宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

童話『やまなし』考 -冬のスケッチ(創作メモ)にある「さかなのねがいはかなし」とはどういう意味か (第1稿)-

童話『やまなし』(1923年4月8日新聞発表)の第一章「五月」には鉄色の〈魚〉と〈クラムボン〉の悲恋物語が書かれている(石井,2021a)。鉄色の〈魚〉には賢治が,川底に居る〈クラムボン〉には詩集『春と修羅』に登場してくる賢治の恋人が投影されている。

 

『やまなし』の創作メモと思われるものが異稿「冬のスケッチ」に残されていて,その〈七-三〉という番号の次に「さかなのねがひはかなし/青じろき火を点じつつ。/みずのそこのまことはかなし」と記載されている。多分,この短唱は賢治と恋人の恋の破局と関係すると思われる。本稿では,短唱1行目の「さかなのねがいはかなし」が何を意味しているのかについて考察してみる。本稿は第1稿と第2稿の2つで構成されている。

 

童話『やまなし』が発表される前年の5月の日付のある詩「小岩井農場」パート九(1922.5.21)に賢治の「ねがい」と思われるものが記載されている。この詩には「・・・この不可思議な大きな心象宙宇のなかで/もしも正しいねがひに燃えて/じぶんとひとと万象といつしよに/至上福しにいたらうとする/それをある宗教情操とするならば/そのねがひから砕けまたは疲れ/じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと/完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする/この変態を恋愛といふ/そしてどこまでもその方向では/決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を/むりにもごまかし求め得やうとする/この傾向を性慾といふ・・・」(宮沢,1985;下線は引用者)とある。

 

多分,賢治が投影されている〈魚〉の「ねがい」とは「じぶんとひとと万象といつしよに至上福しにいたらう」とする宗教情操のことと思われる。すなわち,賢治は童話『やまなし』を創作していた頃「みんなを幸せにする」ことを願っていた。

 

では,「さかなのねがひはかなし」の「かなし」とは何か。別の言葉で言い換えれば「みんなを幸せにする」ことでなぜ心が痛むのか。

 

2つ考えられる。1つは「みんなを幸せにする」すなわち「正しいねがひに燃えてじぶんとひとと万象といつしよに至上福しにいたらうと」としたが,その「ねがい」が砕けまたは疲れ,「じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと完全そして永久にどこまでもいつしよに行かう」とする「宗教情操」の変態すなわち「恋愛」をしてしまったという「かなし」である。これを(A)とする。

 

もう1つの「かなし」は賢治の恋人が破局によって味わった悲しみと関係しているものである。すなわち,恋人が破局を回避するために賢治に繰り返し助けを求めていたにも関わらず(石井,2023),それに答えることができなかったことによる「かなし」である。これを(B)とする。

 

私は,「さかなのねがひはかなし」の「かなし」は後者の(B)であると思っている。(A)は「かなし」というよりは「なさけなし」と言ったほうが適切なような気がする。恋人ができたことを詠った詩「春光呪詛」(1922.4.10)には嬉しいはずなのに「いつたいそいつはなんのざまだ/どういふことかわかつてゐるか/髪がくろくてながく/しんとくちをつぐむ/ただそれつきりのことだ・・・」(宮沢,1985;下線は引用者)とある。恋人ができたのに「そいつはなんのざまだ」と嘆いている。この恋人は,賢治が友人の藤原嘉藤治と開催したレコード鑑賞会に参加してきた女性である。女性は小学校の教諭であり7~8人の仲間の女性と一緒に参加していた(佐藤,1984)。

 

賢治は,島地大等編纂の『漢和対照妙法蓮華経』に出会って法華経に感銘し2年後の大正5年(1916)に「四弘誓願」を立てたと言われている。「四弘誓願」は(1)衆生無辺誓願度-誓ってすべての人を悟らせようという願い,(2)煩悩無量誓願断-誓ってすべての迷いを断とうという願い(あるいは誓い),(3)法門無尽誓願学(誓願知)-誓って仏の教えをすべて学び知ろうという願い,(4)仏道無上誓願成-誓ってこのうえない悟りにいたろうという願い,である(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)。

 

この誓願は賢治のように菩薩を目指す人において修行の初めに必ず起こす4つの誓いである。『新校本宮澤賢治全集十六(下)補遺・資料 年譜篇』に「大正5年7月5日(木)保阪嘉内と岩手山登山 神社参拝 誓願」とある。また,賢治の保阪宛の書簡186(大正10年1月)に「嘗つて盛岡で我々の誓った願/我等と衆生と無上道を成(じょう)ぜん,これをどこ迄も進みませう」,簡196(同年7月)に「私の高い声に覚び出され・・・四つの願を起した事をあなた一人のみ知って居られます」,また書簡484a(昭和8年8月)に「昔の立願を一応段落つけようと・・・」とある。

 

賢治にとって,「四弘誓願」まで立てて「じぶんとひとと万象といつしよに至上福しにいたらう」と誓ったのに,「じぶんとそれからたつたもひとつのたましひ」と「恋愛」に落ちてしまうとは「いつたいそいつはなんのざま」なんだと言うことであろう。すなわち,(A)は「悲しみ」というよりは「なさけなし」と言った方が適切である。心の痛みではない。「さかなのねがひはかなし」の「かなし」は(A)ではなく,(B)の恋人を助けることができなかったことによる悲しみと思われる。

 

では,なぜ賢治は恋人を助けることができなかったのか。その理由は童話『やまなし』を発表してから3年後に書かれた童話『銀河鉄道の夜』(第3次稿,1926)に登場する「けやきのような姿勢の青年」が語っているように思える。この青年は物語では氷山に衝突して沈んだ船のキリスト教徒として設定されている。(続く)

 

参考・引用文献

堀尾青史.1991.年譜 宮澤賢治伝.中央公論社.

石井竹夫.2021a.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)-橄欖の森とカムパネルラの恋-https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/07/084943

石井竹夫.2023.童話の「やまなし」の実が横になって木の枝にひっかかってとまると」とは何を意味しているのか.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.

佐藤勝治.1984.宮沢賢治 青春の秘唱“冬のスケッチ”研究.十字屋書店.