宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』に登場する「やまなし」の実は水に浮くが「イワテヤマナシ」も同じように浮くのか

童話『やまなし』の第二章「十二月」で,「やまなし」の果実は「ドブン」と谷川に落ちたあと「ずうつとしずんで又上へのぼって」行き,そのあと「流れて」,そして「横になって木の枝にひっかかってとまり」,「二日ばかり」過ぎると「下へ沈んでくる」とある。すなわち,この果実は水に浮くのである。では,「やまなし」の有力候補にあがっているバラ科ナシ属の「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)の果実も水に浮くのであろうか。本稿では「イワテヤマナシ」の代わりに同じバラ科ナシ属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の果実の特徴を調べることによって,その答えを推測してみた。 

 

「りんご」(バラ科リンゴ属)を水に落としてみれば分かるが,「りんご」はいったん水に沈むが,そのあと再び浮き上がってくる。

 

賢治も「りんご」が沈んでまた浮き上がるのを見ている。稗貫農学校の生徒が大正11年(1922)10月の出来事として,次のようなエピソードを話している。「十月の小春だったか,先生と二人で,小さな舟で北上川を渡ったことがあった。その途中,先生のポケットからリンゴがポチャンと落ちた。先生は,それが水に沈んでゆくさまがきれいだと言って,何度もポチャンを繰り返す。」というものである(中村,1987)。ここでは,「りんご」が沈むとしか記載されていないが,ポケットから落ちたのは多分1個であり,浮かんできたのを拾い上げて,それを繰り返し落としたのだと思われる。

 

一般的に,いちご,レモン,りんごのように地上で育った果物は水に浮くと言われている。水に浮くか浮かないかは密度が関係しているが,「りんご」は空気を多く含むことによって浮くらしい。JA長野県のHPに「りんご」は空気が25%含まれていると記載されている。「りんご」の密度が0.82~0,84 g/cm3(1 g/cm3以下なら水に浮く)という報告もある(加藤ら,1978)。しかし,地上に育つ果物でも例外があって「なし」(和なし),さくらんぼ,ぶどう,キウイは,空気を含まないからかもしれないが沈むという。ネットで同じ大きさの「りんご」と「なし」(和なし)の重さを計測しているものがあった。直径8cmで高さ7.5cmの「りんご」と「なし」の重さは,それぞれ296 gと390 gであった。同じ大きさだと「なし」の方が遙かに重い。 

 

ただ,沈む,沈まないで結論を下せない場合に遭遇することもある。ネットでは大方が「なし」は沈むとしているが,NHK高校講座ベーシックサイエンス(2022)は微妙な言い方をしている。番組で「なし」,「りんご」,ぶどう・キウイ・バナナを水槽(深さ30cm位)に同時に落とす実験をしていた。すぐに沈んだのはぶどうとキウイだったが,「なし」はいったん水槽の底まで沈んだが,そのあと水槽の水面まで跳ね上がり,また沈む。これを繰り返していた。番組が終わるまで,「浮くのか沈むのか分かりませんでした」というコメントを出していた。でも,私には時間とともに跳ね上がりが弱くなっているようにも見えた。水槽の深さが浅いことによる跳ね上がりで判断できなくなったものと思われる。底がなければ沈むだけだと思う。「りんご」は底がなくとも浮き上がる。NHKの番組でも,「りんご」はいったん沈んだが底につかずに再び浮上した。

 

ここで,1つ疑問に思うことがある。童話『やまなし』の「やまなし」の果実は,賢治研究家たち(谷川,1986;松田,1991)や果樹園芸学を専門にしている片山寛則(2019)によってバラ科ナシ属の「ミチノクナシ」あるいはその変種である「イワテヤマナシ」である可能性が高いと言われてきた。私もそう思っていた。しかし,同じバラ科ナシ属の「和なし(ニホンナシ)」(Pyrus pyrifolia var. culta)が水に沈むということを知ったら,童話『やまなし』の「やまなし」が本当にバラ科ナシ属なのだろうかと疑問に持つようになった。 

 

スーパーで売っている「和なし」の果実は,品種の全てとは言わないが,ネットで実験風景が紹介されているように水に沈んだ。だから,野生のナシ属である「イワテヤマナシ」も沈んでしまう可能性が高いと思われるのだ。

 

しかし,「イワテヤマナシ」の果実のように径が2~3cmくらいの小さなナシ属の実なら大きな「和なし」と異なり水に沈まないこともあり得るのではないかと思ったりもする。沈むか沈まないかを決着させるために,自ら野生の「やまなし」と呼ばれる果実を手に入れて水に浮くかどうか試してみたい気になった。「イワテヤマナシ」は北上山地周辺にしか自生していないし,販売もしていないので入手は困難である。そこで,「イワテヤマナシ」以外の野生の「やまなし」の果実を手に入れたいと思った。

 

私は,神奈川県に在住している。神奈川県植物誌(2001)によれば,県内では,丹沢や箱根のシイ・カシ帯に1種が自生あるいは逸出しているとある。1種とはバラ科ナシ属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )である。運良く,逸出した「ヤマナシ」の1つがが身近で公共の公園に植栽されているのを知った。平塚市にある総合公園内である。

 

11月5日(土)にこの「ヤマナシ」を見に行った。果実をたわわに付けている「ヤマナシ」があった(第1図A,B)。木に取り付けられてあるネームプレートにはPyrus pyrifolia とあった。しかし,落果した果実をなかなか見つけることができなかった。拾うのを諦めかけたが,20分くらい時間をかけて落ち葉の下あるいは石の間などを丁寧に探して,やっと4個を見つけることができた(第2図A)。果実の頂部に萼片は宿存していない。木の枝に付いているものと同じ「ヤマナシ」の果実である。

第1図.A:神奈川県平塚市の総合公園内のヤマナシ(中央の木).B:樹上にたわわに付く実.2022年11月5日撮影.

 

第2図.A:ヤマナシの果実は果頂に萼片は宿存していない.B:果実は水に沈む.

 

自宅で4個の果実の重さなどを計ったのち,水に浮かぶかどうかの実験をしてみた。4個の果実の重さは3~6 g(平均4.5 g),直径は1.8~2.3 cm(平均2.1 cm)であった。縦の長さ10 cmのコップの水に高さ30 cm位のところから果実を落としたところ,全ての果実がすみやかにコップの底に沈んでしまった。果実はコップの底に当たったあと,反動で1~2 cm位跳ね上がったが,再び沈んだ。跳ね上がりを2度ほど繰り返したが,そのあとは底に沈んだままとなった。沈んでいる4個の「ヤマナシ」を第2図Bに示す。20 cmの容器でも試みたが,水深が深くなると水中での浮力も弱くなるので,沈んだあとの跳ね上がりはわずかであった。

 

念のため密度を測定してみた。50mlの目盛り付き計量カップに30mlの水を入れる。その水の中に「ヤマナシ」の果実を4個入れると,水の水面が47mlの値のところまで上昇した。果実4個の体積は17ml(cm3)となる。密度は質量を体積で割った値で1.06 g/cm3であった。ただし,質量も体積も料理用のもので計ったのでアバウトの値である。ただ,「和なし」や「ヤマナシ」の果実の密度が水の密度に近いのは確かなようで,「和なし」を使ったNHKの番組での微妙な言い方も理解できる。ちなみに,NHK番組ですばやく沈んだという「ぶどう」の果実の密度は,「巨峰」であれば個体間のばらつきもあるが,1.07~1.13 g/cm3である(杉浦ら,2001)。「なし」の果実の密度は,「あかづき」と「豊水」が1.01~1.03 g/cm3で,「幸水」が1.01~1.02 g/cm3 である。ただ,「なし」でも内部が割れて空間のできる「す入り」になると1 g/cm3以下になることもあるという(長門ら,1982;川瀬,2010)。

 

童話『やまなし』の第一章では,「カワセミ」が水中に落下して魚を捕食し,そのあと再度上昇する話がでてくる。この物語の谷川は,水面から蟹の居る川底までの距離を,少なくとも「カワセミ」の全長(16~20 cm)の数倍以上はあるというふうに設定されていると思われる。多分,童話の「やまなし」の果実が今回使用した「ヤマナシ」の果実であると仮定すると,水深が深いので落果した果実が川底で跳ね上がることもないと思われる。すなわち,落果した「やまなし」の果実は沈むだけであろう。「イワテヤマナシ」の果実も「ヤマナシ」と同じ特徴を持つなら,「イワテヤマナシ」の果実は童話の「やまなし」の果実である可能性は高くはないように思われる。

 

また,果実の色に関しても疑問が生じた。童話『山男と四月』(1922.4.7)では「お日さまは赤と黄金(きん)でぶちぶちのやまなしのやう」,また童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたようだった』(1924年春頃)には「山梨のやうな赤い眼」と記載されている(下線は引用者)。すなわち,童話『やまなし』では「黄金(きん)のぶち」と記載されているが,賢治の他の作品に登場する「やまなし」の果実は「赤い実」でもある。ただ,童話『やまなし』の果実も「赤色」が入っていた可能性はある。なぜなら,果実が落果してくる『やまなし』の第二章は月光が射す「月夜の晩」だからである。明るい場所では「赤色」は鮮やかに遠くまで見えるが,暗い場所では「赤色」は黒ずんで見える。プルキニエ現象(Purkinje Phenomenon)という。多分,賢治が見たと思われる「やまなし」の果実の色は「赤色」か「赤色と金色のぶち」と思われる。

 

「イワテヤマナシ」にも「ぶち」で「赤い実」になるものもがあるのであろうか。「イワテヤマナシ」を研究している片山寛則(1919)の論文には,「イワテヤマナシ」の多数の果実の写真がカラーで掲載されている(40個以上,ネットでも見ることができる)。これらが,純粋な野生種なのか,栽培ナシとの雑種を含むものなのかは記載がないので分からない。なぜなら,「イワテヤマナシ」という植物名は純粋な野生種だけでなく雑種も含まれるからである。ただ,写真の説明文には「イワテヤマナシ果実の多様性」と記載されているので雑種も含むと思われる。純粋な野生種は多様性が少ないとされているからである。写真の色が実物の色をどこまで反映させているか分からないが,写真の果実の色は,緑色,黄緑色,青黒色,褐色など様々で,よくよく見ると赤黒い色のものも見かけた。片山は全ての「イワテヤマナシ」を収集したわけではないので,未収集のもののなかに「赤色」と言えるものがあるのかもしれない。しかし,論文の中では明らかに「赤色」と言えるものはなかった。

 

「イワテヤマナシ」は,純粋な野生種は少なく,現在絶滅危惧種1B類に認定されている。岩手で見つかる「イワテヤマナシ」の多くは前述したように「和なし(ニホンナシ)」(Pyrus pyrifolia var. culta)との雑種であることが知られている(片山,2019)。この「和なし」は「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )を原種とした園芸品種でもある。賢治が見たと思われる「やまなし」が「和なし」との雑種である「イワテヤマナシ」であるなら,今回実験に使用した「ヤマナシ」に起原を持つ「イワテヤマナシ」の果実が水に浮かぶ可能性は少ないかもしれない。

 

すなわち,「イワテヤマナシ」が童話『やまなし』の「やまなし」ではない可能性がでてきた。「イワテヤマナシ」以外にも有力な候補があるのかどうか検討する必要がある。

 

参考・引用文献

JA長野県.2005.知ればりんごが10倍おいしい!?https://oishii.iijan.or.jp/products/post-189

片山寛則.2019.新規ナシ遺伝資源としてのイワテヤマナシ~保全と利用の両立を目指して~.作物研究.64:1-9.

加藤公道・佐藤良二.1978.リンゴ果実の成熟(第2報) 成熟期の呼吸量エチレン排出量および内部ガス濃度 の相互関係ならびに比重または蜜入りとの関係.園学雑.46(4):530-540.

川瀬信三.2010.ニホンナシ「あきづきj の成熟特性と収穫期.千葉農林総研研報 (CAFRCRes.Bull.) 2:49-54.(注:ニホンナシは和なしのこと)

松田司郎・笹川弘三.1991.宮澤賢治 花の図譜.平凡社.

長門寿男ら.1982.ニホンナシ「幸水」「豊水」の成熟特性とカラーチャート利用による収穫適期の判定.千葉農業試験報告.23:59-74.

中村和歌子.1987.賢治童話「やまなし」-その成立をめぐって-.国語研究.5:29-35.

杉浦俊彦ら.2001.ブドウ果実における比重と糖度の相関関係.園学雑.70(3):380-384.

谷川 雁.1986.賢治初期童話考.潮出版社.

NHK高校講座ベーシックサイエンス.2022(調べた年)第29回 浮いた?沈んだ?量った! ~浮力~https://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/tv/basicscience/archive/chapter029.html