宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-

Keywords: アイヌ語,イサド,イワテヤマナシ,カスミザクラ,カリンパ,クラムボン,オオウラジロノキ

 

前稿(Shimafukurou,2021b)では『やまなし』発表前後の作品に登場する植物に着目する方法で新説を裏付けることができた。後編では『やまなし』に登場する植物を読み解くことによって新説がさらに裏付けられるかどうか検討する。

 

1.白い樺の花びら

「五月」の章の最後で〈魚〉が〈カワセミ〉に捕食された後に,「白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました」とある。この「樺(かば)」とはどんな植物なのか。通常「樺」というと,シラカバなどのカバノキ科カバノキ属の植物あるいはバラ科サクラ属の植物を指す。しかし,この物語では「樺」の花には白い花びらがあるので後者のバラ科の植物が想定される。日本在来種で「樺」と呼ぶバラ科サクラ属の植物は,山の桜を総称する「山桜」である。

 

「東北」にとって「山桜」は観賞というよりは実用性あるいは商品価値の高いものとして重宝がられていた。「東北」の「先住民」は「山桜」の「樹皮」を「フジ(藤)」の蔓と同じように物を巻いて強くするために使用していたという。また,現在は赤みを帯びた美しい縞模様のある樹皮を使って茶筒などの工芸品(樺細工)が作られている。

 

「山桜」の「樹皮」はアイヌ語(あるいは「奥州エゾ語」)で「karimpa・カリンパ」と呼ぶ(金田一,2004)。江戸時代に「東北」の津軽藩と盛岡藩の境に「狩場沢」があったが,金田一はこの地名が古くは「karimpa nai」(naiは沢の意味)という名であったと推測している。なぜなら,北海道の胆振山越郡に「カリンパカルシ(karimpakar ushi)」(山桜の皮を採る場所),同千歳郡に「カリンパウシ(karimpa ushi)」(山桜のある場所)があるからだという。「カリンパ」はアイヌ語で「纒く(枕にする)」という意味がある。また,「カリンパ」が「樺(かば)」に転訛したという説もある。「カリンパ」→「かにわ(かには)」→「かば」と変化したという(嶋田,2018)。

 

「山桜」に含まれる種としては「ヤマザクラ」(Cerasus jamasakura (Siebold ex Koidz.) H.Ohba ;第1図),「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)あるいは「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana ( Koehne ) H.Ohba,2001)がある。物語の舞台が「東北」あるいは岩手県ということであれば後者の2つであろう。「樺」を「ヤマザクラ」とする研究者もいるが,「ヤマザクラ」は宮城が北限という。さらに,花の色が白ということであれば「カスミザクラ」が有力候補になる。「山桜」の花は淡紅色だが「カスミザクラ」は白に近い。

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第1図.ヤマザクラ.

 

しかし,『やまなし』に登場する「樺」を「カスミザクラ」と特定することに戸惑いも感じる。なぜ疑問に思うかというと,「五月」に白っぽい「カスミザクラ」の花が咲いて,「十二月」に別の木の「やまなし」の実が落ちてくるというのも不自然だからである。「カスミザクラ」も夏には8~10mm程の実がなる。なぜ「十二月」の章で「樺の実が落ちた」としないのか。研究者の多くは『やまなし』の「樺」を不問にしているが,岩手生まれの澤口(2018)は,この「白い樺の花」を同じバラ科サクラ亜科ナシ属の「やまなし」の花だと推定している。賢治と同じ風土で生まれ育った者の直感かもしれないが,検討してみる価値はある。

 

日置(2015)も「五月」の「樺」と「十二月」の「やまなし」を同一の植物と見なしているが,彼の言う「やまなし」は「ヤマナシ」とも呼ばれることがあるバラ科リンゴ属の「オオウラジロノキ」(Malus tschonoskii (Maxim.)C.K.Schneid.)のことである。

 

多分,「白い樺の花」の「花」を女性の喩えとすれば,「樺」は賢治の色白だった恋人のことをいっているのかもしれない。もしそうなら,植物名を特定することの意味は少ない。「やまなし」の花が「樺の花」であっても良いのかもしれない。だから,「白い樺の花びらが天井をたくさんすべって来ました」は,〈魚(賢治)が〈カワセミ(土着の神である鬼神)〉から手荒い仕打ちを受けたとき,〈白い樺の花(恋人)〉も打ちのめされて散ってしまった。ということを言いたかったのかもしれない。

 

2.「イサド」とは何か

「十二月」の章で〈蟹〉の父親が兄弟喧嘩を止める手段として「あしたイサドへ連れて行かんぞ」と威圧するが,この「イサド」とはどんな所であろうか。〈クラムボン〉が「先住民」の言語であるなら「イサド」も同じ可能性がある。前稿で述べたが,「イサド」もアイヌ語で「i・そこの,sat・乾いた,to・沼」に分解できる。

 

兄弟が喧嘩を止めてまで行きたい所は「母」のいる場所であろう。「サワガニ」は12月~翌年の3月に冬眠に入るという(荒木・松浦,1995)。賢治は,物語に登場する〈蟹〉の兄弟の「母」を「乾いた沼地」(陸地)で冬眠のための巣作りをしているかのように設定したのかもしれない。あるいはその巣で兄弟も生まれたのかもしれない。

 

〈蟹〉を「東北」の「先住民」の比喩と考えれば,「イサド」は「先住民」の母なる大地(故郷)である樺太や千島列島のある「北方」であるかもしれない。賢治も「北方」には関心が高く,『やまなし』を発表して4か月後に「樺太」(7月31日から8月12日まで)に旅立つ。8月3日の午前に教え子の就職依頼のため「大泊」(樺太南端の町で本土と行き来する交通の要所)から樺太鉄道で1時間ほど北に位置する豊原の王子製紙会社を訪れているが,それ以外の旅の詳細な行程は分かっていない。

 

当時「大泊」の東に後に大泊郡に組み込まれる知床村がある。この村出身の樺太アイヌ・山辺安之助(背は6尺:約180cm)は広瀬隊長率いる南極探検隊の犬ぞり担当を務めたことで有名である。この村に札塔(Satuto)という名の土地がある。アイヌ語で「乾いた沼」という意味である。

 

岩手県には「長内(おさない)」(雫石町など)という地名がたくさんある。この「長内」は,アイヌ語(奥州エゾ語)の「オ・o,サッ・sat,ナイ:nay」に由来していて,「オ・川尻」,「サッ・乾いた(水が砂に吸い込まれて川尻に水がない状態)」,「ナイ・沢」という意味を含むと言われる(工藤,2013)。

 

兄弟喧嘩は,泡の大きさを競ってのものだが,そもそも水中にいる〈蟹〉は泡をださない。生じるはずのないも泡の大きさを競うとはどういうことか。多分,この喧嘩は「コロボックル」の身長が低いかどうかを争った当時の学者間の論争を皮肉ったものかもしれない。

 

前稿で,賢治が生きていた頃は「蝦夷(エミシ)」=アイヌ説が優勢であったことを述べたが,「蝦夷(エミシ)」=非アイヌ説をとる学者もいた。金田一(2004)によれば,人類学者の松村瞭は,徴兵検査で測定された岩手県人の成人男性の身長が他県と比較して一番高いことに注目して,「岩手県はエミシの巣窟である。アイヌは日本人よりも背が低いはずだからエミシはアイヌではない」と主張していたという。金田一は,「アイヌ」の背が低いという明瞭な根拠はないとして,松村の主張を退けた。伝説の小人「コロボックル」の背が低いというのと同じで,実態の不明確なものに当時の学者達が大真面目で論争していたのである。

 

3.「やまなし」には恋人の名前が隠されている

「十二月」の章の最後のところで黄金(きん)のぶちが光って熟した「やまなし」の実が〈カワセミ〉のように「ドブン」と落ちてくる。この実を父蟹は「いゝ匂ひ」がすると言う。この「やまなし」とは何か。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば日置と同じでバラ科リンゴ属の「オオウラジロノキ(オオズミ)」としている(原,1999)。「オオウラジロノキ」の熟した実(2~3cm)は褐色または紅色である。童話『山男と四月』(1922.4.7)でも「お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう」,また童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたようだった』(1924年春頃)には「山梨のやうな赤い眼」と記載されている。ただ,匂いについては分からない。爪で引っ掻くとリンゴのような匂いがするらしい。

 

一方,「やまなし」をバラ科(サクラ亜科)ナシ属の果実とする研究者もいる。「やまなし」は日本列島で自生する「イワテヤマナシ」,「アオナシ」,「マメナシ」,「ヤマナシ」という3種2変種の「ナシ」の1つであるとするものである。特に,物語に登場する「やまなし」は芳香を強く放っているので,片山(2019)は岩手県を中心に「東北」に自生する「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.var.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)を有力候補に挙げている。

 

ただ,果実の大きさは2~3.2cmほどだが赤くはない。「イワテヤマナシ」は樹高が10~12mくらいで春に白い花を咲かせる。岩手県を含む東北3県では1500個体以上の自生と思われるナシ属植物が発見されているが,その約8割が岩手県を南北に縦断する「北上山系」に集中して見つかるという。また,その多くは山間部の牧草地や童話『やまなし』の舞台でもある渓流沿いに分布しているという。ただ,かなりの数で雑種化が進んでいる(7割程度)。

 

「やまなし」は,実の色から推測すれば「オオウラジロノキ」と思われる。〈蟹〉の父親が言う「赤い眼」の〈カワセミ〉とイメージが重なる。しかし,匂いから推測すれば「イワテヤマナシ」あるいはその雑種の可能性もある。

 

「ナシ」は北海道には自生していないのでアイヌ語としての名は残されていない。「イワテヤマナシ」の果実を「東北」の「先住民」がどのように呼んでいたのであろうか。片山・植松(2004)の聞き取り調査では,「東北」のナシ属植物の地方名は「ジナシ」(花巻市),「ヤマナシ」(東和町など),「フクベナシ」(遠野町),「ケカズナシ」(沢内村)などとほとんどが「○○ナシ」であったという。片山らは,これらの「呼び名」と同一の名が,江戸時代以前からの文献や書物に記録されている「ナシ」の在来品種名の中にあることから,かつての在来系統の「ナシ」が同じ「呼び名」とともに現在まで維持されてきたと推測している。『南部領産物誌』(1735)には「山なし」の記載もある。すなわち,「イワテヤマナシ」あるいは「オオウラジロノキ」の果実は遠い昔(少なくとも江戸時代ごろ)から「東北」では「やまなし」と呼ばれていた可能性がある。

 

童話『やまなし』の題名には恋人の名前が隠されていると指摘する研究者がいる。「やまなし」は岩手では「やまなす」と発音する。岩手の方言では「し」と「す」の区別がないので「やまなし」は「やまなす」と聞こえる。そこで澤口(2018)は,題名の岩手方言である「やまなす」には恋人の名前(4文字の最初と最後の1字を合わせた2字)が隠されているとした。筆者はこれを支持したい。この童話には「二枚の幻燈」,「二疋の蟹」,「四本の脚の中の二本」,「二日ばかり待つ」など「二(2)」という数字が意味ありげに繰り返される。

 

詩集『春と修羅』の「第四梯形」(1923.9.30)という詩には「青い抱擁衝動や/明るい雨の中のみたされない唇が/きれいにそらに溶けてゆく/日本の九月の気圏です/・・・・/あやしいそらのバリカンは/白い雲からおりて来て/・・・/七つ森の第四伯林青(べるりんせい)スロープは/やまなしの匂の雲に起伏し/すこし日射しのくらむひまに/そらのバリカンがそれを刈る」(宮沢,1986;下線は引用者)という詩句がある。

 

下線部の「くらむ」は「目が眩む」と「暗む」の2つの意味がある。日置(2015)はこの詩に登場する「やまなし」と「くらむ」という語句をヒントに,〈クラムボン〉を雲の流れで光ったり暗くなったりする「太陽」としたが,筆者はこの詩の創作時期が賢治と恋人の恋の破局の時期と重なることから,「やまなし」を恋人,「くらむ」を「暗む」と解釈して,この詩句あるいは童話『やまなし』には失意の底にある恋人が表現されていると考える。なぜなら,この詩の冒頭にあるように,賢治は近親者たちの反対に遭ったとき,「個人」の幸せ(青い抱擁衝動)を「みんな」の幸せ(きれいなそら)の中に溶かし込んでしまったからである(性衝動の昇華)。あやしい空のバリカンは「やまなし」(恋人)までも刈ってしまったのである。

 

「カゲロウ」という昆虫の名は,飛ぶ様が「楊炎(かげろう)」のようにはかなく,ひらめくところから来ている。「かげろう」には,動詞「かげる」に由来して光が隠れて影になる,すなわち,「暗む(くらむ)」という意味もある。賢治は,失意の底にある恋人を「カゲロウ(クラムボン)」として谷川の岩の下に配置したのかもしれない。

 

詩「第四梯形」の2週間後にも「ナシ」が登場してくる詩を創作している。詩「過去情炎」(1923.10.15)には,「あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら/きらびやかな雨あがりの中にはたらけば/わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です/雲はぐらぐらゆれて馳けるし/梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて/短果枝には雫がレンズになり/そらや木やすべての景象ををさめてゐる/わたくしがここを環に掘ってしまふあひだ/その雫が落ちないことをねがふ/なぜならいまこのちひさなアカシヤをとつたあとで/わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる/・・・/わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに/応揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども/それはひとつの情炎(じやうえん)だ/もう水いろの過去になつてゐる」(宮沢,1986;下線は引用者)とある。

 

この詩では,自分を「移住の清教徒」と呼び,開墾の妨げになるアカシヤ(ニセアカシヤのこと)を掘り起こした後に,恋人に会うように「ナシ」の木に口づけをすると歌っている。この「ナシ」も種は明らかではないが『やまなし』と同じで恋人の面影を重ねていると思われる。しかし,すでに過去の出来事だとしている。

 

さらに2年後の詩「岩手軽便鉄道七月(ジャズ)」(1925.7.15)の先駆形には,「梨をたべてもすこしもうまくない/何せ匂いがみんなうしろに残るのだ」の記載がある。賢治にとって過去の出来事であっても,恋人への思いは強く残っているようだ。童話『やまなし』の恋人を比喩する「樺」と「やまなし」については第1表にまとめた。

 

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童話『やまなし』の終末部で「やまなし」の果実は,「ドブン」と川に落ちて沈むが,「再び上がる」→「流れる」→「木の枝に止まる」→「再び沈む(と予言)」という動きを示す。

 

単なる推測にすぎないが,この「やまなし」の果実の複雑な動きは破局後の恋人の心の動きともとれる。「やまなし」は流された後に木の枝にしがみつく。しかし,木にしがみついた「やまなし」の果実は,〈蟹〉の父親からは「二日ばかり待つとね,こいつは下に沈んで来る」と予言されてしまう。この「木の枝」とは賢治自身であろうか。そして最後に「私の幻燈(恋物語)はこれでおしまひであります」(括弧内は筆者)と結ばれる。

 

以上のように,童話『やまなし』は賢治の実体験をもとに擬人化された〈魚〉と谷川の石の下に棲む妖精〈クラムボン=カゲロウ〉の悲恋物語であると考える。この『やまなし』に対する新しい解釈(説)は,この童話に登場する植物や『やまなし』発表前後の作品に登場する植物を丁寧に読み解くことによって裏付けられた。

 

まとめ

(1)童話『やまなし』は,谷川に棲む生き物(蟹,魚,クラムボン,カワセミ)の弱肉強食の生存競争や食物連鎖がメインテーマとして描かれているのではない。むしろ,よそ者と先住土着の民との争いが描かれているように思える。よそ者(移入種としてのヤマメ)が先住土着の家の娘(クランムボン)に恋をして求婚しようとするが土着の神(鬼神としてのカワセミ)から手荒い仕打ちを受けたという悲恋物語であろう。

(2)物語に登場する植物である「樺」と「やまなし」にも,〈クラムボン〉と同様に先住民の女性がイメージされているように思える。5月の章で「樺の花」が散り,12月の章で「やまなしの実」が谷川に落ちてくることが,これを裏付けているように思える。多分,童話『やまなし』は賢治が物語を執筆している直前に経験した恋とその破局を題材にしている。  

(3)「やまなしの実」は,「ドブン」と川に落ちて沈むが,「再び上がる」→「流れる」→「木の枝に止まる」→「再び沈む」という動きを示す。あたかも恋に破局した女性の心理描写ともとれる。また,『やまなし』の発表時期の別の作品に登場する植物(やまなし,樺,杉,アイリス)にも恋人をイメージできるものが多い。

(4)〈クラムボン〉は川底にある「石の下」にいる「ニンフ(妖精)」と呼ばれる「カゲロウ」の幼虫のことであろう。「カゲロウ」は谷川に遠い昔から棲んでいた。〈クラムボン〉と同じ先住土着の女性を比喩する「樺」は,アイヌ語の「カリンパ」に由来すると言われている。それゆえ,〈クラムボン〉という名称も,アイヌ語の可能性があり,「アイヌ」の伝説に登場する〈先住民〉の「コロボックル」と関係があると思われる。

(5)「コロボックル」は和人によって「フキの下の小人」と翻訳されたりもしているが,「アイヌ」の間では「kurupun unkur」(石の下の人)として伝承されている地域もある。〈クラムボン〉(発音はkut ran bon)は,賢治の造語と思われるが,アイヌ語で「kut・岩崖, ra・下方,un・にいる, bon・小さい」に分解できる。すなわち,〈クラムボン〉は「カゲロウ」の幼虫の姿をしているが,「岩崖の下」にいる「小人(妖精)」のことである。移入種の〈魚〉が岩の下に居る水の妖精に恋をした。 

(6)〈魚〉と〈クラムボン〉には賢治と恋人の「出自」(移住者と先住者)が,「白い樺の花」には肌が白い相思相愛だった恋人のことが,そして題名の「やまなし」には恋人の「名前」がそれぞれ隠されているように思える。〈蟹〉の親子の口から出る〈クラムボン〉,「樺(カリンパ)」,「イサド」そして「やまなし」は,よそ者の言葉(侵入者の言語)ではなく谷川(イーハトーブ)に住む「先住民」が遠い昔から使っていた言葉,あるいはそれと関係する言葉であろう。

 

参考・引用文献

荒木 昌・松浦修平.1995.サワガニの成長.九大農学芸誌.49(3/4):125-132.

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.東京.

日置俊次.2015.宮澤賢治が求めた光-法華文学としての「やまなし」-.青山学院大学文学部紀要 57:53-75.

金田一京助.2004.古代蝦夷(えみし)とアイヌ.平凡社.東京.

片山寛則・植松千代美.2004.東北地方に自生するナシの遺伝資源.遺伝 58(5):55-62.

片山寛則.2019.新規ナシ遺伝資源としてのイワテヤマナシ~保全と利用の両立を目指して~.作物研究 64:1-9.

工藤雅樹.2013(更新日)公益財団法人 アイヌ民族文化財団普及啓発セミナー報告「エミシ,エゾ,アイヌ」.2018.11.28(調べた日付).https://www.frpac.or.jp/about/files/sem1212.pdf

宮沢賢治.1986.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.茨城.

嶋田英誠.2018(更新年).跡見群芳譜 かにわ(かには).2020.10.1.(調べた日付).http://www.atomigunpofu.jp/ch2-trees/kaniwa.htm

Shimafukurou.2021b.宮澤賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(2)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/09/101746

 

本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号75-78頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 後編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は,雑誌発行日から1~2年後になる予定。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm