宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (2)

「なし」の果実は傷みやすく,腐敗すると「変色」し「皮がシワシワ」に萎れると言われている。11月5日に平塚市総合公園で採取したバラ科ナシ属の落果した「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の果実は,10日後に柔らかく,そして軽くなり,第1図のように4個中3個の表面が皺(しわ)になっていた。写真の右端の果実(番号4)は拾ったときは4gであったものが3gになり,また皺だらけで黒ずんでもいた。果実が軽くなったのは腐敗が進行して水分が抜けたからと思われる。ただ,果皮は乾いていて腐敗臭はしなかった。

第1図.採取してから10日後の「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の果実 (11月15日).

 

この4個の果実を透明なコップの中に水面から10cm位の高さから落としてみた。第2図に示すように4個中1個が横になって浮いた。

 

第2図.水に浮いた「ヤマナシ」の果実.Aは横から,Bは上から見たもの.

 

横になるとは,果柄(=果梗)が水面と平行になるという意味である(第1図B)。童話『やまなし』でも「やまなし」の果実は流されたあと「横になって木の枝にひっかかってとまり」(下線は引用者)とある。浮いたといっても果実のほんの一部が水面上にあるだけで,果柄を含め果実のほとんどは水面下である。ちなみに,「りんご」は果柄が水面にほぼ垂直になるようにして浮く。

 

浮いた果実は,番号4の皺だらけで黒ずんでもいたものであった。これは私には驚きであった。なぜなら,先に報告したように,採取した当日では4個すべてがコップの底に沈んだからである(石井,2022a)。腐敗した果実が水に浮く理由がよく分からない。これは推測だが,腐敗していく過程で水が抜け,その代わりに空気が入ったのかも知れない。

 

水に浮かんだ番号4の「ヤマナシ」の果実をそのまま室内で放置することにした。ただ,水は腐敗進行防止と童話の舞台が谷川ということなので,毎日定期的に新しいものと交換した。

 

しかし,3日たっても「ヤマナシ」の果実は浮いたままで沈むことはなかった(11月18日)。浮いている果実の状態は実験開始時と変わらず沈む気配も感じられなかった。また,水を交換しているにも関わらず水面上に出ている部分に白カビのようなものが生えてきたので実験を中止した。

 

腐敗以外で果実が水に浮かび,そして水に沈む可能性を考えた。その1つが果実を凍らせることである。

氷は,凍ったことで体積が増し,比重(密度)が1より小さくなるので水に浮き,溶ければ1に戻る。すなわち,樹上の果実は比重が1よりも大きくても,冬の寒さで凍結すれば落果したのち水に浮き,そして沈むかもしれない。花巻市の日最低気温(平均)は,気象庁のHPによれば,11月では氷点下以下にならないが,12月は-3.2℃,また1月は-6.4℃まで下がる。12月以降の花巻市で夜間に樹上の果実が凍る可能性はある。

 

農林水産省果樹試験場の中川行夫(1981)は,常緑果樹の凍害被害について「果実の耐凍性は低いので,最低気温が-4~-5℃くらいまで冷えた朝には枝葉が無被害でも果実が凍結し,そのあと「す上がり」(果汁が消失する現象)が起こって比重が低下し,苦味が発生し,あるいは落果するなどの凍害が発生する」と記載している。

 

11月15日の実験で,水に沈んだ「ヤマナシ」の果実3個のうち2個(番号1と2)を冷凍庫で12時間凍らせた。カチカチになっていた。これら凍結した果実を冷蔵庫で冷やしたコップの水に落とした。果実は沈んだが浮いてくることはなかった。浮かぶほどには比重は低下しなかったと思われる。

 

もう一つ可能性が考えられる。「和なし」(幸水,豊水など)の果実は,ある程度成熟すると,そのあとの日数の経過とともに比重(密度)が低下していくことが知られている。品種によっては比重が 0.980未満になることもあり,そのような果実の一部で果肉に「す入り」の症状が見られたという(長門ら,1982;川瀬,2010)。野生の「やまなし」の果実でも樹上に長く残っていると,比重が1以下になる場合も推定される。しかし,以下の追加実験の結果からも分かるように,そうなる可能性は非常に少ないと思われる。

 

少数例の実験からの推測に過ぎないかもしれないが,童話『やまなし』の第二章「十二月」で,枝に引っかかって水面に浮かぶ「やまなし」の実が2日後に川底に沈んだり,そのあとひとりでに「酒」になったりするのは,前稿(石井,2022b)でも考察したように自然界では起こりにくい現象であると思われる。すなわち,蟹の父親が「泡」を吐(は)くように「うそ」を吐(つ)いたのかもしれない。しかし,賢治が自然界で起りにくいことをわざわざ童話の中に書いたということは,この「泡」のような「うそ」に,何か重要な意味が隠されているのかもしれない。

 

参考・引用文献

石井竹夫.2022a.童話『やまなし』に登場する「やまなし」の実は水に浮くが「イワテヤマナシ」も同じように浮くのかhttps://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2022/11/08/171645

石井竹夫.2022b.童話『やまなし』では水に浮いた「やまなし」の実が2日で川底に沈みしばらくすると酒ができるとあるが (1).

川瀬信三.2010.ニホンナシ「あきづきj の成熟特性と収穫期.千葉農林総研研報 (CAFRCRes.Bull.) 2:49-54.(注:ニホンナシは和なしのこと)

長門寿男ら.1982.ニホンナシ「幸水」「豊水」の成熟特性とカラーチャート利用による収穫適期の判定.千葉農業試験報告.23:59-74.

中川行夫.1981.果樹の凍害.農業気象.36(4):279-286.

 

追加実験

11月19日(土)に再び平塚市総合公園を訪れた。「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の果実はまだ樹上にたくさん残されていた(第1図)。葉は色づいているものもあったがほとんどは緑のままで落葉していない。地上に落ちている果実は数個であった。そのうちの3個を採取した。3個の果実の重さは9~12g(平均10.3g),直径は2.7~3.0 cm(平均2.8 cm)であった(第2図)。今回採取した果実の大きさは前回の2倍近くあり,また柔らかかった。1つは鳥に1/4くらい食べられたような跡があり,食跡を嗅ぐと甘い匂いを感いた。果実はかなり熟していると思われた。ただ,よく見ると全ての果実に果柄が付いていない。「和なし」や「りんご」は果柄が枝についている部位に離層ができて落果する。多分,落果していたものは鳥などによって強制的に落とされたものであろう。

 

これらの果実を前回と同じようにコップの水に落としてみた。全がコップの底に沈んだ。

 

第1図.たわわに付けている「ヤマナシ」(Pyrus pyrifolia )の実.11月19日に撮影.

 

第2図.落果した「ヤマナシ」の実.果柄がなく食跡がある.