宮沢賢治と橄欖の森

賢治作品に登場する植物を研究するブログです

植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅳ)-橄欖の森とカムパネルラの恋-

Keywords: 赤い実,粟粒ぐらいの活字,文学と植物のかかわり,蝦夷,イチョウ,薤露青,ケヤキ,リンドウ,スギ,渡り鳥の信号手

 

本稿では,総集編Ⅲに引き続き,植物によって解き明かされた難解な用語について総説する。また,詩集『春と修羅 第二集』の「薤露青(かいろせい)」(1924.7.17)は童話『銀河鉄道の夜』の先駆的作品ともされているので本稿でその比較も試みてみる。「薤露青」は,賢治によっていったん鉛筆で書かれ,そして消しゴムで消されたものを,後の研究者によって鉛筆の跡から翻刻されたものである。1922年から『銀河鉄道の夜』の第一次稿が執筆された1924年の間の賢治の書簡もほとんど残されていない。消された詩「薤露青」に登場する植物などにも『銀河鉄道の夜』の謎を解くヒントが隠されているかもしれない。

 

1.銀杏の木

1)ジョバンニとカムパネルラの出生の秘密

二人の関係は,第四次稿の七章に登場する「プリオシン海岸」にある白鳥の停車場前の広場の「銀杏(イチョウ)の木」と「白鳥座」にまつわるギリシャ神話から明らかになる。

 

「イチョウ」(Ginkgo biloba L.)は雄と雌(雌雄異株)があり,雄株は精子を作ることが知られている。雌株の雌性胞子嚢穂は短枝の先端に普通2個の胚珠(はいしゅ)を付けている。同一とは限らない雄株からの複数の花粉は雌株の胚珠に到達すると胚珠内の花粉室に入る。そこで雌しべから養分をもらって約3か月を過ごし,無事に成長すると精子になる。これら精子のいくつかが2個ある胚珠内の胚嚢(はいのう)上部にそれぞれ2個ずつある卵細胞を目指して泳いでいく。2個の胚珠のそれぞれの胚嚢にある2個の卵細胞は受精するが胚に育つのはそれぞれ原則的に1つのみであるという(稀に2つ)。長い花柄(かへい)の先の2個の胚珠は成熟すると「ぎんなん」のある2個の実となる。

 

「白鳥座」には,カストル(スパルタ王の子)とポルックス(白鳥に化身できるゼウスの子)という双子にまつわるギリシャ神話が知られている。

著者はこの「イチョウ」の生殖様式と「白鳥座」にまつわるギリシャ神話から,ジョバンニとカムパネルラは父親を異にする兄弟として設定されていると推定した(石井,2013b,2019a)。第四次稿で,溺死したカムパネルラは天上で自分の母を見つけるが,この母はジョバンニの母でもある。第三次稿でジョバンニの母は重い心臓病を思わせる症状がでていたが,第四次稿では死をイメージできる「白い布を被って寝(やす)ん」でいた。

 

「プリオシン海岸」は,猿か石川が北上川にそそぐ合流地点(花巻市の郊外)近くの泥岩層が露出している「イギリス海岸」と呼ばれている川岸がイメージされている。ここで賢治は,沢山のクルミや偶蹄類の足跡の化石を発見している。「イギリス海岸」を題材にして,この童話以外にも文語詩〔川しろじろとまじはりて〕や歌「イギリス海岸の歌」あるいは随筆風の童話『イギリス海岸』などの作品が沢山作られている。

 

童話『銀河鉄道の夜』(第一次~第四次稿)は,1924年から亡くなる直前まで長きにわたって書き続けられたものである。また,賢治は後述するように物語執筆の直前に破局に終わったが相思相愛の恋を体験している。それゆえ,『銀河鉄道の夜』の登場人物には,第1表に示すように賢治が生きていた時代の実在の人物が色濃く,時間を超えて複雑に絡み合って投影されている。表には,『銀河鉄道の夜』だけでなく,「ギリシャ神話」,『土神ときつね』,『シグナルとシグナレス』,『双子の星』,「薤露青」に登場する人物(象徴を含む)との関係も記しておく(石井,2019a,2019b)。

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2)法華経にでてくる兄弟との関係 

カムパネルラとジョバンニが兄弟ということであれば,この二人は法華経の「妙荘厳王本事品第二十七」にでてくる二人の王子・浄蔵(兄)と浄眼(弟)になぞらえることもできる(吉本,2012;石井,2013b)。この章には,二人の兄弟が母・浄徳とともに外道(ここでは法華経以外の信仰)の教えに執着している父・妙荘厳王を仏道に帰依させた話が説かれている。また,浄蔵と浄眼の二人が現在の薬王菩薩と薬上菩薩になったという因縁も語られる。

 

法華経の「薬王菩薩本事品第二十三」には,薬王菩薩が前世において,自ら妙香を服し,香油を身に塗り焼身して仏を供養した「一切衆生憙見菩薩」(あらゆる衆生が喜んで見るという菩薩)であったとも説かれている。この菩薩の身体は1200年間燃え続け,『銀河鉄道の夜』の「蝎の火」のようにその明かりで世界を照らし続けたという。 

 

2.橄欖の森とカムパネルラ(賢治)の恋

1)恋人を象徴する孔雀と杉

童話『銀河鉄道の夜』(第一次稿)は,短い童話で「青い孔雀」をイメージできる「青い橄欖(かんらん)の森」から始まる。この場面で主人公の一人であるカムパネルラは,銀河鉄道の列車から遠ざかる「青い橄欖の森」あるいは隣に座っている<女の子>を「うっとり」見てしまいジョバンニを悲しくさせる。物語は,カムパネルラが「青い孔雀」をイメージできる人に恋をしているというニュアンスを込めながら始まる。「青い孔雀」が羽を広げているように見える「青い橄欖の森」は,第一次稿から第四次稿まで共通しているので,多分物語を創作した原点がこの恋に隠されている。

 

「橄欖」や「孔雀」が何を意味しているかであるが,それに答えるヒントは詩集『春と修羅』の恋愛抒情詩「マサニエロ」(1922.10.10)に登場する賢治の恋人を形容する「橄欖天蚕絨,杉」という語句の中にある。賢治は詩の中でこの杉を見ながら「ひとの名前をなんべんも/風のなかで繰り返してさしつかへないか」と呟いている。

 

この詩は花巻の高台にある城跡(しろあと)から小学校の景観を詠んだものであり,「橄欖天蚕絨,杉」は「橄欖岩」(緑色の鉱石)を産出する大地に生える葉が緑色で光沢感のある「杉」という意味で,美しく背の高い恋人を比喩したものであろう(賢治は青色と緑色を区別していない)。賢治はこのとき,「スギ」(Cryptomeria japonica (L.f.) D.Don)が周辺に植えてある小学校に務めている賢治よりも4歳年下の代用教員に恋をしていた(澤口,2010)。澤口によれば,恋人は「頬がうすあかく瞳の茶色」な「背のすらりとした,色白の美人」であったという。また,このとき信仰を共にする最愛の妹トシが結核を患い病床に伏していた。

 

東北の「橄欖岩」を産出する大地には昔「先住民」である「蝦夷(エミシ)」が住んでいた。すなわち,「青い橄欖の森」とは「緑の杉」や「青い孔雀」で象徴されるような美しい恋人あるいは「先住民」である「蝦夷」の末裔達が住む森という意味であり,カムパネルラには賢治が,「孔雀」と「橄欖の森」の「スギ」には恋人が,そして<女の子>には恋人と妹トシが二重に投影されている(石井,2018a,2018b,2018c,2019a)。またジョバンニにも恋人が投影されることがあるが,これについては後述する。

 

第一次稿で「橄欖の森」は,<女の子>によってこの森が「竪琴」の音が奏でられている「琴(ライラ)の宿」(「琴座」)であると説明されているので,ギリシャ神話の竪琴の名手オルフェウスが,死んで天上世界へ旅だった妻のエウリディケを追いかけて連れ戻そうとする「琴座」のオルフェウス伝説を基に創作されたと言われている。

 

賢治と恋人との恋愛体験は信号機や電信柱を擬人化した寓話『シグナルとシグナレス』(1923年5月11日~23日の岩手毎日新聞に掲載)にも書き留められていて,シグナル(賢治)はシグナレス(恋人)に婚約指輪として「琴座」の環状星雲(フィッシュマウスネピュラ)を送ったりもする(澤口,2010)。シグナレスは,シグナルの求愛に「あたし決して変らないわ」と答えたりもする。しかし,現実的には,賢治の恋は長くは続かなかった。

 

澤口によれば,賢治の恋愛期間は1922年春から1923年春の1年間であったという。この間に妹トシも亡くなっている(1922.11.27)。賢治は,詩集『春と修羅』で名前を明かせない恋人への「思い」を妹と重ねながら自分の気持ちを表白した。また,恋人が破局後に超高層ビルが立ち並ぶ近代都市シカゴに去った(1924.6)ことを憂いて,寓話『シグナルとシグナレス』や『銀河鉄道の夜』(第一次稿は1924年冬)を,そして暫くして詩ノートの詩〔わたくしどもは〕や文語詩〔川しろじろとまじはりて〕を創作したものと思われる。賢治の恋人は,渡米して3年後に心臓病(僧帽弁狭窄症)で「美しい花が萎れる」ように亡くなり(1927.4.13),シカゴの教会で葬式が営まれた。作品番号1071番の詩〔わたくしどもは〕の全文は以下の通り。

1071 〔わたくしどもは〕1927.6.1

 わたくしどもは

ちゃうど一年いっしょに暮しました

その女はやさしく蒼白く

その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした

いっしょになったその夏のある朝

わたくしは町はづれの橋で

村の娘が持って来た花があまり美しかったので

二十銭だけ買ってうちに帰りましたら

妻は空いてゐた金魚の壺にさして

店へ並べて居りました

夕方帰って来ましたら

妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました

見ると食卓にはいろいろな果物や

白い洋皿などまで並べてありますので

どうしたのかとたづねましたら

あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです

・・・その青い夜の風や星,

      すだれや魂を送る火や・・・

そしてその冬

妻は何の苦しみといふのでもなく

萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました

(宮沢,1985)下線部は引用者による

 

詩〔わたくしどもは〕は,恋人が亡くなってから2か月後に書かれたものであることと,一緒だったのが1年という共通点を考慮すると,詩の中の妻には賢治の恋人が投影されているかもしれない。この詩は夫が「町はづれの橋で/村の娘が持って来た花があまり美しかったので/二十銭だけ買ってうちに帰りましたら」(原文の「銭」に「かねへん」は付かない),妻がそれを二円で売ったという話がでてくる。

 

この話は貪欲な生活者としての妻の金銭感覚を物語っていると思われるが,夫が「あまり(にも)美しかった」という理由で買ってきた花が10倍で売れるとは考えにくい。この「村の娘」が持って来た「花」も短命だった美しい恋人を比喩しているとすれば別の解釈が可能になる。すなわち,自分が安く買われたから今度は高く売るというようにもとれる。

 

女性側からすれば,相手は地方(田舎)財閥の息子ではあるが,実際は二人(あるいは家族)の生活を顧みずに「みんなのほんたうのさいはひ」など「何かわたくしのわからない」理想ばかり追い求めている一介の新米教師にすぎず,付き合っても結婚に対して煮え切らずにいて,見下されていたという意識をどこか心の隅に感じていたと思われる。それゆえ,恋人は破局後に,食卓に「白い洋皿」が置かれる大都会の家に嫁いで行ったのであろう。それを夫(賢治)は妻(恋人)の「ふしぎな笑ひやう」の中に見ていた。嫁ぎ先の相手は,シカゴの日本食料品店を兼ねる宿泊所の所有者であったという(布臺,2019)。

 

恋人にとって「みんな」とは家族あるいはイーハトーブのことであるが,賢治にとってはイーハトーブから地球あるいは銀河宇宙にまで広がっている。「町はづれの橋」は後述する「イギリス海岸」近くの橋がモデルになっていると思われる。

 

第二次稿以降で,「橄欖の森」がある場所は「スギ」の森の代わりに超高層ビル(摩天楼)が立ち並ぶニューヨークあるいは恋人の移住先であるシカゴ辺りになっている。「橄欖の森」に登場する「高い高い三角標」は,ネオゴシック様式の教会堂を真似て作られた商業用の超高層ビルであり,シカゴであればトリビューン・タワー(141m)あるいはリグリービル(134m)のことであろう(総集編Ⅲの図6で描写)。

 

シカゴで活躍したスウェーデン系アメリカ人にサンドバーグ(Carl Sandburg;1878~1967)という詩人がいて,1922年に童話集『Rootabaga Stories』を出しているが,その中に「The Two Skyscrapers Who Decided to Have a Child」という題名の道路を隔てた2つの超高層ビル(Skyscraper)が登場する物語がある(Sandburg,2003)。2つの超高層ビルは,賢治の童話『シグナルとシグナレス』と同様に,動くことはできないが擬人化されていて夜になるとお互いの方に身を傾けてささやき合う。

 

ある日,2つの超高層ビルは相談して子供を持つことにする。それが特急列車「Golden Spike Limited(ゴールデン・スパイク特急)」である。2つの超高層ビルは,子供である特急列車に愛情を注ぐが,ある日大事故が起こり多くの乗客が死んでしまう。この童話は,賢治と恋人の悲恋物語を彷彿させる物語でもあり,また賢治がこの童話を読んだとすれば「Golden Spike Limited」を『銀河鉄道の夜』の銀河の中を走る列車に重ねることもできる。

 

2)賢治を象徴するケヤキ

「スギ」が「先住民」を象徴する植物なら,「移住者」を象徴するのは「ケヤキ」(欅,Zelkova serrata (Thunb.) Makino )である。「ケヤキ」は歴史書の中で古代から大和朝廷を象徴する木として知られていた。第二次~第四次稿で銀河鉄道の列車には難破船から青年と姉弟が乗ってくるが,「ケヤキ」はこの青年の立っている姿勢を形容するのに使われている。

 

物語では,「せいの高い青年が一ぱいに風に吹かれてゐるけやきの木のやうな姿勢で」とある。この青年の腕には「眼が茶色の可愛らしい女の子」がすがっている。青年は船が氷山と衝突したとき<女の子>を救命ボートに乗せることができなかった理由についての話をする。この青年を賢治,青年の腕にすがっている<女の子>を賢治の恋人とすれば,物語に挿入される難破船の逸話は,賢治の恋の破局の理由を語っている(石井,2018b,2018c)。

 

物語では,救命ボートに乗せられなかった理由の1つとして「ボートまでのところにはまだまだ小さな子供たちや親たちやなんか居て,とても押しのける勇気がなかった」ことを挙げている。賢治の恋の破局の原因の1つとして,賢治は,後で述べる「先住民」が示す「まっくらな巨きなもの」に衝突したとき,それを押しのけて恋人と一緒になる勇気がなかったからだと思われる 

 

詩集『春と修羅』の「薤露青」の中頃に「この星の夜の大河の欄干(らんかん)はもう朽ちた」という詩句がある。この「大河の欄干」は,童話『銀河鉄道の夜』(第四次稿)では七章「北十字とプリオシン海岸」に出てくる「細い鉄の欄干」あるいは最終章の夢から覚めた後に出てくる「通りのはづれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかゝった大きな橋のやぐらがぼんやり立ってゐました」という文章の「やぐら」と関係すると思われるが,童話『イギリス海岸』に出てくる北上川に架かる朝日橋(木橋)の「欄干」をモデルにしたものであろう。賢治が第四次稿(1931年以降)を執筆していた頃に,木橋だった朝日橋が「三角形」を組み合わせた鉄骨の「やぐら」(トラス構造)のような橋に作り替えられた(1932年に完成)。

 

「薤露青」の「大河の欄干はもう朽ちた」という詩句は,妹トシの死により,宗教的同伴者を失った賢治の喪失感が表現されていると言われていた(木村,1987)。しかし,失ったものは妹だけではない。同時に恋人も失っていて,自分の恋の破局に伴う「挫折感」も表現されていると思われる。ちなみに,木橋の「桁」(橋脚に架ける水平部材),橋板あるいは「欄干」には,折れにくい強靭な材になる「ケヤキ」が使われるという(ケヤキの材質については次の総集編Ⅴで説明する)。

 

3.りんどうの花と母への強い思い

恋の破局の別の要因の1つとして,賢治の「自分の幸せ」よりも「他者(みんな)の救済」を優先するという「性格」がある。これは,賢治の「乳幼児期」の「母」との関係によって形成されたと思われる(石井,2018c)。賢治が「嬰児籠(えじこ)」の中で育てられたことは前述(総集編Ⅱ;石井,2020b)したが,「母」イチは「乳幼児」を寝かしつけながら「ひとというものは,ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス」と毎晩のように語り聞かせたという。

 

第四次稿の中で,賢治が投影されているカムパネルラに,「寂しさ」を連想させる「りんどう(リンドウ)」(Gentiana scabra Bunge varBuergeri (Miq.) Maxim.)(第1図)や「すゝき(ススキ)」(第2図)と一緒に「他者救済」や「信仰」の象徴である「三角標」が現れてくる場面がある。六章「銀河ステーション」で列車がススキ原である天の野原を通過しているとき,「次から次から,たくさんのきいろな底をもったりんだうの花のコップが,湧(わ)くやうに,雨のやうに,眼の前を通り三角標の列はけむるやうに燃えるやうに,いよいよ光って立ったのです」(下線部は引用者による)と記載されている。この文章は「カムパネルラ」や賢治にとっては,寂しくなればなるほど「母」への「思い」が強くなり,また「他者救済」に繋がる信仰心も強くなるということを表現している。

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第1図.リンドウ

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第2図.ススキ

 

4.橄欖の森の中のまっ赤に光る円い実

第二次稿以降の「橄欖の森」には,木々の枝に「熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい」成っていて,オーケストラの奏でる音楽や讃美歌も聞こえてくる(総集編Ⅲの図6で描写)。このたくさんの「赤い実」を見て,青年は突然身ぶるいがして顔を青ざめてしまい,また<女の子>は顔をハンカチで覆ってしまう。青年を青ざめさせるこの丸(円)くて「赤い実」はなんであろうか。この「赤い実」は「赤いリンゴ」であり「赤い眼(瞳)」のメタファーである(石井,2014c)。

 

英国の欽定訳旧約聖書(Authorized Version of the Bible)の英語訳の申命記32:10に“the apple of his eye”という表現が出てくるが,この“the apple of his eye”の“apple”は「リンゴ」という意味では使われていない。“the apple of his eye”は「ひとみ(瞳)」(=眼差し)と訳されている。もともと,ヘブライ語の聖書の “the apple of his eye”に相当する「瞳」を意味する単語は,「眼の娘」,「眼の小さい男(と娘)」である。これは,眼の前にいる人の「瞳」をじっと見つめていると,見ている人の顔が相手の「瞳」に映ることによるらしい。「瞳」を「子供」や「娘」が映る場所と呼ぶのは,古代ギリシャ語やラテン語でも同じである。日本語の「瞳」という漢字も,「目」と「童=子供(娘)」で出来ている。たぶん,「瞳」を “apple”とするのは英語圏の文化の特徴とも思われる。

 

青年を賢治,<女の子>を恋人とすれば,この沢山の丸くて「赤い実」は,賢治と恋人の恋愛に反対する両家の近親者達の「眼差し(=瞳)」である。

 

「赤い実」=「赤い眼(瞳)」あるいは「眼差し」とすれば,この物語には沢山の「赤い眼」が登場してくる。最初は,地上の時計屋に置いてあった「ふくろうの赤い眼」であり,次に「牛乳屋の年老いた女の人の赤い眼」が現れ,「橄欖の森」の「赤い実」となる。これらはみな,「悲劇性」を予兆するものであり,最後は自己犠牲の象徴になっている「まっ赤なうつくしいさそりの火(眼)」となる。

 

5.渡り鳥の信号手

物語(第一次~第四次稿)では,さらに赤帽の「信号手」が登場し,「川は二つにわかれました」という所にある「まっくらな島」の高い櫓の上から旗を振ったり「今こそわたれ渡り鳥」と言ったりして「渡り鳥」の動きを統率しているが,この「信号手」による一糸乱れぬ鳥の群れの行動は,賢治の結婚に反対する近親者達(リーダーとそれに従う者)を皮肉ったものと思われる(石井,2018b)。

 

これら近親者達が組織だって結婚に反対する様子は,前述したように寓話『シグナルとシグナレス』(1923)では「渡り鳥」ではなく沢山の擬人化された「電信柱」の会話の中で描写されている(澤口,2010)。軽便鉄道の小さな木でできた腕木式信号機シグナレスと東北本線の金(かね)でできた新式のシグナルが相思相愛の恋をする。しかし,シグナレスは伯母達の視線(眼差し)を常に気に留めているし,シグナルの後見人で格式を重んじる背の低い太っちょの「電信柱」は,「シグナレス風情と何をにやけていらっしゃる」と言って激怒し四方の縁者に電報を送り,彼らの結婚に反対する意見を取りまとめようとする。

 

物語では,ザウエルという「しっぽがまるで箒のよう」な犬(『双子の星』に出てくる「箒星である空のくじら」のこと)が二人を監視しているかのようにジョバンニの行くところは何処へでも付いてくる。それゆえ,「川は二つにわかれました」とあるのは,二人の恋が引き裂かれたことを暗示しているのかもしれない。

 

シグナルは両家の近親者達の猛烈な反対に遭っても,シグナレスに「遠くの遠くのみんなの居ないところに行ってしまいたいね」と駆け落ちも辞さない決意を語っていた。シグナレスも「えゝ,あたし行けさへするならどこへでも行きますわ」とどこまでも一緒にいく覚悟を決めていた。そして夢の中では「まっ黒の倉庫」の計らいもあって実現したかのようにも見えた。しかし,賢治と恋人の「恋の逃避行」が現実世界の中で実行されることはなかった。

 

「信号手」が出てくる場面で植物は登場してこない。しかし,著者はこの近親者達が組織だって行動する様子を詩「薤露青」の「杉ばやしの上がいままた明るくなるのは/そこから月が出ようとしてゐるので/鳥はしきりにさわいでいる」という詩句の中にも見ることができると思っている。この詩句中に登場する「月」は恋人のことを言っている。文語詩〔セレナーデ 恋歌〕で恋人を「ルーノの君」と呼んでいるが,「ルーノ(luno)」はエスペラント語で「月」である。詩「薤露青」のこの詩句は自然描写とは考えにくく,恋人(=「月」)が「東北」の大地(=「杉ばやし」)から出て行こうとするので,近親者(=鳥)達が騒ぎだすと読めば意味が通じる。

 

恋人の渡米は1924年6月14日なので詩「薤露青」の制作時期と若干のズレがあるが,詩集『春と修羅 第二集』の〔東の雲ははやくも密のいろに燃え〕(1924.4.20)では,「月」に向かって「あなた」と呼びかけながら「おぼろにつめたいあなたのよるは/もうこの山地のどの谷からも去らうとします」と言っている。この詩の日付に二人は会っていたと推測する研究者もいる(澤口,2018)。同じ日に詠んだ詩「有明」には「滅びる最後の極楽鳥が/尾羽をひろげて息づくやうに/かうかうとしてねむってゐる・・・しかも変わらぬ一つの愛を/わたしはそこに誓はうとする」とある。ここでは,「孔雀」が「極楽鳥」になっている。

 

「滅びる最後の」と形容をつけたのは,賢治が北海道の「先住民」である「アイヌ」を亡びゆく民族として捉えていたことや,恋人が重い心臓病を患っていたことが関係していたのかもしれない。すなわち,賢治は恋人が渡米することは知っていたが,いつ渡米したのか正確には把握していなかったようである。ちなみにこれらの詩を書いた日付は初めての詩集『春と修羅』の出版日でもある。

 

賢治は,「イギリス海岸」を題材にして文語詩〔川しろじろとまじはりて〕(下書き稿)では,「川しろじろと/峡(かい)より入りて/二つの水はまじはらず・・・きみ待つことの/むなしきを知りて/なほわが瞳のうち惑ふ・・・尖れるくるみ/巨獣の痕・・・たしかにこゝは修羅の渚」(下線部は引用者による)と詠んでいる。これは,町を流れる北上川の水を賢治,北上山系から流れてくる水を恋人とすれば,近親者達の反対から恋人と一緒になれなかった「悲しみ」と「憤り」が表現されている。

 

6.ピンセットで拾う粟粒ぐらいの活字

(移住者は先住民をどう見たか)

第四次稿の「活版所」の章で,狩猟民の子であるジョバンニ(多くの場面で賢治の恋人が投影されている)がアルバイト先の活版所で靴を脱いで「粟粒のような活字」を「ピンセット」で拾う様子が描かれている。

 

この文選作業の様子は,近年になるまで「アイヌ」の女性が「アワ(粟)」(Setaria italica(L.)P.Beauvois)や「ヒエ(稗)」(Echinochloa esculenta (A.Braun) H.Scholz)を収穫する時に「鎌」を使って根刈りするのではなく,その穂を「カワシンジュガイ」(二枚貝;Margaritifera laevis (Haas,1910))から作る「ピパ」(穂摘み具)を使って素足のまま摘み取っていた様子をイメージしたものと思われる。すなわち,「粟粒のような活字」と「ピンセット」は「粟の穂」と「ピパ」をイメージしたものである(石井,2019b)。

 

活版所で働く高度な先端技術を有し効率を重視する技術者達(移住者側)がジョバンニのこの行動に対して冷たく笑う。なぜ「冷たく笑う」かは,物語を理解する上で最も重要な問いかけでもある。多分,移住者達は「先住民」の宗教的世界観の中に,「ほんたうの考え」が含まれているかもしれないということを理解せずに,時代の流れについてゆかず古くからある慣習を守り続ける姿だけを見て見下し蔑視(差別)したのである(石井,2019b)。「移住者」が「先住民」を不当に蔑視すれば,反動として「先住民」の「移住者」への「疑い」と「反感」・「憎悪」が生まれるのは必至で,これが「先住民」と「移住者」の間の対立を生んだと思われる。(続く)

 

引用文献

布臺一郎.2019.ある花巻出身者たちの渡米記録について.花巻市博物館研究紀要.14:27-33.

石井竹夫.2013b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場するイチョウと二人の男の子.人植関係学誌.12(2):29-32 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/07/03/145440

石井竹夫.2014c.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する赤い実と悲劇的風景(前編・後編).人植関係学誌.14(1):51-58.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/28/103010 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/28/104635

石井竹夫.2018a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-カムパネルラの恋(前編・中編・後編)-.人植関係学誌.17(2):15-32.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/162705 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/173753 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/11/185556

石井竹夫.2018b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-ケヤキのような姿勢の青年(前編・後編)-.人植関係学誌.18(1):15-23.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/143453 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/12/145103

石井竹夫.2018c.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-リンドウの花と母への強い思い-.人植関係学誌.18(1):25-29.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/13/085221

石井竹夫.2019a.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-イチョウと二人の男の子-.人植関係学誌.18(2):47-52.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/100952

石井竹夫.2019b.宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の発想の原点としての橄欖の森-アワとジョバンニの故郷(前編・後編)-.人植関係学誌.18(2):53-69.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/150002 https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/14/152434

石井竹夫.2020a.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅰ)-宗教と科学の一致を目指す-.人植関係学誌.19(2):19-28.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/04/145306

石井竹夫.2020b.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅱ)-リンゴの中を走る汽車-.人植関係学誌.19(2):29-32.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/05/092120

石井竹夫.2020c.植物から『銀河鉄道の夜』の謎を読み解く(総集編Ⅲ)-天気輪の柱と三角標-.人植関係学誌.19(2):33-40.https://shimafukurou.hatenablog.com/entry/2021/06/06/110204

木村東吉.1987.『春と修羅』第二集 私註と考察 その二「薤露青」.島根大学教育学部紀要 人文・社会科学  21:1-12.

宮沢賢治.1985.宮沢賢治全集 全十巻.筑摩書房.東京.

Sandburg,C.2003.Rootabaga Stories.Turtleback Books,St.Louis,USA.

澤口たまみ.2010.宮澤賢治 愛のうた.盛岡出版コミュニティー.盛岡.

澤口たまみ.2018.新版 宮澤賢治 愛のうた.夕書房.茨城.

吉本隆明.2012.宮沢賢治の世界.筑摩書房.東京.

(2019年迄の著者文献の年号に付く記号は総集編Ⅰ(石井,2020a)に準じる)

 

本稿は人間・植物関係学会雑誌20巻第1号19~24頁2020年に掲載された自著報文(種別は資料・報告)を基にしたものである。掲載された自著報文は人間・植物関係学会(JSPPR)のHPにある学会誌アーカイブスからも見ることができる。http://www.jsppr.jp/academic_journal/archives.html