宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

賢治の詩「敗れし少年の歌へる」の原稿に書き込まれた落書き絵-翼を広げた鳥と魚-(試論 2)

 

思想家で賢治研究家の吉本隆明(2012)が,1996年6月28日に『賢治の世界』というタイトルで講演したとき,賢治の詩集『春と修羅』第一集は,難解であり「自分と自然とが一体になっちゃって溶け合っている状態を根本に置かないと」理解しがたく,それは「北方的なんですよね。要するに東北的であったり,蝦夷的であったり,もっと言えばアイヌ的であったりというように,いずれもアジア的な社会になる前の日本列島に存在した人たちの感覚というのに大変よく似ている」とし,さらに詩集『春と修羅』第一集が「蝦夷的」であったり,「アイヌ的」であったりするのは「北方」への関心が強かったからと述べていた。

 

賢治研究家の秋枝美保(2017)も,賢治の寓話『土神ときつね』と詩集『春と修羅』の「いかりのにがさまた青さ」という詩句がある詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)の内容が知里幸恵(1978)の訳した『アイヌ神謡集』の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」と似ているところがあるということを報告している。共通点は「怒り」あるいは「焦燥」だという。『土神ときつね』は,大正11年(1922)年後半から12年(1923)中に書かれたとされている。詩「春と修羅」は1922年4月8日の日付がついているが,秋枝は詩集『春と修羅』が1924年4月出版であり,樺太旅行の体験なども踏まえて,それまでの心象スケッチを描き直したり,新たに書き込みを加えたりしたと推測している。つまり,賢治は『アイヌ神謡集』を読んだ可能性が高い。

 

私は童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿;1923)もこの『アイヌ神謡集』の出版直後なので,この神謡集を参考にした可能性も高いと思っている(石井,2021a)。 

 

神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」は5番目に記載されているが,1番目に記載されている神謡「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」を読むと,『銀河鉄道の夜』(第一次稿)の「高原のインディアン」と「バルドラの野原の一匹の蠍」の逸話と類似していることがわかる。「梟(ふくろう)」は,『銀河鉄道の夜』の第四次稿の「四,ケンタウル祭の夜」で時計屋の「赤い眼」の置物としても登場する。また,“銀の滴降る降るまわりに”という歌は,「ケンタウル露を降らせ」にも通じる。

 

『銀河鉄道の夜』の第三次稿では,ジョバンニの父は密漁船に乗っていて「アザラシ」や「ラッコ」を獲っていて,「サケ」の皮で作った「靴」をお土産に持ってくる。これらは北海道や樺太の「アイヌ」と呼ばれた人達が13世紀(アイヌ文化期あるいはニブタニ文化期)以降に実際に狩りの対象にしていた動物であり,また生活用具である。多分,賢治は北海道の先住民族である「アイヌ」をイメージしてジョバンニの家族を描いている(石井,2021d)。

 

多分,「滅びる鳥の種族」とは滅び行く民族が残した『アイヌ神謡集』の「梟の神の自ら歌った謡“銀の滴降る降るまわりに”」に出てくる「梟」と関係すると思われる。この「梟」は「シマフクロウ」である。

 

「シマフクロウ」(Bubo blakistoni)はフクロウ科ワシミミズク属で,日本では北海道のみに生息し,全長66~69cm,翼開長180cmに達する,日本最大のフクロウである(Wikipedia)。ワシミミズクに属するので「ミミズク」の仲間である。「ミミズク」はフクロウ科のうち「羽角」(うかく,いわゆる「耳」)がある種の総称である。羽角」は頭部の両橋に耳のように見える飾り羽のこと。機能は不明である。第3図はシマフクロウの剥製写真である。

 

第3図.シマフクロウ(苫小牧市美術博物館内で撮影).

 

1900年頃,「シマフクロウ」は北海道全域に生息していた。その数は1000羽以上とも言われている。やがて天然林伐採と人工林化,農地開発などによって生息適地は減少し,1970年代には約70羽まで減少し,絶滅が危惧されることになった。(Wikipedia)。ただ,東北に「シマフクロウ」が過去に棲息していたかどうかは解らない。

 

賢治は,理由はよく解らないが,「シマフクロウ」のように頭に耳のような突起を持つものに強い関心を寄せている。詩集『春と修羅』の「蠕虫舞手」(1922.5.20)の「蠕虫」にも耳が付いている。この詩には「赤い蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は/とがつた二つの耳をもち/燐光珊瑚の環節に/正しく飾る真珠のぼたん/くるりくるりと廻つてゐます」とある。生物界に耳の付いた蠕虫(アンネリダ)など存在しない。架空の生きものである。私はこの「とがつた二つの耳をもち/燐光珊瑚の環節に/正しく飾る真珠のぼたん」を付けているのは婚約指輪を付けた恋人の左薬指をイメージしたものと思っている。二つの耳は恋人の指先の「ささくれ」であろう。恋人は家業の蕎麦屋を手伝っていて手が荒れていた。

 

北方民族と関係するものとして「手宮文字」がある。賢治の詩集『春と修羅』の詩「雲とはんのき」(1923.8.31)に出てくる。この詩には「(ひのきのひらめく六月に/おまへが刻んだその線は/やがてどんな重荷になつて/おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)/ 手宮文字です 手宮文字です」とあるある。

 

「手宮文字」は,小樽市近郊の凝灰岩が露出している「崖の下」の「洞窟」の壁に刻まれた線刻画のことで,北海道の「先住民」が残したものとされている。この壁画のようなものは,沢山の「頭に角(つの)を持つ人物」あるいは秋田の男鹿半島の「なまはげ」のような「角のある面を付けた人物」に見える(第4図A)。この手宮文字の線刻も恋人と関係する(石井,2021c)。賢治は「手宮文字」と似たようなものを水彩画で描いている(第4図B)。

 

第4図.A:手宮文字(「おたるぽーたる」より),B:賢治の水彩画(佐藤,2000).

 

「アイヌ」は「蝦夷(エミシ)」と同様に文字を持たない無文字社会に生きていたため,「シマフクロウ」をどのように呼んでいたのか,詳しいことは解っていない。 江戸時代に著された禽類図譜や物産志,蝦夷地の探検録や紀行文などから「シマフクロウ」を意味するアイヌ語を拾い出すと,「メナシチカフ(東の鳥)」や「カムイチカフ(神鳥)」と,またアイヌ民族の出身であり,言語学者であった知里真志保(1909~1961)によれば,カムイチカプ kamuychikap(神である鳥),カムイエカシ kamuy-ekasi(神・翁),コタンコルカムイ kotan-kor-kamuy(村を守護する神)などと呼ばれていた(長谷川,2024)。つまり,「シマフクロウ」は「アイヌ」にとって「神の鳥」,あるいは「村を守る神」と呼ばれていた。

 

また,知里真志保とも交流があり,アイヌ文化研究家であった更科源蔵(1904~1985)も,「神様のなかでシマフクロウが一番偉い神様である。」と言っている。飼育中のシマフクロウフに間違いがあると悪い災いが起こる(コタン生物記)。フクロウ送りに婦女子は参加しない・フクロウ送りをした後,1 年間はクマ狩りをしない。「シマフクロウ」に不敬な振る舞いをすると罰がくだると言われている(コタン生物記Ⅲ)。賢治も恋人に不敬な振る舞いをしたと思われる(石井,2024ab)。前稿の第2図は「シマフクロウ」と思われる鳥が人間に危害を加えられている。

 

第1図をよく見ると,前述したが「翼を広げた鳥」は尾羽を上げているように見える。求愛行動の一つであろうか。また,嘴辺りからから舌のようなものが長く伸びている。これもよく解らない。恋人に不敬な振る舞いをしたことで「あっかんべー」でもされたのかと思ったりもする。「あっかんべー」は相手に向かって下まぶたを引き下げ,赤い部分を出して侮蔑の意をあらわす身体表現。現在では多くの場合,舌を出すことを伴い,時として舌を出すことそのものを指すと受け取られることもある。「赤い目」の転訛としている(Wikipedia)。

 

つまり,文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿の余白に書き込まれた「翼を広げた鳥」は「アイヌ」の神である「シマフクロウ」で,賢治の恋人を象徴している可能性が高いと思われる。この鳥が角のような耳を持ち,舌を出しているのなら,その鳥が投影されている恋人は破局でかなり怒っていたと思われる(石井,2024b)。

 

賢治はこれらの絵以外にも耳のようなものを付けた鳥を原稿用紙に描いている。第5図に示すものは「月を背にしたミミズク」と呼ばれているものである。これも「シマフクロウ」の可能性が高い。なぜなら,「月」も恋人を象徴するものとして使われるからである(石井,2022a)。

 

第5図.月を背にしたミミズクの戯画.校本宮沢賢治全集14巻から引用.

 

YAHOO JAPAN知恵袋(2014.4.6)に賢治の文語詩「敗れし少年の歌へる」に描かれている鳥のような落書きはどんなものかという質問があったとき,ベストアンサーになったのが第5図の「月を背にしたミミズク」であった。答えた人もそれを選んだ人にも誤解があったような気がする。正解は校本宮沢賢治全集の編集者が「敗れし少年の歌へる」の落書きは魚3つと鳥と言っているので前稿の第1図Aの鳥である。

 

ただ,研究者によっては第5図の木の枝に止まっている鳥を「フクロウ」と見做さない者がいる。両方の「趾」(あしゆび)が6つ見えるからである。鳥の趾は第1趾(後趾),第2趾(内趾),第3趾(中趾),第4趾(外趾)の4つある(両趾で8つ)。鳥は種類により,趾の形が異なる。「フクロウ」は可変対趾足(かへんたいしそく)の形になる。可変対趾足は,平らなところでは「三前趾足」の形であるが,木などを掴むときは第4趾が後方を向き「対趾足」の形となる。つまり,趾のうち第2趾・第3趾の2本が前方を向き,第1趾・第4趾の2本が後方を向く。つまり,「趾」は前から見れば4つ見えるはずである。第1趾と第4趾は人の親指と薬指に相当する。賢治の書いた鳥は「三前趾足」の形で枝を掴んでいるので「フクロウ」とすれば矛盾する。しかし,耳のようなもの(羽角)に注目すれば「ミミズク」あるいは「シマフクロウ」のような「フクロウ」と思われる。「フクロウ」は死ぬと「趾」は「三前趾足」の形になると言われている。賢治は北海道旅行したときに白老や博物館を訪れているので「シマフクロウ」などの「フクロウ」の木に止まる剥製を見たのかも知れない。第4図は北海道の博物館で撮影した剥製の「シマフクロウ」である。黒いパイプに止まらせているが片方の「趾」を前から見ると第2趾,第3趾とともに第4趾も見える。 

 

文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿の余白には「魚」も描かれていた(第1図B)。賢治は自分たち一族を魚と考えていたように思える。恋人が先住民の末裔あるいは滅びる鳥の種族に類似しているなら,賢治は移住者の末裔あるいは渓流魚の種族と類似している。「アイヌ」を象徴する「シマフクロウ」は絶滅危惧種であり,渓流魚には移植・放流により外部から移入されたものが少なくないからである。童話『やまなし』に登場する「魚」は移住者の末裔である賢治が投影されている(石井,2021b)。

 

賢治は,昭和5年(1930)頃に文語詩を作るにあたって自身の年譜(「文語詩篇ノート」)を作成している(宮沢,1985)。1922〜1924年までの恋人との恋と破局が記されるはずのページに本編では「この群の何ぞ醜き(26頁)」や「<石投げられし家の息子>(27頁)」という文字が書き込まれていた。また,ダイジェスト版では1921年以降は空白(49頁)になっていた(1922〜1924年の間の書簡類もほとんど残されていない)。さらにその次の頁(50頁)では,同じような文字が繰り返し書きなぐられ一面まっ黒になるほど字で埋め尽くされていた。繰り返されている言葉は,第1に「人にしられず来る」,第2に「岩のべに小猿米焚く米だにもたげてとふらせ」,第3に「これやこの行くもかへるもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」の3つである。落書きのように書きなぐられた文字を解析すると,これらの文字が恋人と賢治の出自を意味していることが明らかになる(石井,2022b)。つまり,文語詩「敗れし少年の歌へる」の原稿余白に書き込まれた「鳥」や「魚」も破局の原因の一つともなった恋人と賢治の出自を意味していると思われる。

 

賢治は破局して去って行った恋人が脳裏に浮かぶと恋人を象徴するものを書かずにはいられなくなるのかもしれない。

 

参考・引用文献

秋枝美保.2017. 宮沢賢治を読む-童話と詩と書簡とメモと-.朝文社.東京.

長谷川 充.2024(調べた年).シマフクロウとアイヌ民族 ~アイヌの人びとはシマフクロウとどのように関わってきたか~.https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1813.pdf

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/173753

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-カムパネルラの恋(3).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/185556

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宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.東京.