宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考-蟹の母が子の行動に対して禁止したもの(試論 第2稿)-

前稿で,タネリが「南」の空を「くらげ」の「めがね」で透かして見たものは大都会東京やアメリカのシカゴ,ニューヨークのような伝統が破壊され自由を謳歌できる世界であり,「悪いもの」とは「南」にある別の世界であることを述べた。しかし,「くらげ」の「めがね」で「南」の空を覗くとほんとうにそのような世界が見えるかどうかは疑問である。賢治は読者がそれを不思議に思わないように,童話の前半で「悪いもの」が「南」にある別の世界であることを事前に知らせている。作品前半部は内地の農林学校の〈助手〉とギリヤークの〈風〉や〈波〉との対話が描かれている。ギリヤークとは樺太(サハリン州),アムール川(黒竜江)下流域に住んでいる先住民族・ニヴフのことを指す。多分,ギリヤークの〈風〉や〈波〉には作品後半の先住民のタネリがイメージされている。

 

ギリヤークの〈風〉が「何の用でこゝへ来たの,何かしらべに来たの」,「何してるの,何を考へているの」としつこく尋ねる,ギリヤークの〈波〉も〈風〉の影響を受けて「貝殻なんぞ何にするんだ。」,「そんな小さな貝殻なんど何にするんだ。」と,またしつこく尋ねる。すると〈助手〉は「おれは内地の農林学校の助手だよ,だから標本を集めに来たんだい。」,あるいはむっとして「あんまり訳がわからないな,ものと云ふものはそんなに何でもかでも何かにしなけぁいけないもんじゃないんだよ。そんなことおれよりおまえたちがもっとよくわかってそうなもんじゃないか。」と答える。

 

〈助手〉とは西洋の合理主義的な思考を重視する世界の人を象徴しているように思える。具体的には自分の経験や直観で物事を判断することをせずに,はっきりとした原理や理屈がないと納得できない人のことである。〈助手〉の言葉を借りれば「何でもかでも何かにしなけぁいけない」と思っている人のことである。ただ,この〈助手〉はガチガチの合理主義者ではない「遊び心」も併せ持っている。一方,ギリヤークの〈風〉は経験とか伝統を重んじる世界の人を象徴しているが,西洋に憧れを抱いている。

 

だから,ギリヤークの〈風〉や〈波〉は〈助手〉が樺太に来て貝殻を集めていることが気になってしょうがない。ギリヤークでは遠い別の場所の貝殻を集めて標本にするというような経験も伝統もないからだ。ギリヤークの〈風〉や〈波〉がしきりに〈助手〉に「何の用でこゝへ来たの」とか「貝殻なんぞ何にするんだ。」と尋ねるのは,「何でもかでも何かにしなけぁいけない」という西洋の合理的思考法の存在を知っているからとも思える。すなわち,賢治が生きた時代,日本の北の果てにまで西洋の文化が浸透していたと思える。

 

大正12年(1923)に賢治が南樺太を訪れたとき,大泊から栄浜へ到る鉄道・東海岸線を利用している(萩原,2000)。『春と修羅』の「火薬と紙幣」(1923.10.10)には「鳥は・・・遠いギリヤークの電線にあつまる/赤い碍子のうへにゐる」とある。赤い碍子は高圧送電線を支えるものである。鉄道や電気がギリヤークの住むエリアにまで及んでいる。知里幸恵(1978)の『アイヌ神謡集』「序」(1923.8.10)には北海道のアイヌの先祖代々の土地が「南」から来た移住者たちによって開拓されていく様子が描かれている。

 

その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人たちであったでしょう。冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉のような小舟を浮かべひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮らして蕗とり蓬摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。・・・それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けていく・・・僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり,しかもその眼からは一挙一道宗教的観念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行く手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの・・・それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。

      (『アイヌ神謡集』序文 知里,1978)下線は引用者 以下同じ

 

 

繰り返すが,ギリヤークの〈風〉や〈波〉は北海道アイヌと同様に「不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行く手も見わかず」であり,また〈助手〉の背後にある西洋の近代的文化には憧れを抱いている。だから,〈助手〉が「何でもかでも何かにしなけぁいけないもんじゃない」と言ったとき,ギリヤークの〈波〉は「少したじろく」が「おれはまた,おまへたちならきっと何かにしなけあ済まないものと思ってたんだ。」と言い返すのである。ギリヤークの〈波〉が「だじろく」のは〈波〉の本心を〈助手〉に見抜かれていたからである。また,〈助手〉が「何でもかでも何かにしなけぁいけない」という合理主義的な思考法を「もんじゃない」という言葉を付け加えて否定するのは,〈助手〉が自分はガチガチの合理主義者ではなく,先住民と同じ「遊び心」も持っているからだと思われる。すなわち,〈助手〉は何かの目的があって貝殻を集めていたのだが,それだけではなかったのだ。目的とは別に集めることが好きなのだと思う。遊びが半分入っている。むしろ,ギリヤークの〈風〉や〈波〉すなわち先住民たちの方が本来持っているはずの「遊び」を忘れてしまっているように思える。

 

奥野健男(1972)が原っぱでの子供の遊びが狩猟・採集文化時代の真似であるという仮説を出している。

 

“原っぱ”で子供たちはなにをして遊ぶのか。蝉やとんぼはじめ,いろいろな虫を採る。みみずを掘る。石や金具やかわらけを集める。どんぐりや椎の実を拾い,木に登り,雑草を引っこ抜き,根っこを掘る。もぐらや猫を追いかけ,パチンコで鳥を打つ。石や瓦をすりあわせ,粉をつくり葉っぱにもりわける。土や砂をこねくりどろんこあそびをする。・・・・ひとつとして農耕,農民を真似した遊びはない。すべて狩猟・採集文化時代の真似である。フロイドの言う快楽原則にかられての遊びである。それは都会だけでなく水稲農業の行われている農村の子供の遊びも同じである・・・・民族の深層意識として,弥生文化以後二千年前後の文化よりはるかに深く影響を与えた縄文文化期を“原っぱ”の遊びは象徴しているのではないか。注:「かわらけ」とは素焼きの土器のことである。

                             (奥野,1972)

 

 

北海道や樺太に住んでいるアイヌは狩猟・採集民族である縄文人の末裔だとされている。樺太のギリヤークも同じような狩猟・採集民族と思われる。多分,樺太のギリヤークは急激な近代化の波に飲まれて「遊び」を忘れかけているように思える。作品後半でタネリは浜へ孔石(あないし)を拾いに行く。タネリにとって孔石を拾うのは「遊び」と思われるが,浜についたタネリは「こんな孔石はいくらでもある。それよりあのおっ母の云ったをかしなものを見てやらう。」と孔石を拾うのを止めてしまう。すなわち,タネリは「遊び」よりも別の世界を見ることに夢中になっているのである。

 

そして,タネリは「くらげ」の「めがね」で大都会東京やアメリカのような別の世界があることを知ってしまったのである。だから,タネリの居る場所が青い空や美しい花がたくさんあると感じることができなくなってしまったのだ。タネリは別の世界が素晴らしいと思えば思うほど,自分の住んでいる世界は時代遅れのみすぼらしい世界に思えてしまう。別の世界を見ることが新しい「遊び」になってしまった。しかし,タネリの前にはそれに追い打ちをかけるように犬神が現れ,犬神によって蟹にされ海の底の穴の中にいるチョウザメの下男にされてしまう。

 

すなわち,母がタネリに「くらげ」の「めがね」で透かして見てはいけないと言ったのは,「悪いもの」である別の世界を見てはいけない,あるいは南から別の世界の文化を持ち込むストレンジャー(悪いもの)に接触してはいけないという意味である。秋枝が言うような「死後の世界」を見てはいけないということではない。

 

では童話『やまなし』の兄弟の〈蟹〉や〈クラムボン〉の母はどうであろうか。多分,この母もタネリの母と同様に子である兄弟の〈蟹〉や〈クラムボン〉にストレンジャーである移入種の〈魚〉と接触しないように忠告していたと思われる。だが,子供らは母の忠告を守っていない。〈蟹〉は鉄色の〈魚〉が〈クラムボン〉の上を行ったり来たりしているのを見ているし,〈クラムボン〉は跳ねたり笑ったりして,鉄色の〈魚〉から求愛もされている。子供らは〈魚〉と明らかに接触している。〈蟹〉や〈クラムボン〉がもとは人間だったとすれば,子供らは母の禁止事項を守らなかったので谷川の神によって〈蟹〉や正体不明の〈クラムボン〉にされてしまったのかもしれない。〈蟹〉は冬なのに陸上で冬眠もできずに谷川の川底に追いやられ,また脚が8本もあるのに横歩きしかできない。〈クラムボン〉も川底の石の下に閉じ込められているようである。物語には登場してこない母は怒っているのだと思う。

 

参考・引用文献

萩原昌好.2000.宮沢賢治「銀河鉄道」の旅.河出書房.

奥野健男.1972.文学における原風景.集英社.

知里幸恵.1978.アイヌ神謡集.岩波書店.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.