宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -なぜ十二月にしか出てこない「やまなし」が題名になっているのか-

宮沢賢治の『やまなし』は昭和46年(1971)版(『小学新国語六年上』)に掲載されて以来今日まで国語教材として使われてきた。国語教材の「てびき」の平成17年版と平成27年版に「なぜ,十二月にしか出てこない「やまなし」が題名になっているのだろう。理由を考えてみよう」とある。本稿では,その疑問に答えてみたい。

 

国語教材の「てびき」にある疑問を別の言葉に換えてみれば,第一章「五月」で谷川に「樺の花」が流れてくるのに,なぜ第二章「十二月」では別の木である「やまなし」の実を落ちてくるのであろうかということになる。童話『やまなし』は「うそ」と「ほんとう」が入り混じっているということはすでに述べた(石井,2023)。第二章「十二月」で「やまなし」の実が落ちてきたのは「ほんとう」と思われる。父親の〈蟹〉は「遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして,よくよく見て」から,「あれはやまなしだ・・・・あゝいゝ匂いだな」と言っていることや,さらに流れていく「やまなし」を追いかけて枝に引っかかって止まったところで再度形と匂いを確認して「やっぱりやまなしだよ」と言っているからである。父親の言葉は,非常に高い観察力と再確認する慎重さに裏打ちされているので「ほんとう」のことであると思われる。

 

では,第一章「五月」で谷川に流れてくる「樺の花」はどうであろうか。「樺の花」が流れてくる場面は〈かわせみ〉が飛び込んできたあとである。

 

『ふうん。しかし,そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ。大丈夫だいじょうぶだ,安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』

『お父さん,お魚はどこへ行ったの。』

『魚かい。魚はこわい所へ行った』

『こわいよ,お父さん。』

『いゝいゝ,大丈夫だ。心配するな。そら,樺(かば)の花が流れて来た。ごらん,きれいだらう。』

 泡と一緒に,白い樺の花びらが天井をたくさんすべつて来ました。

『こはいよ,お父さん。』弟の蟹も云ひました。

 光の網はゆらゆら,のびたりちゞんだり,花びらの影はしずかに砂をすべりました。

                       (宮沢,1985)下線は引用者

 

前稿で,父親の「樺の花が流れて来た」はうそっぽいということを述べた(石井,2023)。川底から水面に流れている花(あるいは花びら)を見て即座に「樺の花」と断定できるものであろうか。5月は樺の木以外に花の咲く植物がたくさんあると思われる。植物に精通している者でも水面に流れている花びらを川底から見て即座に植物名を言い当てるのは難しいと思われる。

 

語り手も「泡と一緒に,白い花びらが天井をたくさんすべって来ました」と言っている。語り手の言う「泡」が子供の〈蟹〉の吐(は)いた「泡」かどうかは定かではないが,これも何かうそっぽい。「カニ」は陸上では「泡」を吐くが,水中で「泡」を吐くことはない(石井,2023)。子供の〈蟹〉が「泡」を吐くというのは「うそ」である。だから,語り手は「うそ」と一緒に白い花びらが流れてきたと言ったのかもしれない。「樺の花」は東北では「カスミザクラ」(Cerasus leveilleana (Koehne) H.Ohba)や「オオヤマザクラ」(Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)などが候補にあがる(石井,2021)。家族が行う「花見」の対象にもなる美しい花を咲かせる。多分,父親の〈蟹〉の「樺の花が流れてきた」という発言は子供を安心させるためについた「うそ」とも思われる。

 

岩手生まれのエッセイスト澤口たまみ(2018)は,この「白い樺の花」を同じバラ科サクラ亜科ナシ属の「やまなし」の花だと推定している。賢治と同じ風土で生まれ育った者の直感かもしれない。私も澤口の推測を支持したい。童話『やまなし』の第一章「五月」では谷川に「やまなし」の花が流れてきて,第二章「十二月」では「やまなし」の実が落ちてきたのである。すなわち,両章とも「やまなし」が登場していたのである。ただ,「五月」の「白い樺の花」と「十二月」の「やまなしの実」が同一の木のものであるという澤口の説に疑問がないわけではない。「白い樺の花」は上流から流れてくるのであり,「やまなしの実」は蟹の頭上から落ちてくるからである。すなわち,「やまなし」は少なくとも2本以上ないと説明できないように思える。

 

もう一つ気になることがある。父親の〈蟹〉は「樺の花が流れてきた」と言っているのに,語り手は「樺の花がすべつて来ました」あるいは「花びらの影がすべりました」と言っていることである。「滑る」とは「落ちる」とか「下がる」という意味にもなるので不吉である。子供の〈蟹〉も「こはいよ,お父さん。」と言っている。第二章「十二月」で不吉なことが起ることを予兆しているように思える。実際に恋人が投影されている「やまなし」の実が落ちてくる。

 

童話『やまなし』の「やまなし」はバラ科サクラ亜科ナシ属の「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maxim.var.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)が有力候補にあがっている(石井,2022)。「いわて天然記念物めぐり」(2023)というHPで,八幡平市の七時雨(ななしぐれ)山麓にある「イワテヤマナシ」が5月下旬に花を咲かせている写真が紹介されていた。写真には「純白の花が樹冠をおおっているヤマナシの姿」という説明文が添えられている。また,岩手県大船渡市三陸町綾里に住む方の「大小迫 つむぎの家」というブログでは,「イワテヤマナシ」の花が5月23日に撮影されている。岩手県では5月下旬ごろに花を咲かせるようである。また,東北の「樺桜」である「カスミザクラ」は5月初旬に花を咲かせるという(花巻神社,2023)。

 

ちなみに,神奈川県平塚市総合公園の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia;ピルス・ピリフォリア)は毎年3月下旬ごろに花を咲かせる(平塚市の博物館日記,2023)。令和5年(2023)3月20日(月)に総合公園を訪れてみた。第1図に示すように「ヤマナシ」が白い花を咲かせていた。「ヤマナシ」はソメイヨシノと異なり花と葉が一緒に咲くので花が目立たない。今年は暖かい日が続いたせいか開花が早まり満開を過ぎて花が散り始めていた。地面に花びらをたくさん見かけた(第2図A)。近くに種は分からないが「サクラ」(オオシマザクラ?)の花が咲いていた。地面に花びらも落ちていた(第2図B)。落ちた花びらだけで種を同定したり両者を区別したりすることはできない。ただ,花びらを拾って2つ並べてみると違いがあるのは分かる(第3図)。一方は薄いピンク色だし,形も異なる。しかし,植物名を当てるのは難しい。

 

第1図.平塚市総合公園のヤマナシ.

 

第2図.散ったヤマナシ(A)とサクラ(B)の花びら.

 

第3図.花びらの比較.左2枚がヤマナシで右2枚がサクラ.

 

 

参考・引用文献

石井竹夫.2022.童話『やまなし』に登場する「やまなし」が「イワテヤマナシ」である可能性について (1)(2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/10/094359 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/11/085347

いわて天然記念物めぐり.2023(調べた年).七時雨のヤマナシ.http://kihan5.sakura.ne.jp/utimuronasi.html

石井竹夫.2023.童話『やまなし』に記載されている「うそ」と「ほんとう」を分けて明らかになること (第1稿)(第2稿)(第3稿).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/01/09/131631 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/01/10/090537 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/01/11/072410

博物館日記.2023(調べた年).総合公園のヤマナシ. http://www.hirahaku.jp/blog/?p=1374

花巻神社HP.2023(調べた年).カスミザクラ.       https://www.hanamaki-jinja.com/blank-14

「大小迫 つむぎの家」.2023(調べた年).イワテヤマナシの花が咲きました.https://blog.goo.ne.jp/yukitixyann/e/792c232a1d3196287f395e4ce747dde2

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.