宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -「十二月」に「やまなし」の実が川底に沈むことにどんな意味が込められているのか (第1稿)-

童話『やまなし』の第二章「十二月」で,「やまなし(山梨)」の果実は「ドブン」と谷川に落ちたあと「ずうつとしずんで又上へのぼって」行き,そのあと「流れて」,そして「横になって木の枝にひっかかってとまり」,「二日ばかり」過ぎると「下へ沈む」という複雑な動きを示す。谷川に落下した「やまなし」の実が,「りんご(林檎)」のようなものであるなら,「沈む」→「浮上する」→「流れる」→「横になって木の枝にひっかかる」という現象は,自然界でも起こり得ると思う。しかし,そのあと「やまなし」が「二日ばかり」で再び沈んだり,しばらくして「酒」になったりするというのは起こり難い現象と思われる(石井,2022a,b)。すなわち,「再び沈む」のは何か深い意味が隠されているような気がする。

 

私は,童話『やまなし』の第一章「五月」は賢治が投影されている移入種の〈魚〉と先住の恋人が投影されている谷川の底に棲む〈クラムボン〉の悲恋物語であり,第二章「十二月」の「やまなし」の果実の複雑な動きは破局したときの恋人の心理状態と関係があるらしいということを報告した(石井,1921a)。

 

童話『やまなし』の創作メモと思われるものが異稿「冬のスケッチ」に残されている(中村,1987)。〈七-三〉という番号の次に「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。/みずのそこのまことはかなし」と記載されている。恋人の破局当時の心理状態が,この短唱の最後の詩句に表現されているものと思われる。〈クラムボン〉はアイヌ語で「kut・岩崖, ra・低い所,un・にいる, bon・小さい」(kut ran bon)に分解できる。私は,この〈クラムボン〉が谷川の川底の石の下などに棲息する「かげろう」の幼虫(ニンフ=妖精)のことであると思っている(石井,1921b)。すなわち,第二章には「みずのそこ」にいる「妖精」(=賢治の恋人)の「まことはかなし」が描かれている。ちなみに,第一章の「五月」には最初の詩句「さかなのねがひはかなし」,すなわち賢治の悲しみが描かれている。

 

本稿(1)と次稿(2)では,賢治の恋人について調査した佐藤勝治(1986)の報告論文と賢治が恋をした時期あたりに残された詩などを参考にして恋人の心理状態(=寂しさ,悲しみ)について検討してみたい。なぜ,検討する気になったかというと,童話『やまなし』の第二章の章題が「十二月」か「十一月」で議論になっていたからである(谷川,1986;石井,2022c)。恋人の心理状態が少しで明らかになれば,「十二月」か「十一月」かの問題も解決すると思われる。

 

「やまなし」が「ドブン」と落ちてから沈む様子は以下のようである。

 

そのとき,トブン。

 黒い円い大きなものが,天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行きました。キラキラッと黄金(きん)のぶちがひかりました。

『かわせみだ』子供らの蟹は頸をすくめて云いました。

 お父さんの蟹は,遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして,よくよく見てから云ひました。

『そうじゃない,あれはやまなしだ,流れて行くぞ,ついて行って見よう,ああいい匂いだな』

 なるほど,そこらの月あかりの水の中は,やまなしのいい匂いでいっぱいでした。

 三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。

 その横あるきと,底の黒い三つの影法師が,合せて六つ踊おどるようにして,やまなしの円い影を追いました。

 間もなく水はサラサラ鳴り,天井の波はいよいよ青い焔をあげ,やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまりその上には月光の虹がもかもか集まりました

『どうだ,やっぱりやまなしだよ,よく熟している,いい匂いだろう。』

『おいしそうだね,お父さん』

『待て待て,もう二日ばかり待つとね,こいつは下へ沈んで来る,それからひとりでにおいしいお酒ができるから,さあ,もう帰って寝よう,おいで』

 親子の蟹は三疋自分等(ら)の穴に帰って行きます。

                   (宮沢,1985)下線は引用者 以下同じ

 

多分,賢治の恋人の心理状態と関係するのは「青い焔をあげ,やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり」,「二日ばかり待つとね,こいつは下へ沈んで来る」という記載のところである。

 

賢治は,童話『やまなし』が発表された年(1923年4月)の直前(賢治は農学校の教員で26歳ごろ)に,短期間(1年間ほど)だが相思相愛の恋をしていたとされている。出会いは大正10年(1921)12月以降のレコード鑑賞会だという(佐藤,1984;澤口,2010)。破局後に相手の女性は,渡米(シカゴ)していて3年後に異国の地で亡くなった。花巻の賢治研究家である佐藤(1984)によれば,この女性は,賢治と同じ花巻出身(賢治の家の近く)で,小学校の代用教員をしていた。賢治より4歳年下の背が高く頬が薄赤い色白の美人であったという。詩「春光呪詛」(1922.4.10)」には「いつたいそいつはなんのざまだ・・・/髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ/ただそれつきりのことだ・・・・/頬がうすあかく瞳の茶いろ/ただそれつきりのことだ/(おおこのにがさ青さつめたさ)」とある。かなり熱烈な恋愛であったらしい。その後,宮沢家から相手側に結婚の打診がなされ,近親者の中には,二人の結婚を予想しているものも多かったという。しかし,両家の近親者たちの反対もあり破局した。

 

破局が訪れるのは大正11年(1922)の冬ごろからである。ただ,この頃の二人の様子を伺うことのできる資料はほとんどない。大正11年11月27日に妹トシが「みぞれ降る寒い日」に亡くなる(24歳)。この日付で「永訣の朝」,「松の針」,「無声慟哭」が書かれる。「松の針」には「おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」とある。この詩の「ほかのひと」とは恋人のことであろう。賢治は,妹が病床のころ,あるいは死に瀕しているとき,恋人のことを考えていた自分を恥じたのかも知れない。これ以後の約半年間は,童話3作を新聞発表するものの詩作活動が中断する。

 

詩作が再開するのは「風林」(1923.6.3)からである。詩は「(かしはのなかには鳥の巣がない/あんまりがさがさ鳴るからだ)」という内省の言葉で始まる。周囲の反対があったから恋が実らなかったという意味と思われる。大正11年の冬を含む半年間で残されていないのは詩だけではない。書簡も一切残されていない。その理由も明らかにされていない。

 

ただ,昭和2年(1927)5月7日の日付のある作品だが,大正11年(1922)冬あるいは翌年の2月ごろまでのことを回想したと思われる詩がある。一〇五七「詩ノート」の〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕には「・・・そしてまもなくこの学校がたち/わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の/舎監に任命されました/恋人が雪の夜何べんも/黒いマントをかついで男のふうをして/わたくしをたづねてまゐりました/そしてもう何もかもすぎてしまったのです・・・」という詩句が並ぶ。賢治の「水いろ」は恋人と関係するらしい(澤口,2013)。ちなみに,この詩が書かれた1か月前の4月13日に賢治の恋人も異国の地で亡くなっている。27歳であった。

 

多分,この詩の仮題である〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕と「恋人が雪の夜何べんも・・・たづねてまゐりました」が童話『やまなし』第二章の「青い焔をあげ」と「やまなしは・・・木の枝にひっかかってとまり,その上には月光の虹がもかもか集まりました。」にそれぞれ対応していると思われる。童話に「やまなし」の「その上には月光の虹がもかもか集まりました」とあるが,賢治作品で「月」は恋人のメタファーで使われることが多い(石井,2022d)。すなわち,木の枝にひっかかっている「やまなし」は恋人のことである。「やまなし」=恋人説に関してはあとでも述べる。〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕や「青い焔をあげ」は何か陰鬱なイメージを与える。詩「春と修羅(mental sketch modified)」(1922.4.8)には「いかりのにがさまた青さ」とある。この詩の恋人は何か重要な決意をもって寄宿舎を訪れているように思える。

 

エッセイストの澤口たまみ(2010)によれば,この詩に登場する寄宿舎とは新しくなる農学校の校舎のもので 恋人とは詩集『春と修羅』の出てくる賢治の相思相愛の相手であるという。すなわち,佐藤勝治が報告している賢治の恋人である。私はこれに同意する。 

 

『新校本 宮澤賢治全集第十二巻 童話Ⅴ・劇・その他校異篇』(1995)では,農学校新校舎とは,大正11年(1922)8月から建築を開始し翌年3月30日に落成式を行った県立花巻農学校のことである。また,同月31日に賢治が勤めていた旧校舎(稗貫郡立稗貫農学校)から移転作業をしていている。職員,生徒らが残雪凍土を物ともせず机,椅子,農具・蚕具を運んだという。賢治はこの新しい農学校の寄宿舎の舎監に任命されている。

 

澤口(2010,2013)は「恋人が雪の夜何べんも」も寄宿舎を訪れたのは「大正11年の冬」,あるいは「大正12年の早春」であるとしている。澤口(2010)の著書だと新寄宿舎は11月には完成しているとある。多分,澤口は大正11年の12月から翌年の3月ごろの新寄宿舎にまだ生徒らが入っていない頃を「雪の夜」の恋人の訪問時期と推定している。賢治の詩や資料によれば,11月27日は「みぞれ降る寒い日」とあり,翌年の3月31日は「残雪」が残っているとある。花巻では,その間に雪が降るのであろう。ネットで調べたら花巻の積雪のある雪は12月から2月だという。

 

また,澤口(2018)によれば,題名の「やまなし」には恋人の名が隠されているという。東北で「やまなし」は「やまなす」と発音する。この「やまなす」の4文字の頭文字と最後の文字に恋人の名があるという。すなわち,「やまなし」が「木の枝にひっかかって」から「下に沈む」とは,恋人が何かにしがみついたが,沈んでしまったと言う意味にもとれる。「何か」とは賢治のことであろう。

 

私も,詩〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕の寄宿舎(の舎監室?)を訪問した人物は,澤口が指摘している女性と思っている。しかし,異論もある。賢治研究家の浜垣誠司は,ちょっと強引な憶測ですと断りを入れて,「恋人とは,盛岡高等農林学校の寄宿舎で同室だった保阪嘉内をフィクション化した存在なのではないか」としている。そういう解釈も成り立つかもしれないが,詩内の寄宿舎が新しいということもあり,私は澤口の説を支持したい。(続く)

 

参考・引用文献は次稿にまとめて記載する。