水の中で踊る「ナチラナトラのひいさま」はどんな生き物がイメージされているのだろうか。詩の中で,この生き物は「赤い小さな蠕虫」と表現されている。「蠕虫」には「アンネリダ」のルビが振られていて,体には青白い光を放つ「環節」があり,「とがった二つの耳」もある。くるりくるりと廻っている。また,酸欠で苦しくなると「とけてしまう」こともあるらしい。
私の知る限り,これまで3つの説が出されている。1つ目は節足動物である「カ(蚊)」の幼虫「ボウフラ」(恩田,1961;原,1999;赤田,2010)で,2つ目は同じく節足動物である「ユスリカ」の幼虫の「アカムシ(アカボウフラ)」(河合,2013;藪野,2018)で,3つ目は環形動物の「イトミミズ」(伊藤,2001;浜垣,2021)である。
本稿では「ナチラナトラのひいさま」のお姿が「ボウフラ」なのか,「アカムシ」なのか,「イトミミズ」なのか,あるいは別の生きものなのか検証してみる。
「蠕虫」は,体が細長く蠕動により移動する虫(小動物)の総称である。英語ではWorm(ワーム),ドイツ語ではWurm(ウオーム)と。脚は持たず,骨格・外骨格・貝殻のような硬い構造も持たない。生物学的には,環形動物,節足動物の一部(甲虫やハエなどの幼虫),線形動物,扁形動物などのことをいう。「ボウフラ」,「アカムシ」,「イトミミズ」とも生物学的に「蠕虫」に当てはまる。
詩には「燐光珊瑚の環節に」とある。「環節」(体節 Segment)は生物学的には動物体の前後軸に沿い周期的に繰り返される立体的構造単位と説明されている。環形動物や節足動物に認められる(巌佐,2013)。「ボウフラ」,「アカムシ」,「イトミミズ」とも体に「環節」を持っていると言ってよい。
「蠕虫」のルビにある「アンネリダ」とは何であろうか。詩集『春と修羅』の手入れ本には,題名「蠕虫(アンネリダ)舞手(タンツェーリン)」の右側に「Annelida Tanzerin」とメモ書きのようなものがあった。「アンネリダ」がラテン名の「Annelida」であるなら,「アンネリダ」は生物学的には環形動物門のことを指すと思われる。多くが原則として体節制をもち,体は環状の柔らかい体節に分かれている蠕虫状の動物のことである。大正時代の生物書では「環形動物」は「環蟲動物」となっている。ちなみに,「蟲」は「虫」のことである。賢治の印刷用原稿も大正時代に書かれているので「蠕虫」は「蠕蟲」となっていた。岡村(1925)の『生物学精義』には環蟲動物(Annelida)は「ヒル,ミミズ類,ゴカイなど,体は前後に連ねる多数の環節よりなる」とある。賢治が「蠕虫」にルビを振った「アンネリダ」が生物学用語である環形(環蟲)動物門のことを指しているとしたら,「蠕虫」である「ナチラナトラのひいさまは」は「イトミミズ」のようなものであり,節足動物(Arthropoda)である「ボウフラ」と「アカムシ」を除外しなければならない。
では,環形動物の「イトミミズ」を「ナチラナトラのひいさま」としてよいのであろうか。多分,違うような気がする。理由は2つある。1つは,賢治が「蠕虫」に振ったルビが間違っていた可能性があることによる。
賢治はルビをつけるとき適切でない場合がある。例えば環状星雲のルビである。賢治は寓話『シグナルとシグナレス』で琴座の環状星雲に「フィッシュマウスネビユラ」のルビを振っている。しかし,琴座の環状星雲が「フィッシュマウスネビユラ」と呼ばれることはないと言われている。星に造詣が深い草下英明(1989)が賢治のルビに関して以下のように述べている。
環状星雲というのは,ガス体が指輪のようなリング状に見える星雲で,琴座にあるのが有名である。環状星雲を一名魚口星雲(フィッシュマウスネビユラ)と呼ぶというのは出典が明らかでない。輪のようになったのを,魚の口を正面から見た形に見立てたものであろうか。『星めぐりの歌』では「アンドロメダの雲は魚の口のかたち」とアンドロメダの渦状星雲を魚口星雲の如くいっている。野尻先生に依ると,古い天文書でオリオンの星雲を魚の形に見立てて書いてあるものがあるそうだ。賢治には何か拠り所はあるのであろうが,ちょっと疑問である。
(草下,1989;野尻先生は天文民俗学者の野尻抱影のことと思われる)
下線は引用者
また,ブログ天文古玩の作者は「フィッシュマウスネビュラという語が直接指すのはオリオン星雲のことであり,賢治はこれをロッキャー由来の天文書で読んで脳裏に刻んだものの,いつの間にか環状星雲やアンドロメダ星雲と脳内でまじり合ってしまい,その誤解が解けぬまま文章を綴った…」と推測している(天文古玩,2010)。
「蠕虫」のルビが「蠕虫」のドイツ語訳であるならWurm(ウオーム)としなければならない。また,ルビの「アンネリダ」が正しいのなら「蠕虫」は「環虫」にしなければならないように思われる。すなわち,記述が間違っている可能性がある。
詩には「羽むしの死骸」という詩句がある。踊っている「蠕虫」の近くに羽虫の死骸があるようだ。成虫になって「羽むし」になる節足動物の「ボウフラ」や「アカムシ」を簡単に除外することはできそうにない。
もう1つは,詩に登場する「赤い小さな蠕虫」には「とがった二つの耳」があることによる。「イトミミズ」に「とがった二つの耳」あるいは耳状のものはない。私の調べた限り,他のミミズ類でも同じである。「ナチラナトラのひいさま」=「イトミミズ」説を出している伊藤は「とがった二つの耳」に関して不問にしている。ちなみに,「ボウフラ」にも「アカムシ」にも「とがった二つの耳」あるいは耳状のものはない。「ボウフラ」の尾部が2又になっているが,1つは尾で,もう1つは呼吸管である。感覚器ではない。耳状にも見えない。頭部に1対の小さな触覚があるが肉眼では観察しづらい。すなわち,「とがった二つの耳」を持つ「ナチラナトラのひいさま」は「イトミミズ」でもなさそうだ。
では,「ナチラナトラのひいさま」とはどんな生き物なのか。「蠕虫」で「とがった二つの耳」を持つ生き物がいる。扁形動物門(Platyhelminthes)に属する「プラナリア」である。「プラナリア」は体表に繊毛があり,この繊毛の運動によって渦ができることから,ウズムシと呼ばれる。体長は0.5~2cmくらい。ナミウズムシ(Dugesia japonica)やミヤマウズムシ(Phagocata vivida)がいる。(Wikipedia)。「プラナリア」の仲間は種の同定が難しい。変異の幅が大きく,体色,模様は同一種でもかなり異なる。赤いのもいる。ナミウズムシなどの頭部には一対の耳状の突起物がある。「耳葉」(一種の触覚)と呼ばれている感覚器で水の流れとか化学刺激を感受する(宮崎,2012,2016)。ナミウズムシは頭部両側の「耳葉」を上方に上げながら移動する。その様子はネット動画でも確認できる。眼もある。光刺激を一対の色素盃単眼で受容する。体の中央部に口がある。肉食で「イトミミズ」や「アカムシ」を食べる。有性生殖と無性生殖がある。無性生殖の場合は分裂(自切)して増えていく。
「プラナリア」は自切するが人為的に体を真っ二つに切っても元通りに再生する。過去には1匹の「プラナリア」を200個の断片にバラバラにしても,再生したという記録が残っているという。ただ,不死身ということではないらしい。切り方が雑だったりすると,切断面から消化酵素を自ら出して,溶けて無くなってしまうとも言われている(小早川・北村,2023)。だから,「プラナリア」を実験で切断する場合はあらかじめ絶食させておく。賢治も詩で「それに第一おまへのかたちは見えないし/ほんとに溶けてしまったのやら」と記載している。「プラナリア」が溶けるということを知っていたのかもしれない。
再生能力を持つことから,再生研究のモデル生物として用いられる。再生力が強いのは全能性幹細胞(万能細胞)を成体になっても保持しているからである。大正時代でも「プラナリア」の再生研究は行われていた(鏑木,1917;美濃部,1922)。「プラナリア」は人為的な操作をしなければ永遠の命を有する「神」のようでもある。ただ,「プラナリア」には「環節」はない。
詩「蠕虫舞手」と同時期に執筆されたものに『あけがた』(1922年1月)という「夢記述的作品」がある。夢の中に,待ち人が訪れずむしゃくしゃしている自分と近くに「さまざまのやつらのもやもやした区分キメラ」の男が登場する。キメラ (Chimera) とは,同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態や,そのような状態の個体のことである。植物では,異なる遺伝情報を持つ細胞が「縞状」に分布するものを区分キメラという(Wikipedia)。詩「蠕虫舞手」も白日夢のようなもので,「わたし」は「蠕虫」の踊りを見ながら誰か訪れてくるのを石の上に座って待っているらしい。詩に「それに日が雲に入ったし/わたしは石に座つてしびれが切れたし」とある。詩「蠕虫舞手」と童話『あけがた』は解離体験のようなものが類似している。多分,「ナチラナトラのひいさま」は頭が「プラナリア」で胴体が「縞状」の「イトミミズ」で尾が「ボウフラ」の「もやもや」した区分キメラなのかもしれない(第1図)。そして,体にある「環節」は青白い燐光を放っている。
第1図.真珠のボタンを付けた「ナチラナトラのひいさま」(区分キメラ).
「ナチラナトラのひいさま」はくるりくるりと廻ることができるので,細長い体は必要無いのかもしれない。「8γe6α」を一筆書きしてみた(第2図)。
第2図.「8γe6α」の一筆書き.
しかし,「所産的自然(natura naturata)」である現象世界にはそのような燐光を放つ区分キメラは存在しない。賢治はほんとうにこの「神」の化身とも思える燐光を放つ区分キメラを見たのであろうか。それとも,「みんなはじめからおぼろに青い夢だやら」だったのか。
参考・引用文献
赤田秀子.2010.イーハトーブ・ガーデン-アンネリダタンツエーリン 蠕虫舞手.https://nenemu8921.exblog.jp/15086773/
浜垣誠司.2021.宮澤賢治の詩の世界-溢れ出るシニフィアンの頃.https://ihatov.cc/blog/archives/2021/08/post_1006.htm
原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.
伊藤光弥.2001.イーハトーヴの植物学-花壇に秘められた宮沢賢治の生涯.洋々社.
巌佐 庸 他.2013.岩波生物学事典 第5版.岩波書店.
鏑木 外岐雄.1917.プラナリアの生殖史.動物学雑誌 29 (350):427.
河合幸一郎.2013.ユスリカ.生物工学.91(12):722-725.
岡村周諦.1925.生物學精義7版.瞭文堂.
小早川達貴・北村佳久.2023(調べた年).不死身って本当にあるの?脳神経がよみがえる1cmの小さな生き物.https://www.ritsumei.ac.jp/tanq/375775/
草下英明.1989.宮澤賢治と星.學藝書林.
美濃部 熈.1922.プラナリアの三角形切片の再生特に極性に就いて.動物学雑誌.34 (405):720-721.
宮崎武史.2012.切っても死なない無敵の生きもの プラナリアって何だろう? 幻冬舎.
宮崎武史.2016.刃物の下では不死身な生き物!プラナリア実験観察図鑑.星雲社.
宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.
恩田逸夫.1961.賢治評価の態度-『序説』と『蠕虫舞手』-.四次元 128:1-9,16.
天文古玩.2010.魚の口から泡ひとつ・・・フィッシュマウスネビユラの話.http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/06/5142359
藪野直史.2018.Blog鬼火~日々の迷走.宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 蠕蟲(アンネリダ)舞手(タンツエーリン).https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2018/11/post-938d.html