宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』になぜ蟹が登場するのか明らかにする(第3稿)-童話『二十六夜』との関連から-

童話『やまなし』が「仇討ち」を重要なテーマにしているという私の推測は,童話『やまなし』と同時期に書かれ,同じく「仇討ち」がテーマになっている童話『二十六夜』(1922 or 1923)を読むことで確実なものになってくる。童話『二十六夜』には小鳥や田螺の命を奪って生きることを業とする梟(ふくろう)が登場する。この梟を武士に読み替えることもできる。武士とは戦闘あるいは人を殺めることを生業とするものたちだからだ(高瀬,2012)。

 

童話『二十六夜』の概略は以下の通り。

 

場所は羅須地人協会の南東に位置する獅子鼻にある松林である。ただ,西の方から汽車の走る音が繰り返し聞えてくる場所でもある。時は旧暦の6月24日~26日の3日間。この間,梟の坊さんが信徒の梟たちを集めて「梟鵄救護章(きょうしくごしょう)」の読経と講釈を行っていた。「梟鵄救護章」は猛禽類の梟が,暗闇に乗じて小鳥や田螺の命を奪って生きている宿命的悪業からくる輪廻の苦しみをどう克服すべきかが説かれている経である。捨身菩薩の疾翔大力(しっしょうたいりき)が弟子の爾迦夷(るかい)に説法する形式を取っている。疾翔大力は捨身菩薩の別号あるいはあだ名のようなものである。この物語では坊さんの講釈を熱心に聞く穂吉という梟の子供が登場する。3人兄妹の1疋である。

 

24日晩は梟たちが集まる松林で,疾翔大力がかつて「一疋の雀」であったこと,飢饉のときにある人間の親子を捨て身で助けたということで捨身菩薩になった因縁が説明される。また,爾迦夷が捨身菩薩の弟子になった因縁も語られる。

 

25日朝に穂吉は兄弟と一緒に西の人間の居るところへ遊びに出かけてしまう。遊びにいったところは実相寺あたりと思われる。そして,草刈りに来ていた2人の人間の子供に見つかり,そのうちの1人に捕まってしまう。穂吉が捕まったことを兄弟から知った梟たちは穂吉のところへ向かい,その様子を他の仲間や家族に知らせた。その日の晩,坊さんの説教の集まりで,梟の年配者は偵察隊の梟に「怒って人に噛みついたりしてはいけない。今まで通り温和(おとな)しくしていろ,決して人に逆らうな」,また坊さんは「ひどい目にあうて,何悪いことしたむくいぢゃと,恨むやうなことがあってはならぬ」と穂吉に伝えるように言う。穂吉は普段から年配者や坊さんの説教を熱心に聞いていたせいか,捕らえられ左脚に「赤い紐」を結ばれていても温和しくして臼の上に止まっていた。ただ,最初はこの紐を引き裂こうとしていたが泣くことはなかったという。

 

26日朝,人間の子供は1日穂吉と遊んだようだが,飽きてしまったようで脚を折ったのち逃がした。晩に穂吉は瀕死の状態ではあるが松林に坊さんの説教を聞きにきていた。若い梟たちは穂吉が人間の子供に脚を折られて戻されたことに怒り人間に仕返しをしようとする。しかし,梟の坊さんは,「尤(もっとも)ぢゃ。なれども他人は恨(うら)むものではないぞよ。みな自みづからがもとなのぢゃ。恨みの心は修羅(しゅら)となる。かけても他人は恨むでない。」,また「これほど手ひどい事なれば,必らず仇を返したいはもちろんの事ながら,それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽はれるときは,かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ,この身終って次の生(しゃう)まで,その妄執は絶えぬのぢゃ。遂には共に修羅に入り闘諍しばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。」(宮沢,1985 下線は引用者)と諭す。

 

最後に二十六夜の月から紫の雲と一緒に三人の立派な人たちが穂吉を迎えにきたかのように現れる。梟たちが「南無疾翔大力,南無疾翔大力」と声高らかに叫ぶと捨身菩薩である疾翔大力の姿が十丈ばかりに見え左手がこっちへ招くように伸び,いいかおりがする。そのあと紫の雲も疾翔大力の姿が消え,穂吉は笑ったまま息がなくなる。で物語は終わる。

 

童話『二十六夜』で重要なのは,梟の穂吉が人間の子供に捕らえられてもおとなしくしていたし,また脚を折られても仕返しをしなかったことである。穂吉は熱心に坊さんの説教を聞いて仏の「慈悲」について学んでいたからだと思われる。すなわち,人間の子供を「憎む」あるいは「恨む」のではなく「憐れむ」ようにしたのだと思われる。穂吉は他の梟たちに仕返しをしてくれとも言っていない。穂吉は自分を犠牲にしてでも人間の子供が仕返しされないようにしたとも読める。だから,臨終時に幻影としての捨身菩薩・疾翔大力が穂吉を手招きするように現れたり,自らも微笑みを浮かべたりすることができたのだと思われる。肉食の梟の穂吉は過去の悪行による輪廻の苦しみから解放されたことが暗に示されている。

 

穂吉の「穂」は「稲穂」の穂であり,「吉」は「良いこと」という意味でもある。つまり,猛禽類の梟である穂吉は生まれ変わったら雀のような鳥になるのだと思われる。雀は穂吉のように稲田などのある人の気配がするところが好きである。「梟鵄救護章」では疾翔大力はかつて一疋の雀であったとされていた。もしかしたら,この一疋の雀の前世の姿は穂吉のような梟であったのかもしれない。

 

童話『二十六夜』に登場する坊さんの説法は仏の慈悲を説いているものであり,芥川龍之介の『猿蟹合戦』に登場する宗教家の「仏の慈悲を知っていれば,蟹は猿の所業を憎む代わりにそれを憐れんだであろう」という言葉と同じである。さらに,両作品の創作年度も同じなので,賢治は『猿蟹合戦』で主張されている「蟹」の「仇討ち」が時代遅れで極刑に値するものでもあるとする論理と,宗教家が言った「ああ,思えば一度でも好いから,わたしの説教を聴かせたかった」という言葉に共感して〈蟹〉を登場させた童話『やまなし』や童話『ガドルフの百合』,童話『二十六夜』を執筆したと思われる。賢治は,童話『二十六夜』で「恨みの心は修羅となる」ということを繰り返し言っている。賢治は結婚に反対する人たちにこの言葉が届けばと願ったにちがいない。

 

参考・引用文献

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集.筑摩書房.

高瀬 武志.2012.武士道思想における死生観に関する考察-中世期の武士像を中心に-.順天堂スポーツ健康科学研究.3 (3 ):151-166.

 

旧暦の6月24日~26日は新暦に直すと1922年なら8月16日~18日で1923年なら8月6日~8日である。

 

お礼:gungunirpspさん 本ブログ記事を読んでいただきありがとうございます。令和5年3月23日