宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

『歯車』の「銀色の翼」が幻視された時代的背景を同世代の賢治の手紙と作品から読み取る (1)

 

前稿で私は『歯車』の主人公の瞼の裏に幻視した「銀色の翼」つまり「イカロスの翼」のようなものが,賢治の幻視した「業の花びら」と同種のものであり,またこれら幻覚が宗教を軽んじたことによる「慢心の罰」によって現れるものであると推論した(石井,2024)。直接的な交流のない2人の作家が作品の中で「慢心」が原因の似たような幻覚を表現するのは不思議でもある。しかし,この類似性の謎を解き明かすヒントが賢治の花巻農学校時代の2人の教え子に出した手紙にある。本稿ではこの手紙を基に芥川と賢治がそれぞれの作品の中で同時期に同種の幻影を見た時代的背景を考えてみたい。

 

芥川は明治25年(1892)生まれで,「銀色の翼」が主人公の瞼の裏に出現する『歯車』の執筆時期は昭和2年(1927)4月7日である。同じ年の7月24日に自死している。一方,賢治は明治29年(1896)生まれで詩の中で「業の花びら」を幻視したと記したのは大正13年(1924)10月5日である。そして,9年後の昭和8(1933)9月21日に病死している。

 

賢治は,死の直前に教え子である柳原昌悦へ手紙(1933.9.11)で,「私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。」, また,沢里武治への手紙(1930.4.4)で,「私も農学校の四年間がいちばんやり甲斐のある時でした。但し終わりのころわずかばかりの自分の才能に慢じてじつに倨慢(きょまん)な態度になってしまったこと悔いてももう及びません。」と記している(宮沢,1985;下線は引用者 以下同じ)。

 

柳原の手紙に「今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふもの」つまり賢治に「慢心」が生じていたとあるが,この時期は,同じ教え子である沢里武治への手紙から推測すると農学校に勤務していた4年間(1921.12~1926.3)の後半である。賢治の詩で「業の花びら」の幻影が出てくる時期と一致する。

 

芥川も,1920年代に,この「今日の時代一般の巨きな病,「慢」」という時代病におかされていたのであろうか。

 

思想家で詩人の吉本隆明(1963)は芥川の死に関して以下のような見解を示している。芥川は『歯車』」や『或阿呆の一生』のあと,どのような作品も想像することができないように,純然たる文学的な,また文学作品的な死であって,人間的,現実的な死ではなかった。したがって,時代思想的な死ではなかった。としている。

 

だが,私には後述するように,芥川の死と,芥川の作品に「銀色の翼」が出現することにはその時代の思想が関与していると思っている。

 

賢治の言うところの「今日の時代一般の巨きな病」の「今日の時代」とはどんな時代であったのであろうか。

 

賢治研究家の浜垣誠司(2009)は,

「第一次世界大戦後の好景気で「成金」が登場して,金に任せて傲慢な振る舞いをしたり,一方で「大正ロマン」と呼ばれる自由主義的な文化・思潮が流行した時代につづき,1929年(昭和4年)に始まる世界恐慌が,日本においても昭和恐慌となって経済・産業に深刻な打撃を与え,好況時代の慢心を反省し戒める風潮が強まったというような情勢変化と,これは関連しているのだろうと思います。」という見解を示している。

 

「成金」とは元々は日露戦争後の株取引でもうけた大金持を指す言葉である。

 

私は,「今日の時代」とは日露戦争(1904~1905)や第一次世界大戦(1914~1918)の後の好景気で「慢心」が生じ,宗教が堕落し,科学がそれに変ろうしていた時代と考えている。時期的には,20世紀初頭の20~30年間である。『農民芸術概論綱要』(1926年6月頃)に記載されてある「宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い/宗教中の天地創造説 須弥山説 ○道は拝天の余俗である歴史的誤謬/縫えざる影に嚇された宗教家 真宗」と関係する。

 

下線部分「○道は拝天の余俗」は上田(1978)によれば「祭天の古俗事件」をひきおこした「神道ハ祭天ノ古俗」という久米邦武の明治25年に発表した論文によったものであるという。つまり,「○」は「神」で「拝」は「祭」で「余」は「古」であるとした。論文の内容は「神道は豊作を祈り天を祭る古来の習俗で,三種の神器は祭天に用いられたもので神道の神を神聖視するのは誤りと論じた」(Wikipedia)ものであった

 

つまり,賢治は20世紀初頭の宗教が慢心で堕落し近代科学に置換されようとしていると考えている。キリスト教の天地創造や仏教の須弥山を信じたり,神道の神を神聖化したりするのは間違っていると考えるようにもなっている。

 

『農民芸術概論綱要』にある記述は,ドイツの哲学者シュペングラー( Oswald Arnold Gottfried Spengler;1880~1936)が第1次大戦中に書いた『西洋の没落』(第1巻,1918)や室伏高信の『文明の没落』(1923)の影響を受けている。

 

室伏の『文明の没落』には,「現代は科学の時代である。科学は天にまで高まることを求められている。・・・神の代わりに試験管が,教会の代わりに工場が置き換えられてきた(p13)」,「宗教が科学によって,信仰が智によって代へられただけではない。教育も芸術も,あらゆる文明の形態は一様に巨大なメキャニズムの一作用にまで堕ちてしまってゐるのである。(p39)」「近代科学は,一歩々々宗教的表現を征服し,近代的精神の機制をもって,中世紀的霊性の王国を,この地上から駆逐したのである。(p176)」「科学は心をもたない。冷たい知識の網である。(p177)」(括弧内はページ)などの記載がある(室伏,1023)。

 

また,その続編である『文明の没落・第2(土に還る)』(1924)には,「パウロとヨハネを見るように,人々は大学教授を見る。懐疑(かいぎ)は今日では神への懐疑である。科学は新しき神である。そして信仰となったのである。(p53)」(室伏,1924)(括弧内はページ)とある。(続く)

 

参考・引用文献

浜垣誠司.2009.「慢」の時代.宮澤賢治と詩の世界.https://ihatov.cc/blog/archives/2009/02/post_603.htm

石井竹夫.2024.『歯車』の主人公と賢治が慢心の罰で幻視したものをまとめてみる (14).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2024/03/02/121347

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

室伏高信.1923. 文明の没落.批評社.

室伏高信.1924. 文明の没落・第2(土に還る).批評社.

上田 哲.1978.宮沢賢治 その理想世界への道程.明治書院.

吉本隆明.1963.芸術的抵抗と挫折.未来社.