宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『ガドルフの百合』考(第2稿)-百合の花に喩えた女性とは誰か

本稿では,「巨きなまっ黒な家」の庭に咲く丈の高い「百合」と,「しのぶぐさ」の上に横たわる「百合」が何を意味しているのについて検討する。

 

1.賢治の恋人との関係

 ガドルフは,「巨きなまっ黒な家」に避難したのちに,庭に雷光で映し出される「しろいもの」を見ることになる。ガドルフはこの「しろいもの」がすぐに白い「百合の花」であることに気づくが,「おれの恋は,いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。」とつぶやく。

 

 向ふのぼんやり白いものは,かすかにうごいて返事もしませんでした。却(かへ)って注文通りの電光が,そこら一面ひる間のやうにして呉れたのです。

「ははは,百合の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤(もっと)もだ。」

 ガドルフの笑ひ声は,風といっしょに陰気に階段をころげて昇って行きました。

 けれども窓の外では,いっぱいに咲いた白百合が,十本ばかり息もつけない嵐の中に,その稲妻の八分一秒を,まるでかゞやいてじっと立ってゐたのです。

 それからたちまち闇が戻されて眩しい花の姿は消えましたので,ガドルフはせっかく一枚ぬれずに残ったフランのシャツも,つめたい雨にあらはせながら,窓からそとにからだを出して,ほのかに揺らぐ花の影を,じっとみつめて次の電光を待っていました。

 間もなく次の電光は,明るくサッサッと閃めいて,庭は幻燈のやうに青く浮び,雨の粒は美しい楕円形の粒になって宙に停まり,そしてガドルフのいとしい花は,まっ白にかっと瞋って立ちました。

おれの恋は,いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕けるなよ。

 それもほんの一瞬のこと,すぐに闇は青びかりを押し戻し,花の像はぼんやりと白く大きくなり,みだれてゆらいで,時々は地面までも屈んでゐました。

 そしてガドルフは自分の熱って痛む頭の奥の,青黝(あおぐろい)い斜面の上に,すこしも動かずかゞやいて立つ,もう一むれの貝細工の百合を,もっとはっきり見て居りました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を,一緒に息をこらして見つめて居ました。

       (中略)

 その次の電光は,実に微かにあるかないかに閃めきました。けれどもガドルフは,その風の微光の中で,一本の百合が,多分たうとう華奢(きゃしゃ)なその幹を折られて,花が鋭く地面に曲ってとゞいてしまったことを察しました。

 そして全くその通り稲光りがまた新らしく落ちて来たときその気の毒ないちばん丈の高い花が,あまりの白い興奮に,たうとう自分を傷つけて,きらきら顫(ふる)うしのぶぐさの上に,だまって横はるのを見たのです

 ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ,丁寧にがたがたの窓をしめ て,背嚢のところに戻って来ました。

       (中略)

(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思ひました。

                     (宮沢,1986)下線は引用者 

 

ガドルフは,館の庭で見た白い「百合の花」に恋人の面影を重ねている。「立てば芍薬,座れば牡丹,歩く姿は百合の花」と美しい女性を「百合の花」に喩えることはよくあることである。ガドルフに賢治が投影されているとすれば,この女性は誰であろうか。多田(1980)は,白い「百合の花」に賢治の初恋の女性が投影されているとした。この女性は,賢治(18歳)が1914年4月に肥厚性鼻炎の手術のために入院した盛岡市内にある岩手病院の看護婦であったと言われている。また,この恋は賢治の片思いであったようでもある。多田が白い「百合の花」をこの看護婦とした根拠の一つは,賢治が入院中に詠んだとされる短歌の中に「雷光」や「白百合」が繰り返し登場してくることによる。

 

「百合(ユリ)」は,ユリ目ユリ科のうち主としてユリ属(学名:Lilium)の多年草の総称である。物語の「ユリ」は「白百合」とあるので,具体的に種を特定しようとすれば,ヨーロッパを舞台と考えれば「マドンナリリー」(Lilium candidum L,)が,我が国の東北とすれば「ヤマユリ」(Lilium auratum Lindl.)が候補にあがる(第1図)。

第1図.ヤマユリ

 

多田(1980,1997)は「白百合」に喩えた看護婦を特定しようとした。有力候補の名前と写真も公表されている。しかし,「白百合」は,本当にこの看護婦のことを指しているのであろうか。恋の対象である「白百合」は,引用文にもあるように10本ほどある「百合」の中でも「いちばん丈の高い花」とある。公表されている写真の女性の背は高くはない。さらに童話では恋の破局で傷ついたのはガドルフだけでなく,相手の女性も強く傷ついたと思わせる語句もでてくる。ガドルフは,「白百合」が嵐で「たうとう自分を傷つけて」しまうのを見ることになるからである。しかし,賢治の初恋は片思いであったとされているので,相手がそれによって強く傷つくということは考えにくい。むしろ,童話『ガドルフの百合』の隠された恋は,相思相愛の恋の相手がモデルになったものと考えた方がよいように思える。

 

賢治は,『ガドルフの百合』を書いたとされる年の直前(賢治は農学校の教員で26歳ごろ)に短期間(1年間ほど)だが相思相愛の恋をしていたとされている(佐藤,1984;堀尾,1984;澤口,2010,2018)。破局後に相手の女性は,渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなっている。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていていた。賢治より4歳年下の背が高く色白の美人であったという。二人の出会いの場所は,賢治と友人の藤原嘉藤治が開催したレコード鑑賞会で,恋人はこの鑑賞会に7~8人の同僚と一緒に参加していたという。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,宮沢家側の近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。この候補に上がった女性の写真と名前も公表されている。また,渡米した後の恋人のシカゴでの生活についての情報も得られている(布臺,2019)。

 

この恋人は,名前を伏せて詩集『春と修羅』(1922)に登場する女性(佐藤,1984),あるいは童話『シグナルとシグナレス』(1923年5月11日~23日の岩手毎日新聞に掲載)に擬人化された信号機シグナレスとして登場してくる女性と推測されている(澤口,2010,2018)。著者も童話『双子の星』に登場するポウセ童子に,また童話『銀河鉄道の夜』(第一次~第四次稿)に登場するジョバンニやその母,および難破船の「女の子」に,この恋人が色濃く投影されている可能性のあることを報告した(石井,2018,2019)。賢治の恋愛時期および相手の女性の容姿から,佐藤らが賢治の相思相愛の恋人と推定している女性が,童話『ガドルフの百合』の「いちばん丈の高い花」と形容された「白百合」のモデルと思われる。

               

2.「しのぶぐさ」の上に横たわる「百合」

物語では,「気の毒ないちばん丈の高い花が,あまりの白い興奮に,たうとう自分を傷つけて,きらきら顫(ふる)うしのぶぐさの上に,だまって横はる」とあるが,この「しのぶぐさ」とはどんな植物なのか。多分,この「しのぶくさ」は「ノキシノブ」のことを言っていると思われる。「ノキシノブ」(軒忍;Lepisorus thunbergianus (Kaulf.)Ching;第2図)はウラボシ科ノキシノブ属に属するシダの一種である。「きらきら顫ふ」という形容が付くのは,この植物が「ウラボシ科」とあるように葉の裏側に一列に並ぶ星のようにも見える円形の胞子嚢を持つことによるのかもしれない。古今和歌集に「君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫の音ぞ悲しかりける」(よみ人しらず)という歌があるが,この「しのぶ草」は「ノキシノブ」のことで「君しのぶ」の掛詞になっている。

第2図.ノキシノブ

 

「ノキシノブ」は,土に直接根を降ろさないで岩や「ケヤキ」や「ブナ」などの古木の幹あるいは神社の檜皮葺(ひわだしゅう)の屋根に着床して葉を伸ばし増えていく(着床植物)。物語で着床される側の樹木としては,大木になる「ケヤキ」(欅,Zelkova serrata (Thunb.) Makino )が推定される。この根拠は,ガドルフが嵐から避難した「稜が五角の屋根」を持つ「巨きなまっ黒な家」のある場所が,平安時代に「蝦夷(エミシ)」に対して征討の拠点とした朝廷側の城柵があった跡をイメージしているからである。「ケヤキ」が,朝廷を象徴する樹木であることはすでに報告している(石井,2018b)。我が国最古の歴史書である『古事記』に記載されている。

 

ガドルフは,繰り返し襲ってくる雷光で背の高い「白百合」が「華奢(きゃしゃ)なその幹を折られて,花が鋭く地面に曲ってとゞいてしまった」と察するが,実際は「うとう自分を傷つけて,きらきら顫(ふる)うしのぶぐさの上に,だまって横はる」のを見ることになる。すなわち,背の高い「白百合」は,嵐で折れてもその頭である花が180度曲がって地表に倒れたのではなく,「ケヤキ」の樹幹に付く「ノキシノブ」の葉の上に寄り添う(君しのぶ)ようにして横たわったと思われる。

 

相思相愛の恋人をイメージできるものが「ケヤキ」に寄り添う姿は,童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)でも見ることができる。この童話では,氷山に衝突して沈没した難破船の乗客と思われる「女の子」と「青年」が銀河鉄道の列車に乗ってくるが,『ガドルフの百合』の「白百合」と同じ恋人がイメージされている「女の子」は,「けやきのやうな姿勢」の「青年の腕にすがって」登場してくる。この場合,青年には賢治が投影されている(石井,2018b)。

 

ガドルフは,この嵐の中で「ケヤキ」に寄り添う「白百合」を直視できないでいる。ガドルフは,「まなこを庭から室の闇にそむけ,丁寧にがたがたの窓をしめて,背嚢のところに戻って」いくことになる。

 

賢治は,「しのぶぐさ」が着床する木の名前を隠したと思われるが,「薔薇いろをうつす雫をつける1本の木」として最後の結末部に再度登場させることになる。(続く)

 

参考文献                 

堀尾青史.1984.解説.pp81-pp95.宮沢賢治.愛の童話集.童心社.

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要14:27-33.

石井竹夫.2018a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋(前編・中編・後編)-.人植関係学誌.17(2):15-32.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705

石井竹夫.2018b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-ケヤキのような姿勢の青年(前編・後編)-.人植関係学誌.18(1):15-23.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2019a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-イチョウと二人の男の子-.人植関係学誌.18(2):47-52.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453

石井竹夫.2019b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-アワとジョバンニの故郷(前編・後編)-.人植関係学誌.18(2):53-69.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/150002

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.

澤口たまみ.2010. 宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.

多田幸正.1980.賢治の初恋と「まことの恋」-『ガドルフの百合』を中心に-.日本文学 29(11):53-661.

多田幸正.1997.「ガドルフの百合」論-宮沢賢治の《内なる旅》-.児童文学研究 30:1-13.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

 

本ブログは,宮沢賢治研究会発行の『賢治研究』145号10-24頁2021年(12月3日発行)に掲載された自著報文「植物から『ガドルフの百合』の謎を読み解く-宗教と恋のどちらがより大切か(上)-」(投稿日は2020年6月1日 種別は論考)に基づいて作成した。ブログ題名は(上)をさらに第1稿と第2稿と第3稿の3つに分けているので変更した。写真(第1図と第2図)はブログ掲載の際に添付した。ブログ掲載にあたり一部内容を改変した。