宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』に登場する「やまなし」が「イワテヤマナシ」である可能性について (1)

「イワテヤマナシ」(Pyrus ussuriensis Maximvar.aromatica (Nakai et Kikuchi))Rehd.)は,童話『やまなし』の第二章「十二月」に登場する「やまなし」の有力な候補としてあげられている(伊藤,2007;片山,2019)。私も,「イワテヤマナシ」と同属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )が12月でも樹上に実をたくさん残していることを実際に確認したし(石井,2022a),岩手県の「イワテヤマナシ」と思われるものが11月下旬でも樹上に実をたくさん残しているという報告(松田,1991)もあることから,童話『やまなし』の「やまなし」=「イワテヤマナシ」と言う説を支持してきた(石井,2022b)。しかし,「イワテヤマナシ」が12月に樹上に実を残していたとしても,落果した果実が童話にあるように水に浮かばない可能性があること,および「赤い実」が知られていないなど物語の内容と一致しないことも分かってきた(石井,2022c)。

 

本稿では,童話『やまなし』の「やまなし」=「イワテヤマナシ」と言う説を実証するために,「イワテヤマナシ」が水に浮かぶのかどうか,「赤い実」があるのかどうか検討する。加えて,匂いについても検討する。ただ,「イワテヤマナシ」は北上山地を中心とした東北地方にしか自生していないので,本稿は身近に観察することができる「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)を使っての実験や文献などで推測するにとどめる。

 

1.イワテヤマナシに果皮が赤いものはあるのか

童話『やまなし』に登場する「やまなし」の果実は,以下のように表現されている。

 

 黒い円い大きなものが,天井から落ちてずうつとしずんで又上へのぼつて行きました。キラキラッと黄金(きん)のぶちがひかりました。

『かわせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云ひました。

 お父さんの蟹は,遠めがねのやうな両方の眼をあらん限り延ばして,よくよく見てから云ひました。

『そうじやない,あれはやまなしだ,流れて行くぞ,ついて行つて見よう,あゝいゝ匂ひだな

 なるほど,そこらの月あかりの水の中は,やまなしのいゝ匂ひでいつぱいでした。

               (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

童話『やまなし』では「やまなし」の果実の色を,「黒い」とか「黄金(きん)のぶち」と表現しているが,この場面は「月夜の晩」である。色は判別しづらいと思われる。童話『山男と四月』(1922.4.7)では「お日さまは赤と黄金(きん)でぶちぶちのやまなしのやう」とか,また童話『タネリはたしかにいちにち噛んでゐたようだった』(1924年春頃)では「山梨のやうな赤い眼」と表現している(下線は引用者)。すなわち,賢治の他の作品に登場する「やまなし」の果実は「赤色」が入っている実である。だから,童話『やまなし』の果実も「赤色」が入っていた可能性はある。明るい場所では「赤色」は鮮やかに遠くまで見えるが,暗い場所では「赤色」は黒ずんで見える。プルキニエ現象(Purkinje Phenomenon)という。多分,賢治が見たと思われる「やまなし」の果実の色は「赤色」か「赤色と金色のぶち」と思われる。

 

栽培品種の「和なし(ニホンナシ)」には青梨系と赤梨系の2つがある。「青梨」の品種は二十世紀,八雲,菊水などで,果皮が淡黄緑色である。「赤梨」は幸水,豊水,新高,あかずきなどがある。果皮は褐色であるが,なぜか「赤梨」と呼ばれる。熟すると少し赤みがかった色になるからと言われている。幸水などの「赤梨」は黄色から適度な赤みが出てくると食べごろだと言われている。植物学的には,「赤梨」は果実表面全体がコルク化してさび色(赤茶色)を呈するとされ,「青梨」は気孔の部分だけコルク化し,それ以外の果皮表面はクチクラ層が維持されるために黄緑色を呈するとされる(片山・植松,2004)。

 

このように,「和なし」の場合は,褐色でも少しでも赤みがかっていれば「赤梨」と呼ばれる。では童話『やまなし』の「やまなし」も赤みがかった褐色なのであろうか。多分,違う。本当に「赤色」か「赤色」が入っている「ぶち」なのだと思われる。

 

野生の「なし」で赤い「なし」はあるのであろうか。片山・植松(2004)は,1999~2004年3月まで「イワテヤマナシ」が自生するとされる岩手県を中心に東北地方の野生の「なし」の色や形態を調査している。このとき採取できた50個体の果実のうち,1個体の果皮に赤色のアントシアニン系色素で着色したものを新里村で見つけている。その赤色の果実の写真は『遺伝』2004年9月号の口絵に載っているらしい。イワテヤマナシ由来の野生の「なし」かもしれない。ちなみに,「りんご」の赤い果皮はアントシアニン系色素によるものである。賢治の詩「種山ヶ原」(1025.7.19)の下書き稿には「あざみの花の露にぬらしてたべながら行かう/あざみの花はここではみんな桃いろだ/花青素(アントケアン)は一つの立派な指示薬だから/その赤いのは細胞液の酸性により」とある。花青素もアントシアニン系色素である。賢治は「色」に拘りがある。

 

アントシアニン系色素による果皮の着色は栽培品種の「和なし」ではみられない形質であるが,中国大陸東北部に分布する耐寒性の強い秋子梨(しゅうしり:Pyrus ussuriensis)にはみられるという。中国の秋子梨は学名を見れば分かるとおり「イワテヤマナシ」と属名と種小名が同じである(片山・植松,2004)。秋子梨は「イワテヤマナシ」とは遠縁の関係にあるという(片山,1999)。大正時代の文献にも「西洋梨 のFlemish BeautyやClapp'sFovoriteおよび中国梨の紅梨などは林檎と同様にアントシアニンにより紅赤色の色彩を果面に表わすものがあると記載されている(菊池,1924)。ちなみに,新里村は,平成17年(2005)まで岩手県下閉伊郡にあった村である(現在,宮古市の一部)。

 

すなわち,岩手県に自生するイワテヤマナシ由来の「野生なし」には,「和なし」(赤梨)よりも赤い実の成るものが存在するのだと思われる。賢治も実際に見たかもしれない。

 

2.イワテヤマナシの果実は水に浮かび,そして再び沈むのか

童話の「やまなし」の果実は,「天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行き」,そのあと「流れて」,そして「横になって木の枝にひっかかって」止まる。すなわち,水に浮かぶのである。物語の語り手が言っているのだから事実であろう。では,「イワテヤマナシ」の果実は水に浮かぶのであろうか。「りんご」は水に浮かぶが,「和なし」は水に沈むと言われている。私も実際にこれらを購入してそのようになることを確かめた。「イワテヤマナシ」は入手困難なので同属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia)の果実でも確認してみた。平塚市の総合公園で11月5日に採取した4個の果実で実験してみたが当日試みたものはすべて水に沈んだ(石井,2022c)。 

 

しかしながら,落果した果実を採取してから10日後に再び実験に供したところ,皺だらけで黒ずんでいたもの(A)が(石井,2022d),また1か月に残り3個のうち重量が半分以下になったもの(B)が浮いた(第1図)。すなわち,「ヤマナシ」の実は成熟したばかりの状態では水に浮かばないが,成熟後に腐敗や乾燥などで水分が失われシワシワになると水に浮くのである。私は,「イワテヤマナシ」でも同様な結果になるものと思っている。「イワテヤマナシ」の果実の成熟期は早生のもので7月頃,晩生のもので10月頃とされている(高田ら,2019)。12月に落果してくる果実は成熟期から2~5か月過ぎているので,樹上で乾燥し水分を失っているものも少なくないと思われる。

 

「和なし」の果実の密度(文献値)は,「あかづき」と「豊水」が1.01~1.03 g/cm3で,「幸水」が1.01~1.02 g/cm3 である。ただ,「和なし」でも収穫時期が遅れると内部が割れて空間のできる「す入り」になり,果実の密度が1 g/cm3以下になることもあるという(長門ら,1982;川瀬,2010)。すなわち,水に浮く。

 

第1図.水に浮いた「ヤマナシ」の実.

 

童話『やまなし』では,木の枝のひっかかった「やまなし」に対して父親の蟹が「二日ばかり待つ」と沈むと予言する。では,この水に浮いた皺だらけの「ヤマナシ」の果実は2日後に再び沈むのであろうか。

 

これら水に浮いた2個の果実を,その後Aに関しては2日間,Bに関しては5日間放置したが沈むことはなかった。

 

すなわち,童話の「やまなし」の果実が「イワテヤマナシ」の皺だらけの果実だとすれば,「天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行き」,そのあと「流れて」,そして「横になって木の枝にひっかかって」止まるのは自然界で起こりえる現象と思われる。しかし,その果実が「二日ばかり待つ」と沈むというのは,自然界では起こりにくい現象であり,フィクションあるいは賢治の言葉を借りればmental sketch modified としか思えない。

 

私は,童話『やまなし』の第一章「五月」は賢治が投影されている移入種の〈魚〉と先住の恋人が投影されている谷川の底に棲む〈クラムボン〉の1年間で破局した悲恋物語であり,第二章「十二月」の「やまなし」の果実の複雑な動きは破局したときの恋人の心理状態と関係があるらしいということを報告した(石井,1921,2022f)。この破局の様子は賢治研究家の佐藤勝治の恋人(Y子さん)の家族からの聞き取り調査報告書(佐藤,1984)や詩集『春と修羅』の〔わたくしどもは〕(1927.6.1)にも記載されていると思われる。

 

 Y子さんのご家族の一人からお聞きしたお話は意外であった。

 これも時期とすれば,とし子さん(賢治の妹)の亡くなった恰度その前後にあたることになるが,(大正十一年末から大正十三年初めにかけて)それまで健康で非常に明るかったY子さんは,急にすっかりふさぎ込み,無口になり,衰弱していった。そしてある休暇に,(大正十二年冬らしい。とし子さんの亡くなった翌年である。),二,三日山の温泉に行って来たいと家族に云った。常は勤めから帰るとすぎに母に手伝ったり,弟妹の世話をしてすべてにやさしく勤勉であったこの姉は,その頃は何かに思いつめているようになっていた。・・・・ 山の温泉から帰ったあと,姉妹たちは驚いたことに,あっという間に,まるで不釣り合いな結婚を承諾して,アメリカへ行ってしまった。                

                            (佐藤,1884)

 

また,詩〔わたくしどもは〕には「わたくしどもは/ちゃうど一年いっしょに暮しました/その女はやさしく蒼白く/その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした・・・・そしてその冬/妻は何の苦しみといふのでもなく/萎(しお)れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました」とある。

 

「萎れる」とは,草木・花などが,水分を失って弱ることで,それが転じ,気落ちして元気がなくなることを意味している。

 

賢治は皺だらけになって落果した「やまなし」の果実に破局後に「萎れるやうに崩れるやうに」衰弱していった恋人を重ねたのかもしれない。ただ,詩で「萎(しお)れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました」の「一日」は父親の蟹の「二日ばかり待つとね,こいつは下へ沈んで来る」と同じでmental sketch modified であろう。

 

3.イワテヤマナシはいい匂いがするのか

父親の蟹は童話の中で「あれはやまなしだ,流れて行くぞ,ついて行つて見よう,あゝいゝ匂ひだな」と言う。蟹の第1触覚は嗅覚の働きをする(富川・鳥越,2007)。「イワテヤマナシ」も学名にアロマティカaromatica とあるように強い香気成分を持っていて匂うらしい。現在,神戸大学食資源研究センターの片山研究室で「イワテヤマナシ」の匂い成分の研究がなされている(片山,2019)。「イワテヤマナシ」の香気成分のうち水溶性のものは,水の中の蟹でも感じ取ることができると思われる。私は「イワテヤマナシ」を直接嗅いだことがないので,どんな匂いかを記載することはできない。私が入手できる同属の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )はほとんど匂わない。 

 

4.イワテヤマナシは12月でも樹上に実を残しているのか

12月でも樹上に残す可能性のあることは前報で述べた(石井,2022a)。「イワテヤマナシ」の果皮の色,水に沈むかどうか,匂いについて第1表にまとめた。

 

 

バラ科ナシ属の「イワテヤマナシ」は童話『やまなし』に登場する「やまなし」の有力候補の1つである。本稿で,「イワテヤマナシ」の果実の色,水に浮かぶかどうか,匂い,落果時期などを検討した。結果は以下の通り。(1)「イワテヤマナシ」の系統に赤い実のなるものがある。(2)乾燥して水分が抜けた「ヤマナシ」の果実は水に浮かぶので「イワテヤマナシ」も樹上で乾燥し萎れれば同じように落果したのち水に浮かぶ可能性はある。(3)「イワテヤマナシ」の果実に香気成分があり強い匂いを発するものがある。(4)「ヤマナシ」からの推測だが「イワテヤマナシ」は12月でも樹上に実を残している可能性がある。すなわち,童話の「やまなし」を「イワテヤマナシ」の果実としても矛盾は生じないことが分かった。ただし,本稿の結論がもう1つの有力候補であるバラ科リンゴ属の「オオウラジロノキ」を否定するものではないことは強調しておく。「オオウラジロノキ」も「やまなし」と呼ばれ,実が赤いことや12月に樹上に実を残すことで(1)と(4)の問題をクリアしている(石井,2022e)。続く

 

参考・引用文献

石井竹夫.2021.宮沢賢治の『やまなし』-登場する植物が暗示する隠された悲恋物語(3)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/08/10/122017

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』考 -12月に樹上に残る「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の実-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/04/132323

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』考 -第二章の章題「十二月」は「十一月」の誤りか-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/03/102357

石井竹夫.2022c.童話『やまなし』に登場する「やまなし」の実は水に浮くが「イワテヤマナシ」も同じように浮くのかhttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/08/171645

石井竹夫.2022d.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (2).https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/20/091202

石井竹夫.2022e.童話『やまなし』の「やまなし」が「オオウラジロノキ」である可能性についてhttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/12/091043

石井竹夫.2022f.童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第2稿)-.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/12/04/132323

片山寛則・植松千代美.2004.東北地方に自生するナシの遺伝資源.遺伝.58(5):55-62.

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菊池秋雄.1924.日本梨の系統と果皮の色の遺傳に就て.遺伝学雑誌 3 (1):1-21.https://www.jstage.jst.go.jp/article/ggs1921/3/1/3_1_1/_pdf

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