宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「みずのそこのまことはかなし」とはどういう意味か (第2稿)-

恋人のことを少しでも知ろうとするには賢治の作品を読み解いていくしかない。恋人との悲恋物語は寓話『シグナルとシグナレス』の〈シグナル〉と〈シグナレス〉の恋として語られているということはすでに述べた(石井,2022a)。しかし,これだけではない。寓話『土神ときつね』や童話『ガドルフの百合』でも二人の悲恋が語られていると思う(石井,2021,2022b;文末に表で示す)。前者は一本木の野原にある奇麗な女の〈樺の木〉をめぐって〈土神〉と〈狐〉が争う物語である。前者に登場する〈樺の木〉は後者に登場する〈百合の花〉と異なり擬人化されていて話し好きである。もしも,この擬人化された〈樺の木〉に恋人が投影されているなら,〈樺の木〉の容姿に関する記載や話す言葉を通して賢治が思っている恋人の「性格」も知ることができるかもしれない。本稿では,寓話『土神ときつね』を読み込むことによって,賢治がアメリカへ駆け落ちすると言ったとき,恋人は賢治について行ったかどうかについて考えてみたい。

 

寓話『土神ときつね』で〈樺の木〉は以下のように記載されている。

 

 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り枝は美しく伸びて,五月には白き雲をつけ,秋は黄金(きん)や紅やいろいろの葉を降らせました。

 ですから渡り鳥のくゎくこうや百舌(もず)も,又小さなみそさゞいや目白もみんなこの木に停(と)まりました。たゞもしも若い鷹(たか)などが来てゐるときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした。

 この木に二人の友達がありました。一人は丁度,五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地(やち)の中に住んでゐる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐(きつね)だったのです。

 樺の木はどちらかと云へば狐の方がすきでした。なぜなら土神の方は神といふ名こそついてはゐましたがごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやう眼めも赤くきものだってまるでわかめに似,いつもはだしで爪(つめ)も黒く長いのでした。ところが狐の方は大へんに上品な風で滅多(めった)に人を怒らせたり気にさはるやうなことをしなかったのです。

                  (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

賢治は〈樺の木〉を「幹はてかてか黒く光り枝は美しく伸びて,五月には白き雲をつけ,秋は黄金(きん)や紅やいろいろの葉を降らせました」と説明している。これは,詩「春光呪詛」の「髪が黒くてながく/しんと口をつぐむ・・・/頬がうすあかく瞳の茶いろ・・・」という詩句や佐藤勝治(1984)が記録していた恋人の容姿「背のスラリとした,色白の美人であった」とほぼ一致する。

 

また,「渡り鳥のくゎくこうや百舌も,又小さなみそさゞいや目白もみんなこの木に停まりました」という記載は,佐藤勝治(1984)の調べた「恋人は友人7~8人の姉さん格」あるいは「りこうで思いやりがあり,よくみんなの世話をした」という恋人像とも一致するように思える。佐藤も述べていたが,このような恋人の強くやさしい気立てや,しゃんとした姿勢,態度などは,武家の出である母親の影響と思われる。

 

ただ,「もしも若い鷹などが来てゐるときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした」はよく分からない。これは単なる推測に過ぎないが,恋人の友人たちはレコード鑑賞会などで恋人が賢治と一緒にいるときは気を利かして近づかなかったのかもしれない。

 

寓話『土神ときつね』には〈樺の木〉の「好み」や「夢中になれるもの」が記載されている。これらも賢治が思っている恋人のものの可能性が高い。

 

〈樺の木〉は友達として〈狐〉と〈土神〉がいるが,どちらかというと〈狐〉の方が好きだった。〈狐〉は「仕立おろしの紺の背広を着,赤革の靴」を履いて,「大へんに上品な風で滅多に人を怒らせたり気にさはるやうなことをしなかった」とあり,〈土神〉は「乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやう眼も赤くきものだってまるでわかめに似,いつもはだしで爪も黒く長い」とある。

 

「一本木の野原」にいる「先住民」の女性が投影されていると思われる〈樺の木〉は,ぼろな服を着て土くさい〈土神〉よりも南の方からハイネの詩集を持ち,大正ロマンを感じさせるハイカラな「仕立ておろしの紺の背広を着,赤革の靴」を履いている〈狐〉の方に心が引かれるようである。〈狐〉が身につけているのや所有物は賢治も持っていた。賢治は大正10年(1921)12月から農学校で講義をしている。最初丸坊主で背広姿であったが,4月には髪をのばしポマードを付けたりもした(畑山,2017)。また,大正12年(1923)の7月31日から8月12日まで樺太旅行をしているが,この時のスタイルは,「パナマハットに白の麻の上下の背広,白と黒のチャックのネクタイ,それに赤革の靴に黒革の鞄」だったという(板谷,1992)。賢治の服装は農作業などではラフな格好をしているが講義や出かけるときはおしゃれだった。

 

また,〈樺の木〉は星について,例えば 恒星と惑星の違い,星に色々な色がある理由を知りたがり,星雲を〈狐〉がじきに手に入れるという望遠鏡で見ることを楽しみにしている。そして,〈狐〉から借りたハイネの詩集を読むことに夢中になり,〈狐〉が所有しているとされる美学の本,顕微鏡,ロンドンタイムス,大理石のシイザアのある書斎を立派だと褒める。賢治がハイネの詩集を持っていたかどうかは定かではないが,芸術,文学,宗教,科学など様々なジャンルの本を蔵書していたことは知られている。すなわち,〈樺の木〉の好みは賢治の恋人の好みでもあったと思われる。

 

一方,〈樺の木〉は〈土神〉の話にはまったく興味を示さない。〈土神〉は〈樺の木〉と会うと,「草というものは黒い土から出るのだがなぜこう青いもんだろう。黄や白の花さえ咲くんだ。どうもわからんねえ」とか「秋のきのこのようなものは種子もなし全く土の中からばかり出て行くもんだ,それにもやっぱり赤や黄いろやいろいろある,わからんねえ」といった風に「土」に関するようなことしか話さない。多分,〈樺の木〉(恋人)は自分を拘束する土地には興味がない。むしろ嫌っている。

 

寓話『土神ときつね』の現存する原稿の表紙には,「土神,……退職教授/きつね,……貧なる詩人 樺の木,……村娘」」と創作メモが残されているが,この〈樺の木〉を東北に先住している女性,〈土神〉を先住民たちの共同体意識を象徴する神,そして〈狐〉を南から西洋文化を持ってきた「移住者」に喩えると理解しやすい(石井,2022c)。ここでいう「先住民たちの共同体意識」とは先住民たちがもつ南から来た「よそ者」に対する疑いと反感の共同体意識である。

 

大正時代は,15年と短いが大正デモクラシーが台頭し一般民衆や女性の地位向上に目が向けられ,また西洋文化の影響を受けた新しい文芸,絵画,音楽,演劇などの芸術が流布し,都市を中心とする輸入物愛好や大正文化が花開いた時期でもあった(Wikipedia)。1920年代の都会に西洋文化の影響を受けたモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガールの略)などの若者たちが現れ,自由恋愛が芽生え始めた時期でもあった。モダンガールは断髪にハイヒールで,映画・ダンス・スポーツを好むなど,開放的で,享楽的な若い女性をいった。 

 

〈樺の木〉は古い封建制社会に縛られるのを嫌い近代に憧れている。小作人のように土地に縛られている〈樺の木〉はハイカラで西洋文化を取り入れた生活を送っているように見える〈狐〉に憧れている。そして,これは私の単なる憶測だが,恋人は賢治に封建制の残る土地から自由のある近代的な生活空間へ連れ出してくれるように願っていたのではないかと思っている。

 

そして,この願いが童話『マリヴロンと少女』(制作年不明)に記載されているように思える。〈マリヴロン女史〉という名は賢治が中学時代に使った英語の教科書中にある「マリヴランと若い音楽家(Malibran and the young Musician)」の「Malibran」によることが知られている(原,1999)。

 

この童話に登場する「あすアフリカへいく牧師の娘」である〈ギルダ〉という少女が「詩ノート」の〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕に出てくる寄宿舎の舎監である賢治に雪の降る夜に何度も逢いに行く恋人と重なる。すなわち,〈ギルダ〉には賢治の恋人が投影されているように思える。童話『マリヴロンと少女』は宗教と芸術の一致が主テーマとされている(吉本,2012)。確かに,賢治は宗教と芸術,あるいは宗教と文学を一致(両立)できたかもしれないが,恋が反対されてしまったので恋と宗教を両立できなくなってしまったのである。

 

歌手である〈マリヴロン女史〉を尊敬し,憧れている〈ギルダ〉という少女がコンサート会場を訪れる。少女は〈マリヴロン女史〉に「わたくしの尊敬をお受けください。わたくしはあすアフリカへいく牧師の娘です」,「先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます」,「あなたは,高く光のそらにかゝります。すべて草や花や鳥は,みなあなたをほめて歌います。わたくしはたれにも知られず巨(おおき)な森のなかで朽(く)ちてしまうのです」と話すと,〈マリヴロン女史〉は「あなたこそ立派なお仕事をあちらにいってなさるのでしょう。わたくしはほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです」と答えて相手にしない。こんな会話が繰り返されたあとに,〈ギルダ〉は「ずっとあなたのそばにいたいから,一緒に連れて行ってください」と懇願するが,〈マリヴロン女史〉はそれにも応じず去っていってしまう。ただ,〈マリヴロン女史〉は去り際に「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。・・・それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」,「私はどこへも行きません。いつでもあなたが考へるそこに居ります。」と答える。しかし,〈ギルダ〉という少女は,この言葉を聞いたあとでも「連れて行ってください」と懇願する。少女は〈マリヴロン女史〉の最後の言葉にも納得しない。

 

歌手である〈マリヴロン女史〉は詩人でもある賢治で,コンサート会場は寄宿舎である。また,〈ギルダ〉が誰にも知られず朽ちてしまうと心配する「大きな森」とは封建的な土地で日本のチベットとも言われていたことのある岩手県北上山地であろう。〈ギルダ〉という名は中世ヨーロッパの職業別組合ギルドがイメージされているように思える。ギルドは封建制の産物とされる。徒弟制度と呼ばれる身分制度が存在し,その頂点に立つ親方は職人・徒弟を指導して労働に従事させた。農民なら地主と小作人の関係である。恋人の実家は蕎麦屋であるが,蕎麦屋にも当時これに似た徒弟制度があったと思われる(根岸,1989)。

 

童話の〈マリヴロン女史〉と〈ギルダ〉の会話は1922年の冬の夜に新しい農学校の寄宿舎で賢治と恋人が語り合った内容をもとにしたのかもしれない。これは私の憶測である。この〈マリヴロン女史〉の最後に語る「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。・・・それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」は賢治が最後に到達した芸術論である。抽象的で分かりにくいが,童話『虔十公園林』(1923 or 1924)にその具体例が記載されている。この童話は軽度の知的障害を持つ〈虔十〉が皆にばかにされながらも杉の苗を植えて林に育てていく物語である。この物語にアメリカに渡って大学教授になった若い青年が登場する。この人物は,〈虔十〉が正しく清く働いて作った林で遊んだことがあり,15年ぶりに帰国したとき,周辺は鉄道が設置されるなど様変わりしているのにその林だけが変わらずに残っていたことに感動して「虔十公園林」と彫った青い橄欖岩の碑を建てる。

 

〈虔十〉が作った林は町の憩いの場所であり高い芸術作品でもある。〈ギルダ〉(恋人)もアメリカへ行かなくても「底」と思うところで〈マリヴロン女史〉(賢治)に劣らない高度な芸術作品を作ることができるのである。「いつでもあなたが考へるそこに居ります」という言葉は,法華経「如来寿量品第十六」の「自我偈」にある「常在此不滅」に対応していることはすでに述べた(石井,2022d)。すなわち,宗教である。芸術と宗教の一致を言っている。全ての人は自分が生きてきた跡に芸術を残すものであり,自分はいつでもあなたが考えるそばにいるというのが賢治の恋人に対して伝えたかったことであろう。「あなたのそばにいる」とはお互いの身体がそばにいるのではなく,信仰を介してそばにいるということである。

 

賢治は恋人の「連れて行ってください」という願いを叶えてやることができないので,みんなを幸いにする「菩薩」の道に進んだ。恋人を幸せにすることよりもみんなの幸福の方が大事だったからではない。賢治はむしろ恋人の方を優先していた。でも恋人の願いを叶えられなかったのである。「冬のスケッチ」〈三十六-五〉には「みぞれのなかの菩薩たち/応はひゞきのごとくなり/はかなき恋をさながらに/まことのみちにたちもどる。」とある。この「まことのみち」とは「菩薩」になる道のことであろう。賢治は恋人を優先したけど,連れ出すことができずに宗教に立ち戻ったのだと思われる。ただ,恋人には理解されなかった。

 

唯一恋人の生の声とされるものが文語詩〔きみにならびて野にたてば〕の下書稿の「  」の中に残されている。この詩には「・・・「さびしや風のさなかにも/鳥はその巣を繕(つぐ)はんに/ひとはつれなく瞳(まみ)澄みて山のみ見る」ときみは云ふ・・・」と書かれてある。この詩句の一部は恋人が渡米後に日本の家族に送った手紙の中にもあったという(佐藤,1984)。私なりに訳してみれば,「人は結婚を反対されても家族を築いていこうとするが純粋な心をもつあなたは皆を幸いにすることしか考えていない・・・」である。恋人は「さびしや」と言っている。花巻から連れ出してもらえない「悲しみ」は「涙」になり,また一人残されて「寂しさ」を生む。恋人は一人寂しくアメリカに旅立ったのであろう。有名な「Tearful eye(涙ぐむ目)」という目(眼)を象った花壇設計のスケッチ図は,賢治が恋人の「悲しみ」を表現したものと思われる。

 

賢治が,「杉」(在来種)の近くで,恋人の名前を呟く詩がある。詩集『春と修羅』(第三集)の〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕(1927.5.14)には,「枯れた巨きな一本杉が /もう専門の避雷針とも見られるかたち/・・・けふもまだ熱はさがらず/Nymph,Nymbus,,Nymphaea ・・・ 」(NymbusはNimbusの誤記?)とある。この詩を書いたのは,恋人がシカゴで亡くなってから1か月後である。「枯れた巨きな一本杉」は,失恋した背の高い恋人のことを言っていると思われる。賢治は,また恋人をNymph,Nimbus,Nymphaeaと形容している。Nymphは「カゲロウ」の幼虫と同じ英語名で,Nimbus(ニムバス)は雨雲(乱層雲)で,Nymphaea(ニンフェア)はスイレン属の植物のことである。

 

Nimbusは官能的なイメージを惹起するので「誘惑する者」の意味も含まれるという。多分,賢治の心を揺さぶる者という意味であろう。Nymphaeaは水瓶に植えるスイレン属(Nymphaea)らしい植物のことである。前述した花壇スケッチ図の眼の両側にある涙を作って貯める涙腺と涙嚢に相当するところに配置される。すなわち,Nymph,Nymbus,,Nymphaeaは「妖精」,「賢治の心を揺さぶる者」,「涙」であり,恋人の生涯も表しているのかもしれない。

 

「みずのそこのまことはかなし」は水の底にいる〈クラムボン〉の「悲しみ」と思われる。〈クラムボン〉はカゲロウの幼虫のことで,幼虫時代は水の底にいるが,脱皮を繰り返して亜成虫になり,羽化して空中にでも飛び出していける。〈クラムボン〉は何処へでもついて行けるのに,動けるはずの〈魚〉は〈クラムボン〉を連れ出さなかった。谷川の水の底から連れ出してもらえなかった〈クラムボン〉の「悲しみ」は賢治の恋人の「悲しみ」でもあると思う。賢治は東北の花巻から離れられなかったが,自由で近代的生活に憧れる恋人は「家制度」と「封建制」が残っている花巻から離れることをむしろ望んでいたように思える。多分,恋人は賢治がアメリカの近代的な農業に関心を持っていたことを知っていたと思われるので,賢治が駆け落ちするといったらそこがどんなに遠いところであっても付いて行ったと思う。実際に,恋人は破局後アメリカに渡っている。

 

異稿「冬のスケッチ」に残されていた童話『やまなし』の創作メモ「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。//みずのそこのまことはかなし」は「さかな(賢治)のクラムボン(恋人)を水底(花巻)から連れだそうとした願いは悲しい/青白き火の点るところ(アメリカ)へいっしょに行きたいという気持ちは強くあったのに/さかな(賢治)が水の底(花巻)から連れ出してくれないのでクラムボン(恋人)の心は悲しい」という意味のように思われる。

 

破局に終わった賢治の恋と童話のキャラクターとの関係図を第1表に示す。

 



参考・引用文献

原 子朗.1999.新宮澤賢治語彙辞典.東京書籍.

石井竹夫.2021.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2022a.シグナルとシグナレスの反対された結婚 (1) -そのきっかけはシグナレスが笑ったから-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/16/1454046

石井竹夫.2022b.童話『ガドルフの百合』考(第2稿)-百合の花に喩えた女性とは誰か.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/05/04/092632

石井竹夫.2022c.寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか (第6稿)-祭られなくなったが先住民の心の中には存在し続けている-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/04/21/104552

石井竹夫.2022d.自分よりも他人の幸せを優先する宮沢賢治 (2)-法華経との出会いと感動した理由-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/01/02/075750

根岸謙之助.1980.職人の技能授受について.群馬大医短紀要.No1.95-105.

板谷栄城.1992.素顔の宮澤賢治.平凡社.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.

 

お礼:Narumiさん いつも本ブログ読んでいただきありがとうございます。令和5年3月1日