宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

2024-01-01から1年間の記事一覧

「マグノリアの木」の葉脈(スケルトンリーフ)を用いた三作品

宮沢賢治は約100年前の1923年に『マグノリアの木』という作品を創作している。本稿ではモクレン属(マグノリア)と思われる木の葉をスケルトン化したものを用いてクラフト作品を創作してみたので紹介する。 葉脈(スケルトンリーフ)の着色 ネットで購入した…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 5)-出版を通して世に問うた-

5.詩集『春と修羅 第一集』を出版して理念と命題の正しさを世に問うたが成功しなかった。 賢治は恋愛から宗教情操へ戻ることが正しいという自分の考えを第三者から支持してもらおうとしたと思われる。その一つの手段が「小岩井農場」(パート九)のある著書…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 4)-表紙にあるアザミの紋様が意味するもの-

4.『春と修羅』の表紙にある「アザミ」の紋様は何を意味しているのか 詩「小岩井農場」は大正1922年5月21日の日付が付いているが,パート九の本稿(試論1)での引用部部分がその日に創作されたとは限らない。賢治研究家の杉浦静(1976,1998)によれば,詩…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 3)-万人に適応できるかどうか-

3.賢治の理念と命題は万人に適応できるものかどうかもわからない。 詩「小岩井農場」(パート九)で,賢治は宗教者としての分身の主張を受け入れて「宗教情操→恋愛→性欲という命題は可逆的にもまた正しい」と判断していたが,この命題は物理学的法則のよう…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 2)-正しいと思う賢治の根拠-

2.「宗教情操」と「恋愛から宗教情操への漸移」は正しく「宗教情操から恋愛への漸移」は正しくないとしている根拠はあるのか 賢治が「宗教情操」は正しく,「宗教情操から恋愛への漸移」を正しくないとしているのは「法華経」の教えによるところが大きいと…

個人よりも皆の幸いが優先されるとする詩「小岩井農場」(パート九)の理念は正しいのか(試論 1)-賢治は正しいと思っている-

賢治のように菩薩になりたかった人においては修行の初めに必ず起こす4つの誓いがある。「四弘誓願(しぐせいがん)」と言われているものである。仏教における「純粋な心」での「強い信仰心」は,大乗仏教的には「菩提心」と呼ばれている。さとり(菩提,bodh…

文語詩「敗れし少年の歌へる」考 -賢治は三陸で恋人に向かって謝罪したのか(試論)-

前稿で賢治が大正14年(1925)1月5日から9日にわたって三陸地方に旅行したのは,新しいことを始めるためなどの諸説はあるものの,恋人のいるアメリカにできるだけ近づき,アメリカに渡った恋人と重なる「ハイビャクシン」の前で謝罪するためだった可能性もあ…

詩「暁穹への嫉妬」に登場するハイビャクシンには賢治の恋人が重ねられている

前稿で賢治が詩「暁穹への嫉妬」(1925.1.6)を創作するときに「ハイビャクシン」に似た「ハマハイビャクシン」を見たということを述べた(石井,2024a)。しかし,「ハイビャクシン」にせよ,あるいは「ハマハイビャクシン」だったにせよ,なぜこのような…

賢治は文語詩「敗れし少年の歌へる」に登場する「びゃくしん」を実際に見たのか(2)

前稿で文語詩「敗れし少年の歌へる」に登場する植物は「びゃくしん」であったが,この文語詩の基になった詩「暁穹への嫉妬」には別の植物が記載されていたと述べた。 詩「暁穹への嫉妬」(1925.1.6)の後半部は「ぼくがあいつを恋するために/このうつくし…

賢治は文語詩「敗れし少年の歌へる」に登場する「びゃくしん」を実際に見たのか(1)

「びゃくしん」が文語詩「敗れし少年の歌へる」の「ひかりわななくあけぞらに/清麗サフィアのさまなして/きみにたぐへるかの惑星(ほし)の/いま融け行くぞかなしけれ/雪をかぶれるびゃくしんや/百の海岬いま明けて/あをうなばらは万葉の/古きしらべ…

賢治の詩「敗れし少年の歌へる」の原稿に書き込まれた落書き絵-翼を広げた鳥と魚-(試論 2)

思想家で賢治研究家の吉本隆明(2012)が,1996年6月28日に『賢治の世界』というタイトルで講演したとき,賢治の詩集『春と修羅』第一集は,難解であり「自分と自然とが一体になっちゃって溶け合っている状態を根本に置かないと」理解しがたく,それは「北…

賢治の詩「敗れし少年の歌へる」の原稿に書き込まれた落書き絵-翼を広げた鳥と魚-(試論 1)

本稿は未定稿文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿の余白に書き込まれた「翼を広げた鳥」と「魚」の線画が何であるのかと何のために書いたのかについて考察する。 第1図に「翼を広げた鳥」(A)と「魚」(B)を示す。「翼を広げた鳥」は「さながらきみのこと…

『歯車』の「銀色の翼」が幻視された時代的背景を同世代の賢治の手紙と作品から読み取る (2)

賢治は,「業の花びら」の出てくる詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)を書いた翌年に「生徒諸君に寄せる」という詩を書いている。未完成の詩である。その詩の〔断章五〕には「 サキノハカ・・・・・来る/それは一つの送られ…

『歯車』の「銀色の翼」が幻視された時代的背景を同世代の賢治の手紙と作品から読み取る (1)

前稿で私は『歯車』の主人公の瞼の裏に幻視した「銀色の翼」つまり「イカロスの翼」のようなものが,賢治の幻視した「業の花びら」と同種のものであり,またこれら幻覚が宗教を軽んじたことによる「慢心の罰」によって現れるものであると推論した(石井,202…

『歯車』の主人公と賢治が慢心の罰で幻視したものをまとめてみる (14)

これまで13回に渡って,『歯車』の主人公が暗い瞼の裏に幻視した「銀色の翼」が賢治の夜空に幻視した「暗い業の花びら」と同種のものかどうか比較検討してきた。比較項目は1)幻視したものとその正体,2)罪とその理由,3)罰と罰したもの,4)罰したも…

宮沢賢治の文学は芥川と同じように敗北したか -「敗れし少年の歌へる」から-(13)

芥川龍之介は「銀の翼」を登場させた『歯車』と同じ年に書いた『或阿呆の一生』(1927)の最終章51で自分の生涯を「敗北」とみなした。また,共産党の指導者にもなった宮本顕治は芥川の文学を「敗北の文学」とした(石井,2024a)。一方,賢治は「業の花びら…

賢治の詩「業の花びら」に登場する赤い眼をした鷺は怒っているのか (12)

賢治の詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)の下書稿に「業の花びら」という詩がある。その中に赤い眼をした「鷺」(さぎ)が登場する。本稿ではこの「鷺」の赤い眼が何を意味しているのか考察する。 「夜の湿気が風とさびしくい…

賢治が「業の花びら」を幻視した時期に生じていた慢心について (11)

賢治の詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)で幻視した「業の花びら」は「慢心」の「罰」によるものであることを述べてきた。本稿では賢治の「慢心」がどのようなものであったのかについて考察する。 「慢」を生む原因の1つに成…

賢治の「業の花びら」が出てくる詩〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕の題名の意味 (10)

文語詩「水部の線」(すいぶのせん)の題名である「水部の線」は北上川を指すものだが,農事講話で聴衆に資料として渡したのは石灰岩層が記入された岩手県の地図と思われる。北上川を挟んで「西」にカルシウムの溶脱した酸性不良土のある平野部を「東」に石…

賢治が幻視した「業の花びら」の正体は慢心の罰で失ってしまった一番大事なもの (9)

賢治は,「業の花びら」を幻視した5か月前に「アイヌ」の〈鬼神〉も幻視している。詩集『春と修羅 第二集』の「〔日はトパースのかけらをそゝぎ〕」(1924.5.18)に登場する。 詩は「日はトパースのかけらをそゝぎ/雲は酸敗してつめたくこごえ/ひばりの群…

賢治が「業の花びら」を幻視したときの罪と罰 (8)

次に,賢治の「罪」と「罰」について再度考えてみたい。 賢治は詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)で「業の花びら」を幻視し,「わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえている」(下線部は引用者,以下同じ…

晩年の芥川のぼんやりとした不安-敗北の文学-(7)

芥川は自死する2か月前に書いた『或旧友へ送る手記』(1927.7)で,「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた」ことと,その理由が「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」であったことを記していた。 後に共産党の指導者になる宮本顕治…

人工の翼を付けた『歯車』の主人公を落下させたのは誰か,シルクハットを被った天使か (6)続き

また,「白」は空を飛んでくる〈天使〉の「白い翼」を〈僕〉に連想させているように思える。なぜ〈天使〉の「白い翼」なのか,また,それが〈僕〉に恐怖なのかというと,『歯車』と同時期に書かれた『或阿呆の一生』(40 問答)(1927 遺稿)に登場する「誰…

人工の翼を付けた『歯車』の主人公を落下させたのは誰か,シルクハットを被った天使か(6)

私は,前稿で芥川の『歯車』(1927)と賢治の詩「「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)に認められる「罰」は両者とも「慢心」により「神」を軽視した「罪」による「神罰」である。と述べた。しかし,『歯車』の主人公が受けた「神…

『歯車』の主人公が受けた罰は神によるものか (5)

本稿では,前稿3)の課題,つまり『歯車』の主人公が受けた「罰」が「神罰」であったのかどうか検討してみたい。ここで問題にする「罰」とは身体的,精神的,社会的,経済的な「罰」ではなく,神,仏,天など目に見えない超自然の力による「罰」のことであ…

『歯車』の主人公は慢心を罪として自覚したか (4)

芥川の切支丹物である『るしへる』(1918)に「七つの恐しき罪に人間を誘さそう力あり,一に驕慢(きょうまん),二に憤怒(ふんぬ),三に嫉妬(しっと),四に貪望(とんもう),五に色欲,六に餮饕(てっとう),七に懈怠(けたい),一つとして堕獄の悪…

『歯車』の主人公はイカロスのように慢心の罪を犯し飛翔しようとしたのか,人工の翼とは知識のことか-(3)

前稿で『歯車』の主人公〈僕〉が見た「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」(銀色の翼)とは,「慢心」により神の「罰」を受けて海中に落下してしまったイカロスが付けていた「人工の翼」のようなものであると述べた。本稿では『歯車』の主人公が幻視した「銀…

『歯車』の主人公が幻視した「銀色の翼」はイカロスの翼か (2)

「銀色の翼」を幻視したのは〈僕〉が以前に乗ったことのある自動車に付いていた「ラジエーター・キャップの翼」と関係があるように思える。『歯車』には,〈僕〉が「銀色の翼」を幻視し後に「僕はふとこの間乗つた自動車のラデイエエタア・キヤツプにも翼の…

芥川龍之介の『歯車』の主人公が幻視したもの-「歯車」と「銀色の翼」- (1)

宮沢賢治は大正13年(1924)に「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)という短い詩を創作した。夜の湿気と風がさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから…

宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(4)-教え子である柳原昌悦への手紙から-

前稿で詩「業の花びら」に記載されている「暗い業の花びら」は「慢心という業の報い(罰)を受けたときに現れる幻の花びらのこと」であると推論した。しかし,多くの賢治ファンは,菩薩に成りたかった賢治に「慢心」(傲慢)が生じることを認めたくないであ…