宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』になぜ蟹が登場するのか明らかにする(第2稿)-ガドルフが背負う蟹の形をした背嚢から-

前稿(石井,2023)で賢治が投影されている移入種の〈魚〉と恋人が投影されている谷川に先住する〈クラムボン〉の結婚が反対された「ほんとう」の理由は,遠い過去の大和朝廷やそれに続く中央政権と東北人の歴史的対立が関係しているかもしれないということを報告した。本稿では,それを裏付ける賢治の童話『ガドルフの百合』を紹介する。

 

童話『ガドルフの百合』(1923)で歴史的な対立が描かれる場面は以下のようなところである。旅人であるガドルフは嵐の晩に「巨きなまっ黒な家」に雨宿りする。庭で1本の背の高い百合の花を見つけ「俺の恋は,いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。」とつぶやく。しかし,無残にも背の高い百合の花は雷で折られてしまう。ガドルフは「(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)」と再びつぶやく。このあと,ガドルフは自分が背負ってきた「蟹」の形をした「背嚢」の近くで眠りにつく。枕代わりにしたのかもしれない。「背嚢」は原(1999)の『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「背に負う方形のかばん」とある。「蟹」の脚のようなたくさんの紐が付いたものと思われる。

 

 それから遠い幾山河の人たちを,燈籠のやうに思ひ浮かべたり,又雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語(ことば)を聞いたり,又昼の楊がだんだん延びて白い空までとゞいたり,いろいろなことをしてゐるうちに,いつかとろとろ睡らうとしました。そして又睡ってゐたのでせう。

 ガドルフは,俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんといふ足踏みの音,怒号や潮罵(ちょうば)が烈(はげ)しく起りました。

 そんな語はとても判りもしませんでした。ただその音は,たちまち格闘らしくなり,やがてずんずんガドルフの頭の上にやって来て,二人の大きな男が,組み合ったりほぐれたり,けり合ったり撲(なぐ)り合ったり,烈しく烈しく叫んで現はれました。

 それは丁度奇麗に光る青い坂の上のように見えました。一人は闇の中に,ありありうかぶ豹(へう)の毛皮のだぶだぶの着物をつけ,一人は烏(からす)の王のやうに,まっ黒くなめらかによそほってゐました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に,小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。

 見る間に黒い方は咽喉(のど)をしめつけられて倒されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり,今度はしたたかに豹の男のあごをけあげました。   

 二人はも一度組みついて,やがてぐるぐる廻(まわ》って上になったり下になったり,どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦ふうちに,たうとうすてきに大きな音を立てて,引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。

 ガドルフは急いでとび退(の)きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。

 そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるへながら立ちあがりました。               (宮沢,1985)下線は引用者;以下同じ

 

ガドルフには賢治が,背の高い百合の花には恋人が投影されている(石井,2022)。背の高い百合の花が嵐で折れたことを恋の破局と解釈すれば,この破局の「ほんとう」の理由は百合の花が折れた直後に見たガドルフの夢に隠されている。なぜなら,遠い昔(何世紀も前)を思い出しながら見た夢の中にガドルフ自身も登場し,「坂の上」で争っている二人の男に倒されてしまうからである。この「坂の上」で争っている二人の男とは誰であろうか。

 

ガドルフは眠り込んだ後に夢を見る。足踏みする音や激しく怒鳴り合う声を聞き,そして「光る青い坂の上」に「豹の毛皮のだぶだぶの着物をつけた男」と「まっ黒くなめらかによそほってゐる烏(からす)の王」が争うのを見る。この「光る青い坂の上」には,二つの意味が込められていると思う。一つは,文字通りの「地形」が斜面になっている「坂」の上のことであり,もう一つは歴史上の人物と関係がある。

 

この語句の「坂の上」を「地形」を示す北上山地と解釈すれば,「文語詩稿五十篇」の未定稿詩〔うからもて台地の雪に〕の情景にイメージが重なる。

 

うからもて台地の雪に,部落(シュク)なせるその杜黝(あおぐろ)し。

曙人(とほつおや),馮(の)りくる児らを,穹窿ぞ光りて覆ふ。

                         (宮沢,1985)

 

「うから」は部族で,「曙人」はルビにあるように「先祖」で,穹窿は天空のことである。賢治の文語詩を研究している信時(2007)によれば,この詩の意味は「雪の積もった台地に一族が集まり,その集落の森が青黒く見える。先祖の血をひき,魂までも乗り移った子供らを,天空から降り注ぐ光が覆っているように見える」としている。また,「先祖」とは「アイヌ」のことを指すのだという。著者は,賢治が「アイヌ」と「蝦夷(エミシ)」を区別していないので,この詩に登場する「台地」は準平原の北上山系であり,「曙人」はその台地にかつて住んでいた「蝦夷(エミシ)」と考えている。賢治は,大正・昭和の時代に至っても古代蝦夷(エミシ)の魂が東北の「先住民」に乗り移つることがあると感じている。古代蝦夷(エミシ)の魂には,後述するが侵略者である大和朝廷から続く歴代の中央政権(あるいはそれに従う「移住者」)に対する「疑い」と「反感」が含まれる。もちろん,「恨み」もあるだろう。

 

夢の中に登場する二人の男のうち「豹の毛皮のだぶだぶの着物をつけた男」は,語呂合わせのようだが「坂の上」にいることから歴史上の人物である〈坂上田村麻呂〉(出身は渡来系氏族)がイメージされていると思われる。〈田村麻呂〉は,797年に蝦夷征討のために桓武天皇(母方の出身は百済系渡来人)により征夷大将軍に任ぜられた平安時代の公卿(武官)である(官位は大納言正三位)。〈田村麻呂〉は,802年に造陸奥国胆沢城使として現在の水沢市に胆沢城を造営するため陸奥国(東北地方)に派遣されている。〈田村麻呂〉が豹の毛皮を着ていたかどうかは定かでないが,豹の毛皮を馬具(鞍の下に当てる敷物)や武具(太刀を被う毛皮の袋)に使用した可能性はある。平安時代に編纂された儀式『西宮記』(公務あるいは宮中行事の際の礼儀作法を規定した編纂物)によれば,公卿で身分が三位の者は豹の毛皮を馬具や武具に使用できるとある(関口,2013)。ちなみに四位と五位は虎の皮の皮,六位は海豹(ラッコ)の皮を使うことができる。このように,賢治が「豹の毛皮のだぶだぶの着物をつけた男」と記した人物は,武官である〈坂上田村麻呂〉がモデルであろう。

 

「烏の王」は,朝廷軍と戦った胆沢の地に拠点を持つ「蝦夷(エミシ)」の族長である〈阿弖流為(アテルイ)〉あるいは〈母禮(モレ)〉がモデルであろう。〈アテルイ〉と〈モレ〉が率いる蝦夷武装勢力は,朝廷軍の集団戦闘を基本とした戦いとは異なり地の利を活かしたゲリラ的邀撃(ようげき)作戦あるいはゲリラ的騎馬個人戦術が得意であったという。下向井(2000)によれば,蝦夷武装勢力の戦術は,「蜂や蟻のように集まってきては挑発し,攻めたら山林に逃げ込み,放置すればまた集まって朝廷側の城塞を侵掠する」方法だったという。

 

「蝦夷(エミシ)」を敵視する朝廷あるいは京都の民衆が,当時彼らをどのよう思っていたのか。それを知る手がりとして,真言宗の開祖である空海(774~835)の書(『性霊集』)がある。空海は,彼らを「毛人」,「羽人」などと呼び,「年老いた烏のような目をしていて,猪や鹿の皮の服を着て,毒を塗った骨の矢を持ち,常に刀と矛を持っている。稲も作らず,絹も織らず,鹿を逐っている。昼の夜も山の中におり,悪鬼のようで人間とは思われない。ときどき村里に来ては,多くの人や牛を殺していく」〈訳は福崎(1999)〉と述べている。誇張もあるとは思われるが,この空海の蝦夷観が当時の都人の共通した蝦夷観と思われる。ここで空海は,「先住民」を「人間とは思われない」,あるいは彼らの目つきを「カラス」の目のようだとしている。その真意は分からないが,「カラス」もまた,黒いことから不吉なものとして嫌われている鳥である。賢治が〈アテルイ〉あるいは〈モレ〉を『ガドルフの百合』で「烏の王」としたのもうなずける。

 

夢の中で争う二人の男は,東北に侵攻してきた朝廷側の男(坂上田村麻呂)と朝廷に「まつろわぬ民」として最後まで抵抗していた先住民側の男(アテルイ)がイメージされていると思われる。賢治と相思相愛の恋人との恋は,京都に都を置く朝廷側と東北の「先住民」の歴史的対立が原因の一つとなって破局したことが示唆されている。

 

また,ガドルフが夢を見たとき,近くに「蟹」の形をした「背嚢」があることも重要である。前稿で述べたように,「蟹」には近親者を殺された「恨み」により仇討ちする者という意味が込められている。すなわち,賢治が投影されているガドルフは歴史的対立から生まれた先住民側の積年の「恨み」を背負ってきたともいえる。(続く)

 

参考・引用文献

原 子郎.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

福崎孝雄.1999.「エミシ」とは何か.現代密教 11/12:120-132.

石井竹夫.2022.童話『ガドルフの百合』考(第2稿)-百合の花に喩えた女性とは誰か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/04/092632

石井竹夫.2023.童話『やまなし』になぜ蟹が登場するのか明らかにする(第1稿)-芥川龍之介の『猿蟹合戦』との関連から-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/03/18/091727

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集.筑摩書房.

信時哲郎.2007.宮澤賢治「文語詩稿 五十篇」評釈 十.甲南大学研究紀要.文化編 (44):29-43.

関口 明.2013.中世日本の北方社会とラッコ皮交易-アイヌ民族との関わりで-.北海道大学総合博物館研究報告 6:46-57.

下向井龍彦.2000.武士形成における俘囚の役割-蕨手刀から日本刀への発達/国家と軍制の転換に関連させて-.史学研究 228:1-25.