宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話の「やまなし」の実が「横になって木の枝にひっかかってとまる」とは何を意味しているのか

童話『やまなし』の第一章「五月」は,谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉とあとから谷川にやってきた〈魚〉の悲恋物語りである。〈魚〉は〈かはせみ〉によって谷川から連れ出され,「樺の花」は散って川下へ流れさった。〈魚〉には賢治が,〈クラムボン〉や「樺の花」には背が高かった恋人が投影されている(石井,2021a,2021d)。谷川(=イーハトヴ)の〈魚〉(=賢治)と〈クラムボン(恋人)〉の恋は引き裂かれてしまった。

 

第二章「十二月」では谷川に「ドブン」と落ちた「やまなし」の果実は沈み,浮き上がり,流れて,横になって木の枝にひっかかってとまり,再び沈むという複雑な動きをする。この複雑な「やまなし」の実の動きは,引き裂かれたことによる恋人の心の動きが反映されているように思える。最後の「再び沈む」という動きは破局が決定づけられたときの恋人の深い悲しみが表現されていることについてはすでに述べた(石井,2022a)。ちなみに,「やまなし」は東北で「やまなす」と発音する。「やまなす」には賢治の恋人の名前の二文字が隠されているという(澤口,2018,石井,2021)。

 

「再び沈む」が恋人の深い悲しみなら,その前の「横になって木の枝にひっかかってとまる」(第1図)というのも何か特別な意味が隠されているように思える。本稿では「やまなし」が「横になって木の枝にひっかかってとまる」というのが,何を意味しているのかを同時期に書かれた他の作品の類似表現を参考にして推測してみる。

第1図.「やまなし」の実が横になって谷川の木の枝にひっかかって止まっている様子(イメージ図).

 

「横になって木の枝にひっかかってとまる」と類似した表現は,童話『ガドルフの百合』(1923)と童話『銀河鉄道の夜』の第3次稿(1926)と第4次稿(1931)に見られる。

 

童話『ガドルフの百合』は,主人公のガドルフが旅の途中で嵐に遭遇して1軒の大きな黒い家に雨宿りする物語である。その家の庭には10本ばかりの百合に混じって1本の背の高い〈百合の花〉が咲いている。ガドルフは嵐の中で咲く1本の〈百合の花〉をみて「おれの恋は,いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ」と願っている。しかし,ガドルフはこの〈百合の花〉が稲光に打たれて折れて「しのぶぐさ」の上に横たわるのを見ることになる。

 

 その次の電光は,実に微(かす)かにあるかないかに閃(ひら)めきました。けれどもガドルフは,その風の微光の中で,一本の百合が,多分たうとう華奢(きゃしゃ)なその幹を折られて,花が鋭く地面に曲ってとゞいてしまったことを察しました。

 そして全くその通り稲光りがまた新らしく落ちて来たときその気の毒ないちばん丈の高い花が,あまりの白い興奮に,たうとう自分を傷つけて,きらきら顫(ふる)うしのぶぐさの上に,だまって横はるのを見たのです。

                (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

この引用文の背の高い〈百合の花〉の「しのぶぐさの上に,だまって横はる」(第2図)という表現が童話『やななし』の「横になって木の枝にひっかかってとまる」と類似している。

第2図.ノキシノブの上に倒れて横たわる百合の花(イメージ図).

 

そして,この引用文のあと,ガドルフは「あの百合は折れたのだ。おれの恋は砕けたのだ」とつぶやく。

 

「しのぶぐさ」はウラボシ科の「ノキシノブ」(軒忍;Lepisorus thunbergianus (Kaulf.)Ching)と思われる。「きらきら顫ふ」という形容が付くのは,この植物がウラボシ科とあるように葉の裏側に一列に並ぶ星のようにも見える円形の胞子嚢を持つことによるのかもしれない。古今和歌集に「君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫の音ぞ悲しかりける」(よみ人しらず)という歌があるが,この「しのぶ草」は「ノキシノブ」のことで「君しのぶ」の掛詞になっている(石井,1922b)。

 

「ノキシノブ」は,土に直接根を降ろさないで岩や「ケヤキ」や「ブナ」などの古木の幹などに着床して葉を伸ばし増えていく(着床植物)。物語で着床される側の樹木としては,大木になる「ケヤキ」(欅,Zelkova serrata (Thunb.) Makino )が推定される。「ケヤキ」は奈良や京都に都を置いた大和朝廷を象徴する木でもある(石井,2021b,2022b)。

 

なぜ嵐で傷つけられた〈百合の花〉はケヤキに付着する「しのぶぐさ」の上にだまって横たわったのか。多分,「しのぶぐさ」の付く「木」(ケヤキ?)に対する「助けてほしい」という無言の意思表示であったと思われる。私は,嵐で自分を傷つけてしまった〈百合の花〉には結婚を反対されて失意の恋人が,そして〈ガドルフ〉や「しのぶぐさ」が付く「木」には賢治が投影されていると思っている(石井,2022b)。宮沢家の始祖は江戸中期に花巻に下った京都の公家侍である。この子孫が花巻付近で商工の業を営んで,宮沢まき(一族)と呼ばれる地位と富を築いていった(畑山・石,1996)。すなわち,「ケヤキ」は宮沢家あるいは賢治をも象徴している。

 

恋人の「助けてほしい」には「私をここから連れ出してほしい」という願いが込められているように思われる。寓話『シグナルとシグナレス』でも,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が周囲のものから反対されたとき,〈シグナル〉が「あゝ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね」と駆け落ちも辞さない決意を言うと,〈シグナレス〉は「えゝ,あたし行けさえするなら,どこへでも行きますわ」と答えている。〈シグナレス〉の言葉は,何処へでもついて行くからここから連れ出してほしいと言っているのだと思われる。〈シグナル〉と〈シグナレス〉には賢治と恋人が投影されている。しかし,寓話『ガドルフの百合』で〈ガドルフ〉は嵐が過ぎたあと傷ついた〈百合の花〉をそのまま置いて旅だっていく。

 

次に,童話『銀河鉄道の夜』を見てみよう。九章「ジョバンニの切符」で氷山に衝突して船から海に落ちてしまった乗客が死後の世界を走る銀河鉄道の列車に乗ってくる場面がある。列車に乗ってくるのは,6歳の男の子と12歳くらいの〈女の子〉の弟妹とその家庭教師の青年である。青年は「けやきの木のやうな姿勢」と説明されている。そして,〈女の子〉はこの「けやきの木」のような姿勢をした青年の腕にすがりついている。 

 

 そしたら俄(にわかに)そこに,つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたやうな顔をしてがたがたふるえてはだしで立ってゐました。隣りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹ふかれているけやきの木のやうな姿勢で,男の子の手をしっかりひいて立ってゐました。

「あら,こゝどこでせう。まあ,きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子が黒い外套を着て青年の腕にすがって不思議さうに窓の外を見てゐるのでした。       

                      (宮沢,1985)下線は引用者

 

この引用文では〈女の子〉は「黒い外套」を着ていて,眼の色が「茶いろ」とある(第3図)。

第3図.黒い外套を着て青年の腕にすがっている茶色の眼の女の子.

 

大正11年(1922)春の詩「春光呪詛」(1922.4.10)で賢治は恋人を「頬がうすあかく瞳の茶いろ」と言っている。普通「瞳」と言えば瞳孔のことで黒である。恋人の眼の虹彩の色が茶色と言っているのだと思われる。

 

「詩ノート」の〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕には「・・・そしてまもなくこの学校がたち/わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の/舎監に任命されました/恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで男のふうをして/わたくしをたづねてまゐりました/そしてもう何もかもすぎてしまったのです・・・」(宮沢,1985;下線は引用者)という詩句が並ぶ。この詩は,昭和2年(1927)5月7日の日付のある作品だが,大正11年(1922)冬あるいは翌年の2月ごろまでのことを回想したものとされている(石井,2022a)。この詩に登場する寄宿舎とは新しくなる農学校の校舎で,大正11年(1922)8月から建築を開始し翌年3月30日に落成式を行った県立花巻農学校のことである。恋人は黒いマントを着て寄宿舎の舎監である賢治を訪ねていたのだと思われる。

 

すなわち,童話『銀河鉄道の夜』に登場する眼が茶色で黒い外套を着ている〈女の子〉には,詩集『春と修羅』を創作していた頃に賢治が相思相愛の恋をしていた女性が投影されているように思える。すなわち,恋人が投影されている〈女の子〉は賢治が投影されている「けやきの木のやうな姿勢」の青年の腕にすがっている。「すがる(縋る)」は「寄り添う」という意味だが,「離れようとする人を引き留める」とか「助けを求める」という意味もある。多分,童話『銀河鉄道の夜』に登場する〈女の子〉も船が氷山に衝突して沈みかけたとき青年に助けを求めていたのであろう。詩〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕に登場する人物と本稿で取り上げた童話のキャラクターとの関係を第1表に示す。

 

 

童話『やまなし』の第二章「十二月」に登場する「やまなし」の果実に賢治の恋人が投影されていることは前述した。童話『やまなし』の発表直前(1922年の冬)に賢治と恋人の恋は周囲からの反対もあって破局に向かっていた。この破局に向かう女性の姿は童話『やまなし』では12月に落果した「やまなし」の実として,寓話『ガドルフの百合』では嵐で折れてしまった〈百合の花〉として,童話『銀河鉄道の夜』では沈み行く難破船の〈女の子〉として表現されているように思われる(第1表)。また,この頃の賢治の姿は童話『やまなし』では木の枝として,寓話『ガドルフの百合』では「しのぶぐさ」が付く木として,童話『銀河鉄道の夜』ではけやきのような姿勢の青年として表現されているように思える。ちなみに,「枝」や「しのぶぐさ」は賢治の腕に相当するものであろう。3つの童話に共通するのは,恋人がイメージされているものが賢治の腕に相当するものにすがっている姿である。

 

多分,童話『やまなし』で「やまなし」の果実が「横になって木の枝にひっかかってとまる」とは,結婚を反対された恋人が賢治の腕にしがみついて助けを求めている姿の暗喩と思われる。しかし,恋人のこの哀願(あいがん)は,童話『やまなし』では「再び沈む」と〈蟹〉に予想されてしまうように叶えられることはなかった。童話『やまなし』は,「私の幻燈はこれでおしまひであります」で終わる。

 

参考・引用文献

畑山 博・石 寒太.1996.宮沢賢治幻想紀行.求龍堂.

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2021b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-ケヤキのような姿勢の青年(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2021c.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/10/122017

石井竹夫.2021d.童話『やまなし』は魚とクラムボンの悲恋物語である.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/09/20/090540

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第1稿)-.

石井竹夫.2022b.童話『ガドルフの百合』考(第2稿)-百合の花に喩えた女性とは誰か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/04/092632

石井竹夫.2022c.童話『ガドルフの百合』考(第6稿)-賢治は本当に〈恋〉よりも〈宗教〉の方を重要と考えたのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/08/075438

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.