宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治が幻視した「業の花びら」の正体は慢心の罰で失ってしまった一番大事なもの (9)

 

賢治は,「業の花びら」を幻視した5か月前に「アイヌ」の〈鬼神〉も幻視している。詩集『春と修羅 第二集』の「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」(1924.5.18)に登場する。

 

詩は「日はトパースのかけらをそゝぎ/雲は酸敗してつめたくこごえ/ひばりの群はそらいちめんに浮沈する/(おまへはなぜ立ってゐるか/立ってゐてはいけない/沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)/一本の緑天蚕絨の杉の古木が/南の風にこごった枝をゆすぶれば/ほのかに白い昼の蛾は/そのたよリない気岸の線を/さびしくぐらぐら漂流する/(水は水銀で/風はかんばしいかほりを持ってくると/さういふ型の考へ方も/やっぱり鬼神の範疇である)/アイヌはいつか向ふへうつり/蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる」(宮沢,1985,下線は引用者,以下同じ)である。

 

この詩は花巻のアイヌ塚にある沼の情景を詠ったものである。花巻あたりに先住していた人たちの墳墓が石器と一緒に沢山見つかっている。下書稿には「たたりをもったアイヌの沼は/・・・沼はむかしのアイヌのもので/岸では鍬(やじり)や石斧もとれる」とある。賢治は東北の先住民である「蝦夷(エミシ)を「アイヌ」と考えていた。

 

賢治が沼から覗く「アイヌ」の〈鬼神〉を幻視したのは,土着の「神」への冒涜が原因というよりも,賢治が恋人を苦しめた「罪」と関係しているように思われる。賢治は大正11年(1922)から12年にかけて1年間だけだが先住民の末裔と思われる女性と相思相愛の恋をしていた。賢治と同じ町に住む4歳年下で蕎麦屋の娘である大畠ヤスである(当時22歳)。しかし,1924年に終止符が打たれ,6月に恋人は渡米してしまった。出会いから破局までの恋人の動向は賢治と同郷の佐藤勝治(1984)によって調べられて著書になって公開されている。佐藤は,恋人の家族から直接聞いた話として,大正11年(1922)から大正13年(1924)初にかけて「それまで健康で非常に明るかったY子さんは,急にすっかりふさぎ込み,無口になり,衰弱していった。」と記している。

 

賢治は恋人が生粋の東北人(「先住民」)の血を引く女性であることと,自分が京都からきた移住者の末裔であることを信じている。このことは,賢治が1931年頃に文語詩を作るにあたって作成した自身の年譜(「文語詩篇ノート」)に記載されている(石井,2022c)。

 

詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕〕は恋人がかなり衰弱している頃に書かれた詩である。詩にある「杉の古木」は衰弱している賢治の恋人を象徴していると思われる(石井,2021a)。恋人は「杉」のように背の高い女性であった。また「杉」(Cryptomeria japonica)は学名にjaponicaとあるように日本固有種で恋人が「先住民」の末裔であることを暗に示している。「アイヌ」の〈鬼神〉は賢治に「杉の古木」に並んで立つなと威嚇している。賢治は沼から覗く「アイヌ」の〈鬼神〉に恋人を重ねている。これは,また賢治の有名な詩「きみにならびて野にたてば」を連想させる。この「きみ」も恋人のことであろう。賢治は去って行く恋人を思いながら,白い蛾になって「たよリない気岸の線を/さびしくぐらぐら漂流」するだけである。

 

賢治は土着の神々を冒涜しただけでなく,ある先住民の末裔と思われる女性を苦しませることもしていた。封建制度が残存する東北の田舎町の若い娘が単身でアメリカにいる年の離れた移民者に嫁ぐというのは非常に考えにくい。清水寺の舞台から飛び降りるよりもハードルが高いのではないか。私は恋人の苦しみが,トラックの落下事故という「神罰」にも関係していると思っている。むしろ,私はある女性を苦しませた「罪」の方が土着の神を冒涜した「罪」よりも大きいと考える。なぜなら,賢治が詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)で幻視したと記録したのが「暗い業の花びら」だからである。

 

『歯車』の主人公〈僕〉が幻視したものは「1つ」の「銀の翼」であった。「2つ」ではない。「銀の翼」の「1つ」とはもぎ取られたものであろう。〈僕〉は高く飛べなくなった。〈僕〉にとって幻視された「1つ」のもぎ取られた「銀の翼」は「銀貨」と交換できる「翼(=知識)」であり,これを失うことは,これから起る経済的破綻を意味する。つまりもぎ取られた「銀の翼」の幻視→経済的破綻の予兆→恐怖である。つまり,〈僕〉が幻視したものは慢心の罰で「失ってしまった一番大事なもの」を象徴している。

 

では賢治にとって慢心の罰で「失ってしまった一番大事なもの」を象徴する「暗い業の花びら」とはなにか。賢治にとって幻視された「花びら」は花が散ったときにできるものである。ではこの「花びら」を散らせた木はどんな木であったのか。そしてその木を失うとはどのような意味があるのか。賢治は詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」や「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」を書いた前年に寓話『土神ときつね』(1923)を書いている。この寓話では〈樺の木〉を恋人に見立てている。賢治が投影されている「南」からやってきたハイカラな〈狐〉と〈樺の木〉の悲恋物語である。多分,「花びら」は「樺の木」から散ったものであり,失恋した恋人を意味するものと思われる。詩「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕〕(1924.5.18)に登場する「いつか向ふへうつり」の「アイヌ」は恋の終止符を打って6月14日に渡米した恋人を指していると思われる。渡米した日付は賢治と同郷の研究者によって調べられたものである(布臺,2019)。ちなみに,渡米した女性は3年後の1927年4月13日に27歳という若さで亡くなっている。また,2児を得たが夭折した(佐藤,1984)。

 

「樺の木」は東北ということを考慮すれば,日本固有種の「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)や「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana ( Koehne ) H.Ohba,2001)などのバラ科植物が候補にあがる。「山桜」の樹皮はアイヌ語(あるいは「奥州エゾ語」)で「karimpa・カリンパ」と呼ぶ。「樺(カバ)」はこの「カリンパ」が転訛したという説もある(石井,2021b)。

 

RCサクセションの忌野清志郎(1951~2009)は自ら作詞した『三番目に大事なもの』で昭和の若い娘たちの気持を「一番大事なものは自分なのよ/その次に大事なものが勉強で/三番目に大事なものが恋人よ・・・」と歌った。大正を生きた賢治にとって「一番大事なもの」は恋人だった。だが,このことを賢治は恋人を失ってみて気づいたと思われる。また,芥川にとっては「勉強」して得られた「知識」が「一番大事なもの」だった。 

 

2月25日(日)NHKおはよう日本(7:00~)で慈陽院なごみ庵・浦上哲也住職の「死の疑似体験」というワークショップが紹介されていた。このワークショップでは参加者に自分の大事な「物」,「人」,「風景」,「記憶」,「場所」を20枚のカードに書いてもらう。次に照明が消され住職が病にかかり,病気が進行し,やがて命を終えていくという架空の物語をかたり,参加者にその物語に合わせ20枚の中から1枚ずつカードを棄てさせる。このワークショップに参加したアナウンサーの三宅民夫は最後の方で家族である妻と3人子供を残していたが,命を終える所では妻だけを残した。賢治もこのワークショップに参加していたら恋人の名を残したと思われる。そして,芥川は人工の翼であったろう。

 

賢治の詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)には,4つある下書稿も含め恋人の存在をうかがわせる詩句は存在しない。同日に書いた「三一三 産業組合青年会」(1924.10.5)にも下書稿を含め恋人の存在を認めるものはない。しかし,「三一三 産業組合青年会」の「草稿的紙葉群」と呼ばれる稿には確かにその存在を認めることができる詩句がある。例えば,「・・・頬うつくしいひとびとの/なにか無心に語ってゐる/明るいことばのきれぎれを/狂気のやうに恋ひながら・・・」という激しい恋心を詠った詩句が入っている。この恋歌は浜垣(2024)によれば後年になって「水部の線(すいぶのせん)」という非定稿文語詩に結晶化するのだという。つまり,賢治は1924年10月5日に2つの詩以外に恋人に関する詩を作る予定があったと思われる。この「草稿的紙葉群」にある詩句の「頬うつくしいひとびと」は詩集『春と修羅』の詩「春光呪詛(1922.4.10」の「頬がうすあかく瞳の茶いろ」の女性のことであろう。つまり,賢治が「狂気のやうに恋ひながら」と詠った相手は大畠ヤスである。 

 

この文語詩「水部の線」には賢治が幻視した「業の花びら」がどのような形のものだったかを示唆するヒントが隠されている。「水部の線」は「きみがおもかげうかべんと/夜を仰げばこのまひる/蝋紙に描きし北上の/水線青くひかるなれ/竜や棲みしと伝へたる/このこもりぬの辺を来れば/夜ぞらに泛(うか)ぶ水線の/火花となりて青々と散る」である。私なりに解釈してみれば「恋人のことを思い浮かべながら夜空を眺めたら,昼間蠟紙に鉄筆で北上川のつもりで引いた線が青く光ったように幻視された。竜が棲むという伝えのある沼までくると夜空に幻視された青い線が火花となって散っていった」である。今の紫波郡日詰にある五郎沼あたりで詠んだ詩と思われる。青年会で農事講話をした後に沼のあたりを散策していたのであろう。昼間は資料作りのためのガリ版刷りをしていたと思われる。「三一三 産業組合青年会」の「草稿的紙葉群」に「……今日のひるまごりごり鉄筆で引いた/北上川の水部の線が いままっ青にひかってうかぶ……」とあり,その後に「……水部の線の花紺青は火花になってぼろぼろに散る……」とある。「花紺青」は紫色を帯びた暗い青色である。インクの色である。詩「春光呪詛」の「(おおこのにがさ青さつめたさ)」の「青」である。多分,「暗い業の花びら」の「暗い業」も「暗い青」であろう。

 

つまり,詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」に登場する「暗い業の花びら」も実際には「花びら」の形ではなく,北上川を一筆書きで書いたような青く光っている曲線だったのかもしれない。ただ,暗い夜空に青く光っていた曲線は,そのあと火花のようなものになりバラバラに散っていったと思われる。賢治はこの幻視された「火花」を詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」では恋人になぞらえて「花びら」としたのかもしれない。賢治は,農学校でレコード鑑賞をしばしば行っているが,そのときにベートーヴェンの「月光」の曲をかけながら,生徒に「円や直線や山形などの様々な図形が見える」と説明したという(板谷,1992)。賢治には.様々な形の「線」が幻視できるようだ。(続く)

 

参考・引用文献

浜垣誠司.2024(調べた年).業の花びら 詩群.https://ihatov.cc/series/karma.htm

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要14:27-33.

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.東京.

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カンパネルラの恋(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/10/122017

石井竹夫.2022c.童話『ガドルフの百合』考(第5稿)-朝廷と東北先住民の歴史的対立.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/07/075640

佐藤勝治.1984.宮沢賢治青春の秘唱「冬のスケッチ」研究.十字屋書店.