宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「青じろき火を点じつつ」とはどういう意味か (第1稿)-

前稿で異稿「冬のスケッチ」〈七-三〉に残されていた童話『やまなし』(1923.4.8)の創作メモ「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。//みずのそこのまことはかなし」の最初の1行「さかなのねがひはかなし」は,破局に向かっているときの恋人を花巻から連れ出せなかった賢治の悲しみであるということを報告した(石井,2023)。本稿ではこの短唱の2行目「青じろき火を点じつつ。」が何を意味しているのかを考えてみたい。本稿は第1稿と第2稿の2つで構成されている。ちなみに,〈七-三〉は紙葉番号七の紙の三番目に記された詩章の意味である。

 

「青じろき火を点じつつ。」と同じ表現は童話『やまなし』では第二章「十二月」にある(下記引用文の下線部分)。

 

蟹の子供らはもうよほど大きくなり,底の景色も夏から秋の間にすっかり変りました。

 白い柔かな円石(まるいし)もころがって来,小さな錐(きり)の形の水晶の粒や,金雲母(きんうんも)のかけらもながれて来てとまりました。

 そのつめたい水の底まで,ラムネの瓶(びん)の月光がいっぱいに透すきとほり天井では波が青じろい火を,燃したり消したりしてゐるやう,あたりはしんとして,たゞいかにも遠くからといふやうに,その波の音がひゞいて来るだけです。

 (中略)

間もなく水はサラサラ鳴り,天井の波はいよいよ青い焔(ほのほ)をあげ,やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり,その上には月光の虹がもかもか集まりました。

 (中略)

親子の蟹は三疋自分等らの穴に帰って行きます。

 波はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました,それは又金剛石の粉をはいてゐるやうでした。

                  (宮沢.1985)下線は引用者 以下同じ

 

しかし,これら下線部分の周辺を読んでも「青じろき火を点じつつ。」が何を意味しているのかは分からない。

 

以前,童話『やまなし』でも,なぜ「クラムボンは笑った」のか分からなかったことがあった。しかし,1ヶ月に書かれた寓話『シグナルとシグナレス』を読んでその理由を理解することができた(石井,2022a,b)。もしかしたら,「青じろき火を点じつつ。」の意味も寓話『シグナルとシグナレス』に書かれてあるのかも知れない。この「青じろき火を点じつつ。」と類似した表現は寓話『シグナルとシグナレス』(1923.5.11~23)の八章と九章にある。

 

さあ今度は夜ですよ。シグナルはしょんぼり立っておりました

 月の光が青白く雲を照しています。雲はこうこうと光ります。そこにはすきとほって小さな紅火(べにび)や青の火をうかべました。しいんとしてゐます。

    (中略)

「シグナレスさん,ほんとうに僕たちはつらいねえ」

 たまらずシグナルがそっとシグナレスに話しかけました。

「えゝ,みんなあたしがいけなかったのですわ」シグナレスが青じろくうなだれて云ひました。

 諸君,シグナルの胸は燃えるばかり,

「あゝ,シグナレスさん,僕たちたった二人だけ,遠くの遠くのみんなのいないところに行ってしまいたいね。」

「えゝ,あたし行けさえするなら,どこへでも行きますわ。」

「ねえ,ずうっとずうっと天上にあの僕たちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね,あすこは遠いですねえ。」

「えゝ。」シグナレスは小さな唇(くちびる)で,いまにもその火にキッスしたさうに空を見あげてゐました。

「あすこには青い霧の火が燃えてゐるんでせうね。その青い霧の火の中へ僕たちいっしょにすわりたいですねえ。

「えゝ。」

「けれどあすこには汽車はないんですねえ,そんなら僕畑をつくらうか。何か働かないといけないんだから。」

「えゝ」

                                                   (宮沢,1985)

 

この引用文は,結婚を反対され意気消沈した〈シグナル〉と〈シグナレス〉が,今度は胸をときめかせて遠い天上の青い霧の炎が燃えている星に駆け落ちしてしたいと願っている場面である。「月の光が青白く雲を照しています。雲はこうこうと光ります」や信号機である〈シグナル〉と〈シグナレス〉が「青い霧の火が燃えて」いる「青い星」を見つめているところは,「冬のスケッチ」の「青じろき火を点じつつ」や童話『やまなし』の「波が青じろい火を燃したり消したりして」という表現に似ている。どうも「青じろき火を点じつつ」は「結婚」とか「遠い天上の青い霧の炎が燃えている星」と関係があるようである。

 

〈シグナル〉は結婚を反対され〈シグナレス〉を連れてみんなのいない遠いところへ行ってしまいたいと言っている。みんなのいないところは,「青い火」の燃えている遠い星と設定されている。また,「シグナルの胸は燃えるばかり」とあるように,〈シグナル〉は〈シグナレス〉を「青い星」に連れ出すことに心が燃えている。〈シグナレス〉もその「青い星」にキッスしたいほどに憧れている。童話『やまなし』でも「青じろい火」は3回繰り返されるが,「青じろい火を燃したり消したり」,「いよいよ青い焔をあげ」,「いよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげ」と最初は燃したり消したりだがしだいに火の勢いは増している。

 

すなわち,童話『やまなし』の創作メモ「冬のスケッチ」にある「青じろき火を点じつつ。」は,結婚を反対されたあとに「遠い青い星へいっしょに行きたいという気持ちを燃え立たせつつ」という意味のように思われる。でも,〈シグナル〉の言う遠い小さな「青い星」が何処なのかが分からない。

 

何処であるかを明らかにするヒントが物語にいくつか散りばめられているように思える。

 

1つは〈シグナル〉の「ねえ,ずうっとずうっと天上にあの僕ぼくたちの約婚指環(エンゲージリング)よりも,もっと天上に青い小さな小さな火が見えるでせう。そら,ね,あすこは遠いですねえ。」(下線は引用者)という言葉にある。〈シグナル〉が〈シグナレス〉に渡した約婚指環(婚約指輪のこと)は「琴座」の環状星雲のことである。『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「琴座」のα,β,γ,δ四星の作る菱形をプラチナリングに,環状星雲M(メシエ)57を宝石に見立てたものである(第1図)。宝石に相当する環状星雲には「フイツシユマウスネビユラ」のルビが振ってあるので「魚口星雲」のことである。すなわち,「青い霧の火」である「青い星」は琴座の環状星雲の上(北極星側)に位置している。

 

もう1つヒントは,〈シグナル〉と〈シグナレス〉の結婚が反対されていることを気の毒に思った〈倉庫の屋根〉の言葉の中にある。〈倉庫の屋根〉は霧の立ちこめる夜に,呪文のような言葉を復唱するように言って夢の中で2人を「青い霧の火」である「青い星」に連れ出す。そのときの〈屋根の倉庫〉が発する呪文は「アルファー,ビーター,ガムマア,デルタア」である。「ビーター」は「ベーター」のことと思われる。2人がこの4つのギリシャ文字のアルファベット単語を復唱すると不思議なことに2人が立っていた場所が青じろい火が燃えている場所になる。そこでは,ピタゴラス派が唱える調和した世界を象徴する天球運行の諧音(かいおん)も聞こえてくる。この4つの単語は星座と関係すると思われる。すなわち,α星,β星,γ星,δ星である。多分,「青い星」は「琴座」の環状星雲の上にある4星で白鳥座(北十字)と関係する(第1図)。ただ,琴座の環状星雲よりも上にあるのは白鳥座の4星のうちα星とγ星とδ星の3つである。

 

白鳥座のα星は白鳥の尾部にある1等星のデネブ(Denob),γ星は2等星のサドル,δ星は翼部にある3等星の星である。肉眼で見える星は6等星までと言われている。よって,これら3つ星は明るすぎて〈シグナル〉の言う「青い小さな小さな火」(青い星)には当てはまらない。多分,〈シグナル〉が言う「青い星」は「霧の火」である「星雲」と関係する。「星雲」は霧のように夜空を浮かんでいることから「星霧(せいむ)」とも呼ばれている。

 

白鳥座のα星,γ星,δ星と関係する「星雲」はあるのだろうか。α星(Denob)の近くにあるNGC7000という番号がつく「北アメリカ星雲」(North America Nebula:散光星雲)があった。〈シグナル〉が言う「青い星」とは「北アメリカ星雲」のことを指していると思われる。この星雲は肉眼では空の条件がよくても小さなシミのようにしか見えない。すなわち,小さく見える「星雲」である。望遠レンズを使って時間かけて写真に撮ると,この「星雲」が北アメリカ大陸の形に見えてくることが知られている。18世紀の天文学者ウィリアム・ハーシェルによって発見された。可視光で捉えた「北アメリカ星雲」の写真をネットで見ることができる。青白く見えないこともないが,写真の解説では赤いと言っている。ただ,可視光像と赤外線像を合成させると北アメリカ大陸の領域が青く写る(astroarts ,2011)。特殊感覚を有する賢治の肉眼には青く見えたのかも知れない。

 

第1図.琴座と白鳥座のNGC7000(北アメリカ星雲)の位置関係.

 

寓話を読む限り,〈シグナル〉は結婚を反対されたあと〈シグナレス〉を「青い星」すなわち「北アメリカ星雲」に連れだそうとしている。そして,〈シグナル〉はそこで畑仕事をしたいとも言っていたし,〈シグナレス〉も付いていくと言っていた。もしかしたら,現実世界でも,賢治は本当に恋人をアメリカに連れだそうとしたのかもしれない。アメリカの国旗には青色の地に白色の星が描かれている。ここには鉄道もあるし農業もできる。また,結婚を反対する者もいない。賢治はドヴォルザークの交響曲9番(新世界より)が気に入っていた。

 

賢治は「北アメリカ」が色で言えば「青」と感じているように思える。賢治が晩年に作った文語詩〔夕陽は青めりかの山裾に〕(制作年不明)には「夕陽は青めりかの山裾に/ひろ野はくらめりま夏の雲に/かの町はるかの地平に消えて/おもかげほがらにわらひは遠し/ふたりぞたゞのみさちありなんと/おもへば世界はあまりに暗く/かのひとまことにさちありなんと/まさしくねがへばこころはあかし/いざ起てまことのをのこの恋に・・・」とある。恋歌である。「夕陽は青めりかの山裾に」は「夕陽は青(あお)めり かの山裾に」と読ませるのだと思うが,「青めりか」は「アメリカ」の意味もあると思われる。破局後にアメリカへ渡った恋人を詠ったものと思われる。「かの町」はシカゴで,「かのひと」は恋人であろう。仮の題にある「山裾(やますそ)」には恋人の名前が隠されている。どこに書かれてあったのかは忘れたが,エッセイストの澤口たまみが指摘していたように思う。澤口は東北地方で「やまなす」と発音する「やまなし」にも恋人の名が隠されているという。賢治はアメリカを「青めりか」と書いている。賢治や恋人にとってアメリカは遠いけど希望の「青い星」なのかもしれない。

 

すなわち,「冬のスケッチ」にある「青じろき火を点じつつ。」は,結婚を反対されたあとに「アメリカへ一緒に行きたいという気持ちを燃え立たせつつ」という意味なのかもしれない。(続く)

 

参考・引用文献

astroarts .2011.赤外線で見る,北アメリカ星雲の幼い星々.https://www.astroarts.co.jp/news/2011/02/14ngc7000/index-j.shtml

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2022a.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/145446

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』考 -クラムボンは笑った,そして恋は終わった-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

石井竹夫.2023.童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「さかなのねがいはかなし」とはどういう意味か(第2稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/02/02/115335

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

澤口たまみ.2018.新版宮澤賢治 愛のうた.夕書房.