2023-01-01から1年間の記事一覧
賢治が母親に気に入られようとしていた可能性のあることはすでに述べた。これを裏付けるものとして賢治の手紙,賢治研究家である堀尾青史の調査資料,文学作品などを紹介してみる。 大正7(1918)年6月20日前後の親友である保阪嘉内あての手紙(封書)に母…
詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)の特に出だしの4行は難解である。前稿で,最初の2行「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり」は「イライラした憂鬱な気分になっていると,あけびの蔓のように自分の愛欲が1人の…
詩集『春と修羅』にある「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)は,「心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり/のばらのやぶや腐植の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様」(宮沢,1985)という詩句で始まる。…
詩集『春と修羅』の「風景」(1922.5.12)に「雲はたよりないカルボン酸/さくらは咲いて日にひかり/また風が来てくさを吹けば/截られたたらの木もふるふ・・・」とある。また,「冬のスケッチ」十七には「きりの木ひかり/赤のひのきはのびたれど/雪ぐ…
本稿では幕末・明治・大正期の「岩谷堂」や「人首」の精神風土について考察する。 「岩谷堂」は前稿で述べたように幕末まで北上川の舟運や陸路交通の要衝として栄え江刺郡の中心地であった(石井,2023)。しかし,「岩谷堂」の繁栄も明治5年(1872)に納米…
童話『やまなし』第二章「十二月」に,兄弟の〈蟹〉が吐く泡の大きさを争っていると父親が「もうねろねろ。遅いぞ,あしたイサドへ連れて行かんぞ。」と注意する場面がある。「イサド」とはどのようなところなのだろう。文献等で調べたら「イサド」は岩手県…
宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」(1922.5.20)は以下の詩句で始まる。 (えゝ 水ゾルですよ おぼろな寒天(アガア)の液ですよ) 日は黄金(きん)の薔薇 赤いちいさな蠕虫(ぜんちゆう)が 水とひかりをからだにまとひ ひとりでをどりをやつてゐる (えゝ 8(エ…
「蠕虫」のルビをドイツ語読みにしたいなら「ウオーム」(Wurm」としなければならない。また,ルビの「アンネリダ」が正しいのなら「蠕虫」は「環虫」にしなければならないように思われる。なぜなら「アンネリダ」(Annelida)は生物学的には環形動物門のこ…
宮沢賢治の詩「蠕虫舞手」(1922.5.20)に「赤い蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツエーリン)は/とがつた二つの耳をもち/燐光珊瑚の環節に/正しく飾る真珠のぼたん/くるりくるりと廻つてゐます/(えゝ 8(エイト)γ(ガムマア)e(イー)6(スイツク…
水の中で踊る「ナチラナトラのひいさま」はどんな生き物がイメージされているのだろうか。詩の中で,この生き物は「赤い小さな蠕虫」と表現されている。「蠕虫」には「アンネリダ」のルビが振られていて,体には青白い光を放つ「環節」があり,「とがった二…
詩「蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツェーリン)」(1922.5.20)の前半の詩句は以下のようなものである (えゝ 水ゾルですよ おぼろな寒天(アガア)の液ですよ) 日は黄金(きん)の薔薇 赤いちいさな蠕虫(ぜんちゆう)が 水とひかりをからだにまとひ ひと…
童話『やまなし』には難解な用語が多い。「ラムネ瓶の月光」というのもその一つである。 そのつめたい水の底まで,ラムネの瓶(びん)の月光がいつぱいに透(すき)とほり天井では波が青じろい火を,燃したり消したりしてゐるやう,あたりはしんとして,たゞ…
童話『やまなし』の第二章「十二月」は以下の文章で始まる。 蟹の子供らはもうよほど大きくなり,底の景色も夏から秋の間にすっかり変りました。 白い柔かな円石もころがつて来,小さな錐(きり)の形の水晶の粒や,金雲母(きんうんも)のかけらもながれて…
本稿では童話『二十六夜』に登場する捨身菩薩・疾翔大力の弟子である〈爾迦夷〉が誰をイメージして創作されているのかについて考察する。童話で梟(ふくろう)の坊さんは〈爾迦夷〉を以下のように説明している。 爾迦夷といふはこのとき我等と同様梟ぢゃ。わ…
童話『二十六夜』はガチガチの宗教的な読み物のように見えるが,童話『やまなし』や寓話『シグナルとシグナレス』で見られるような悲恋物語も入れてある。すなわち,童話『二十六夜』は梟(ふくろう)の子である穂吉と人間の子の悲恋物語である。穂吉は3人…
宮沢賢治の『やまなし』は昭和46年(1971)版(『小学新国語六年上』)に掲載されて以来今日まで国語教材として使われてきた。国語教材の「てびき」の平成17年版と平成27年版に「なぜ,十二月にしか出てこない「やまなし」が題名になっているのだろう。理由…
童話『やまなし』が「仇討ち」を重要なテーマにしているという私の推測は,童話『やまなし』と同時期に書かれ,同じく「仇討ち」がテーマになっている童話『二十六夜』(1922 or 1923)を読むことで確実なものになってくる。童話『二十六夜』には小鳥や田螺…
前稿(石井,2023)で賢治が投影されている移入種の〈魚〉と恋人が投影されている谷川に先住する〈クラムボン〉の結婚が反対された「ほんとう」の理由は,遠い過去の大和朝廷やそれに続く中央政権と東北人の歴史的対立が関係しているかもしれないということ…
童話『やまなし』のもともとの題名は『蟹』であったとされる。童話『ひのきとひなげし』(初期形)表紙余白に「童話的構図 ①蟹,②ひのきとひなげし,③いてふの実,④ダアリアとまなづる・・・・・」と,また童話『青木大学士の野宿』第七葉裏に「ポランの広場…
前稿で,タネリが「南」の空を「くらげ」の「めがね」で透かして見たものは大都会東京やアメリカのシカゴ,ニューヨークのような伝統が破壊され自由を謳歌できる世界であり,「悪いもの」とは「南」にある別の世界であることを述べた。しかし,「くらげ」の…
童話『やまなし』(1923.4.8)に登場する〈蟹〉は父親と兄弟の子供しか登場しない。1971年に宮沢賢治研究会の例会で,なぜ母親が出てこないのかについて健在説,一時的不在説,入院説,死亡説という4つの見解が出され議論されていた(福島,1971)。私は…
恋人のことを少しでも知ろうとするには賢治の作品を読み解いていくしかない。恋人との悲恋物語は寓話『シグナルとシグナレス』の〈シグナル〉と〈シグナレス〉の恋として語られているということはすでに述べた(石井,2022a)。しかし,これだけではない。寓…
前稿で異稿「冬のスケッチ」に残されていた童話『やまなし』の創作メモ「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。//みずのそこのまことはかなし」の最初の1行と2行目は「さかな(賢治)のクラムボン(恋人)を水底(花巻)から連れだそうとした…
賢治は恋人と一緒かどうかは定かではないがアメリカへ行こうとしていたのは事実である。賢治と同郷の関徳彌(登久也)が,賢治の教え子である長坂俊雄(旧姓は川村)からアメリカ行きの話を聞いている。大正11年(1922)から12年頃に,賢治が「おれはアメリ…
前稿で異稿「冬のスケッチ」〈七-三〉に残されていた童話『やまなし』(1923.4.8)の創作メモ「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。//みずのそこのまことはかなし」の最初の1行「さかなのねがひはかなし」は,破局に向かっているときの恋…
青年が銀河鉄道の列車に乗車してきたとき,青年の腕には黒い外套を着た眼が茶色の可愛らしい〈女の子〉がすがっていた。そして,青年は船が氷山と衝突したとき〈女の子〉を救命ボートに乗せられなかった理由について話をする。同時に,青年は〈女の子〉を助…
童話『やまなし』(1923年4月8日新聞発表)の第一章「五月」には鉄色の〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語が書かれている(石井,2021a)。鉄色の〈魚〉には賢治が,川底に居る〈クラムボン〉には詩集『春と修羅』に登場してくる賢治の恋人が投影されている…
童話『やまなし』の第一章「五月」は,谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉とあとから谷川にやってきた〈魚〉の悲恋物語りである。〈魚〉は〈かはせみ〉によって谷川から連れ出され,「樺の花」は散って川下へ流れさった。〈魚〉には賢治が,〈クラムボ…
第1稿と第2稿で童話に記載されている「うそ」と思われることを列挙した(第2表)。本稿では「ほんとう」と思われることをあげてみる。また,後半部で「うそ」と「ほんとう」を分けて明らかになったことについて述べてみる。 2.「ほんとう」と思われるこ…
引き続き,自然現象としては起こりえないこと,あるいは「うそ」と思われることについて列挙してみる。 5)「五月」に〈魚〉が〈クラムボン〉の廻りを行ったり来たりしたとき,兄の〈蟹〉が「何か悪いことをしてゐるんだよとつてるんだよ」と言ったこと 兄…