宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『ガドルフの百合』考(第6稿)-賢治は本当に〈恋〉よりも〈宗教〉の方を重要と考えたのか

童話『ガドルフの百合』を読むと,恋人は両家の近親者達から繰り返し反対されても,賢治について行こうとしていた様子がうかがえる。この童話に記載されている言葉を借りれば,ガドルフ(賢治)は,背の高い「白百合」(恋人)が,雷光を伴う嵐(結婚に対する近親者達の組織だった猛烈な反対行動)で折れても地表に倒れた(身を引く)のではなく,「ケヤキ」の樹幹(自分)に付く「しのぶぐさ(ノキシノブ)」の葉(自分の腕)に横たわる(すがってくる)「百合」(恋人)を見ていた。これは,詩〔古びた水いろの薄明窮のなかに〕の「恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで・・・・」という最後の話し合いをするために賢治の居る寄宿舎を訪れた恋人にも繋がるものがある。写真(第1図)は樹幹に付くノキシノブとヤマユリ。

第1図.左は樹幹に付くノキシノブで右はヤマユリ

 

この恋人の強い決意は,信号機や電信柱を擬人化した寓話『シグナルとシグナレス』にも書き留められているようにも思える。シグナル(賢治)はシグナレス(恋人)に婚約指輪として「琴座」の環状星雲(フィッシュマウスネピュラ)を送る。シグナレスも,シグナルの求愛に「あたし決して変らないわ」と答えている。さらに,シグナルは両家の近親者達の組織だった猛烈な反対に遭ったとき,シグナレスに「遠くの遠くのみんなの居ないところに行ってしまひたいね」と駆け落ちも辞さない決意を語り,シグナレスもまた,「えゝ,あたし行けさへするならどこへでも行きますわ」とどこまでも一緒にいく覚悟を決めていた。佐藤(1984)によれば,レコート鑑賞会に参加していた恋人の親友も,この鑑賞会で恋愛をしていたという。そして親友もまた周囲の猛反対を受けたが,果敢にも相手と一緒に遠く函館に逃避行したという。しかし,童話の中のシグナルとシグナレスも,現実世界の中の賢治と恋人も結ばれることはなかった。

 

そして,ガドルフ(あるいは賢治)も,「まなこを庭から室の闇にそむけ,丁寧にがたがたの窓をしめて(恋人の思いを受け取らず),背嚢のところに戻っていく(みんなの幸せを求めて旅立つ)」ことになる。

 

ガドルフ(あるいは賢治)は,恋人から〈信頼(愛)〉されていると感じているのにも関わらず,雷雨に遭遇した(近親者達から反対された),あるいは自分に薬王菩薩が乗り移ったという理由だけで諦めて〈信仰〉を重視する方向に向かうということはあるのだろうか。あるとしたら,この理由には「まなこを庭から室の闇にそむけた」の「闇」が関係していると思われる。

 

この「闇」は,一つには前述したように「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」の「中」にあることから「クジラの頭」の「中」にある。筆者は,この「クジラの頭の中」が,侵略者である大和朝廷から続く歴代の中央政権(あるいはそれに従う「移住者」)に対する「先住民」の「疑い」と「反感」の共同体意識(共同幻想)を意味しているものと思っている(石井,2018a)。

 

これは,「先住民」にとっては「無意識」の中に封じ込められているものでもある。『春と修羅 詩稿補遺』の詩「境内」では,酒に酔った農民(先住民)に馬鹿にされた賢治が「あのぢいさんにあすこまで/強い皮肉を云はせたものを/そのまっくらな巨きなものを/おれはどうにも動かせない/結局おれではだめなのかなあ」とつぶやく場面がある。すなわち,ガドルフ(あるいは賢治)にとって,「先住民」と中央政権(「移住者」)の歴史的対立を解消するのは,自分の能力をはるかに越えるものであったと思われる。

 

しかし,ガドルフは人知が及ばない雷雨の襲来を止めることはできなくても,別の言葉で言い換えれば両家の歴史的対立を解消できなくても,折れた「丈の高い白百合」を持ち去ることはできたはずである。だが,ガドルフは,折れずに「勝ち誇った」一群れの「白百合」を見ながらも,折れて「しのぶぐさ」に横たわる「丈の高い白百合」を持ち去ることはしなかった。ガドルフは,一人の女性も幸せにできずに,あるいは傷つき自分の腕の中に飛び込んできた女性を放置して「みんなの幸せ」を求めて旅立つことに納得したのであろうか。それは考えにくい。ガドルフに駆け落ちができないのは,彼自身の「頭の中」に,歴史的対立以外にもう一つ別の解決不可能な「闇」があるからではないのか。しかし,この「闇」についてこの物語は何も語っていない。

 

多分,ガドルフは〈恋〉を諦めて〈信仰〉を選んだという自分の決断に対して決して納得はしていなかったと思われる。それは,最後の1行に「ガドルフはしばらくの間,しんとして斯う考へました。」と記載しているからである。すなわち,この決断に至ったガドルフの気持ちは一時的なものであり,その後,ガドルフの気持ちが変わっていくことが予言されている。童話の終わり方からすればそのように読める。

 

これは,賢治の相思相愛の〈恋〉にも言えるように思える。恋人は,破局後に渡米し3年後に亡くなるが,賢治はそのあと生涯にわたって恋人が自分から離れていったことに悩み,悔やみ,後悔することとなった。なぜ,そのようなことが言えるのか。恋人が渡米した年(1924.6.14)に,決着したはずの〈恋〉か〈宗教〉かの葛藤が,引き続き詩集『春と修羅』の「韮露青」や『銀河鉄道の夜』の中で語られることになるからである。

 

鉛筆で書かれた「韮露青」(1924.7.17)の最後を締めくくる4行には「かなしさは空明から降り/黒い鳥の鋭く過ぎるころ/秋の鮎(あゆ)のさびの模様が/そらに白く数条わたる」と記載されている。この詩の「秋の鮎のさびの模様」がアユの繁殖期の雄の体表にでる細長い帯状の「赤茶色」(さび色)の「婚姻色」(錆鮎という)のことである。「婚姻色」は,通常「縞模様」になる。「韮露青」の中の「婚姻色」は帯状で「縞模様」にはならないが,この帯状の「白い雲」が数条渡ると言って「縞模様」を形成させて詩を結んでいる。ここで重要なのは,「縞模様」が性的な意味合いが強い「赤」から聖なる「白」に変わっていることである。

 

この詩は,死んだ妹への挽歌であるとともに,相思相愛の恋人との離別歌でもある(石井,2017)。妹個人への恋愛感情にも近い思いあるいは一緒になりたかった恋人への強い思いを大乗仏教の理念(苦の中にある全ての生き物を救う)に昇華させようと歌ったものである。しかし,この詩は,「しばらくの間,しんとして斯う考へました。」と同様な詩句が最後に加えられることはなく,全文が消しゴムで消されることになる。まさに賢治は,「心象スケッチ」がもつ宿命たる「不確実性」を認識せざるを得なかったのだと思われる。また晩年の童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)では,恋人と駆け落ちできなかった理由が,カムパネルラの「母」への思いとして,あるいは難破船の青年が「女の子」を救命ボートに乗せることができなかった理由の一つとして語られているように思える(石井,2018b,2018c)。

 

すなわち,賢治は,〈恋〉か〈宗教〉かの選択では生涯迷い続けていたと思われる。死の間際に,「作品はどうするのか」という父の問いに対して,「あれは,みんな,迷いのあとですから,よいように処分してください」と答えたという逸話も残されている。 

 

まとめ

童話『ガドルフの百合』は,〈恋〉か〈宗教〉かの選択を主要なモチーフにしているものである。本稿は6つの謎(疑問点)に関して,物語に登場する植物(楊,白百合,しのぶぐさ,名前が明かされない木)を詳細に検討することによって筆者なりの回答を示した。

 

第1に,「曖昧な犬」とは東北の先住民であった「アイヌ」あるいは「蝦夷(エミシ)」のことである。「屋根の稜が五角」の「巨きなまっ黒な家」は,「クジラの頭」ことで,古代に「蝦夷(エミシ)」が先住していた東北の胆沢地方で大和朝廷が蝦夷征討のために築いた胆沢城がイメージされている。

第2に,ガドルフには賢治が投影されている。「百合の花」に喩えた賢治の恋人は,『春と修羅』執筆時の相思相愛になった女性がイメージされている。

第3に,嵐で折れて「しのぶぐさ」の上に横たわる「百合」とは,反対されても賢治について行こうとする恋人がイメージされている。

第4に,文末の「俺の百合は勝ったのだ」の「百合」は,「勝ち誇った百合の群れ」ではなく,ガドルフの脳裏に浮かぶもう一群れの幻覚とも思える「貝細工の百合」である。「貝細工の百合」は法華経への信仰を意味する。

第5に,夢の中で争う二人の男は,東北に侵攻してきた朝廷側の男(坂上田村麻呂)と朝廷に「まつろわぬ民」として最後まで抵抗していた先住民側の男(アテルイ)がイメージされていると思われる。賢治と相思相愛の恋人との恋は,京都に都を置く朝廷側と東北の「先住民」の歴史的対立が原因の一つとなって破局したことが示唆されている。

第6に,この物語は,文末でガドルフが〈恋〉よりも〈宗教〉を選んだかのように結論づけられているが,最後の「しばらくの間,しんとして斯う考へました。」という1行でガドルフの決断は一時的な「迷い」から生じたということが示唆されている。多分賢治は,〈恋〉か〈宗教〉かの選択では生涯迷い続けていたと思われる。

 

参考文献                 

石井竹夫.2017.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するケンタウルス祭の植物と黄金と紅色で彩られたリンゴ(前編・中編・後編).人植関係学誌.16(2):21-37. https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/19/150445

石井竹夫.2018a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋(前編・中編・後編)-.人植関係学誌.17(2):15-32.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705

石井竹夫.2018b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-ケヤキのような姿勢の青年(前編・後編)-.人植関係学誌.18(1):15-23.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2018c.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-リンドウの花と母への強い思い-.人植関係学誌.18(1):25-29.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/03/184442

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.東京.

 

本ブログは,宮沢賢治研究会発行の『賢治研究』146号16-30頁2022年(3月31日発行)に掲載された自著報文「植物から『ガドルフの百合』の謎を読み解く-宗教と恋のどちらがより大切か(下)-」(投稿日は2020年6月1日 種別は論考)に基づいて作成した。ブログ題名は(下)をさらに第4稿と第5稿と第6稿の3つに分けているので変更した。また,ブログ掲載にあたり一部内容を改変した。

 

賢治と恋人との恋の顛末は寓話『シグナルとシグナレス』で詳細に記載されているように思われる。当ブログでは「シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-」で解説した。https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

また,本ブログテーマと関連するものとして以下の記事も書いている。「自分よりも他人の幸せを優先する宮沢賢治 (3)-それによって築いたものは蜃気楼にすぎなかったのか-」https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/03/085451