宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』に記載されている「うそ」と「ほんとう」を分けてみて明らかになること (第3稿)

第1稿と第2稿で童話に記載されている「うそ」と思われることを列挙した(第2表)。本稿では「ほんとう」と思われることをあげてみる。また,後半部で「うそ」と「ほんとう」を分けて明らかになったことについて述べてみる。

 

 

2.「ほんとう」と思われること

1)「五月」に〈かはせみ〉が〈魚〉を谷川から連れ出したこと

「かわせみ」と「サカナ」は捕食するものと捕食されるものの関係にあるので谷川で実際に起ったことであると思われる。

 

2)「十二月」に父親の〈蟹〉が谷川に落ちてくる黒い円い大きなものを「やまなし」と言ったこと

父親の〈蟹〉は「遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして,よくよく見て」から,「あれはやまなしだ・・・・あゝいゝ匂いだな」と言っていることや,さらに流れていく「やまなし」を追いかけて枝に引っかかって止まったところで再度形と匂いを確認して「やっぱりやまなしだよ」と言っている。父親の言葉は,非常に高い観察力と再確認する慎重さに裏打ちされているので「ほんとう」のことであると思われる。

 

3)「十二月」に谷川に落ちた「やまなし」の果実が沈み,浮き上がり,流れて,木の枝に引っかかって止まり,二日経つと再び沈むということが予想されていること

この複雑な果実の動きは「うそ」みたいだが「ほんとう」のことと思われる。童話の「やまなし」はナシ属では「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)の果実が有力候補になるが,入手困難なので同属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia;ピルス・ピリフォリア)の果実を用いて実験してみた。  

 

「ヤマナシ」の樹上から落ちたばかりの新鮮な果実はコップの水に落とすと沈んでしまう。浮き上がることはない(石井,2022g)。しかし,しばらく放置し水分が蒸散し果皮に皺ができた果実を使うとまったく逆の結果が得られた。萎れた果実のいくつかはコップに落とすと沈んだのちに浮き上がるのである。ただ,浮いたあと再び沈むことはなかった(2022h)。

 

さらに,氷の付いた「ヤマナシ」の果実をコップの水に落とす実験もしてみた。「ヤマナシ」はコップの底に沈んだのち浮き上がった。そのあと浮いた状態を保っていたが,しばらくすると再び沈んだ(石井,2023)。東北の12月は氷点下になるので果実に氷が付くことはあり得ることと思われる。「イワテヤマナシ」でも同様の結果が得られる可能性は高い。すなわち,谷川に落ちた果実が「木の枝に引っかかって止まり」までなら,萎れた果実を使えば再現可能であり,また「二日経つと再び沈む」は氷のついた果実を使えば再現可能である。ただ,このような実験をしても「ほんとう」であろうと推測するしかない。実験材料や環境が「ほんとう」ではないからである。

 

童話『やまなし』は,谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉(=カゲロウ)とあとから谷川にやってきた〈魚〉の悲恋物語りであることはすでに報告した(石井,2021a)。「十二月」の「やまなし」の果実の複雑な動きは,賢治の恋人の破局時の心理状態が反映されていると思われる(石井,2022e)。

 

3.「うそ」か「ほんとう」かまだ区別できていないもの

1)谷川に落ちた「やまなし」の果実がお酒になるということ

父親の〈蟹〉は「もう二日ばかり待つとね,こいつは下へ沈んで来る,それからひとりでにおいしいお酒ができるから」と言っていた。ほんとうだろうか。天然には野生酵母があり,糖度の高い果実に付着したりすると,それが自然発酵(アルコール発酵)することは理論的にあり得るとされている(石井,2022i)。しかし,酒(1%以上)と呼ばれるほどの度数のものが人工的な操作を加えないでもできるかどうかは分からない。度数を考慮しないならあり得る話だと思える。実際に,12月に平塚市の総合公園で採取した「ヤマナシ」Pyrus pyrifolia)の果実の中には甘い匂いを出しているものがいくつかあった(石井,2023)。

 

3.「うそ」と「ほんとう」を分けて明らかになること

「うそ」と思われるものの多くは〈蟹〉の親子が言っていることの中にある。父親の〈蟹〉は非常に高い自然観察力と再確認する慎重さを持っているが「うそ」も平気で吐(つ)いてしまう。蟹たちには東北の農民などの先住民が投影されていると思っている。100年前の東北の農民も間違った情報を日常の中で頻繁に使ってしまうのであろうか。

 

岩手県の山村に生まれ,古着の行商人をしていた大牟羅 良(1958)が昭和20~24年頃の東北の農民について調査し,その結果を『ものいわぬ農民』という著書にまとめている。そこには,小作人である農民が「地主」に「反感」を持ちながらも沈黙する姿が描かれている。農民たちは,「地主」や「よそ者」には口を閉ざすが,しがない行商人には嘆きや怒りなど「ほんとう」の気持ちを吐きだす。この生の声を集めた著書に「うそ」を言う農民も描かれている。

 

ある農村の青年の言葉として「新聞を読むとセッゴケ(怠け者)だといい,意見をはくとセッゴケという。ものいえば,ふでえ(ひどい)しわざといわれるから,みんな黙ってる。ひとにしゃべることは反対のことばかり。金持ってる人にきくと,生活は楽でねえどいい,金ない家では,困んねえという。ヨメとシュウトメはうまくいがねえ。だども,ひとにきがれると,ヨメッコは“アッパ(母さん)はよぐしてくれる”といい,シュウトメは“オラのヨメッコはえぐ(よく)かせぐ”という。おれにはわがらねえス・・・」(19頁;下線は引用者)とある。

 

また,老婦人の言葉として「おら十五になる時,この家さ,嫁つコに来て,ひどい姑につかわれて,ごで爺(夫)は若(わげ)え時から,村役(村議など)だ何だって,仕事もしねえでぶらぶらして,おら一人でかせえで,着物も脱がねえで二時間休んだが? それくれえにして働いでも,税金も払えねえで・・・」(140頁;下線は引用者)とある。

 

「ヨメとシュウトメはうまくいがねえ。」や「嫁つコに来て,ひどい姑につかわれて」は声にはならない「ほんとう」の言葉で,人に尋ねられて嫁が「アッパ(母さん)はよぐしてくれる」と言ったり,姑が「オラのヨメッコはえぐ(よく)かせぐ」と実際に言ったりするのは「うそ」であると思われる。この引用文の「うそ」は分かりやすいが,分かりにくい「うそ」が世の中にはたくさんあるように思える。分かりにくい「うそ」や「うそ」と言う自覚のない「うそ」は「誤解」を生み,争い事のきっかけを作ってしまうこともあるかもしれない。

 

童話『やまなし』は,前述したように谷川の川底に先住していた〈クラムボン〉とあとから谷川にやってきた〈魚〉の悲恋物語である。〈クラムボン〉には恋人が,〈魚〉には賢治が投影されている。賢治が童話の中にたくさんの「うそ」を入れたのは,自分たちの恋が「うそ」や「間違い」の情報をきっかけにして破局してしまったことによるからと思われる(石井,2021a,2022d)。地方紙に発表したのもこの「誤解」を解こうとしたからとも思える。

 

賢治は,この破局した恋を通して,「ほんとう」と「うそ」を区別することの重要さを学んだのだと思われる。「ほんとう」と「うそ」を区別することで新たな真実が見えてくると確信したに違いない。この賢治の確信はその後世界に類のない思想を生むことになる。童話『銀河鉄道の夜』は「ほんとう」と「うそ」を区別することが重要なテーマの1つになっている。例えば,〈鳥捕り〉がジョバンニとカンパネルラに「鷺の(さぎ)の押し葉」を見せて食べるように勧めるが,二人は〈鳥捕り〉の言葉を「うそ」と見抜く(石井,2021d)。また,第三次稿で,賢治は「ある時代でほんとうと考えられていたことも時代が変わるとうそになる」ことや「ほんとうの考えとうその考えを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰(宗教)も化学(科学)も同じになる」(括弧内は引用者)ということをセロのような声の人に言わせている(石井,2021c)。童話『銀河鉄道の夜』は,賢治が生涯に渡って研鑽を重ね続けた末の思想の到達点でもある。

 

参考・引用文献

石井竹夫.2021a.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(1)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/08/095756

石井竹夫.2021c.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306

石井竹夫.2021d.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』-鳥の押し葉-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/05/102845

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』の第一章「五月」に登場する〈カワセミ〉の眼は黒いはずなのになぜ赤いと言うのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/24/083020

石井竹夫.2022d.童話『やまなし』考 -クラムボンは笑った,そして恋は終わった-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/02/01/101846

石井竹夫.2022e.童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第1稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/23/091745

石井竹夫.2022g.童話『やまなし』に登場する「やまなし」の実は水に浮くが「イワテヤマナシ」も同じように浮くのか.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/08/171645

石井竹夫.2022h.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/20/091202

石井竹夫.2022i.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈み,しばらくすると酒ができるとあるが (1).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/18/190012

石井竹夫.2023.童話『やまなし』考 -氷のついた「ヤマナシ」(Pyrus pyrifoliaの実は水に落ちて沈み,浮かび,再び沈む-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2023/01/01/142754

大牟羅良.1958(第1刷).ものいわぬ農民.岩波書店.

 

お礼 Narumiさん.本ブログ記事読んでいただきありがとうございます。励みになります。令和5年1月13日