後の逢瀬を詠っていると推測している。恋人は叶わぬ恋に終止符を討って大正13年(1924)6月14日に渡米した。

 

賢治は詩「有明」の1ヶ月後に花巻のアイヌ塚(現在は蝦夷塚)を訪れ詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」(1924.5.18)を書いている。

 

「雲は酸敗してつめたくこごえ/ひばりの群はそらいちめんに浮沈する/(おまへはなぜ立ってゐるか/立ってゐてはいけない/沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)/一本の緑天蚕絨の杉の古木が/南の風にこごった枝をゆすぶれば/ほのかに白い昼の蛾は/そのたよリない気岸の線を/さびしくぐらぐら漂流する・・・・/アイヌはいつか向ふへうつり/蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる」(宮沢,1985)とある。

 

この詩には「アイヌ」という言葉が繰り返し出てくる。重要な言葉のように思える。「一本の緑天蚕絨の杉の古木」は「アイヌ」と関係する背の高い恋人のことを言っていると思える。恋人は「スギ」が在来種であるように生粋の東北人(土着の人)だと思われる。賢治は東北の先住民を「アイヌ」と認識している。つまり,「杉の古木」と「アイヌはいつか向ふへうつり」は破局とそれによる恋人の渡米を指しているのだと思われる。

 

東北は古代大和朝廷の支配が及ばなかった頃には言葉の通じない別の国として扱われていた。東北は当時アイヌ語あるいはそれに近い言葉を使っていた(高橋,2012)。国家側の正史(『日本書紀』など)には東北は「蝦夷(エミシ)」が住んでいたとなっている。「蝦夷(エミシ)」は文字を持っていなかったので,蝦夷自身の「自分史」あるいは断片的な記録さえ残っていない。なお,賢治が生きていた時代では「蝦夷(エミシ)」と「アイヌ」は同一視されることがあった。

 

賢治はこの詩を書いた日の晩(午後10時)に生徒を引率して北海道へ旅立っている(1924.5.18~23)。旅行先で賢治は「北海道アイヌ」の白老集落や「アイヌ」に関する標本が展示されている博物館を見学している。前年の大正12年(1923)7月31日~8月12日には生徒の就職依頼のため靑森・北海道経由樺太旅行をしている。賢治は北方あるいは「アイヌ」に対して高い関心を寄せている。

 

多分,詩「暁穹への嫉妬」に出てくる「滅びる鳥の種族」とは「アイヌ民族」あるいは先住民の末裔である恋人と関係していると思われる。アイヌである知里幸恵(1978)の訳した『アイヌ神謡集』(1923年8月)に,知里は自ら神謡集に「アイヌの自由な天地,楽しく天真爛漫に野山を駆け巡った北海道の大地が,近年急速に開発され,今やアイヌも滅びゆく民となった」という大正11年3月1日(1922)の日付のある序文を書いている。知里の言う「滅び行く民」とは先住民である「アイヌ」が日本人(大和民族?)に同化していくという意味である。つまり,アイヌ語を用い狩猟生活を続ける純粋な「アイヌ」は少なくなっていくという意味と思われる。

 

当時,「蝦夷(エミシ)」の末裔が多く住んでいたと思われる北上山系も開発が進んでいた。詩集『春と修羅 第二集』補遺にある「若き耕地課技手のIrisに対するレシタティヴ」というのがある。この詩は,詩「種山ヶ原」(1925.7.19)の下書稿の一部を独立・発展させたものである。耕地課とは,昔の稗貫郡か江刺郡の役所の1つの部門と思われ,その若き技手とは耕地課の職員の助手ということで賢治のことだと言われている(宮城・高村,1992)。賢治が農学校の教員だったころ,耕地課の職員と一緒に「種山ヶ原」の土地開発のための測量を手伝ったときの様子を詠んだ詩のようである。この詩の先駆形に開発の様子と賢治の恋人が出てくる。

 

測量班の人たちから/ふたゝびひとりわたくしははなれて/このうつくしい山上の平を帰りながら/いちめん濃艶な紫いろに/日に匂ふかきつばたの花を/何十となく訪ねて来た/尖ったトランシットだの/だんだらのポールなどもって/白堊紀からの日がかゞよひ/古代のまゝのなだらをたもつ/この高原にやってきて/路線や圃地を截りとったり/あちこち古びて苔むした/岩を析いたりしたあげく/二枚の地図をこしらえあげる/これはきらゝかな青ぞらの下で/一つの巨きな原罪とこそ云ふべきである/あしたはふるふモートルと/にぶくかゞやく開墾の犁が/このふくよかな原生の壌土を/無数の条に反転すれば/これらのまこと丈高く/靱ふ花軸の幾百や/青い蠟とも絹とも見える/この一一の花蓋の変異/さては寂しい黄の蕋は/みなその中にうづもれて/まもなく黒い腐植に変る/じつにわたくしはこの冽らかな南の風や/あらゆるやるせない撫や触や/はてない愛惜を花群に投げ/二列の低い硅板岩に囲まれて/たゞ恍として青ぞらにのぞむ/このうつくしい草はらは/高く粗剛なもろこしや/水いろをしたオートを載せ/向ふのはんの林のかげや/くちなしいろの羊歯の氈には/粗く質素な移住の小屋が建つだらう/とは云へそのときこれらの花は/無心にうたふ唇や/円かに赤い頬ともなれば/頭を明るい巾につゝみ/黒いすもゝの実をちぎる/やさしい腕にもかはるであらう/むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を/このきらゝかな南の風に/いくたびイリスと呼びながら/むらがる青い花紅のなかに/ふたゝび地図を調へて/測量班の赤い旗が/原の向ふにあらはれるのを/ひとりたのしく待ってゐやう(宮沢,1985)

 

詩の最初は,賢治とは別行動している測量班の人々が「種山ヶ原」を測量して地図を仕上げていく様子が描かれているが,中頃は測量後に予想される「種山ヶ原」の様子が,後半は昔の恋人を回想する場面が登場する。

 

「種山ヶ原」の土地開発のために,明日は,この一帯に電動機(moter)の音が鳴り響き,巨大な犂(すき)によって土壌が掘り起こされ,「種山ヶ原」の無数の在来種の「アイリス」(カキツバタやシャガ)の花軸,花蓋(萼と花弁),蕊(雌しべと雄しべ)が土の中に埋められる様子がイメージされている。ここで注目しなければいけないのは,このような開発行為を「原罪」としていることである。

 

 賢治は北海道アイヌと同様に「先住民」が多く住んでいる北上山地に開発の手が入ること,および自分がそれに加担していることに憂慮している。さらに,先駆形の最後に「むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を/このきらゝかな南の風に/いくたびイリスと呼びながら/むらがる青い花紅のなかに/ふたゝび地図を調へて/測量班の赤い旗が/原の向ふにあらはれるのを/ひとりたのしく待ってゐやう」と,去って行った恋人を日本在来種の「アイリス」と重ねて,その名前を繰り返し呼んでいるのである。「レシタティヴ」(recitative)とはクラシック音楽の歌唱様式の一種で,話すような独唱をいう。この「むしろわたくしはそのまだ来ぬ人の名を」から続く最後の詩句は定稿には記載されていない。

 

詩「若き耕地課技手のIrisに対するレシタティヴ」の定稿に記載せずに先駆形(あるいは下書稿)に残した詩句に賢治の本心があるとすれば,破局がなければやがて訪れるであろう「種山ヶ原」に「ドリームランド」を夢みて集まる開拓民の家族の中に恋人との生活もあったのだと想像しているのだと思う(石井,2021c)。(続く)

 

参考・引用文献

平澤信一.2017.賢治原稿の秘密-《落書き/花壇設計/肖像画》.言語文化 34 :36-41.

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カンパネルラの恋(1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705

宮城一男・高村毅一.1992. 宮沢賢治と植物の世界.築地書館.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2018.宮沢賢治 愛の歌.夕書房.

高橋 崇.2012.蝦夷(えみし)古代東北人の歴史.中央公論新社.

知里幸恵(編訳).1978.アイヌ神謡集.岩波書店.