宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治の詩「業の花びら」に登場する赤い眼をした鷺は怒っているのか (12)

 

賢治の詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)の下書稿に「業の花びら」という詩がある。その中に赤い眼をした「鷺」(さぎ)が登場する。本稿ではこの「鷺」の赤い眼が何を意味しているのか考察する。

 

「夜の湿気が風とさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえてゐる/ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生れ/しかも互ひに相犯さない明るい世界はかならず来ると/……遠くでさぎがないてゐる/夜どほし赤い眼を燃して/つめたい沼に立ち通すのか……」(宮沢,1985)とある。

 

「……」と「……」の間の言葉は内語と言われている。言葉にはならないけれど,心の中でそう思った言葉が入るのだと言われている(吉本,2012)。だから,実際には見ていないのだと思われる。ただ,賢治は赤い眼をした誰かに見つめられている。と思っている。「沼」から見つめられているということを詠った詩が5ヶ月前に書かれてある。詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」(1924.5.18)である。この詩には「雲は酸敗してつめたくこごえ/ひばりの群はそらいちめんに浮沈する/(おまへはなぜ立ってゐるか/立ってゐてはいけない/「沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる・・・」(下線は引用者 以下同じ)とある。

 

詩「業の花びら」の「つめたい沼に立ち通すのか」にある「沼」は 詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」に登場する「沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる」の「沼」と関係しているように思える。詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」は推敲が重ねられ,一旦書かれて削除された詩句に「沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬や石斧もとれる」というのもある。つまり,「沼」は東北の先住民である「アイヌ」と関係する。賢治は東北の先住民である「蝦夷(エミシ)」をアイヌと考えていた。また,賢治は先住民を意味する「蝦夷」という言葉を作品の中では決して使わない。「蝦夷(エミシ)」という言葉は朝廷側の人間が東北の先住民に使う侮蔑用語だからと思われる。

 

「鷺」は「シラサギ」と思われる。「シラサギ」と呼ばれるものはダイサギ,コサギ,チョウサギ,アマサギで白い体と長い首や足を持つ鳥である(国松・藪内,1996)。この詩の「鷺」は渡り鳥がイメージされていると思う。

 

詩「業の花びら」に登場する「鷺」に対して賢治研究家の見田宗介(2012)は「詩人を遠方からおびやかす〈他者〉であると同時に,まさしくこのような他者として,深くこの詩人自身でもあった。それは詩人が,〈自己自身よりもいっそう本質的な自己として感受せざるを得ない他者〉として,外にありまた内にある声であった。」という見解を示している。賢治は乖離性障害の気質があることが知られているので(芝山,2007),賢治がもう1人の自分と批判し合う会話しても不思議ではないが,私は別の解釈をしてみたい。

 

私は,「夜どほし赤い眼を燃して」鳴いている「鷺」,つまり遠方から賢治を脅かす「鷺」は賢治から去っていった先住民の末裔である恋人がイメージされているものと思っている。恋人は破局後の大正13年(1924)6月14日に別の家庭を営むため,渡り鳥の「サギ」のようにアメリカに渡っている。渡米の日は詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」の日付と詩「業の花びら」の日付の中間である。恋人は「赤い眼」をして鳴いていることから激しく怒っており,そして悲しんでいたと思う。あるいは賢治がそう思っていた。賢治作品で「赤い眼」は「怒り」を意味していることが多い(石井,2022)。ちなみに,ネットでシラサギの眼を見たが赤くはない。「怒り」を強調しているのであろう。

 

怒り悲しんでいる原因が詩「業の花びら」の5ヶ月後に書かれた詩「〔はつれて軋る手袋と〕」(1925.4.2)に記載されているように思える。この詩には「空気の沼」が登場する。「空気」は空想ということだろうか。

 

「丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる/ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて/笹がすこうしさやぐきりたとへばねむたい空気の沼だ/かういふひそかな空気の沼を/板やわづかの漆喰から/正方体にこしらえあげて/ふたりだまって座ったり/うすい緑茶をのんだりする/どうしてさういふやさしいことを卑しむこともなかったのだ/……眼に象って/かなしいあの眼に象って……/あらゆる好意や戒めを/それが安易であるばかりにことさら嘲けり払ったあと/ここには乱れる憤りと/病に移化する困憊ばかり」とある。(宮沢,1985)

 

この詩では,恋人が小さな家で2人黙ってお茶を飲んだりするという些細な生活を望んでいた,つまり空想していたことが書かれている。2人の結婚は家族や親戚から反対されていたらしく,2人には当時の家制度や恋人の願いから推測するに駆け落ちするぐらいしか残されていなかったと思える。これは私の単なる憶測だが,恋人は駆け落ちを望んでいたように思える。なぜなら,恋人の親友が結婚を反対されていたのに勇敢にも函館へ駆け落ちしているからである(佐藤,1984)。恋人の親友も賢治の主宰した音楽鑑賞会に参加していて,そこで同じ教員である青年と恋をしたが反対されていた。しかし,賢治は恋人の願う生活を「安易であるばかり」にと嘲り払ってしまった。賢治には恋人の言うことが理解できなかったように思える。詩「〔わたくしどもは〕(1927.6.1)〕には「その女はやさしく蒼白く/その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした」とある。賢治は当時「慢心」があり,「みんなの幸い」を実現する理想に燃えていたように思える。文語詩「〔きみにならびて野にたてば〕」の下書稿に恋人の言葉と思われるものが残されている。「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕(つぐ)はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」である。「山」は賢治の理想を言っている。賢治は詩「業の花びら」で「夜どほし赤い眼を燃して」鳴いている「鷺」を描いていた。恋人の肉体は米国へ飛び去ったが「こころ」は「生き霊」となって日本に残り「鷺」に取り憑いていたのかもしれない。

 

ちなみに詩「〔はつれて軋る手袋と〕」の「眼に象って」は花壇設計図にあるtearful eye につながる。賢治にとって詩「〔はつれて軋る手袋と〕」は思い入れがあったようである。賢治の亡くなる5ヶ月前に改稿篇「移化する雲」として「日本詩壇」創刊号に投稿している。変更した主な箇所は「ここには乱れる憤りと」を「ここに蒼々うまれるものは/不信な群への憤(いきどお)りと」にしたことである。賢治を「病に移化する困憊ばかり」にしたものが「不信な群」だと言っている。「不信」とは「うそ」ばっかり言っている人たちと思われる。賢治が恐怖と感じている「まっくらな巨きなもの」なのであろうか。(続く)

 

参考・引用文献

石井竹夫.2022.童話『やまなし』の第一章「五月」に登場する〈カワセミ〉の眼は黒いはずなのになぜ赤いと言うのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/24/083020

国松俊英・藪内正幸.1996.宮沢賢治 鳥の世界.小学館.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

見田宗介.2012.宮沢賢治 存在の祭りの中へ.岩波書店.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.

芝山雅俊.2007.解離性障害-「うしろに誰かいる」の精神病理.筑摩書房.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.