ブログ名にある「橄欖(かんらん)の森」とは,童話『銀河鉄道の夜』に出てくる言葉です。多分,「橄欖岩」を産出する大地の森という意味で,とくに「蛇紋岩」や「橄欖岩」を産出し,かつて中央政権に従わない「蝦夷(えみし)」と呼ばれた先住民が住んでいた北上山地の森のことだと思われます。私は「橄欖の森」を「東北の先住民が住んでいた森」と解釈してブログ名に取り入れました。
「橄欖の森」という言葉は,童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿;1924年)の出だし部分に,「そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひ,そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗(へ)らされて聞えないやうになりました」と出てきます。本文の中で「橄欖の森」について詳しい説明はありませんが,登場人物の〈女の子〉に「あの森琴(ライラ)の宿でせう」と言わせています。
すなわち,「橄欖の森」は「竪琴」の音が奏でられている「琴(ライラ)の宿」と同じ意味で使われているようです。これは,ギリシャ神話の竪琴の名手オルフェウスが,死んで天上世界へ旅だった妻のエウリディケを追いかけて連れ戻そうとする悲恋物語を連想させます。エウリディケという名は木の「妖精」(Nymph)という意味です。賢治は,『銀河鉄道の夜』(第一次稿)を執筆する2年前に先住の民と思われる女性と相思相愛の恋をしたが,1年で破局するという苦い体験をしています。恋人は,破局後渡米し3年後に亡くなります。
「琴(ライラ)の宿」は「琴座」とも関係します。賢治の悲恋体験を基にしたとされる寓話『シグナルとシグナレス』(1923)で,賢治が投影されているシグナルは恋人のシグナレスに婚約指輪を渡すが,この指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「琴座」のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという。
「橄欖の森」の「橄欖」という言葉は,大正12年(1923)に賢治の恋人を詠んだとされる詩集『春と修羅』の「マサニエロ」(1922.10.10)にも登場します。詩「マサニエロ」は,賢治の勤めていた農学校の裏手にある花巻城址の高台から恋人が勤めていた花城(かじょう)小学校辺りの景観を読んだ詩とされています。この詩には「すゞめ すゞめ/ゆっくり杉に飛んで稲にはいる/そこはどての影で気流もないので/そんなにゆっくり飛べるのだ/(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)/ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかえないか」という恋人の名前を呼びたくても呼べない切ない恋心の表現のような言葉が並びます。
この詩には「杉」(2回登場),「ぐみの木」,「すすき」,「桐」,「蓼(たで)」,「稲」,「桑」,「蘆(あし)」といった沢山の植物が登場しますが,「杉」だけが異様に目立ちます。「杉」はヒノキ科の常緑針葉樹の「スギ」(Cryptomeria japonica (L.f.) D.Don)のことで,真っ直ぐに伸びる(直木)という名が由来の我が国の在来種です。この詩の「杉」には1回読んだだけでは意味が通じない形容語句がつきます。詩の中で2回登場する「杉」の1番目は,「(濠と橄欖天蚕絨,杉)」です。この語句を括っている丸括弧の記号は独り言です。つまり,賢治は恋人が務める小学校を見て「(濠と橄欖天蚕絨,杉)」とつぶやいています。
「濠」はお城の堀,「橄欖」は橄欖岩の緑色,「天蚕絨」は「天鵞絨」のことで,柔らかく光沢感のあるビロード(ベルベット)のような織物のことです。「天鵞」は白鳥で,白鳥の翼のように光沢があるという意味です。一方,「天蚕」はヤママユガ科の蛾の「ヤママユ」(Antheraea yamamai )で,その繭から薄い緑色の線維「天蚕糸(てぐす)」がとれます。蛾はアイヌ語で火(アぺ ape)に寄って来ることから「アペトゥムペ apetumpe」といいます。なぜ賢治は,「天鵞(=白鳥)」を「天蚕」に変えたのかは分かりませんが,「橄欖天蚕絨,杉」を単純に解釈すれば,「葉が緑色で光沢感のある杉」という意味と思われます。多分,背が高かった美しい女性がイメージされています。
賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前をつぶやく詩がもう一つあります。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,Nymphaea ・・・ 」(宮沢,1985)(NymbusはNimbusの誤記?)とあります。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後です。「枯れた杉」は,亡くなった背の高い恋人のことを言っていると思われます。この詩で,賢治は恋人を「Nymph(妖精),Nymbus,Nymphaea ・・・」とつぶやきます。
「橄欖」は,地中のマントル上部を構成する火成岩の一種でオリーブ色(濃緑色)の「橄欖岩(olivin)」のことです。その殆どは地下に存在します。「橄欖岩」は変性作用を受けやすく地表で見られる場合には殆どが「蛇紋岩」に変化してしまいます。賢治の愛した「種山ヶ原」は「蛇紋岩」の大地です。童話『種山ヶ原』(1921)に「種山ヶ原というのは北上山地のまん中の高原で,青黒いつるつるの蛇紋岩や,硬い橄欖岩からできています」とあります。
北上山系が「蛇紋岩」の大地であるということは,さらに,もう1つ重要な意味が隠されています。それは,「蛇紋岩」の地層が多く見られる所には,「砂金」も多く含まれるということです。すなわち,北海道の日高山系と同様に北上川流域を始め,「東北」ではかなりの「砂金」が採れたのです。それが寛治元年(1087)から約100年間の「蝦夷)」の系統を継ぐとされる奥州藤原氏の栄華の源泉だったのです。この栄華を象徴するのが平泉にある「中尊寺」の「金色堂」です。この「金色堂」の装飾品として,夜光貝を用いた螺鈿細工や孔雀であしらわれた須弥壇が見られます。これらは,「童話『銀河鉄道の夜』(初期形第一次稿)の最初に出てくる「橄欖」の森が「貝ぼたん」に見えたり,孔雀が連想されたりするのと関係がありそうです。
このように,『銀河鉄道の夜』の「橄欖の森」には物語の舞台が北米大陸にも関わらず,我が国の「蛇紋岩」や「橄欖岩」を産出する北上山系(「東北」)の大地が二重写しの風景として立ち現われ,その風景の中に「蝦夷」や「アイヌ」といった「先住民」を象徴する在来種の「杉」がイメージされていました。しかし,このイメージされた「東北」の大地には「先住民」だけでなく,多くの「入植者(移住者)」やその末裔たちも住んでいました。「東北」の大地に先住した「蝦夷」は,奈良や京都に都を置いた「大和朝廷」およびそれに続く歴代の中央政権に対立する「まつろわぬ民」として存在してきました。中央政権にとって「東北」は権力の及ばない別の国であり,「東北」の大地に移住してきた人たちの多くは,両者の対立の中で南からやって来た「大和朝廷」あるいは中央政権側の人たち(近代化をもたらす開拓民)と思われます。中央政権が東北に興味を示したのは,東北に豊かな穀倉地帯があったことと「金」の産地だったからと考えられています。752年に造立された奈良・東大寺の大仏は金メッキされていますが,使われた「金」は陸奥国(今の東北)から産出されたものです。「橄欖の森」が登場する『銀河鉄道の夜』には,東北の「先住民」と「移住者」の対立が物語の根底にあると思われます。
東北の「先住民」と「移住者」の対立は,『銀河鉄道の夜』だけでなく,多くの賢治作品に暗い影を落としています。
例えば,ブログの最初の記事は『烏の北斗七星』を取り上げました。この童話は童話集『注文の多い料理店』に収載された9つの童話の1つです。『烏の北斗七星』は,烏が登場してきますが,東北の「先住民」と奈良や京都に都を置いた大和朝廷の軍との戦い,すなわち三十八年戦争が主要テーマになっています。『烏の北斗七星』(1921.12.10)は,他の童話である『狼森と笊森と盗森』(1921.11)や『注文の多い料理店』(1921.11.10)の約1か月後に創作されました。童話集の広告文には,童話『注文の多い料理店』では「二人の青年紳士が猟に出て路に迷ひ注文の多い料理店に入りその途方もない経営者から却って注文されてゐたはなし。糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感です。」が記載されていました。「放恣(ほうし)」とは勝手気ままで節度がないという意味です。
童話『狼森と笊森と盗森』を「東北」の「先住民」と南から来た「移住者」の衝突を扱った作品とし,童話『注文の多い料理店』が勝手気ままに都会文明を持ってきた「移住者」への反感を扱った作品とすれば,『烏の北斗七星』は「先住民」と「入植者」(あるいは「侵略者」)の戦いとなるのは必然のように思われます。また,悲恋物語でもある寓話『土神ときつね』,『シグナルとシグナレス』も「先住民」と「移住者」の対立が物語の根底にあると考えます。「先住民」と「移住者」の対立は,それぞれの子孫である「村人(農民や狩猟民)」と「町の人」との対立に置き換えることもできます。私は,賢治の恋の破局にもこの対立が関与していると思っています。最近,童話『やまなし』に賢治と恋人の恋の破局が隠されていることを明らかにしました。『銀河鉄道の夜』と『やまなし』に関してはブログで取り上げていますのでご覧ください。
最後に賢治の作品と植物について触れたいと思います。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではありません。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともあります。作品中の植物には,登場する意味が付与されています。賢治作品は難解なものが多いとされています。その難解さは前述した東北の「先住民」と「移住者」の歴史的な対立を考慮すると解けることもあります。しかし,多くの謎が残されたままになっています。本ブログでは,歴史的問題と作品に登場する植物を入念に調べることによって未だ解かれていない謎を解明していきます。
2021.8.28