宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

詩「蠕虫舞手」考-なぜ賢治は蠕虫にアンネリダのルビを振ったのか-

「蠕虫」のルビをドイツ語読みにしたいなら「ウオーム」(Wurm」としなければならない。また,ルビの「アンネリダ」が正しいのなら「蠕虫」は「環虫」にしなければならないように思われる。なぜなら「アンネリダ」(Annelida)は生物学的には環形動物門のことを指すからである。

 

「赤い小さな生き物」には「尖った二つの耳」がある。環形動物門の生き物にこの耳はない。「蠕虫」で尖った耳があるのはプラナリア,ヒラムシ,コウガイビルなどの扁形動物門(Platyhelminthes)の生き物である。耳葉と呼ばれている。すなわち,「尖った二つの耳」のある「蠕虫」に「アンネリダ」のルビを振ることは適切でないように思える。

 

では,なぜ賢治は「蠕虫」に「ウオーム」でなく「アンネリダ」のルビを振ったのであろうか。多分,それは「環節」を有する「蠕虫」に結婚を約束した恋人の左薬指を重ねているからだと思われる。当時,賢治は恋をしていた。しかし,賢治と恋人の結婚は近親者から強く反対されていた。澤口たまみ(2010)によれば,賢治はその様子を寓話『シグナルとシグナレス』(1923)に記載したという。この寓話には結婚を反対されたシグナルがシグナレスに婚約指輪(寓話では約婚指輪)を贈ったあとシグナルを連れて「燐光」のような「青い火」が点るアメリカへ駆け落ちしようとする話がでてくる。

 

さあ今度は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました。

 月の光が青白く雲を照しています。雲はこうこうと光ります。そこにはすきとほって小さな紅火(べにび)や青の火をうかべました。しいんとしてゐます。

    (中略)

「シグナレスさん,ほんとうに僕たちはつらいねえ」

 たまらずシグナルがそっとシグナレスに話しかけました。

「えゝ,みんなあたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて云ひました。

 諸君,シグナルの胸は燃えるばかり,

「あゝ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね。」

「えゝ,あたし行けさえするなら,どこへでも行きますわ。」

「ねえ,ずうっとずうっと天上にあの僕たちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね,あすこは遠いですねえ。」

「えゝ。」シグナレスは小さな唇(くちびる)で,いまにもその火にキッスしたさうに空を見あげてゐました。

「あすこには青い霧の火が燃えてゐるんでせうね。その青い霧の火の中へ僕たちいっしょにすわりたいですねえ。

「えゝ。」

「けれどあすこには汽車はないんですねえ,そんなら僕畑をつくらうか。何か働かないといけないんだから。」

「えゝ」

                                (宮沢,1985)下線は引用者

 

 

引用文の下線部分「ずうっとずうっと天上にあの僕たちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。」の「青い小さな火」は「霧の火」に喩えているので「北アメリカ星雲」のことである(石井,2023)。星雲は星霧ともいう。「北アメリカ星雲」は琴座の環状星雲よりも北に位置している。結婚を反対されたシグナルは「北アメリカ星雲」でシグナレスと農業をする夢を見ている。そして,夢の中ではそれが実現している。

 

多分,「アンネリダ」は賢治が恋人を連れて行こうとした「アメリカ」と関係しているように思える。

 

前稿に引き続き,ここでも言葉遊びをしてみる。アンネリダのラテン名Annelidaとアメリカの英名Americaは文字が似ている。Annelida(アンネリダ)の「Anne(アンネ)」の「n」と「n」をくっつければ「Ame(アメ)」となり,「リ(li)」を「リ(ri)」に変え,「ダ(da)」を「カ(ca)」に変えればAmerica(アメリカ)になる。恋歌である詩「夕陽は青めりかの山裾に」は「夕陽は青(あお)めり かの山裾に」と読ませるのだと思うが,「青めりか」は「アメリカ」の意味もあると思われる。破局後にアメリカへ渡った恋人を詠ったものと思われる。また,「山裾(やますそ)」には恋人の名前が隠されていると言われている。

 

すなわち,タイトルの「蠕虫」に「アンネリダ」のルビを振って「蠕虫舞手」を「アンネリダ タンツェーリン」としたのは,アメリカの舞手(America Dancer)あるいはアメリカに行けると小躍りしている人という意味が含まれることを言いたかったのだと思われる。森鷗外の初期の代表作に『舞姫』(1890)という短編小説がある。ドイツに留学した主人公の恋愛経験を綴ったものである。多分,賢治はこの作品を意識したものと思われる。ただ,賢治は恋人の左薬指に付けている指輪を強く意識しているので「舞姫」を「舞手」にしたと思われる。

 

賢治は,詩「蠕虫舞手」を創作していた頃,「みんなのさいわい」を求めて信仰を重視して生きるか,駆け落ちをしてでも恋人の願いをかなえてやるべきか悩んでいたと思われる。

 

詩「蠕虫舞手」の日付の1か月前頃に詩「春光呪詛」(1922.4.10)を創作している。この詩には「いつたいそいつはなんのざまだ/どういふことかわかつてゐるか・・・・/頬がうすあかく瞳の茶いろ/ただそれつきりのことだ/(おおこのにがさ青さつめたさ)」とある。「みんなのさいわい」ではなく1人の女性に恋をしてしまった自分を責めているようにも思える。

 

また,詩「蠕虫舞手」の日付から1日後に書かれたと思われる詩「小岩井農場」パート九(1922.5.21)には信仰と恋の葛藤についての記載がある。この詩には「・・・この不可思議な大きな心象宙宇のなかで/もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ・・・」(宮沢,1985;下線は引用者)とある。

 

詩「蠕虫舞手」はお寺か神社の御影石の手水鉢(ちょうずばち)の前で誰かと待ち合わせでもしていたときの詩と思われる。賢治は手水鉢の中の空気玉(気泡)をつけて踊る蠕虫を見ながら,指輪を左薬指(Ring Finger)に付けて小躍りする恋人を思い浮かべているのであろう。しかし,そのような情景が脳裏をかすめるたびに,その邪念を払おうとして仏(ガウタマ・シッダールタ)や神(エホヴァ,イエス・キリスト,アッラア)の名が隠されている8(エイト)γ(ガムマア)e(イー)6(スイツクス)α(アルフア)の呪文を呟いていたのだと思われる。

 

参考・引用文献

石井竹夫.2023.童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「青じろき火を点じつつ」とはどういう意味か(第1稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/02/12/093308

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛にうた.盛岡出版コミュニティー.