宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-

Keywords: 文学と植物との関わり,クラムボン,魚口星雲,二枚貝,精神分析,食物連鎖,水生昆虫,前額法

 

宮沢賢治の童話『やまなし』(1923.4.8)には,〈蟹〉,〈魚〉,〈鳥〉などの動物や「樺の木」や「やまなし」(第1図)などの植物が登場し,〈蟹〉の親子(父親と二人の男の子)がこれら動植物を谷川の川底から眺めている世界が描かれている。小学校高学年の教科書にも採用されている。しかし,〈クラムボン〉,「イサド」あるいは「樺の木」など意味が取りにくい用語もたくさん出てきて難解である。

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 第1図.ヤマナシの実(神奈川県平塚市総合公園で撮影)

 

この物語(特に前半部)には,鳥である〈かはせみ(カワセミ)〉が鉄砲玉のように飛び込んできて魚を捕食するシーンが描かれている。そこで,多くの研究者たちは,〈クラムボン〉を正体不明としたり,あるいはアメンボ,プランクトン,言葉変化遊び(crambo),水の泡,光線による水面の変化などと様々な推測を試みたりしながらも,この物語が谷川での生物の生と死,別の言葉で言い変えれば弱肉強食の生存競争あるいは食物連鎖をイメージして創作されたものと考えている(中野,1991;松田・笹川,1991;畑山,1996;九頭見,1996;石井,2014)。すなわち,〈クラムボン〉が〈魚〉に捕食され,〈魚〉は〈カワセミ〉に捕食される。後半部ではナシの実が〈蟹〉に捕食されることが予想されている。いわゆる〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉あるいは「ナシの実」→〈蟹〉という食物連鎖が想定されている。

 

しかし,この物語が生物の生と死あるいは食物連鎖をメインテーマにしているなら,なぜ題名が植物名の「やまなし」なのかが理解できない。別の解釈もある。エッセイストの澤口(2018)は,この題名には賢治の相思相愛の恋人の名が隠されていて,物語には恋の終わりが記録されているとした。ただ,どのような恋が描かれているかについての詳細な説明はない。

 

筆者は,難解な童話『銀河鉄道の夜』を解釈するに当たって,そこに登場する30種ほどの植物から,沢山のヒントをもらった(石井,2020)。賢治作品に登場する植物は,単に風景描写として配置されているのではない。意味が取りにくい文章に遭遇したとき,その近くに配置されている植物を調べることによって解決したこともある。作品中の植物には,登場する意味が付与されている。

 

本稿(1),次稿(2),次次稿(3)では,登場する植物を念入りに調べることによって,童話『やまなし』が自然界の生存競争を扱った物語なのか,あるいは恋物語なのかを明らかにする。『やまなし』は短編童話で登場する植物も多くはない。そこで,同時期に創作された他の童話や詩に登場する植物も検討する。

 

1.この童話は自然界の弱肉強食や食物連鎖をメインテーマにはしていない

この童話は,「五月」と「十二月」(初期形では十一月)というサブタイトルが付く2部構成となっている。「五月」の章は「アイヌ」の叙事詩ユーカラのような「韻」を踏んだ繰り返し(リフレイン)の多い文章で始まる。それゆえ,〈クラムボン〉を英語のcrambo(言葉変化遊び)と関連付けて解釈する研究者もいる(畑山,1996;原,1999;澤口,2021)。

 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

『クラムボンは跳てわらつたよ。』

『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』

   (中略)

『それならなぜクラムボンはわらつたの。』

知らない。』 

   (中略)

 つうと銀のいろの腹をひるがへして,一疋(ぴき)の魚が頭の上を過ぎて行きました。

『クラムボンは死んだよ。』

『クラムボンは殺されたよ。』

『クラムボンは死んでしまつたよ………。』

『殺されたよ。』

『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は,その右側の四本の脚の中の二本を,弟の平べつたい頭にのせながら云(い)ひました。

わからない。

                   (宮沢,1986)下線は引用者による

 

この引用文では〈魚〉と〈クラムボン〉の関係が記載されている。「サワガニ」(十脚目サワガニ科;Geothelphusa dehaani  (White,1847);第2図)と思われる兄弟の〈蟹〉が「クラムボンが死んだよ」と話をしている。また,弟には〈クラムボン〉が〈魚〉に殺されたと信じられている。鳥である〈カワセミ〉が〈魚〉を水中から食料として連れ去ったのは谷川で起こった事実と思われるが,〈クラムボン〉は本当に〈魚〉によって殺されたのであろうか。事実関係を文章の記述から検証してみたい。

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第2図.サワガニ.

1)跳ねることができる川底の小生物

最初に,〈クラムボン〉がどんなものか推測してみる。〈クラムボン〉は,〈蟹〉の兄弟には「笑う」あるいは「跳ねる」(初期形では「立ち上がる」)生き物のように見えている。物語には「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です」とあるので,〈クラムボン〉も川底にいる可能性が高い。「跳ねる」とあるので,川底では「川底から弾みがついて水中に上がる」という意味であろう。渓流に住む生物で川底にいるのは,カワゲラ,トビケラ,カゲロウなどの水生昆虫の幼虫,ヌカエビなどのエビ類,サワガニあるいはカワシンジュガイなどの二枚貝である。このうち,「跳ねる」(あるいは立ち上がる)ことができる生物は何であろうか。

 

水生昆虫は,泳ぎながら移動する遊泳型,急流中の石面に生息する固着型,河床を脚で匍匐(ほふく)して移動する匍匐型,土中で生活している掘潜型に分類される。固着型や匍匐型の水生昆虫は「爪」,「吸盤」,「粘液」などを使って石面などに固着して普段あまり移動しないか,移動しても近傍の範囲に限られるという(竹門,2005)。多分,動きの鈍い固着型や匍匐型の水生昆虫は跳ねれば早い水流で流されて〈魚〉の標的にされてしまう。身の危険に晒されることはしないだろう。「跳ねる」ことが想定されるのは動きが素早い遊泳型である。「カゲロウ」の仲間で「フタオカゲロウ科」あるいは「ヒメフタオカゲロウ科」の幼虫は体が流線形(紡錘形)で泳ぐのに適している。具体的には「ナミフタオカゲロウ」(並双尾蜉蝣:Siphlonurus sanukensis Takahashi,1929)や「ヒメフタオカゲロウ」(姫双尾蜉蝣;Ameletus montanus Imanishi,1930)などである。

 

「ヒメフタオカゲロウ」の「ヒメ(姫)」は小さい,「フタオ(双尾)」は成虫に尾が2本あるから。「ヒメフタオカゲロウ」の幼虫は,河川蛇行部の内側あるいは巨岩の下流の淀みあるいは石の下に潜んでいる。「ナミフタオカゲロウ」の幼虫は,体長16mm内外,山地渓流に生息し,羽化が近づくと浅瀬に集まり,人が近づくと飛び跳ねるという(丸山・花田,2016)。釣り人はこれら「カゲロウ」の幼虫を,ピンピン「跳ねる」ように泳ぐことから「ピンチョロ」と呼ぶ。

 

「カゲロウ」は昆虫なので,幼虫にも哺乳類と同様に口部には上唇と下唇がある。口唇は母乳で育つ哺乳類の特徴であるが,なぜか昆虫にもある。人間は「笑う」と上唇と下唇の接合部である「口角」が上がる。だから,「ヒメフタオカゲロウ科」などの幼虫は,「口角」を上下に動かせるとすれば,それを上げて笑ったように見せることは可能かもしれない。

 

「サワガニ」やエビ類はどうであろうか。ネットでヤマトヌマエビが水槽内で「跳ねる」という記載を見つけた。渓流に生息する小さなエビ類も「跳ねる」可能性はある。

 

渓流の二枚貝も「跳ねる」可能性がある。海に棲む二枚貝ではあるが,イタヤガイ科の「ホタテガイ」の成貝は「跳ね」たり泳いだりすることが知られている。大正11年の矢倉(1922)の『介類叢話・趣味研究』にも「ホタテガイ」が「飛躍し,殻を互いに烈しく開閉して前進する」と記載してある。また,渓流に棲む「カワシンジュガイ」と同じイシガイ科の「イケチョウガイ」や「ドブガイ」の稚貝(殻高0.3mm程)が殻を開閉しながら移動する姿が報告されている(伊藤ら,2015)。すなわち,二枚貝の中には「跳ねる」だけでなく「かぷかぷ」と笑ったように殻を互いに開閉して移動するものがいる。

 

〈カワセミ〉は全長17cm位なので,この鳥が捕食する〈魚〉もこの長さを超えることはないと思われる。さらにこの〈魚〉が捕食できる二枚貝の大きさも,〈魚〉の口の大きさからすれば1cmを超えないと思われる。多分,〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を二枚貝とすれば,イシガイ科の「カワシンジュガイ」(Margaritifera laevis (Haas,1910))の稚貝あるいは若い成貝が候補に挙がる。〈クラムボン〉を二枚貝とする説は,すでに報告されている(小野・小野,2016)。「クラム(clam)」は英語で二枚貝のことで,「ボン」(坊)は子供ということらしい。

 

ただし,この「クラム(clam)」には疑問もある。「クラムボン」の「ム」と「ボ」は両方とも発声時に両唇を閉じる動作があり,「ム」の母音である「ウ(u)」の動作から「ボ」の破裂音の発声は難しい。賢治は明治生まれ(戦前)の人なので,歴史的仮名遣いで作品を書いている。歴史的仮名遣いで「ム(mu)」は「ン(n)」と発音することがあるので,〈クラムボン〉は現代表記では〈クランボン〉である可能性もある。また,〈クランボン〉としたときの「クラン(clan)」は英語で「一族」の意味であり二枚貝ではない。

 

以上のように,「跳ねる」を基に〈魚〉に捕食される〈クラムボン〉を推測すると「カゲロウ」などの水性昆虫の幼虫,二枚貝の稚貝,小エビなどが候補に挙がる。後述(次稿)するが「カゲロウ」は水中の石の上あるいは水面で脱皮するときに,「カワシンジュガイ」は川底にいるときに「立ち上がる」こともできる。

 

2)食物連鎖との関係

〈クラムボン〉を「カワシンジュガイ」の稚貝や小エビとすれば,これを捕食する〈魚〉は何であろうか。特に堅い殻を持つ二枚貝を捕食できる〈魚〉は,この殻も砕くことができる「咽頭歯(いんとうし)」を持つコイ科の〈魚〉であろう。

 

雑食性のコイ科の「フナ」が「ドブガイ」を捕食している可能性のあることも報告されている(東垣ら,2018)。童話『やまなし』に登場する〈魚〉の特徴(体色)は,「銀色の腹」を持つことと,「鉄いろに変に底びかり」することである。「鉄いろ」とは,青みが暗くにぶい青緑色あるいは「くろがね」と呼ばれるような黒っぽい鉄の色である。

 

すなわち,〈魚〉の腹は銀色で側面は青緑色あるいは黒色である。ならば,この体色の特徴を持つ渓流に棲むコイ科の〈魚〉は何であろうか。ウグイ,エゾウグイ,アブラハヤが候補に挙がる。しかし,「ウグイ」の体色は焦げ茶色を帯びた銀色である。物語の季節が5月で「ウグイ」の繁殖期(3~5月)の体色(婚姻色)を考慮しなければならないが,このときの体色も3本の朱色の条線を持つことを特徴とする。黒ではない。「アブラハヤ」も黒い小斑が散在するが体色は黄褐色である(婚姻色は現れない)。すなわち,〈クラムボン〉を二枚貝(稚貝,若い成貝)とすると,〈クラムボン〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は物語の中では成立しそうにない。

 

一方,〈クラムボン〉をカゲロウとすれば,〈クラムボンと呼ばれる水生昆虫の幼虫〉→〈魚〉→〈カワセミ〉という食物連鎖は成立するように思われる。

 

体色が青緑色あるいは黒をイメージできる〈魚〉として,サケ科の「ヤマメ」あるいは「イワナ」がいる。「ヤマメ」の体型はやや側偏し,背側はわずかに緑色をおびた黄褐色で,腹部は白い。体側には幼魚期の特徴である,7~10個の暗青色の幼魚紋(パーマーク)が並列し,背側から側線にかけて小点が散在し,側線に沿って淡い赤色帯が通っているものも見られる。下北半島の「ヤマメ」は濃い青緑色でもある。また,雄は繁殖期(10~11月)になると黒色になる(婚姻色)。「イワナ」の体色は緑褐色か灰色で厳冬期は黒(サビ)くなる。

 

しかしながら,谷川の食物連鎖は〈クラムボン(水生昆虫の幼虫)〉→〈魚〉→〈カワセミ〉以外に,「藻」→〈クラムボン〉→〈カワセミ〉あるいは〈魚の死体〉→〈蟹〉→〈カワセミ〉もあり得る。ネット上で〈カワセミ〉が〈蟹〉を捕食した写真を見ることもできる。すなわち,〈クラムボン〉や〈蟹〉も〈カワセミ〉の捕食の対象になるはずである。鋭い観察力のある賢治がこれを知らないはずはない。しかし,〈蟹〉の父親は子供達に「おれたちはかまはないんだから」と言っている。この父親の言動は自然界の食物連鎖の厳しい掟からすれば矛盾している。

 

さらに,注目すべきは,物語で〈蟹〉が水中で泡を出していることである。「カニ」は陸上では泡を出すが水中では泡をださないと思われる。これも賢治は知っていたかもしれない。〈蟹〉は水中ではエラ呼吸だが,陸に上がると体にため込んだ水を使って呼吸する。少量の水を循環させて使うので泡が立つのだという(九頭見,1996)。すなわち,童話は自然界における食物連鎖のほんの一部を語っているにすぎない。また自然を忠実に描写してはいないので,自然界の食物連鎖がこの童話のメインテーマとは思われない。

 

2.クラムボンは本当に魚に殺されたのか

〈蟹〉の兄弟,特に弟の見間違いだったのかもしれない。なぜなら,兄弟が会話しているときは谷川の川底は,まだ日が射していない,薄暗い状態であった。父親も〈カワセミ〉の目は「黒い」(水中では瞬膜で覆われるので灰色?)のに「赤い」と言ってみたり,〈蟹〉は夜行性なのに月夜の晩に子供たちに早く寝ろと指図していたりしている。〈蟹〉の父親と弟の発する言葉は曖昧な点が多い。

 

さらに,兄が「その右側の四本の脚の中の2本を,弟の平べったい頭にのせながら」,「それならなぜ殺された」と尋ねたとき,弟は「わからない」と答えている。人間社会では,大人が子供の頭に手を乗せるときは,愛情表現の「しかる」,「ほめる」,「なだめる」という気持ちを示しているという。しかし,兄弟でそのようなことをするであろうか。もしかしたら,兄が弟の話したことの真意を確かめようとしたのかもしれない。

 

賢治はジークムント・フロイト(1856~1939)の「精神分析」を学んでいた。フロイトの精神分析法の中に「前額法(ぜんがくほう)」というのがある。例えば,ヒステリーの症状のある患者(ドイツ語でKuranke)に,「いつからこの症状が現れましたか」,「原因は何ですか」と質問して,「私にはわかりません」と答える患者がいた場合,片手を患者の額に置き,「こうして私が手で押さえていると,今に思い浮かびますよ。私が押さえるのを止めた瞬間にあなたには何かが見えるでしょう。さもなければ何かが思い浮かぶでしょうから,それを教えてください」と言う。この方法でフロイトは患者のヒステリーの原因を突き止めた(中野,2011)。

 

多分,兄は弟の言葉を疑っていて,精神分析医になったつもりで手の代わりに脚を弟の頭に乗せたのだと思われる(蟹は十脚目に分類されるので手はない)。しかし,弟は発言を裏付けるものが思い浮かばないので,兄の質問に対して「わからない」としか答えられなかった。

 

すなわち,兄は薄暗い状態の中での弟の言葉を信じていない。弟は「うそ」をついているか,噂を鵜呑みにしているのだと思われる。賢治は,〈クラムボン〉と〈魚〉の関係に関して,〈クラムボン〉の本当の名を隠して何か言いたいことがあるようである。

 

3.谷川の二枚貝と魚は遠い昔からここに棲んでいたのか

ここで谷川に棲む〈クラムボン〉と〈魚〉の出自について考察しておく。〈クラムボン〉の候補に挙がっている二枚貝の「カワシンジュガイ」は,氷河時代にロシアのサハリン州(樺太)やシベリア方面から日本列島に分布を広げ,その後氷河時代の終わりごろ(1万年前)に取り残された北方系の「遺存種」と考えられている。賢治が童話の中で想定している〈クラムボン〉が,二枚貝とすれば,多分在来種として石器(縄文)時代の昔から命を繋ぎながら棲んでいたと思われる。

 

「カワシンジュガイ」(アイヌ語でpipa・ピパ)の殻は,「アイヌ」が昭和初期まで「アワ(粟)」(Setaria italica(L.)P.Beauvois)などのイネ科植物の穂を摘み取るときに使う道具の材料に使っていた(石井,2019)。ちなみに,数万年生命を繋いできた「カワシンジュガイ」は大規模な河川改修工事などで数を減らし現在は絶滅危惧種となった(岩手県ではⅡ類Bランク)。明治時代に「アイヌ」が「滅び行く民」と言われていたことを考えると,明治維新後における日本の急速な近代化は必ずしも成功したとは言い切れないところがある。  

 

日本の「カゲロウ」は,これまで13科39属142種が確認されている(石綿・竹門,2005)。前述した「跳ねる」ことが可能な遊泳型の「ナミフタオカゲロウ」と「ヒメフタオカゲロウ」もこの中に含まれる。この2種の「カゲロウ」は「在来種」である可能性が高い。「サワガニ」(日本固有種)や「カワセミ」(Alcedo atthis bengalensis (Gmelin,1788):留鳥)も在来種であろう。

 

一方,「イワナ」,「ヤマメ」などの渓流魚はどうであろうか。これら〈魚〉は日本固有種であるが「在来種」であるかどうかは疑わしい。国立環境研究所(2017)の侵入生物データベースによれば,「イワナ」は在来種だけでなく,国内外来種(移入種)も混入しているとなっている。また「ヤマメ」も移入種が入っているが詳細は不明とある。

 

移入種とは日本固有種であるが,本来の生息域ではない場所に人為的に持ち込まれたものである(移植放流など)。例えば,数十メートルもあるような滝上で「イワナ」や「ヤマメ」を見かけることも珍しいことではない。また,大地震などの災害があればその地域の河川の魚類は絶滅することもあるという。鈴野(1993)は,「今日の渓流魚の分布域の過半は,山中の自然採取・加工に従事したマタギ,木地屋(きじや),木樵(きこり),炭焼き,山菜採り,職漁(しょくりょう)などの山村住民の幾重なる移植や放流-漁場の深耕により形成されたもの」としている。特に,「マタギ」はこの移植や放流に積極的であったという。

 

秋田マタギの故郷である阿仁町には「小沢を持っている」という言葉がある。これは魚止の滝上に人知れず「イワナ」を放流し,隠し沢とも言うべき自前の漁場を持つことを称したものであるという。すなわち,渓流魚の「イワナ」や「ヤマメ」には,「カワシンジュガイ」,「カゲロウ」,「サワガニ」に対しては「よそ者」として存在しているものもいる。

 

4.物語はけっして名前を明かすことのできない女性との恋物語か

1)〈魚〉と〈クラムボン〉の関係

〈魚〉は〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。しかし,〈クラムボン〉が〈魚〉を恐れているとは記載されていない。〈蟹〉の兄には「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ」というように見えている。

 魚がまたツウと戻つて下流の方へ行きました。

『クラムボンはわらつたよ。』

『わらつた。』

 にはかにパツと明るくなり,日光の黄金(きん)は夢のやうに水の中に降つて来ました。

   (中略)

 魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにしておまけに自分は鉄いろに変に底びかりして,又上流(かみ)の方へのぼりました。

『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。』

弟の蟹がまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。

何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。

とつてるの。

『うん。』

 そのお魚がまた上流から戻つて来ました。今度はゆつくり落ちついて,ひれも 尾も動かさずたゞ水にだけ流されながらお口を環(わ)のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網の上をすべりました。

『お魚は……。』

 その時です。俄(にはか)に天井に白い泡がたつて,青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾(だま)のやうなものが,いきなり飛込んで来ました。 

                  (宮沢,1986)下線は引用者による

 

谷川の川底に日の光が届くようになると,川底に集光模様と思われる「光の網」が現れ,〈魚〉の体色まではっきり識別できるようになる。このとき〈魚〉が何をしているのかも明らかになってくる。多分,〈魚〉は〈クラムボン〉に求愛していたのであろう。〈魚〉は「ツウ」として〈クラムボン〉の周りを行ったり来たりしている。研究者によっては,「ツウ」は擬態語で〈魚〉が音もなく「すうっ」と通過している様とみなしている。しかし,筆者には,この「ツウ」は「ツ」と「チ」を区別しない東北弁の「チウ」(「口づけ」の擬音?)ではないかと思っている。多分,〈魚〉は口をとがらせて,あるいは鼻の下を伸ばして〈クラムボン〉に迫っているのだと思う。

 

「ヤマメ」の雄は繁殖期に鼻先が伸びて曲がる(鼻曲がり)。〈蟹〉の兄弟には笑ったり死んだり見えるのは,〈クラムボン〉を二枚貝と仮定すれば,二枚貝が2枚の殻を「かぷかぷ」と開閉させて「会話」したり,殻をずっと閉じて「沈黙」していたからと思われる。「カゲロウ」なら口角を上げたり下げたりしていたのかもしれない。〈魚〉と〈クラムボン〉は周囲には恋愛と知られないように慎重に行動しているように思われる。

 

2)寓話『シグナルとシグナレス』や『土神ときつね』との類似性

この求愛の様子を『やまなし』と同じ年に創作された寓話『シグナルとシグナレス』の擬人化された〈本線の信号機シグナル〉と〈軽便鉄道の小さな腕木式信号機シグナレス〉の会話で再現してみる。ちなみに,〈シグナレス〉はシグナル(signal)に[-ess]を付けて女性名詞化した造語である。〈シグナル〉は新式で夜に電燈が点くが,〈シグナレス〉は木製で夜もランプである。この寓話と後述する『土神ときつね』は,賢治の異性との恋愛体験を基に書いたとされている(堀尾,1984;澤口,2018)。

 

〈魚〉と〈シグナル〉には賢治が,〈クラムボン〉と〈シグナレス〉には恋人がそれぞれ投影されているとすれば,〈魚〉と〈クラムボン〉あるいは〈シグナル〉と〈シグナレス〉は相思相愛の仲である。〈シグナル〉は一生懸命努力して〈シグナレス〉から結婚の約束を取り付けようとするが,〈シグナレス〉が躊躇していて色よい返事がもらえない。そんなとき〈シグナル〉の後見人とされる〈本線シグナル付きの電信柱〉が二人の会話に割り込んで「若さま,いけません。これからはあんなものに矢鱈(やたら)に声をおかけなさらないやうにねがひます」と言ってしまう。〈シグナル〉は決まり悪そうにするが,気の弱い〈シグナレス〉は「まるでもう消えてしまふか飛んでしまふかしたい」気持ちになってしまう。この後しばらくして二人の会話が以下のように続く。 

『又あなたはだまつてしまつたんですね。やつぱり僕がきらひなんでせう。もういゝや,どうせ僕なんか噴火か洪水か風かにやられるにきまつてるんだ。』

『あら,ちがひますわ。』

『そんならどうですどうです,どうです。』

『あたし,もう大昔からあなたのことばかり考へてゐましたわ。』

本当ですか,本当ですか,本当ですか。

『えゝ。』

『そんならいゝでせう。結婚の約束をしてください。』 

   (中略)

『約婚指輪(エンゲーヂリング)をあげますよ,そらねあすこの四つならんだ青い星ね』

『えゝ』

『あの一番下の脚もとに小さな環が見えるでせう,環状星雲(フイツシユマウスネビユラ)ですよ。あの光の環ね,あれを受け取つて下さい,僕のまごころです』

『えゝ。ありがとう,いただきますわ』

『ワツハツハ。大笑ひだ。うまくやつてやがるぜ』

 突然向ふのまっ黒な倉庫が,そらにもはばかるやうな声でどなりました。二人はまるでしんとなつてしまひました。

                    (宮沢,1986)下線は引用者による

 

2つの物語で〈シグナル〉と〈シグナレス〉あるいは〈魚〉と〈クラムボン〉は「沈黙」(殺された?)の後に「会話」(あるいは笑い)を始めるが,お互いに「思い」が通じ合ったと了解したとき〈シグナル〉は「本当ですか,本当ですか,本当ですか」と喚起の雄叫びをあげ,〈魚〉は「夢のやうに水の中」で自らを「まるつきりくちやくちや」にして喜ぶ仕草をする。『シグナルとシグナレス』では,この後〈シグナル〉が琴座の環状星雲を「約婚指輪(エンゲーヂリング)」(婚約指輪のこと)に見立てて相手に差し出している。

 

〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡す婚約指輪は,『新宮澤賢治語彙辞典』によれば琴座のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものであるという(原,1999)。『やまなし』では婚約指輪と記載されていないので分かりにくいが,〈魚〉は〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしている。

 

〈魚〉が「ひれ」も尾も動かさずに「お口を環のやうに円くして」やってくるときの「魚の口」が「婚約指輪」に相当する。『シグナルとシグナレス』にでてくる宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってある。〈魚〉は自らの口を「環のやうに円く」して婚約指輪であることを示して〈クラムボン〉に求愛している。このとき〈魚〉の体が「鉄いろに変に底びかり」する。これは「婚姻色」のことである。〈魚〉を「ヤマメ」とすると「婚姻色」は黒である(特に頭部が黒くなる)。「ヤマメ」の繁殖期は秋であるが,この「ヤマメ」は春に発情して黒くなり鼻先も伸びている。「変に底びかり」の「変」はそのことを言っていると思われる。すなわち,季節を考慮すれば通常あり得ない「変な現象」なのである。

 

「フイツシユマウスネビユラ」の婚約指輪は,この2つの物語以外では寓話『土神ときつね』(1923年頃)でも登場する。この寓話は,南から来たハイネの詩を読みドイツ製ツァイスの望遠鏡を自慢するよそ者の〈きつね〉が北のはずれにいる土着の〈樺の木〉に恋をするが,東北からやって来る土着の神である〈土神〉がこれに嫉妬して〈きつね〉を殺してしまう物語である。この寓話で〈きつね〉は〈樺の木〉に「環状星雲」を望遠鏡で見せる約束をする。そして,〈樺の木〉は「まあ,あたしいつか見たいわ」と答える。この環状星雲を〈きつね〉は「魚の口の形ですから魚口星雲(フイツシユマウスネビユラ)とも云ひます」と説明する。〈きつね〉が「環状星雲」を見せると約束し,〈樺の木〉が見たいと答えたことで婚約が成立しそうになっている。この〈樺の木〉は,童話『やまなし』にも登場する。 

 

しかし,〈魚〉と〈クラムボン〉の結婚は,『シグナルとシグナレス』,『土神ときつね』と同様に,周囲の者たちからは歓迎されていない。兄の〈蟹〉が「何か悪いことをしてるんだよとつてるんだよ。」と言っている。〈魚〉が〈クラムボン〉に婚約指輪を渡そうとしたとき,〈魚〉は鉄砲玉のように飛び込んでくる〈カワセミ〉に捕食されてしまう。多分,〈カワセミ〉は谷川に鎮座する先住土着の「山の神」(鬼神)の化身であろう。

 

すなわち,童話『やまなし』は,よそ者(移入魚としてのヤマメ)が先住土着の家にいる娘(クラムボン)に恋をして求婚しようとするが,土着の神(「山の神」としてのカワセミ)から手荒い仕打ちを受けたという物語であると思われる。

 

5.賢治の恋愛体験

賢治は,『やまなし』,『土神ときつね』,『シグナルとシグナレス』を書いたとされる年(1923年)の直前(賢治は農学校の教員で26歳ごろ)に,短期間(1年間ほど)だが相思相愛の恋をしていたとされている(佐藤,1984;堀尾,1984;澤口,2018)。

 

破局後に相手の女性は,渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなった。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていた。賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対もあり破局した。破局の理由はよくわかっていないが,筆者は両者の出自の違いや,それにともなう両家あるいは近親者たちの歴史的対立が背景にあると推測している。

 

賢治の家(あるいは一族)は京都出身であることは堀尾青史の作成した年譜などでよく知られている。また,花巻では「宮沢まき」と呼ばれる地方財閥の一員でもある。一方,恋人の家(あるいは近親者)は少なくとも宮沢一族が花巻に移住する前から住んでいたと思われる。天皇を中心とした中央政権と東北の「先住民」との対立は,朝廷側からすれば蝦夷征討とも呼ばれ,京都に都を置いた平安時代まで続く。さらに,その対立の影響は鎌倉,江戸時代の武家中心の時代および明治維新後の賢治の生きた時代にまで及んだ。だから賢治は恋の破局の一因になったと思われる両家の歴史的ルーツの違いには並々ならぬ関心を寄せたと思われる。

 

本稿では植物についての検討はしなかったが,この童話が従来の生存競争についてではなく悲恋物語について書かれてあるという新たな説を得ることができた。これは,澤口(2018)の説を支持するものでもある。次稿では賢治の他の作品に登場する植物に着目することでこの説が裏付けられるかどうか検討する。

 

参考・引用文献

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本稿は,人間・植物関係学会雑誌20巻第2号59-65頁2021年(3月31日発行)に掲載された自著報文「宮沢賢治の『やまなし』の謎を植物から読み解く-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語 前編-」(種別は資料・報告)に加筆・修正したものである。題名が長いので,本ブログでは短くしている。原文あるいはその他の掲載された自著報文は,人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.htm    ただし,学会誌アーカイブスでの報文公表は、雑誌発行から1~2年後になる予定。