宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか (第1稿)-記紀神話,神道,アイヌ神との関係-

寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか 目次

第1稿-記紀神話,神道,アイヌの神との関係-

 はじめに

 1.物語の舞台と時代および〈土神〉の性格

 2.〈土神〉は土地を守護する地主神である

  1)記紀神話や神道に登場する土の神 2)アイヌの土の神

  3)東北の先住民にとっての土の神

第2稿-〈土神〉の棲む祠近くの植物-

  1)苔 2)からくさ 3)短い蘆 4)あざみとかもがや 5)背の低いねぢれた楊

第3稿-鬼神との関係-                                         

 3.〈土神〉はタチの悪い神で,北上平野の沼や北上山地の森に出没する「鬼神」で ある

 4.「鬼神」はアイヌの神と関係する。

 5.〈土神〉は「薬叉」や「樹神」とも関係がある

第4稿-蝦夷との関係-

 6.東北の「アイヌ」は「蝦夷」のこと

 7.「蝦夷」と赤い鉄の渋との関係

第5稿-東北の祭りとの関係-

 8.〈土神〉は東北の祭りと関係する

  1)昆沙門まつり 2)谷権現まつり

第6稿-祭られなくなったが先住民の心の中には存在し続けている-

 9.成島毘沙門堂と谷内権現の創建目的と歴史

 10.〈土神〉が祭られなくなった理由

 11.〈土神〉は先住民の心の中には存在し続けている

 まとめ

 

はじめに

賢治が寓話『土神ときつね』の〈土神〉をどのように発音したのか分からないが,本ブログ記事では〈土神〉は「つちがみ」とする。用いられた原稿用紙などから大正12(1923)年~13(1924)年の作とされている。この寓話は,好きな女の〈樺(かば)の木〉のために嘘をついてしまう〈狐〉と〈狐〉への嫉妬に苦しむ〈土神〉とが悲しい結末を迎える物語である。しかし,この神は不思議な神でもある。神たるものが女性をイメージしている1本の〈樺の木〉を巡って思い悩むことなど考えにくく,ましてやその木を〈狐〉と競い合うというのも理解しにくい。さらに,この神は〈樺の木〉や土の中のミミズには優しいが,よそ者と思われる木樵や〈狐〉にはひどく乱暴に振る舞う。さらによそ者が持ち込んだ西洋の文化には激しく憎悪する。そのせいかどうかは分からないが,〈土神〉は賢治の生きた時代ではもう祭られなくなってしまった。

 

〈土神〉は,様々な神の中でも「土」と関係する神と思われるが,乱暴であることから,この神には祟(たた)り神のように何か得体の知れない物が取り憑いているように思われる。本ブログでは〈土神〉がどんな神なのかを明らかにし,そして取り憑いているものの正体も明らかにする。本ブログは記事のタイトルを「寓話『土神ときつね』に登場する土神とはどんな神なのか」とし,これにサブタイトルを付けて6つの稿に分ける。第1稿は「記紀神話,神道,アイヌの神との関係」について,第2稿は「土神の棲む祠近くの植物」について,第3稿は「鬼神との関係」について,第4稿は「蝦夷との関係」について,第5稿は「東北の祭との関係」について,第6稿は「なぜ祭られなくなったか」(括弧内はそれぞれの稿におけるサブタイトル名)についてである。

 

1.物語の舞台と時代および〈土神〉の性格

物語の舞台である「一本木の野原」は「松がいきなり明るくなつて/のはらがぱつとひらければ・・・」で始まる『春と修羅』の「一本木野」(1923.10.28)という詩が創作された場所とされている(高橋,2011)。一本木野は『新宮澤賢治語彙辞典』によれば「岩手郡滝沢村の柳沢の北方,岩手山の東側の裾野で,かつては松の木が多い原野であった」という(原,1999)。ただ,賢治は物語を創作するとき,その舞台とするところを実在する土地にすることはない。童話『銀河鉄道の夜』でも夢の中の列車は「北十字」(白鳥座)から「南十字」へと進行するが,車窓から見える風景からは南欧からイギリス,北米大陸東方を通って西部コロラドへと地球を西進しているし,日本の東北本線を盛岡の小岩井農場からイギリス海岸をへて種山ヶ原へと走っているようでもある(石井,2020)。だから,物語を注意深く読んでいくと,〈樺の木〉は実在する「一本木野」あたりの野原であるようだが,〈土神〉が祀られている場所は「一本木野」の周辺ではなく別の場所がイメージされている。私は〈土神〉の祠は,第4稿で詳細に説明するが,「一本木野」の東南にあたる花巻市東和町あたりの2つの神社がモデルになっていると思っている。すなわち,「一本木の野原」は滝沢村(現在は滝沢市)の「一本木野」にイーハトヴの複数の場所が重ねられている。

 

時代は,物語にツアイスの望遠鏡,ハイネの詩集,ロンドンタイムス(1788年),遠くで騎兵の練習などの言葉が出てくるので大正時代であろう。詩「風林」(1923.6.3)に「沼のむかふには/騎兵聯隊の灯も澱んでゐる」とある。盛岡市厨川(滝沢村一本木野の南)に明治42年(1909)に騎兵第三旅団が創設されている。

 

登場する主要なキャラクターは〈土神〉,〈狐〉,〈樺の木〉である。このうち,〈土神〉は寓話『土神ときつね』では以下のように紹介されている。

 

〈土神〉の坐(いま)す場所は谷地(やち)にある1間(182cm)の高さの丸太で拵えた小さな「祠」である。そこは,「水がじめじめしてその表面にはあちこち赤い鉄の渋が湧きあがり見るからどろどろで気味も悪い」ところでもある。〈土神〉は,「乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸(もめんいと)の束のやう」で,「眼も赤く」,「きものだってまるでわかめに似て」いて,「いつもはだしで爪も黒く」長いという姿をしているが,〈樺の木〉や〈狐〉には見えて,木樵などの人間には見えない存在として描かれている。また,鳥には〈土神〉の声が聞こえるらしい。〈土神〉は,よく〈樺の木〉のところへ出かけて話をするが,その内容は挨拶言葉を除けば太陽と「土」に関することだけである。〈狐〉が〈樺の木〉と星や恒星や惑星の話をするのとは異なる。〈土神〉は人間が5月9日の自分の祭りに供物を持ってこないと怒って「泥の底に引き擦り込んでやろう」とする残虐な気持ちが湧いてくる反面,「土」のなかのミミズが「死ななければならない状況になったら」自分が「かはってやってもいゝのだ」という優しい心も持ち合わせている。また,〈土神〉は,正直ではあるが素直ではない。猜疑心が強く,あまのじゃくである。

 

2.〈土神〉は土地を守護する地主神である

では〈土神〉とはどのような神なのであろうか。日本の記紀神話や神道に登場する神,北海道の「アイヌ」や東北の先住民の神などで「土」に関係する神を調べて見る。

 

1)記紀神話や神道に登場する土の神

記紀神話や神道に登場する「土」に関する神々は,姿・形を持たないもの,眼に見えないものとされていた。神々は人に姿を見せず,人は神の「坐す」場所や,神の「籠(こ)もる」岩などを礼拝対象としていた(山本,2016)。

 

「土」に関する信仰には「土を神格化した霊(神)に対する信仰」と「土地を守護する神への信仰」の2つが在るという(山根,2022)。「土を神格化した霊(神)に対する信仰」の対象になる神は記紀神話(『日本書紀』)に出てくる「埴安神(はにやすのかみ)」などがある。『古事記』では「波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)」と「波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)という男女二柱の神として登場する。「埴安神」はイザナギが火の神を生んだときに排泄された糞から化生した神とされている。「埴」は「粘土」のことで,糞から「赤土」を連想したものと言われている。

 

この神を祀っている神社として有名なのが奈良県にある畝尾坐健土安(うねおにますたけはにやす)神社である。 祭神は健土安比売神(たけはにやすひめのかみ)すなわち,「埴安神」である。この神社は記紀に出てくる建国神話と関係がある。

 

記紀(日本書紀)の神武紀に,天皇が天の香具山の「土」(赤土)で土器を作って「天神地祇(てんじんちぎ)」を祭り,やがて天下を安定させることができたので,その土を取った処を「埴安」と云う,とある(國學院大學古事記学センター,2022)。「天神地祇」の「天神」は渡来してきて大和朝廷を作った民族の神で,「地祇」は土着の「先住民」の神である。神武天皇は,筑紫の日向(現在の宮崎県)で誕生し,後の東征し奈良盆地一帯の豪族である長髄彦(ながすねひこ)らを滅ぼして一帯を征服し,畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)に遷都して日本国を建国したとされる伝承上の人物である。同じく『日本書紀』の崇神天皇10年9月条には,天の香具山の「土」を「倭国の物実(ものざね)としている。「物実」とは物事のもとになるものをいう(山根,2022)。すなわち,記紀では,天香具山の「土」が古くから倭国そのものとして「呪力」あるいは「霊力」のあるものとされてきた。余談であるが,神武天皇に滅ぼされた長髄彦の兄である安日彦(あびひこ)が「東北」に逃れて「蝦夷」の族長の始祖になったという伝承もある。

 

「土地を守護する神への信仰」における神は,日本の神道で扱われる「地主神(じしゆのかみ)」である。土地ごとにそこを守護する「地主神」がいるとされている。「地主神」への信仰の在り方は多様で,荒神,田の神,客人神,屋敷神の性質がある「地主神」もいる。一族の祖先が「地主神」として信仰の対象になることもある。 ご神体も多様で,自然石,石塔,祠などがあるという(Wikipedia)。現在では,建築物の工事着手の前に執り行われる地鎮祭で祀られる神でもある。土地に手を加えることを神に報告し工事の安全を祈願する。

 

2)アイヌの土の神

「アイヌ」には「埴安神」に相当する「土」の神はないように思える。これは私の単なる推測にすぎないが,北海道の「アイヌ」は国家も「土器」も作らなかった民族なので「土」そのものには興味がなかったのかもしれない。

 

しかし,「アイヌ」には大地の神というのがある。アイヌ文化研究家の更科源蔵(1967)は,山や大地を支配する「シリコムカムイ」(大地または山を所有する神)と,その首長である「シランパカムイ」(大地のすべてをもつ神)の2つの神も挙げている。しかし,神の依り代は,「シランパカムイ」では楢や樺などの堂々と枝を張った巨木であることが多いという。「アイヌ」にとって「大地の神」は「樹木」の神でもある。

 

「シランパカムイ」の「シランパ」はアイヌ研究家のバチュラーの『アイヌ英和辞典(第四版)』によれば,「地上の木(複数)」とある。つまり,「シランパ」とは「木のように地上に立っていること(物語や伝説にのみ発見される古い言葉)」で,shin(地)とan(在る)にpa(peの複数を示す接語パ)が加わった「地にあるものたち」という意味だという。「地にあるもの」は木だけでなく人間や動物もいるが,「アイヌ」は「地にあるもの」の代表を「木(複数)」にしている。同じ事典で「シランパカムイ」は「木の神」となっている(梅原,1996)。また,アイヌ研究家のネール・ゴルードン・マローによれば「シランパカムイ」は「人間の家や道具を提供する木の中,穀物や草の中にもいて,木を成長させ,穀物を実らせる力となる成長の神」でもあるという(梅原,1996)。

 

付け加えておくが,「アイヌ」にとって,個々の木も神である。例えば,イヌエンジュ神,ハルニレ神,ドロノキ神などがある。面白いことに,これら樹木神は記紀神話や神道に登場する神と違って姿や形がある。「アイヌ」の口承文芸の散文説話では人間や蛇の姿になったり,人間に話しかけたりする(安田,2022)。

 

また,梅原(1999)がアイヌ語の「shr(シリ)」と日本語の「しる」は類似しているという面白い仮説を出している。アイヌ語の「shr(シリ)」は「見渡す限りの大地」を意味するが,日本語の「しる(領る)」は「土地を隅々まで領有する」というように変わっている。と言っている。この仮説は,言語学者の大野晋の言説を引き合いに出して立てたらしい。大野は「知る」に関して,「シルとは占領すること,領有することを意味していた。だから天皇が万代に国をシラスと言えば,永久に国を領有してお治めになる。統治されるということだった。領有するとは,物を残るくまなく自分のものにすること。自分の物にするとは,単に所有,領有の意味を超えて,物の性質のすみずみまでも把握することを指していくようになっていく。そこから,シル(知る)が誕生した」と言っている。梅原によれば,アイヌ民族は土地を自分のものにして所有するという観念がなかったからだという。

 

ただ,「アイヌ」の口承文芸である『アイヌ神謡集』(1923.8)の神謡「谷地の魔神が自ら歌った謡“ハリツ クンナ”」(Nitatorunpe yaieyukar, “ Harit kunna)には大地の神に近いものが登場する(知里,1999)。谷地に住む人間のような姿をして,しゃべることもできる「魔神」である(詳細は第3稿で記述する)。

 

3)東北の先住民にとっての土の神

民俗学者の谷川健一(1999)によれば,「東北」にある神社には武甕槌神(タケミカヅチノカミ)など明らかに大和朝廷側と思われる武神や「移住者」が故郷から持ち込んだ神以外に,「蝦夷(エミシ)」などの「先住民」(蝦夷)が信奉していた神があったという。例えば,桃生郡の日高見神社(日高見水神社ともいう)は北上川の水霊を祀っているし,栗原郡の和我神社や胆沢郡の和我叡登拳神社の「和我」もアイヌ語で水をあらわす「ワッカ」を想起させる。玉造郡にある温泉(ゆの)神社や温泉石神社は,鳴子温泉にあり,地元の「先住民」が祀った「温泉」の神とされている。

 

また,朝廷側の蝦夷征討における最前線基地であった多賀城を囲む築地の外に阿良波ゝ岐明神(あらはばきみょうじん)がある。これは外的である「東北」の「先住民」である「蝦夷」に対するものである。「アラハバキ」は「蝦夷」の神であり,「蝦夷」の神をもって外敵である「蝦夷」を撃退するものだという。さらに,谷川(1999)は,「東北」には大和朝廷の進出以前にも神を祀ることが行われていたという。根拠は,斉明天皇5年(659年)に阿倍臣比羅夫が出羽の「蝦夷」を征討したとき,船1隻と五色の絹布をもって「彼(そ)の地(ところ)の神を祭る」と『日本書紀』に記載されていて,「彼の地の神」とは「先住民」が祀った「地主神」にほかならないからだという。これは,前述したように神武天皇が日向から東征し奈良盆地一帯の「先住民」の豪族である「長髄彦」らを滅ぼしたとき,事前に敵地である天香具山の土で土器を造り土着の神を祀ったという『日本書紀』の記述を彷彿させるものである。神武天皇が祀ったとされる土着の神も「地主神」だったのかもしれない。

 

花巻市東和町の丹内山神社にも「先住民」の神が祀られているという。「丹内」はアイヌ語で「tanne(長い),nai(川)」の意味とされてきたが,米地ら(2013)は「tan(こちら側の),Nai(川)」と考えている。丹内山神社の祭神は多邇知比古神(たにちひこのかみ)であるが,本殿裏に実質的な神体と思われる「巨石」(丹内石)が祀られている。丹内山神社の社伝によると,延暦20年(801)に坂上田村麻呂が東征祈願をしているともある。史実に基づくものかどうかは定かでない。事実なら,記紀にある神武天皇や阿倍臣比羅夫のように敵地である土地の神を祭ったのかもしれない。もしかしたら,丹内山神社に祀られている自然石と思われる「巨石」は,北上山地にある丹内山周辺の土地,別の言葉で言い換えれば北上川の東側(こちら側)の土地の「地主神」の神体だったのかもしれない。ちなみに,多邇知比古神はこの地を開拓した祖神とあるが,「丹内」を「タニチ」に読み替え,それにヒコ(彦神)を付加してつくられた地名に由来する神とも言われている(菊池,2022)。ちなみに,丹内山神社にある「巨石」は花崗岩から出来ているらしい。この場所の地質は,北上山地西部の白亜紀に貫入りした人首花崗岩体とのことである(滝おやじ,2013)。花崗岩は風化すると土に還るが,粘りの性質があるアルミナとガラスの素となるシリカを含有するので粘土になる。

 

〈土神〉は,物語の舞台が「東北」と思われるのでこの地に先住していた人たちの信仰する神がモデルになっていると思われる。〈土神〉は前述した性格や祀られている神体から判断すると,記紀神話に出てくる「埴安神」のような「土」を神格化した神というよりは,「一本木の野原」を守護する神,すなわち「地主神」(あるいは「産土の神」)である可能性が高い。なぜなら,よそ者である「木樵」や〈狐〉が「一本木の野原」に侵入してくると排除しようとするが,この野原で生まれた〈樺の木〉を大切にしたり,野原で生まれた「土」の中のミミズに何か命に関わるようなことが起これば自分が身代わりになろうとしたりするからである。

 

ただ,〈土神〉は姿・形があることや動物や人間に危害を加える「鬼神」でもあることから「地主神」そのものではない。「アイヌ」の神や祟り神の要素も併せ持っているように思える。次稿では〈土神〉の正体を神が座(いま)す「祠」近くの植物から明らかにしていく。(続く)

 

参考文献

石井竹夫.2020.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-人間植物関係学会誌 19(2):19-28.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306

菊池展明.2022(調べた日付).風琳堂千時一夜 滝ノ沢神社.http://furindo.webcrow.jp/blog/blog_40.html

更科源蔵.1967.アイヌの神話.淡文社.

高橋直美.2011.宮沢賢治論-「土神ときつね」異読-.ライフデザイン研究.7:223-236.

谷川健一.1999.日本の神々.岩波書店.

滝おやじ.2013.岩手県花巻市東和町谷内 丹内(たにうち)山神社の胎内石(短報)http://chibataki.moo.jp/kyosekiiwate/hanamakitainaiisi/tainaiisi.html

知里幸恵(編訳).2009.アイヌ神謡集.岩波書店.

國學院大學古事記学センター.2022(調べた日付).神名データベース.http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/

山根琴代.2017.土の霊力と土地の神-土をめぐる信仰の民族史-.https://shimamukwansei.hatenablog.com/entry/20170129/1485708882

梅原 猛.1996.日本の深層-縄文・蝦夷文化を探る-.集英社.

山本陽子.2016.見てはならない神々の表現と受容-日本の神々はどのように表されてきたか-.WASEDA RILAS JOURNAL 4 :283-289.

安田千夏.2022(調べた日付).アイヌ口承文芸にみる神々の姿と北海道の樹木.http://kitamap.net/wp-content/uploads/library/nih50_10.pdf

米地文夫・一ノ倉俊一・神田雅章.2013.南部北上山地における毘沙門堂と谷権現の時空間的位置-宮沢賢治のまなざしが捉えたもの-総合政策 15(1):49-63.