宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

芥川龍之介の『歯車』の主人公が幻視したもの-「歯車」と「銀色の翼」- (1)

宮沢賢治は大正13年(1924)に「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」(1924.10.5)という短い詩を創作した。夜の湿気と風がさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえてゐる(宮沢,1985;下線は引用者)というものである。私は,以前この詩にある「暗い業の花びら」が,「慢心という業の報い(罰)を受け卑小なものになったときに現れる幻の花びら」であることと,およびフランスの詩人であるボードレールの『悪の華』の第一章に記載されている「傲慢の罰」という詩に類似していることを述べたことがある(石井,2024)。

 

実はそのとき,私はボードレールの作品意外に賢治と同世代の作家・芥川龍之介(1897~1927)の作品も思い浮かべていた。芥川が自死する3ヶ月前に書いた『歯車』(遺稿)である。執筆期間は1927年3月23日から4月7日とされている。この小説に登場する主人公〈僕〉(=芥川?)には激しい頭痛がしているとき暗い瞼の裏に「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」を幻視している。私には,この「銀色の翼」が賢治の見た「暗い業の花びら」と似ていると感じていた。しかし,『歯車』は賢治の詩「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の3年後に書かれていたこともあり,賢治が芥川の『歯車』を読むことは考えられないので前ブログでは取り上げなかった。

 

でも,あまりにも似ていると思えたので,本稿では,『歯車』の主人公が暗い瞼の裏に見た「銀色の翼」が賢治の夜空に見た「暗い業の花びら」と同種のものかどうか確認することにした。また,大正を生きた知識人・芸術家たちの共通の問題(時代病)が浮き彫りになるかもしれないと思ったからである。

 

『歯車』の最終章である6章(飛行機)で「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」つまり「銀色の翼」は以下のように記載されている。

 

何ものかの僕を狙ってゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮(さ)へぎり出した。僕は愈(いよいよ)最後の時の近づいたことを恐れながら,頸すぢをまっ直(すぐ)にして歩いて行った。歯車は数の殖えるのにつれ,だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま,丁度細かい切子(きりこ)硝子を透すかして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ,何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかった。……

 三十分ばかりたつた後,僕は僕の二階に仰向けになり,ぢっと目をつぶったまま,烈しい頭痛をこらへてゐた。すると僕の瞼(まぶた)の裏に銀色の羽根を鱗(うろこ)のやうに畳んだ翼が一つ見えはじめた。それは実際網膜の上にはっきりと映ってゐるものだった。僕は目をあいて天井を見上げ,勿論何も天井にはそんなもののないことを確めた上,もう一度目をつぶることにした。しかしやはり銀色の翼はちゃんと暗い中に映ってゐた。僕はふとこの間乗った自動車のラディエエタア・キャップにも翼のついてゐたことを思ひ出した。……

 そこへ誰か梯子段を慌(あわただ)しく昇って来たかと思ふと,すぐに又ばたばた駈け下りて行った。僕はその誰かの妻だったことを知り,驚いて体を起すが早いか,丁度梯子段の前にある,薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突っ伏したまま,息切れをこらへてゐると見え,絶えず肩を震はしてゐた。

「どうした?」

「いえ,どうもしないのです。……」

 妻はやつと顔を擡(もた)げ,無理に微笑して話しつづけた。

「どうもした訣(わけ)ではないのですけれどもね,唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」

 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠ってゐるうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

(芥川,2004)下線は引用者 以下同じ

 

 

この引用文で,主人公である〈僕〉は,最後の時の近づいたことを恐れながら,瞼の裏に確かにはっきりと見える「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」を見るのだが,その前に半透明の「歯車」も見ている。

 

この「歯車」は後に見ることになる「銀色の翼」と密接に関係しているかもしれないので,本題に入る前に若干の考察を加えておく。

 

半透明の「歯車」は「何ものかの僕を狙っている」という被害妄想から不安と共に惹起され,〈僕〉の瞼の裏に出現してくる。この「歯車」は次第に数を増やし,廻り始めるが,暫くすると頭痛が生じるようになる。病理学的には閃輝暗点(せんきあんてん)と言われているものである。

 

2010年の104回医師国家試験でも,『歯車』の文章の一部が引用され,この小説に出て来る「歯車」の関与する疾患名が問われた。医師国家試験では,初めての病跡学的要素を含んだ出題だったことで注目された。この問題の答えは偏頭痛である。日本頭痛学会は次のように解説している。この症例は,「国際頭痛分類 第2版(ICHD-Ⅱ)「1.2 前兆のある片頭痛」と考えられます。片頭痛前兆のうち,視覚症状,感覚症状,失語性言語障害の3つを典型的前兆といいますが,本症例の「絶えずまわっている半透明の歯車」は視覚性前兆と考えられます。典型的な視覚性前兆は,同名性,すなわち,視野の左右どちらか一方に出現することが多く,「半ば僕の視野を塞いでしまう」というのも,左右どちら側かは書かれていませんが,恐らく同名性の視覚症状を示していると考えられます。」とある(日本頭痛学会HP)。

 

また,前兆症状は,「キラキラした光,ギザギザの光が視界にあらわれ見えづらくなる(閃輝暗点)といった視覚性の症状が最も多く(90%以上)。通常は,前兆が560分続いた後に頭痛が始まります。」(日本頭痛学会HP)とある。ネットで閃輝暗点を経験した人が自分のものをスケッチ図にして公開している。

 

『歯車』で〈僕〉が幻視した「歯車」は作者である芥川も実際に見ている。芥川は詩人で医師でもある斎藤茂吉に『歯車』執筆中の3月28日に手紙を出している。その中に「この頃又半透明なる歯車あまた右の目の視野に廻転する事あり」と記している。

 

では,「歯車」の後に見えたもう1つの「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」の正体について考えてみる。この「銀色の翼」は〈僕〉の暗い瞼の裏にはっきりと見え,また頭痛が生じているときに見え始めるので,偏頭痛の視覚性前兆に分類される閃輝暗点とは異なるものと思われる。多分,頭痛とは直接的には関係していない。つまり,瞼の裏に見える「銀色の翼」を解剖学,生理学,病理学で説明することは難しいように思える。多分,心理学的あるいは創作を含めて文学的なアプローチが必要なのかもしれない。

 

『歯車』の〈僕〉には「銀色の翼」は瞼の裏にはっきりと見えているが,この「銀色の翼」が瞼の裏に実際に存在しているわけではない。目を閉じても見えるので幻覚である。しかし,ここで指摘しておかなければならないことがある。それは作者が「銀色の翼」を「実際網膜の上にはっきりと映ってゐるものだった」と言っていることである。「網膜の上」という表現は適切ではないように思える。網膜に映っているなら瞼の裏や外部に実在する対象物がなければならないからである。当時の眼科学のレベルがどのようなものであったか解らないが,芥川の誤解である。多分,はっきりと実在するように見えたということが言いたかったのだと思われる。ちなみに,瞼の裏に見えるという視覚性前兆の「歯車」(閃輝暗点)も幻覚である。「歯車」も網膜上に映っているのではない。視覚性前兆のある偏頭痛患者では前兆出現時か対側後頭葉皮質の血流が低下することが知られている(頭痛の心療ガイドライン 2021)。「歯車」が見えるという幻覚もこの脳の血流変化と関係しているかもしれない。ただ,「銀色の翼」の発現メカニズムは解らない。(続く)

 

参考・引用文献

芥川竜之介.2004.歯車 他二編.岩波書店.

石井竹夫.2024.宮沢賢治の詩に登場する「暗い業の花びら」の意味を明らかにする(3)-ボードレールの「悪の華」との類似点から-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/01/19/095659

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

日本頭痛学会HP.2024(調べた日付).https://www.jhsnet.net/kensyui_quiz_02.html

頭痛の心療ガイドライン.2021.https://www.jhsnet.net/pdf/guideline_2021.pdf